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世界で一番近くて遠い
しおりを挟むドタドタと慌ただしい音で目を覚ます。
この階段の駆け下り方は十中八九、智佳のものだろう。
「……ったく、朝からうるさいな」
大あくびをして、ベッドから起き上がると、カーテンの端から漏れる朝日に今日も晴天であることが分かった。
いつも通りに制服に着替えて、下へ降りていくと、もうみんな起きていたようで各々に朝食をとっていた。
その側で、ネクタイを縛りながら立ってパンをかじっている男の姿が見える。
無造作に跳ねた黒髪に、金色の瞳。
僕よりもいくらか大きな背丈をしたソイツは、僕の姿を見るなりニヤニヤと笑って話しかけてくる。
「よう、翔和。おそよう」
「おはよう、智佳。今日もネクタイ苦戦してるの?」
皮肉に皮肉を返して嘲笑うと、ソイツ――霜月智佳はすぐにバツの悪そうな顔をしてこちらを睨んだ。
「べつに苦戦なんかしてねーし! 大体、今どきネクタイとかダッセーんだよ!」
「そんなこと言っていいのかな~? 一応きみ、学年首位の優等生でしょう?」
「勉強とネクタイ縛れるかは関係ねーだろ!」
「あっ、やっぱり縛れないんだ……だっさーい」
「うっ……!」
智佳を言い負かすのは、なかなかに面白い。
共学だったなら、きっと女子が放っておかないほどの所謂イケメン顔に高身長、高成績と揃ったスペックを持ち合わせている相手だからだろうか、言い返せないくらいの悪態を吐いてやるのは結構スカッとする。
「はいはい、そこまでにして……翔和も朝食食べなさい」
「あっ……先生! おはようございます!」
「はい、おはよう」
不意に声をかけられ、振り返ると、その先にはこの施設を管理している施設長の天川聖さんが立っていた。
両手に僕達の朝ごはんの盛られたプレートを持って、優しい笑みで語りかけてくる。
「智佳も、そろそろ出ないと遅刻するんじゃないか? 今日はサッカー部の助っ人なんだろう?」
「やべっ! いそがねーと!」
「翔和も、早く食べないと遅刻してしまうよ」
「はっ、はい!」
渡されたプレートを受け取って、適当な席に着く。
今日はスクランブルエッグにポテトサラダ、ロールパンとコーンスープの豪華なラインナップだ。
これを全て、朝早くから準備している先生にはいつも驚かされる。いったいいつ寝ているのだろうか。
少し心配になるけれど、優しい先生のことだ、聞いたところで笑って流されるのは目に見えて分かっているのであえて聞かないでいた。
「んじゃ、行ってきます!」
「ああ、行ってらっしゃい。智佳」
「大翔たちも早く来いよー! 翔和は遅刻でいいけどな」
最後の余計な一言を無視して、ロールパンにかじりつく。
すると、食器を片付け終わったばかりの大翔こと、山中大翔が、クスクスと笑いながら話しかけてきた。
「ほんと、仲いいよね。智佳と翔和って」
「どこが……アイツのこと、僕大っ嫌いなんだけど」
「そう? 俺には仲良しに見えるけど?」
「眼科行ったほうがいいんじゃない」
パクパクと朝食を食べ進めながら聞く。
あんな奴と僕が仲が良いわけがない。現に、いつも喧嘩しかしていないし、まともな会話なんてきっと一度も交わしたことがない。
お互い、随分と小さい時から此処に居るけれど、物心ついた頃には既にそんな関係だった気がする。
「アイツ、きっと僕が勉強苦手なことも馬鹿にしてるよ」
「そんなことないと思うけどなぁ」
「絶対あるっ! だって、この間だって、返ってきたテスト見て爆笑されたし!」
「あれって、確か英語の文法間違いが酷いって話じゃなかったか?」
「あっ、歩も食べ終わったの?」
「ああ」
突如、会話に交じってきた瀬川歩が元より小さな声でそう言ってきた。
歩は大翔と同時期にこの施設に来た者で、表情は乏しいが、わりと友人関係が広い方の人間だ。
引っ込み思案でなかなか交友関係を築けない僕とは違って、羨ましく思う。
「俺から見ても、あの間違い方は酷かったぞ」
「いやだって、英語ってなにがどうなってるのか意味不明で……」
「翔和って本よく読んでるから、そういうの得意そうなのにね」
「小説の場合は意味が載ってることが多いから」
「確かに。最近だと読み方のルビまでふってあるのもあるよな」
「へぇ~、そうなんだ~」
大翔は普段、漫画しか読まないと豪語しているだけあって、そっちの話にはまるで興味がないといった反応をしている。
まあ、読みたくないものを無理に進める気はないので構わないが。
「こらこら、もう行かないと全員遅刻だぞ」
丁度食べ終えた頃合いを見て、先生が声をかけてくれた。
時計を見ると、確かにもう出なければ遅刻確定の時間を指していた。
「ごちそうさまでした! 行ってきます!」
「行ってきま~す」
「行ってきます」
各々に挨拶をして、施設を出る。
朝の恒例行事のように手を振ってくれる先生の方を振り返りたいが、それをしていると完全に間に合わなくなるため、涙を飲んで学校までの道のりを駆け抜けた。
キーンコーンカーンコーン
