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第四章『領主代行』
112話 婚約の挨拶3
しおりを挟む「ぐぬぬぅ」
フォートラン伯爵が目を向いて唸っている。
マイナ先生が、これ見よがしに後ろから抱きしめているせいだ。慣れない事をしているせいか、先生の早鐘のような鼓動が、頭頂部にダイレクトに響いてくる。
そんなに緊張されると、僕までドキドキしてしまう。
「伯父様、お久しぶりです」
「お久しぶりです。近々、領地に帰るので、挨拶に来ました」
マイナ先生が挨拶したので、僕もそれに続く。フォートラン伯爵の視線が、僕の頭の上を往復するのがわかった。少し屈むだけで、おっぱいが頭の上に乗る位置だからだろう。
「マイナちゃんや。ちょっと密着しすぎとちゃうか?」
僕もそう思う。今日はここに来てから、なぜかやたら密着してくる。
「婚約者ですから、当然ですよね」
「ぐぬぬっ」
マイナ先生が、腕にキュッと力を籠めてきた。
「いや、坊主とマイナちゃんは年の差がな?」
言い回しから見て、まだ内心認めていないようだ。
「伯父様は言いました。塩の問題を解決したら、婚約を認めると」
塩の値段の急降下の原因は、公国派貴族の買い占めだった。彼らは独占していた『聖水』から多額の収益を得て、それを塩の買占めに回していたためらしい。
だから、宰相閣下が『聖水』を生産して無償提供し、公国派貴族の収入源を潰した。秋に塩漬けが作れておらず、冬に餓死者が出ることを懸念した陛下も宰相閣下を支援し、結果公国派は資金源を失って買い占めが継続できなくなったらしい。
「東西の隣国からの輸入再開と、塩の国産化の功績については認めるが、最終的に解決したのは、坊主やのうて宰相のドネット侯爵やろ。惜しかったなぁ」
確かにその通り。この調子でいくと、円満な婚約に辿り着くのは困難だ。
「あら、伯父様が知らないなんて。宰相閣下にそれを実現する知恵と道具を渡したのはイント君なんですよ?」
マイナ先生がドヤ顔で答えると、フォートラン伯爵の表情が変わった。
「なんやて? 道具って、あれ聖水のことやろ? 何で坊主が作り方知っとんねん」
この世界、化学のかわりに良くわからない四元素論が幅を効かせている。四元素論というのは1500年前の学者であるテレースが提唱した理論で、世界は地火風水の四つの元素から構成されるというものだ。
例えばこちらの世界では空気を指す「風」は「熱」と「湿」いう属性を持っており、「水」は「湿」と「冷」という属性を持っている。空気を冷やして二つのうち一つの属性を「熱」から「冷」に入れ替えると、「風」の元素が「水」に変換されて結露するというような考え方なのだ。
一方、前世の知識では、元素は100以上あり、個体、液体、気体の三態を温度や気圧次第で行き来する。結露は、水が気体から液体に戻っているだけで、元素としては変わっていない。
聖水の正体は、高濃度のアルコールだ。アルコールは七十八度で、水は百度で気化する。だから、沸騰しない程度で酒を温め、それを冷やすとアルコールだけを取り出せるのだ。
知っていれば当たり前の話だが、こちらの世界から見ればそれが奇跡に見えるらしい。確かに既存の四元論では、蒸留のメカニズムは説明できないだろう。だから神の奇跡になる。
「まぁええわ。それは聞かんとこ。せやけどな、貴族の派閥はそれなりに意味があるねん。坊主は、聖堂派貴族領の塩生産の支援しとったな。古典派貴族にも協力したやろ? そんなん勝手にされたら困んねん」
僕が答えずに考え込んでいると、どう解釈したのか、伯爵は話題を変えた。
「いや、それはフォートラン伯爵閣下のご意向に沿ったまでです。条件になっていた塩不足の解消のためには国産塩の増産は不可欠でしたが、我々が勝手に開発すると領主の反感を買います。かと言って、領主に自力で開発を求めるのは無理がありませんか?」
