私たちの離婚幸福論

桔梗

文字の大きさ
13 / 64

013 愛と執着と時間と

その夜、久しぶりに庭園へ足を運んだルシェルは、そっと声を出してみた。

「……来てくれるかしら」

月光の下に立ち、夜風に髪をなびかせながら。

そして――空気が、ふわりと揺れる。
銀色の蝶が舞い降りたのは、まるでルシェルに応えたように見えた。

「……あなたは、やっぱり……」

そのとき、また別の気配を感じて振り返る。
ゼノンが、黙って立っていた。

何も言わず、ただ優しいまなざしだけを携えて。

「また、ここで会えましたね」

優しく微笑むゼノンを見て、ルシェルは心の奥底から何かが湧き出てくるのを感じた。
そして、彼をみた瞬間に自分が安堵していることに気がついた。

「ええ…」

ルシェルはイリアの言葉を思い出した。

『過去に囚われ続けることと、過去を大切に思うこととでは天地の差がある』

それでも、ルシェルにとって愛すべき人はノアでなくてはならない。
そうでなくてはならないーー。

もはやそれは愛というよりも、執着に似たものをルシェル自身が感じていた。
銀の蝶が、再びふたりの間をふわりと舞い抜けていった。

夜風が、庭園の草木の葉先を揺らし、月光は柔らかく花々を照らす。
ルシェルはその中で静かに立ち尽くし、深く息を吐いた。

ゼノンの銀髪が月明かりに淡く輝き、青く美しいその瞳はどこか遠くを見つめているようだった。

「……なぜ、急に国に戻られるのですか?」

ルシェルはほんの一瞬の勇気を振り絞って問いかける。
ゼノンは彼女をじっと見つめ、やがて視線を夜空に滑らせた。

「……実は……父の容態が思わしくないのです。兆候は以前からありましたが、先日の書簡で状況が悪化したと知らされました。このことはどうかご内密にお願いします」

「……そう、ですか。それは心配ですね。ええ、もちろんです。」

「父も歳ですので。ひとまず帰国して、またこちらに戻るつもりです。臣下たちも私の長期の不在に不安を抱いているようで…」

ルシェルは安堵の表情をわずかに見せる。しかし心の奥には、不安の影が潜んでいた。
ゼノンがいなくなる日々を思うと、胸が空虚に感じられてならなかった。

「そうですか……」

ゼノンは微笑んだ。

「ええ……とはいえ、ルシェル様のお顔をしばらく見られないのは…寂しいです」

「冗談がお上手ですね」

「私は冗談など言いませんよ。前にも言ったではないですか」

ゼノンの真剣な表情にルシェルは微笑みを返しつつも、胸の奥が締め付けられるのを感じていた。

(……あと少し……ほんの少し手を伸ばせば……触れられる気がする………けれど、触れてはならない。彼女は今、あの皇帝を愛しているのだから)

ゼノンはこの距離がもどかしかった。

風が吹いた。

銀色の蝶がふわりと舞い上がり、ふたりの間を通り抜けて夜空に溶けていく。
ルシェルはその光景を見上げ、小さく息を吐いた。

(また来てくれたのね)

蝶は相変わらずルシェルの側を守るように舞っている。

「ゼノン様……」

「はい?」

「私、あなたにとても感謝しています。あの夜、私の話相手になってくださって……私の心に寄り添ってくださって……本当に……感謝しているのですよ」

「いえ、私はただ……あなたのそばにいたかっただけですから……。私の為でもあったのですよ」

彼女は心の奥にしまい込んだ何かを少しだけ緩めた。

「私……」

言葉は途切れたが、微笑みを浮かべた。きっと、それで十分だった。
庭園の片隅で、ふたりは言葉なく同じ空を見上げていた。

「また戻ってきたら、庭園散策に付き合ってくださいますか?」

ゼノンが問いかける。

「ええ、もちろんです。お待ちしていますね」

ルシェルは微笑んだ。

***

数日後、ゼノンが故国へと旅立ち、ルシェルは以前と同じ日々に戻った。

ヴェルディア宮廷は、表面こそ穏やかに見えても、裏には複雑な感情と駆け引きが渦巻いている。

ルシェルはゼノンが発ってから、寂しさを感じていた。
そして、ゼノンと過ごした短い時間の余韻が、彼女の中でじわじわと広がっていた。
ノアとは十年もの時間を共に過ごしてきた。ゼノンと過ごしたのはたったのひと月だ。
ただそれだけなのにーー。
相手を意識するのに、時間の長さなど無意味なのだと思い知る。

庭園に行くと、間も無く開花の時期を迎えるライラックの花の香りが立ち込め、それはゼノンを思い起こさせた。
そばにいるわけではないのに、彼がそばにいるような気がする。
そして相手を恋しがるというのは、きっと心だけでなく、身体そのものが変わっていくことなのだろう。
感想 22

あなたにおすすめの小説

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

真実の愛の裏側

藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。 男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――? ※ 他サイトにも投稿しています。

愛していると気づいたから、私はあなたを手放します

妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
愛しているのに、触れられない。 幼なじみの夫は、こう言った。 「もう、女性を愛することはできない」と。 それでも「君がいい」と言い続ける彼と、 子どもを望む現実の間で、私は追い詰められていく。 だから決めた。 彼のためにも、私は他の誰かを探す。 ――そう思ったのに。 なぜあなたは、そんな顔で私を追いかけてくるの? これは、間違った優しさで離れた二人が、 もう一度、互いを選び直すまでの物語。 ※表紙はAI生成イラストを使用しています。

結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です

柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。 そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。 真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。 けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。 「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」 彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。 アンリは実は、亡き国王の婚外子。 皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

あなたの隣に私は必要ですか?

らんか
恋愛
政略結婚にて、3年前より婚約し、学園卒業と共に嫁ぐ予定であったアリーシア。 しかし、諸事情により結婚式は延期され、次の結婚式の日取りさえなかなか決められない状況であった。 そんなアリーシアの婚約者ルートヴィッヒは、護衛対象である第三王女ミーアの傍を片時も離れようとしない。 月1回の婚約者同士のお茶会もすぐに切り上げてしまい、夜会へのエスコートすらしてもらった事がない。 そんな状況で、アリーシアは思う。 私はあなたの隣に必要でしょうか? あなたが求めているのは別の人ではないのでしょうかと。 * 短編です。4/4に完結します。 ご感想欄は都合により、閉じさせて頂きます。

【完結】私を忘れてしまった貴方に、憎まれています

高瀬船
恋愛
夜会会場で突然意識を失うように倒れてしまった自分の旦那であるアーヴィング様を急いで邸へ連れて戻った。 そうして、医者の診察が終わり、体に異常は無い、と言われて安心したのも束の間。 最愛の旦那様は、目が覚めると綺麗さっぱりと私の事を忘れてしまっており、私と結婚した事も、お互い愛を育んだ事を忘れ。 何故か、私を憎しみの籠った瞳で見つめるのです。 優しかったアーヴィング様が、突然見知らぬ男性になってしまったかのようで、冷たくあしらわれ、憎まれ、私の心は日が経つにつれて疲弊して行く一方となってしまったのです。

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。