滑りこみで教室に三人同時に入ると、チャイムの音に重なるように拍手が聞えてくる。
「三人ともギリギリセーフ! やったね!」
「ギリギリな時点でダメなんじゃねぇの?」
拍手をしながら笑う、薄紫色の髪をした青年の横で、呆れたように笑う小柄な青年。
坂下悠と下坂優の二人がお出迎えをしてくれるのは、もう日常茶飯事のことだった。
「悠くん、優くん、おはよう……はぁっ……ふぅー」
「今日も猛ダッシュお疲れ様」
「お前ら本当懲りねぇな」
「遅刻じゃないからオッケーでしょ!」
「俺はもうちょっと余裕がほしいけどな」
ポジティブな反応をする大翔とは違い、ゆったりとしたテンポで言う歩には非常に同意したいが、如何せん朝に弱いため、安易に同意することはできない。
「ホームルーム始めるぞ~! 席着け~」
荒い息を整えていると、担任をしている花形先生が教室に入ってきた。
今日も寝坊したのか、髪の毛はボサボサのままで、急いで剃ったのであろう髭がちらほらと見えている。
「今日のホームルームは体育祭の準備係を決めるぞ。立候補者は手を――っても、いるわけねぇか」
さすが担任、クラスのことをよく分かっている。
体育祭の準備係なんて面倒なこと、やりたがる生徒なんているわけがない。
それを加味してか、花形先生は突如白い箱を取り出すと、ガサガサと振って教卓の上へと置いた。
「立候補者なんかいねぇから、クジで決めるぞ~。異論は認めん!」
クラス中から盛大なブーイングが上がる。
けれど、花形先生からすればこれが一番楽かつ公平な対応なのだろう。
すぐに皆黙ると、順番にクジ引きをするための列を作っていた。
「全員引いたな……じゃあ、開封!」
その言葉と同時に、一斉にみんなの手元にある紙が開かれる。
僕の引いたものも開けてみると、中には赤色の丸が書かれていた。
「赤丸の奴~、手上げろ~」
まさかと思いながら、恐る恐る挙手をすると、同じく手を上げた智佳と目が合った。
「おっ! じゃあ、うちのクラスは如月と霜月で決定だな! 頑張れよ!」
「マジかよ……」
「ありえない……」
ただでさえ嫌な準備係だというのに、なぜよりにもよって智佳と一緒なのか。
自分のクジ運のなさを嘆きながら、ゆっくりと手を下ろす。
「お前なんかと係とか、最悪」
「それ、僕も同意見」
「んだとぉっ!」
「なんだよっ!」
「あ~! もう、うっさいうっさい! 痴話喧嘩なら帰ってからにしろ!」
そう言って、颯爽と授業を開始した花形先生の仲裁もあり、智佳を睨みつけるだけで終わり、仕方なく教科書を開く。
相変わらず意味の分からない英語の授業が、今日は一段と意味不明に聞こえた。
「今日はここまで! 体育祭の準備係はこの後説明を受けに行くように。じゃあ、解散!」
花形先生が言うなり、クラス中が一斉に力を抜いて、放課後の予定を話し出す。
ザワザワとした教室の中で、恐らく僕だけが孤立したようにいたたまれない気持ちを抱いていた。
「説明会、行くぞ」
「分かってるよ」
べつに一緒に行く必要なんてないのに、何故か智佳は僕にそう話しかけてきた。
言われるまま立ち上がり、説明会用の教室へと向かう。
そういえば、こうやって智佳の横を歩くのは随分と久しぶりな気がする。
最近は喧嘩ばかりで、一緒にどこかに行くなんてこともなかったからかもしれない。
なんだか、とても不思議な気持ちだ。
「そういえば、こうやってお前の隣歩くのって久しぶりだな」
「えっ……」
まさか思っていたことを智佳の口から聞くとは思っていなかったので、驚いてマヌケな声が出てしまった。
「ガキの頃はウザイくらい一緒に居たけどな」
「それは……同じところに住んでるんだから、仕方なかったっていうか……」
「……そうだな」
同じ施設で育って、子供の頃は一緒に居るのが当たり前だと思ってよく遊んでいた記憶が蘇ってくる。けれど、それは子供の頃の話だ。
いまは、その頃と比べて一緒にいる時間は各段に減ってきているように思った。
でも、それだけ自分達が大人になってきたという意味ではないかとも思う。
いくら一つ屋根の下で暮らしているとはいえ、なんでも一緒にというのは無理だ。
けど、なんでだろうか、智佳の横顔がやけに寂しそうに見えるのは。
「ち――」
「この教室だな。失礼しまーす」
「あっ……」
智佳の表情の意味が知りたくて話しかけようとしたのと同時に、智佳が説明会用の教室の扉を開けた。
そうされてしまうと、さすがに続きを言うことはできず、開けた口をそっと閉じた。
「……失礼します」
教室に入ると、既に他のクラスや先輩達が集まっていて、僕たちが最後のようだった。
「~というわけで、一年生は各クラス別にアンケートを取ってください」
生徒会長の説明をぼんやりと聞きながら、隣で真面目にメモを取る智佳を見つめる。
癪だけれど、腹が立つほどに整った顔は見ていて案外飽きないものだ。
そういえば、子供の頃に智佳の瞳をお日様みたいだと言ったことがあった。
あの時、智佳はなんと返答してきたのだったろうか――。
「わ……翔和っ!」
「……へっ?」
「説明会終わったぞ。てか、お前全然話聞いてなかっただろ」
「あー……ごめん」