そこはいろいろ考えたのだ。乏しい人脈を最大限に使って、波風をたてずにできるだけ多くの魔境を開拓できるように。
「それをきっちり相手派閥に貸しと認識させなあかんねん。このまま行ったら、コンストラクタ家が別の派閥に鞍替えするって考える奴が出てくるで」
ああ、またなんか難しいこと言ってる。塩問題の解決でさえけっこう難しかったのに、今度は派閥間の対立のせいで小言を言われる。やればやるほど配慮の要求があがっていく現象を、何と呼べば良いだろうか。
正直、貴族派閥のパワーバランスなど知ったことではない。
「知ってますか? コンストラクタ家って、事務ができる人がほとんどいなかったんですよ? 最初はイント君とわたししかいなかったぐらいだし。でも、伯父様は何も助けてくれてないですよね?」
マイナ先生、偉い伯父相手にけっこうキツイことを言う。
「言われて見れば、今事務手伝ってくれてるのって、王家から派遣されてきた五人だけだけど、オーニィさん含めて全員聖堂派の人だよね?」
マイナ先生に僕も便乗してみる。
「そ、それは、マイナちゃんも姉さんも手伝っとるやないか。我が家出身やから我が家からの支援とも言えるやろ」
フォートラン伯爵が慌てだす。このまま行けば、形勢逆転できそうだ。
「お母さんも言ってたけど、わたしたちはもう籍を抜けたんだよ。貴族院に記録は残ってて、姓も失ってないけど、もう貴族じゃない。手伝ってるとは言い難いんじゃかなぁ」
「いや、しかしやな。新しい騎士団に金と人員を出しとってやな……」
マイナ先生は追及に、どんどんしどろもどろになっていく。立場もあるだろうし、ちょっとかわいそうになってきた。
「いや先生、申し訳ないよ。オーニィさんは知り合いを呼んでくれるらしいし、アモンさんも塩の生産が軌道に乗ったら配下連れて手伝いに来てくれるって言ってるし、学校で領民も育てる予定だし、なんとかなるよ」
助け舟を出したつもりだが、伯爵はさらに焦りだす。
「て、手伝わないとは言ってへんやろ。これまでは、小僧マイナちゃんを預けるに足るか確認していただけや。次はシーゲン子爵領で何かの石を採掘するんやろ? うちの領内にいる鉱山技師を手配したる。あとは、石工やな。家の建設が間に合ってないんやろ?
これからはちゃんと手伝ったるから、聖堂派や古典派に近づけすぎるんやない」
瓢箪から駒の申し出。何事も言ってみるものだ。
家の建設もありがたいが、何よりありがたいのは鉱山技師だろう。
次に開発するのは。シーゲン領の中にある魔境『黄泉の泉』だ。あそこには、地下に川が流れていて、それがあの世までつながっているという伝説がある。確かに入り組んだ広大な鍾乳洞が多数確認されており、そこを住処にする魔物が大量に湧くそうだ。
魔物はどうにかできるだろうが、石灰石の採掘方法は教科書に書いていない。正直、鉱山技師のことは考えていなかった。
「人手は多ければ多い方が良いので、それは大変ありがたいです。ところで、婚約は認めていただけたということで良いでしょうか?」
クシャっと、伯爵の表情が豹変する。駄々をこねる子どもみたい。
「こ、婚約は認めたる! せやけど、それで結婚まで認めるわけちゃうからな!」
今日の目的はこれだ。どうせ僕が成人するまで結婚はできないが、マイナ先生の立場をはっきりさせておきたい。
「ええ……。じゃあ結婚するにはどうすれば良いんですか?」
僕が問い返すと、しばらく考えるそぶりを見せた。さては何も考えてなかったな?
「せやな……。坊主個人が子爵になることやな」
マイナ先生が急に立ち上がって、座っていた椅子が音を立てて倒れた。
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