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第10章 奈落の底が大混乱

17 寝耳に水

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 綾那が王都へ戻って来てから、本当に色々な事が変化した。まず肩書が『広報リーダー』から『騎士団長の妻』になったし、颯月との関係も大きく変わった――いや、変わったと言うか、今までお互いに遠慮していたものが全て取り払われたと言ったところだろうか。

 綾那の「怪力ストレングス」をもってしても、壊せない檻――もとい自宅の建設予定地を見せられてから、二人は家の間取りや設備について度々話し合っている。いくつもの図面を取り寄せては、ああでもない、こうでもないと意見を出し合うのだ。正直、この何か新しいものを作る時に人と意見交換している瞬間が、一番ワクワクして楽しい気がする。

 そうして、綾那達がマイホームを形にしようとしている間にも、渚と維月のリハビリは進んだ。まだ詳しい事は聞かされていないが、渚曰く「動画配信の問題点、なんとかできるかも知れない」との事だ。
 両名ともそれなりに話し合いを楽しんでいるようで、勉強会終わりにはどちらも満ち足りた表情をして帰っていくのが面白い。ただ、いつも外で長時間待ちぼうけを食らっている『トラ』こと白虎を見ると、少々憐れに思ってしまう時もある。
 しかし、彼もまた放置を楽しんでいる節があるので、きっと問題ないのだろう。

「――思ったんだけどさ」

 本日も維月のリハビリが行われる日だ。午前中に公務を済ませてからやって来る彼よりも先に、渚が応接室に到着した。維月が来るまで綾那と二人で談笑していたのだが、その途中で渚はふと真剣な眼差しをして綾那を見つめた。

「もし私が殿下と結婚したら、名実ともに綾のリアル家族になれるって事に気付いたんだよね」

 シレッと言われた事に、綾那はぱちくりと目を瞬かせた。彼女が何を言っているのかすぐに理解できなかったのだ。
 ややあってからようやく綾那の口から漏れたのは、「え?」の一言だった。

「もし私が殿下と結婚したら、名実ともに綾のリアル家族になれるんだよね」
「に、二回言った……」
「聞こえなかったのかと思って」
「いや、決してそういう訳ではないんだけど――」

 綾那は軽く頭を振ると、渚の言葉を脳内でゆっくりと噛み砕いた。――渚が、維月と結婚する? 渚が、維月と? 果たして、そんな事があり得るのだろうか。

 確かに維月は、現在「王太子なのに婚約者が一人も居ない問題」に直面している。両親からなんとかしろと言われているし、問題が解決しなければ、国王に即位するなど夢のまた夢だ――とも。そして、渚もまたとっくに成人しているのに婚約者がおらず、絶賛法律違反中である。
 少なくとも気は合うようだし、両名がそれで良いならば綾那がアレコレ口出しする事ではないだろう。ただ、渚の思惑はあまりにも――なんというか、不埒な気がするのだ。

(私と家族に……そりゃあ渚が維月くんの奥さんになれば、私にとって義妹になる訳だから、確かに家族だけど。でも、まさかそれだけの理由で維月くんに狙いを定めている訳ではないよね? いや、だけど、あの渚が人を好きになるって、失礼ながら全く想像できないような――)

 綾那はなんとも言えない複雑な表情になったが、渚はひとつも気にした様子がない。ただ淡々と利点を述べるのみだ。

「しかも殿下と夫婦になれば、裏で法律をこねくり回せるじゃない? 動画の配信場所問題――アレ解決するために、とりあえず王都だけでも良いからインターネット敷きたいんだよ」
「イ、インターネットを!?」
「そう。仕組み自体は「蔵書ライブラリー」使えば、なんとか形にできそうだし……問題は、国家規模の事業になるから――個人の力でやるのは厳しいってところかな。同時進行で法整備もしなくちゃ、ネットの海が無法地帯になるしね」

 渚はそのまま「ついでに電話も作っちゃおうかな~」なんて嘯いているが、とんでもない事だ。魔法ばかりで科学が発展していないせいで、交通、連絡手段に乏しいリベリアス。渚はそのリベリアスに、恐ろしい革命を起こそうとしている。

(いつか革命を起こしそうとは思っていたけれど……まさか、こんな早くに野望を抱くなんて)

 綾那は、ごくりと唾を飲み込んだ。あまりにも展開が早すぎる。
 そもそも現実問題、できるのだろうか。いや、渚ならやりかねない。何せ彼女の「蔵書」、そのは、何千、何万を優に超えている。
 インターネット回線がどのような仕組みなのか、電話線や電波塔のつくりがどうなっているのか――渚の移動図書館には、全ての答えが詰まっているのだろう。
 あとは、「表」の科学をどう魔法に変換するのか――問題はその一点のみだ。いや、渚と維月の二人なら問題も簡単に乗り越えてしまうかも知れない。

「さすがに結婚云々の話は持ちかけた事ないけど、実はこの辺りの話は殿下ともしててね。ネットや電話について「興味深い」って言われてるから、きっと建設の邪魔は入らないと思うんだ」
「そ、そう……」
「あとは、殿下の『利権』をどう増やすか――だね。殿下には現行の法律丸ごとひっくり返すぐらい頑張ってもらいたいから、一生に一度なんてケチくさい事言ってないで、絶対に利権をもぎ取ってもらわないと困るんだ」
「なんか、物凄い話になってない? 他でもない維月くんが暴君になりかねないような――」
「――だからこそだよ。彼を暴君に仕立て上げるからには、私も責任とって庇護しなきゃダメかなって。さすがに八つも下で、未成年なのは気になるけど……まあ、見た目は大人だし。あと、淫行条例ないし」

 乙女らしく恥じらうでもなく、ただ義務のように告げる渚。綾那は「うーん」と難色を示した。
 他でもない綾那が、恋愛の末に結婚までこぎつけたのだ。そんな、まるで愛のない政略結婚のような――とそこまで考えて、「そうか、これが政略結婚なのか」と思い至る。
 維月と渚、互いの目的のために力を合わせるだけ。そこに必ずしも愛は必要なくて、ただ見ている方向さえ同じであれば、大した問題にはならないのかも知れない。

 もし渚が維月のバックにつけば、きっと彼女ほど心強い仲間は居ないだろう。彼女と長年一緒に暮らしていた綾那には、よく分かる。聡明で常識はずれの記憶力をもっていて、頭の回転が速く、これでもかと弁舌が立つ。なんなら物理も強い。
 恐らく彼女は――「怪力」を発動しなかった場合に限るが――綾那よりも腕っぷしが強い。そして、それなりに気も強い。まるで、現国王の颯瑛を支えた輝夜のように。

 彼女が事があるとすれば、その相手はきっと綾那ぐらいのものだろう。

(もしかしたら、維月くんにとってもそんなに悪くない話……?)

 綾那は納得しかけたが、しかしフルフルと頭を振った。

「ええと……それはあくまでも渚の都合だから、まずやっぱり維月くんに確認すべきかなって思う」
「うん、それはもちろん。結婚って一人じゃできないからね」
「でも……渚とも家族になれたら、楽しそうだなとは思う」
「そうでしょう? 殿下の妃になったら、私颯月サンのだしさ。めちゃくちゃこき使えそうじゃん」

 二ッと悪戯っぽく笑う渚を見て、綾那は「それが一番の目的だったか」と苦笑した。
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