「ったく、まあ俺がメモっといたからいいけどよ」
びっしりと書き込まれたメモを見せて、智佳は深く溜息を吐いていた。
確かに何も聞いていなかった僕も悪いとは思うけれど、そこまで露骨に呆れられると多少は腹が立った。
「だから準備係なんて嫌だったんだよ……」
「恨むなら自分のクジ運を恨めよ」
「そうだけど」
「とりあえず、俺らはクラスでやりたい種目のアンケートだってよ。あと当日の救護班担当な」
「分かった」
「でも俺らが救護班で良いのかねぇ……翔和が一番に怪我しそうなのに」
「はぁ?」
ニタニタと笑って、そう言ってきた智佳に思わず低い声が漏れる。
「それどういう意味だよ」
「そのまんま。お前どんくさいし、すぐ転んで怪我すんじゃん」
「それは子供の頃の話だろ!」
「そうだっけか~? この間だって、聖さんに手当されてたくせに」
「あれは……」
確かに最近、料理を手伝っていた時にうっかり指を切ってしまい、先生に手当をしてもらった。
けれど、それと体育祭は関係ない。
どうして、そんなことまでクドクドと言われなければいけないのか。
さすがに腹が立って、智佳をキツく睨みつける。
「なんだよ、本当のこと言っただけだろ」
「確かにそうだけど、いちいちウザイんだよ……昔のことまでネチネチと」
「覚えてるんだから仕方ねーだろ」
「そんなことまで覚えてて、突いてくるとか……智佳って本当小姑みたいだよね」
「んだとっ!」
「なに怒ってるの? 本当のこと言っただけだけど?」
「……っ! もういい、俺先帰る」
「ご勝手に」
言うなり、バンッ!と勢いよく閉められた扉の音に、ビクンと肩を揺らす。
相当頭にきたのか、いつもなら笑って終わらせる智佳が珍しく怒って去って行くのを見て、僅かに胸がチクリと痛んだ。
「……なんだよ、そんなに怒ることないじゃないか」
誰も居ない教室でぽつりと呟く。
確かに言い過ぎたかもしれない。けれど、先に喧嘩を売ってきたのは智佳だ。
それに言い返しただけで、どうしてあんな反応をされなければいけないのか。
「智佳の馬鹿……」
そう呟いて、自分へのブーメランだなと溜息を吐く。
こんな気持ちで一緒になにかをするだなんてできるのだろうか。
今でも、施設に帰るのが怖いくらいなのに。
そんな思いを抱きながら、来る体育祭にむけての準備を進めるしかないと言い聞かせて、教室を出た。
人気のない廊下を歩いていると、ふと、智佳の横顔が頭を過って、あの表情の意味を知りたくなった。
だけど、いまは――。
何度目か分からない深い溜息を吐いて、その日はゆっくりと帰路を歩いた。
***
パン!パン!と如何にも学校の体育祭らしい、しょぼい花火の音が鳴っている。
僅かな煙のニオイとともに、開催宣言をし、始まった全クラス対抗の体育祭。
前半は個人戦での得点、後半はクラス対抗での得点で競い、最終的に得点の一番高いクラスが一位となるようになっている。
僕の前半戦は借り物競争と徒競走の二種目だから、わりと楽だ。
今回は一年生のアンケートを元にプログラムが決められていて、あまりの希望種目の多さに、前半戦と後半戦で二日間の日程が決められていた。
それもあって、先生が見に来られるのは明日のクラス対抗戦だけとなっている。
先生に見てもらえないのは残念だけれど、それでもクラスで一番を取ったらきっと喜んでくれるだろう。
そう思い、僕の個人得点も大事だと、ハチマキをキュッと締めて気合を入れる。
「よーし、頑張るぞ!」
「めずらしく気合が入ってるね~」
「悠くん、優くんも」
ひらひらと手を振って現れた坂コンビの名前を呼ぶ。
坂下と下坂じゃどっちがどっちか、たまにわからなくなるから大変だ。
「今日はダメだけど、明日は先生が見に来てくれるからね! そのためにも、いっぱい得点取らなきゃだから!」
「先生って施設の?」
「そうだよ、天川聖先生」
「翔和、よくその人の話してるよな」
「うん! 大好きだからね」
先生はずっと憧れの存在で、大好きな人だ。
それは物心ついた時から変わらない。
先生のことを考えるだけで、胸がポカポカ温かくなるくらい、幸せを感じられる。
さすがに引かれると嫌だから、二人にはそこまで言えないけれど。
「若くして施設長してるくらいだから、相当良い人なんだろうな」
「えっ? 先生はそんなに若くないよ」
「そうなの?」
「うん。今年でいくつだったかな……前に聞いた時は30歳って言ってたけど、その前は35歳だったし……分かんないや」
「なんだよそれ……」
呆れる優くんの横でクスクスと笑う悠くんを見ていると、不意に視界の先を智佳が横切った。
「あっ……」
思わず声が出て、すぐに引っ込む。
結局、あの説明会の日からまともに会話をしていない。
あの表情の意味はもちろん、挨拶以外の会話らしい会話は全くと言っていいくらい、していなかった。
「ん? どうしたの?」
「……なんでもない。それより、大翔や歩たちとも合流しよう」
「そうだな」
無理矢理気にしないように振る舞って、大翔と歩を探す。
智佳はきっと出場種目が多いから、出くわす心配はないだろう。
