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第一章『死の谷』
11話 悪魔と異端と原子論
しおりを挟む骨喰牛は、僕らが少し話し込んでいるうちに、肉と内臓と皮に分けられていた。
狩人さんたちは3人ほどで手分けをして、木で吊るした状態から、血を抜きながら皮をはぎ、内臓を抜いたようだ。今は鉈のような刃物を使って、流れるように部位ごとに分けた枝肉を切り出している。
肉の解体を目の当たりにして、血の臭いを嗅ぐなんて、前世から考えたら異常な状況のはずだったが、意外に気持ち悪くなりはしなかった。前世の記憶が戻る前に、何度か見たからかもしれない。
一方、解体に参加しなかった狩人さんたちは、手近な石でかまどを組んで、先生たちが作った神術の種火ですでに火を熾しはじめている。みんな手早い。
「灰はどのくらい必要なんですの?」
ターナ先生は相変わらずキラキラした目でこちらを見ていた。
「うーん、ちょっとわからないけど、たくさんいるかな」
灰の主成分は炭酸カリウムで、水に溶けやすいはずだ。灰をそのまま油と混ぜるわけにはいかないので、水溶液の状態にしないといけない。さらにその濃度を濃くして、pHをあげる必要もあるだろう。
ということは、水に溶かしてから、煮詰める必要があるということだ。
「油の量にもよるけど、多分その壺一つ分の灰でも足りなさそう」
量を計算出来たらなと思いつつ、方法を思いつかなかったので、ざっくり説明する。どれくらい作れるかわからないけど、濃い水溶液を作って、そこに油を少しずつ混ぜればわかるだろう。できた分に合わせて石鹸を作れば良い。
「じゃあ、いっぱい灰が出るように、作業を手伝いましょう」
ターナ先生はものすごく楽しそうだ。
「お? いいんですかい? じゃあ油絞りと肉をいぶす作業をお願いしやすぜ」
近くで会話を聞いていたのか、アブスが声をかけてくる。肉をさばいていたせいか、手が真っ赤になっていた。
「わかりましたわ。それでは私は肉をいぶしてきますね」
ターナ先生はスキップするかのような雰囲気で、燻製用のテントに向かっていった。
という事は、僕は油絞りか。油絞りは単純作業で、大きな鍋で脂身を熱して、溶けだしてくる油を回収するという作業だ。そして、目の細かいザルで漉して、壺に入れて保存する。獣脂は冷えれば固まるので、けっこう輸送しやすいらしい。
「じゃ僕は鍋の番をするね」
昨日は勉強していたので免除されたが、大規模な魔物の暴走があった場合は領主の息子だろうと後始末を手伝わされる。実は油絞りの鍋の番は以前やった事があった。
自動的に、マイナ先生は僕の隣で油を回収する作業担当になる。
「油って不思議よねー。水みたいにしか見えないのに、燃えるし、水と混ざらないし」
僕が大きな鍋に適当に脂身を放りこんだところで、マイナ先生は隣に腰かけてくる。暑いのに、近すぎやしないだろうか。
「燃えるのは、水には炭素が入っていなくて、油には入っているから、かな? あと、水と油も、これから作る石鹸を使ったら混ぜられるよ。乳化って言うんだけども」
隣に座るマイナ先生の気配が、若干固くなる。
「もしかしてイント君、水と油の違いを説明できるの?」
あー、マイナ先生はちょうど中学生ぐらいの年齢だし、まだ周期表をやるぐらいだっけか。僕は8歳だけど、ちょっと天才風を吹かすのも良いかもしれない。
「うん。水は水素原子2個と酸素原子1個で出来てるし、油は脂肪酸とグリセリンのエステルだね。原子で言うと炭素とか水素とか、けっこう複雑な化合物だよ」
多分、教科書はマイナ先生には見えていないので、横目で教科書をカンニングしながら答える。それでも、ごちゃごちゃした化学式はよくわからない。
「え? 元素は土と火と風と水だけじゃないの? っていうか、水も分割できるの?」
あー、ファンタジーチックな世界だし、もしかしたらこの世界ではそういう風にできているのかもしれない。でもまぁ、8歳だし適当なことを言っても大丈夫だろう。