なんて、なんで心配なんかしなきゃいけないんだ。僕はべつに、悪いことなんかしてない。
アイツが勝手に突っかかってくるだけで、いつも……そうで。
なんで僕がこんな気持ちにならなきゃいけないんだろうか。
でも、いつも付きまとうこの気持ちはなんなんだろう。
胸をチクリと刺すような、そんな気持ち。
分からない。
「翔和? 大翔たち居たぞ」
「えっ……あっ! いま行く!」
悩んでいてもしょうがない。
いまは体育祭に専念すべきだ。
一番を取って、先生を喜ばせるのだから。
「ごめんごめん、ボーっとしちゃって」
「今からそんなで大丈夫か」
「大丈夫だよ、僕頑張るから!」
無表情で言ってきた歩にそう答え、思い切り拳を上げる。
自分なりの元気の出し方をして、なるべく皆には気づかせないように試みる。
きっと、勘の良い大翔あたりには気づかれてしまうのだろうけど。
そうなったらそうなった時だ。その時に考えたらいい。
「そういえば、大翔と歩は何に出るの?」
「俺は障害物競走と二人三脚」
「俺はパン食い競争と二人三脚だよー!」
「二人とも僕と同じで二種目なんだね」
「本当はもっと出たかったんだけどさ、歩が二人三脚の負担になるといけないからって」
「ああ、そういうこと」
「息を合わせるのに、疲労は天敵だろ?」
「それはそうだけどさ~」
俺はもっと出場したかったと駄々をこねる大翔を宥めるように、歩がどうどうと掌を動かす。
この二人の息ピッタリさなら、二人三脚なんて簡単だと思うけれど、単純に大翔を気遣っての歩の気持ちなんだろうと思った。
お互いの意思を尊重しつつ、気遣う優しい気持ち。
そんな気持ちを僕も持てていたら、いまごろ智佳とはどうなっていたんだろうか。
考えると、また胸が僅かに痛みを発した。
そんな痛みをなくすように胸に手を当てた時――バンッ!と大きな音が響き渡たった。
「あっ! 始まったね~!」
悠くんが音の鳴った方を見て言う。
どうやら、スタートを告げる玩具の銃の音だったらしい。
鳴り止むなり、状況を伝える体育祭実行委員会の放送とクラス中の応援の声が聞こえてくる。
「智佳のハードル走だな、やっぱり段違いに速い」
歩の言葉を聞いて、その視線を追うと、そこには颯爽とハードルを飛び越えて走る智佳の姿があった。
他の生徒たちをかるく追い越して走る姿は、思わず目を奪われるほどに圧巻だった。
「凄い……」
無意識に、そんな言葉が出ていく。
他のクラスの走者たちがどんどんと追い越されて、智佳がトップで走る。
その姿に見惚れる生徒は多いようで、男子校とは思えないほどの黄色い歓声が響き渡る。
「すっごーい! 智佳独走してるじゃん!」
「さすが、我が校の天才枠って感じだな」
「ムカつくけど、確かに……」
学問の成績首位に加えて運動神経も抜群とくれば、もう嫉妬すら生まれない。
ただただ、凄いと思うだけだ。
「そういえば、智佳だけじゃないか? 個人競技で4種目も出るの」
「えっ? そんなに出るの!?」
優くんがプログラム表を見ながら話すと、悠くんは目をまん丸にして驚いていた。
無理もない。それだけ出て、準備会の救護班までやるのだから。
でも、それだけ智佳が優秀なのだろうと改めて思う。
どうやったらあんなに完璧超人になれるっていうんだ。
そう思うと、無性に腹が立って、そっと視線を別の方へ向けた。
「智佳のくせに……」
ぽつりと呟くと、一位を決定づけるテープが切られたと放送がされた。
クラス番号と智佳のフルネームが放送を通して聞こえてくる。
「やった! まずは一勝だね!」
「正直、智佳が居るだけでうちのクラスは安定だよな」
「そうだねー、って、翔和? なに見てるの?」
「へっ? ああ……ちょっと敵情視察的な? 他のクラスのこと見てた」
我ながら下手くそな嘘だと思ったが、大翔は優しく笑うだけでそれ以上の詮索をしてはこなかった。
こういう時、詰め寄って理由を聞いてきたりしない大翔の性格は本当に有難いと思う。
僕たちのそんなやり取りを見て、黙っていてくれる歩にも感謝しかない。
「そういえば、次はパン食い競争だったよね。大翔そろそろ行かなきゃじゃない?」
「そうだったー! じゃあ、食べてくるね!」
「いや、走れよ」
歩の突っ込みに気の抜けた返事をして去っていく大翔。
すぐに走者列に並ぶ姿が見え、BGMが軽快なものへと変わる。
「位置について、よーい……ドン!」
けたたましい銃声が鳴り、大翔が走り始める。
さっきの智佳と比べれば、そこまで速いわけではないけれど、それでも二番目くらいの速さで吊り下げられたパンに食らいつく大翔の姿が見えた。
思いっきりパンを咥えて、走り出す大翔の姿は普段の遅刻寸前の彼の姿を見ているようで、なんだか微笑ましい。
疾走する姿を目で追っていくと、おしくも二位でゴールを決めてこちらに笑いかけてくる、元気な姿が目に映った。
「残念でした~、でもこのパン美味しいよ!」
戻ってくるなり、勝ち取ったあんぱんをムシャムシャと食べ始めるのを見て、やっぱり大翔は大物だなと感心する。
「次、翔和の借り物競争だよね?」
「うん。その後が歩の障害物競走」
「二人とも、頑張ってね!」
「うん! 行ってきます!」
「行ってくる」
歩と二人で待機場まで向かおうとした矢先、タオルで汗を拭いながら近づいてきた智佳と目が合った。
「お前ら、これから?」
「そうだけど」
「……そっか、まあ頑張れよ」
「言われなくても頑張るよ」
先生のために得点を取らなければならないのだから、頑張るに決まっている。
そんなことをいちいち言いに来るだなんて、どういうつもりなんだろうか。
「翔和、また智佳と何かあったのか?」
「べつに、大したことじゃないよ」
「……そうか。じゃあ、行くか」
「うん」
無駄に聞いてこない歩に感謝して、一足先に走者列へ並ぶ。
他のクラスの人たちはどこも足が速そうだけれど、借り物競争だから借りる物でも順位は決まるはずだ。
頑張らないと。
そう思ったところでスタートの銃声が響く。
それを聞いて、一気に走り出し、すぐに用意された借り物メモを手に取って確認する。
「えっと……眼鏡?」
そう呟き、辺りを見渡す。
眼鏡なんて、親しい間柄の者が持っていただろうか。
いや、べつに親しくなくても、そこらへんの誰かに借りれば良いのだけれど、よく知りもしない人に声をかけるのは僕にとっては難しいことだった。
暫くキョロキョロと周りを見て、ビクついていると、悠くんの声が聞こえてくる。
「翔和~! 何だった~?」
大きな声で言う悠くんの方へ走って行き、メモを見せると、悠くんは少しだけ悩んだ後に、パン!と手を叩いて、智佳の方を振り返った。
「智佳って授業中は眼鏡だよね? 今日も持ってる?」
「ああ、一応持って来てる」
「じゃあ、貸してあげて!」
悠くんの計らいで、智佳が鞄の中から眼鏡をケースごと取り出して渡してきた。
本当は智佳に頼るのは忍びないけれど、仕方がないとそれを受け取って、ゴールまで走り抜ける。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
やっとの思いで切ったゴールテープは四位を表していて、なんだかとても申し訳ない気持ちとなった。
「ごめん……得点取れなかった」
「気にするなって。翔和頑張ってたじゃん」
「うぅ……ありがとう、優くん」
「オイ」
慰めてくれる優くんに頭を撫でられていると、背後から智佳に声をかけられる。
「眼鏡、返せよ」
「あっ……はい。えっと、ありがとう」
そう言って、手にしたままの眼鏡を智佳に返して、視線を逸らす。
すると、智佳はどこか不思議な表情をして、次の種目があるからと待機列へと向かっていった。
確か、次は智佳の出る棒高跳びと100m走が続いていたはずだ。
僕も、そろそろ救護班の交代時間なので、そっちの対応をしながら見てみようかと思った。
「それじゃあ、僕ちょっと救護班の係行ってくるね!」
「ああ、分かった」
救護班の交代をすると、前の係のクラスの人から、かなり暇だから覚悟しとけよと助言を受けた。
それなら安心だと思い、開始した種目の様子を見る。
長い棒を持って疾走した智佳が、高く舞い上がる姿が目に飛び込んできて、あんぐりと口を開けてしまった。
カッコイイ、と純粋に思ってしまう。
マットの上に綺麗に着地して、上がる歓声にかるくお辞儀をすると、次の選手に代わる。
そういった所作も彼が全校生徒から気に入られる理由なんだろう。
「本当、ムカつくくらい完璧だな……」
僕とは大違いだ、と勝手に思って沈む。
智佳は、きっと何もない僕が嫌いなんだろう。だからやたらとちょっかいを出してきては、呆れたように会話を変えてしまう。
昔はもっと、近くに居た気がするのに……今では、まるっきり別次元の存在だ。
僕も、ああなれたら良かったのに――。
「オイ」
「……あっ! はい! って、智佳?」
不意に呼ばれて、慌てて返事をすると、そこには智佳が呆れ顔で立っていた。
「どうしたの?」
「足、捻ったから」
「えっ!? 診せて!」
「わっ! オイ!」
落ち着いた様子で言う智佳とは裏腹に、急いで智佳の足を手当する。
腫れは酷くないようだけれど、念のために湿布をした上からキツく包帯を巻いて固定する。
「そこまでしないくてもいいだろ……」
「ダメ! 捻挫って怖いんだよ」
「……」
「よしできた! 一応大丈夫だと思うけど、次の100m走は念のために棄権して」
「大丈夫だって」
「絶対ダメ! 棄権して」
「……でも、それじゃあ聖さんがガッカリするんじゃねーか?」
「それは……そう、だけど」
確かに、智佳の得点はクラスでは重要なものだった。
最終的に一番得点を取ったクラスが優勝なのだから、智佳を損失することは痛手でしかない。
けれど、今は智佳の怪我を第一に考えたかった。
どうしてそんな気持ちになるのかは、分からなかったけれど。
「智佳の怪我の方が大事だから……先生もきっと、そうしなさいって言うだろうし」
「……そっか」
僕がそう言うと、智佳はフッと笑って僕の隣の席に座った。
「棄権しますって、言いに行かなくていいの?」
「さっき足捻ったこと、花形に言ってきたから……まあ、分かんだろ」
「まあ、確かにそれなら大丈夫だと思うけど」