「できるよ。ちなみに土や岩を熱し続けると溶岩っていう液体になるし、水を熱し続けると水蒸気って気体になる。風は地面以外のこのへん全部気体でできていて、動くから起こってるだけだから、その分類どうなんだろう?ほら、油だって熱したら溶けるでしょ?」
鍋の中の脂身がジワリと液体になって鍋に溜まりだしてきた。あとはこの油に脂身を浸けて、脂身が柔らかくなってきたら、棒で突いて砕いていけばいい。そうやって連鎖的に油になっていくのだ。
「面白い見方だね。それも聖霊様が教えてくれたの?」
マイナ先生はちょっと呆れた顔をしている。これは小さい頃、アニメの話を説明した時の親の表情だ。何だか馬鹿にされているみたいで少しイラっとする。
「聖霊は本を出してくれただけで、僕は元々知っていたんだよ。それにあの自称天使、ものすごく胡散臭いんだ。顔なんか黒山羊でさ」
僕は大学に行くために必死に勉強したんだ。志望校に受かるためにはもう少し勉強しなきゃならなかったけど、それでも馬鹿にされるのはちょっと違う。
「え?聖霊様、天使って名乗ったの?しかも黒かったの?」
マイナ先生は聖霊の話に夢中で、元々知っていたあたりはスルーされた。何だか少し寂しい。
「ええとね。賢人ギルドには専門があるって話はしたことあると思うんだけど、私のお父様の専門、聖霊学なんだ」
急に話が変わった気がするけど、先生はワクワクした様子で話している。
鍋の中では油が少しづつ染み出してきているので、追加の脂身を鍋に投入する。脂身には少しだけ筋や肉が残っていることがあって、それが美味しそうな良い匂いを漂わせてきた。
「そのお父様から教えてもらったんだけど、黒い聖霊は今の教会から『悪魔』って呼ばれてて、契約した聖霊神術士は『悪魔憑き』って呼ばれて異端審問にかけられて処刑されちゃうんだって」
声のトーンとまったく違う話の内容に、鍋をかき混ぜる手が止まる。
「え? あいつやっぱり悪魔なの? ていうか、悪魔って何?」
しまった。どうやら迂闊なことを言ってしまったらしい。
あの自称天使には僕の命を救ってもらうついでに前世の記憶を戻してもらって、リナを助けるための灯りを出してもらって、マイナ先生を助けるために教科書を出してもらった。
契約自体は避けられなかっただろうけど、喋らなければわからなかったかもしれないのに。
「うーん。教会の経典では、魔物に悩まされる人を哀れんだ天使が、叡智を神から盗んで人に与えたらしいわ。おかげで人は魔物に対抗できるようになったんだけど、その天使は神の怒りで悪魔に堕とされて、悪魔の始祖になったって言われているの」
なんか理不尽な話のような気もするけど、宗教系の話はそういうものかもしれない。
「えーと、マイナ先生も教会に報告したりするの?」
キョロキョロと誰にも話を聞かれていないのを確認してから、マイナ先生に恐る恐る尋ねてみる。
「わたしはしないよ。さっきの悪魔の話だって、天使が神の怒りで黒くなったって記録、教会の経典以外ないの。お父様はそれについてもいろいろ古文書を調べてて、すでに叡智を授けた段階で黒かったって記録を見つけてるんだって」
なるほど。僕の場合は元々知ってる話だから、聖霊から叡智を授けられたわけではない。ともあれ、マイナ先生は教会に報告しないでくれるらしい。勘違いで殺されたくはないし、これで良いのだろう。
「でも、他の人には迂闊に喋らない方が良いかな? 古文書の話は知られてないし、わたしみたいに例え悪魔でも、叡智が手に入るならって考えちゃう人、そんなに多くないから……」
研究熱心なんだなぁ。そう言えば、前世でも地動説を唱えた学者が教会から責められたりした話はあったっけ。どこの世界も似たようなものかもしれない。
「わかった。迂闊に喋らないようにする」
答えながら、追加で脂身を投入する。だいぶ油の量も増えてきて、脂身が全部浸かるようになった。最初に入れた脂身も棒で突くとやわらかくほぐれていく。
油が熱くなりすぎると怒られるので、さらに脂身を投入する。
「そろそろ、最初の分すくっても大丈夫かも」
マイナ先生にそう声をかけた瞬間、父上たちが向かった稜線で、轟音と共に火柱が上がった。
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