そう言った智佳の言葉に、花形先生が上手くフォローを入れてくれるだろうと思い、それ以上は言及しないことにした。
隣に座るのも、少しの間安静にしているのだと言えば、何も言われないはずだ。
「ねぇ、智佳……」
「ん?」
「この間……って言っても大分前だけど、その……ごめんね」
「なにがだよ」
「僕、真剣に話聞いてなくて……ほとんど智佳任せだったから」
「そんなことか。まあ、確かに準備に時間は取られたけど、そんな難しいことしてねーし、べつに気にしてねーよ」
何でもそつなくこなしてしまう智佳らしい返答だと思った。
けれど、実際に僕があまり手伝えていなかったのは事実だ。それはしっかりと謝っておきたかった。
「ありがとう……本当にごめん」
「いいって。それより……あの時、なに考えてたんだ?」
「えっ?」
「なんか考え込んでただろ? 悩みでもあんのか?」
「べつに……悩みってほどのことじゃないけど」
不意に問われて、あの時のことを思い出す。
何とも言えない智佳の表情と、昔の自分が言った言葉――その二つで考え込んでいたのだと言ったら、智佳はどんなリアクションをするのだろうか。
暫く悩んで、小さな声で尋ねてみる。
「その時……智佳、ちょっと様子がおかしかったから、気になって……」
「そうか? いつも通りだったと思うけどな」
「ちょっとだよ、なんか雰囲気に違和感があったっていうか」
「考えすぎだろ」
「そうかなぁ……あっ! あと、昔のことなんだけど……」
もごもごと動く口でなんとか言葉を作り出して吐き出す。
「僕が、智佳の目をお日様みたいだって言ったの……覚えてる?」
そう尋ねると、智佳は目を丸くして一瞬だけ驚いたように口元を掌で覆った。
何か言いたそうな、そんな顔をしてから、そっと掌を離す。
「……忘れた」
一拍置いて、返ってきた言葉にガタンと肩を下げる。
嘘だ。きっと智佳は覚えてる。でも、言えないんだ。
「そっか……なら、いいや」
どうして言えないのか、問いただしたい気持ちと、聞いてはいけないという気持ちが重なって、次第に聞いてはいけないという気持ちが勝っていった。
暫くの沈黙が二人の間に吹き荒れて、お互いに何も話せないでいると、放送から二人三脚の実況が流れ出した。
大翔と歩の息ピッタリな走行が目に映る。
僕も、智佳とあれくらい信頼を築けたらいいのにと、勝手に心の中で思ってしまう。
昔はそんなこと思いもしなかったのに。
沈黙の中、騒がしい放送を聞きながら二人で大翔と歩の姿をジッと見つめた。
相変わらずチクチクと痛む胸にそっと手をあてて、見つめた先の笑顔に僅かな嫉妬を覚えた。
***
体育祭二日目。
今日は先生が見に来てくれる日だ。昨日以上に頑張らなければと自分に喝を入れる。
しかし、その傍らで智佳のことが気にかかった。
本人はもう平気だと言っていたが、昨日の捻挫がすぐに治るとは思えない。
「智佳、やっぱり今日は見学にした方が……」
「平気だって言ってんだろ? それに、折角の聖さんが見てくれる晴れ舞台だ、全員で盛り上げようぜ」
「でも――わわっ!?」
心配で、思わず強引な言葉が出そうになった時、不意に頭をくしゃりと撫でられる。
「絶対に優勝すんぞ、翔和」
「……う、うん」
いつもなら、からかってきて喧嘩になるのに、どうして今日はこんなにも優しくしてくれるのだろう。
少しだけ疑問に思いながらも、先生に優勝したところを見せてあげたい気持ちから返事をして、準備をする。
今日のスタートは応援合戦からだ。
僕たちのクラスは無難に学ランと太鼓の披露となっていた。
着慣れない長ランを着て、赤いハチマキを締める。
「いくぞー!!」
智佳の掛け声とともに、クラス一丸となっての応援が始まる。
盛大な太鼓の音の中で拳を突き出し、優勝への意気込みを見せる。
太鼓の音が止み、智佳の一礼で応援を終えると、観客席には既に大きなお弁当箱を持った先生が座っていた。
「先生! 早かったですね」
「ああ。みんなの有志を早く見たかったからね」
優しく笑ってそう言った先生に、微笑んで後ろからウズウズと出番を持っていた悠くんとそれに付き添っていた優くんを紹介した。
「先生、こちら坂下悠くんと下坂優くんです」
「おはようございま~す!」
「どうも」
「やあ、二人とも翔和からよく話を聞いているよ。いつもみんなと仲良くしてくれてありがとう」
「いやいやぁ~、とんでもないで~す!」
「俺達こそ、世話になってます」
二人がかるく先生と話をすると、苦笑いをしながら僕のところへ走ってくる。
「オイオイ! どうなってんだあれ!」
「どう見ても20代くらいじゃん!」
「うん。先生は若く見えるからね」
「そういう次元じゃねぇだろ!」
「どうやったらああなるの? 時間止めてるの!?」
驚く二人を宥めて、なんとか説得をして一緒の観客席に座る。
他のクラスの応援が終わるまでは競技が始まらないので、それまでは先生の側に居られるのが嬉しかった。
「今日はどんな競技をやるんだい?」
「今日はクラス対抗の団体戦ですから、騎馬戦とかリレー系ですね。あと、棒取り合戦とか!」
「ふふっ」
「どうしたんですか? 僕の顔、何かついてますか?」
「いや、運動嫌いの翔和が嬉しそうにしているから、こっちまで嬉しくなってきてね」
「えっと、それは……」
先生が見てくれるから、だなんて口が裂けても言えない。
もう子供じゃないのに、はしゃいで馬鹿みたいだと思われたくなかった。
でも、先生はそんな僕の気持ちを察したのか、ただ微笑ましく笑うだけで、それ以上は問い詰めてこなかった。
「懐かしいな、俺が学生の時を思い出すよ。騎馬戦とか、上をよくやった」
「そうなんですか? 先生は背が高いから、馬の方かと思いました」
「最初はそうだったんだが、俺がハチマキ奪うのが上手すぎて……気づいたら上になってたんだ」
「あっ、なんとなく分かります。それ」
「同意」
側で聞いていた悠くんと優くんがそう言うと、先生はカラカラと笑って二人に過去の勇姿を語り始めた。
それを横から聞いていると、放送で全クラスの応援が終わったことが伝えられる。
「最初は綱引きか、みんな怪我のないように頑張っておいで」
「はい! あの、先生……」
「ん? なんだい、翔和」
「頑張るので、応援よろしくお願いします!」
「ああ、もちろん。目一杯応援しているよ」
「ありがとうございます! じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
優しい笑みで送り出してくれた先生に手を振って、綱引きの場へ向かう。
相手は柔道部だったり、ラグビー部だったりに入っている生徒の多いクラスで心配だけれど、負けられない。
精一杯の力を込めて綱を握り、スタートの合図とともに力一杯に引く。
各所から上がる声援の中に先生が居るのを思いながら、必死で重い綱を引っ張る。
けれど、さすがは手練れ揃い、そう簡単には勝たせてくれない。
それでも、諦めずに綱を引くと、ちらりと先生の姿が目に移り込んだ。
大きな声援に加えて、手を振ってくれている。
その姿を見て、ありったけの力を込める。
「先生に……いいとこ見せるんだぁー!!」
そう叫んで綱を引くと、一気に相手側の力がなくなったのが伝わってきた。
どうやら、僕たちのクラスが勝ったらしい。
相手クラスはみんな尻もちをついて綱から手を離していて、真ん中の赤いラインがこちら側の勝利を告げていた。
「やった! 僕たちの勝ちだよ!」
「そうみたいだな」
思わず、側にいた智佳の掌にパチンッ!と自分の掌を合わせて叩き、喜びに舞い上がる。
そんな僕を見て、智佳が何故か少しだけ頬を赤らめているように思ったけれど、いまは勝利の喜びの方が強くて、そこまで気にならなかった。
「先生! 勝ちましたよ!」
「ああ。よく頑張ったね」
優しく出迎えてくれた先生から、スポーツドリンクの入ったペットボトルを受け取って、観客席に座る。
次の種目は組体操で、僕は出場しないから暫くは先生の側に居られる。
先生は他の子たちも平等に応援しているので、こっちばかりを気に止めてくれるわけではないけれど、それでも側に居られることが嬉しくてたまらなかった。
ずっとこうしていられたら良いのに、と思っていると不意に先生から声をかけられる。
「翔和、智佳と歩が出ているよ」
「えっ……ああ! そういえば、二人は出るって言ってました!」
「凄いね、たくさん練習したんだろうね」
「歩はそうでしょうね。智佳は……分かんないけど」
なんでもそつなくこなしてしまう智佳だ、正直あまり練習をしてる姿は思いつかなかった。
それでも、綺麗なフォームで作られる人間ピラミッドは美しく、視線を釘付けにしてくる。
足はもう、本当に大丈夫なのだろうか……。
「翔和? どうかしたのかい?」
「えっと……実は昨日、智佳が捻挫しちゃって……大丈夫かなって」
「それは大変だ! 足に負担のかかる競技は避けた方がいいんじゃないかい?」
「僕もそう言ったんですけど……智佳が大丈夫だからって」
「智佳ならそう言うだろうね……しかし、う~ん」
先生もやはり智佳が心配らしく、棄権させたいような表情をしている。
でもきっと、先生から言っても智佳は大丈夫の一点張りなんだろうと思う。
そういう一生懸命なところは尊敬するけれど、それで怪我を悪化させてしまったらと思うと、正直なところ無理にでもやめさせたい気持ちは募っていく。
「本格的に危ないと思ったら止めることにしよう」
「いいんですか?」
「ああ、智佳は言い出したら聞かない子だからね。暫くは見守ることにするよ」
「分かりました。じゃあ、僕からも何も言わないでおきますね」
智佳の思いを無下にしないよう、そう言った先生をさすがだと思いながら、組体操の最後の盛り上がりを見つめる。
無事にピラミッドは完成して、周囲から大きな歓声が上がっていた。
暫く続いた拍手が止むと、上から順にピラミッドを崩していき、全員の一礼で終了する。
そして、出場していた生徒たちが一斉に自分たちの観客席に戻ってきた。
「智佳、歩、お疲れ様。凄かったぞ」
「ありがとうございます」
「聖さんに褒められると、なんか照れくせーな」
普段は見せない子供っぽい笑顔で言い、智佳は受け取ったタオルで汗を拭うと、こちらを見てきた。
「どうだった? 俺らの組体操」
「えっ?」
「えっ、じゃねーよ。見てたんだろ? どうだった?」
「……癪だけど、格好良かった」
「癪は余計だっての! まあ、お前が気に入ったならいいけどな」
コツンと額を指で突いて、そう言う智佳。
僕が気に入ったなら、とはどういう意味なんだろうか。
考えると、なんだか急に恥ずかしくなってきて、顔が火照っていく。
「そうだ! 足、大丈夫?」
話題を逸らすように聞くと、智佳は目をパチクリとさせてフッと笑って見せた。
「なに? 心配してたのかよ」
「一応、僕が手当したし……」
「それだけ?」
「どういう意味?」
「いや、なんでもない。まあ、ちょっとは傷むけど、問題ねーよ」
「なら、いいけど」
そんな僕たちのやり取りを見ていた先生も、どうやら安心したようで、こちらを見つめて優しく笑っていた。
「次、全員騎馬戦だよな? そろそろ行かないといけないんじゃないか」
「そうだった! 先生、僕たちの勇姿、見ていてくださいね!」
「ああ。楽しみにしているよ」
先生に背を向けて走り、騎馬戦の準備に取り掛かる。
僕の騎馬は、智佳と悠くん、優くんの馬に上が僕となっている。
運動神経がさほど良いわけではない僕が上と聞いた時は驚いたけれど、確かに人を乗せて走る方が向いていないと言えばそうであったので、異論はなかった。
「みんな、頑張ろうね!」
「やるからには一番! 目指しちゃいたいよね~」
「とりあえず、翔和を落とさないように気をつけねぇとな」
「落っこちたら受け止めりゃあいいだろ。地面に付かなきゃいいわけだし」
「落ちる前提で話すの止めてくれないかな!?」
そんな話をしていると、横に並んでいた大翔と歩の騎馬からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
あっちも気合は十分といった様子で、鋭い眼差しで相手の騎馬を見つめている。
相手クラスはどこも強豪揃いだ。
けれど、負ける気はしない。と言うか、負けられない。
「位置について、よーい……」
ドン!と鳴った銃声とともに、一斉に騎馬が走り始める。
「まずはA組から責めんぞ!」
「えっ? B組の方が近くなんじゃ……」
「あそこはラグビー部が多いからな、まともにやり合ってタックルなんか食らったら、簡単に崩されちまう」
「だな。だったら、少し遠くはなるがA組から責めてくって判断は良いと思うぞ」
「俺は戦略とかよく分かんないから、みんなに合わせるよ~」
「う~ん、じゃあ……それでいく?」
「ああ」
智佳の戦略で、一番遠いA組の騎馬から責めていくことにする。
途中、B組と衝突しそうになるのを上手くかわして、たくさんの騎馬の中を単独で駆け抜ける。
「翔和! アイツ、狙い目だぞ!」
「うん……えっと、貰うね!」
相手のハチマキを奪い、落とさないように首からかける。
相手は完全に油断していたのか、目の前に現れた僕たちに驚いてる隙にハチマキを奪われ、ポカンと口を開けていた。
その調子で、A組をどんどんと責めていく。
「いい感じだね!」
「A組はほぼ壊滅ってところか?」
「いや、まだ少し残ってるな……悠、そっち側は行けそうか?」
「そうだねぇ……うん! こっちのルートから行けばなんとかなりそう!」
「それじゃあ、そっちの端から行って、残りを崩し――」
智佳が言いかけたところで、周りから大きな声が上がり、それと同時に落下音が聞えてくる。
何があったのかと確かめるように、土煙の中を見つめると、そこには騎馬から落下してもがいている歩の姿があった。側には歩を担いでいた大翔も倒れ込んでいる。
「大翔! 歩!」
叫ぶと、歩がタンカで運ばれていくのが見えた。
どうやら、強く背中を打ちつけてしまったらしく、自分で立ち上がるのが困難なようだ。
「ごめん、みんな……やられちゃった」
そう言って、僕たちを心配させないように笑った大翔の足元を見ると、酷い擦り傷と赤い痣のようなものが見えた。
恐らく、相手だったB組の奴らがわざと大翔の足を狙って強くぶつかってきたのだろうと、瞬時に理解する。
それとともに、沸々と怒りが沸き上がり、相手を強く睨みつける。
それは他のみんなも同じだったようで、智佳を先導に、悠くんと優くんも動きを変えて、相手を冷ややかな目で見ていた。
「作戦変更だ……アイツら、ぶっとばすぞ!」
「オッケ~! 暴れちゃおうか!」
「あれはさすがに、俺の美学に反しするぜ」
「みんな、準備はいい?」
低く言い、全員が頷いたのを確認して、B組の騎馬の中へ飛び込んだ。
強豪揃いだがなんだか知らないけれど、大事な仲間にあんなことをされて黙ってだなんていられない。
立ちはだかる騎馬たちからハチマキを奪い、目的の相手の前まで走り抜ける。
気がつくと、周りは崩れた騎馬だらけで、僕たちの騎馬と歩たちを傷つけた騎馬の一騎打ちとなっていた。
「卑怯な手使いやがって……」
「卑怯? 戦略が上手いって言えよな」
「人を傷つけるのが戦略? 笑わせないでよ……僕らの仲間をあんな目に遭わせたの、絶対許さないから」
僅かな言葉を交わし、騎馬同士がぶつかり合う。
上では僕と相手側の攻防戦が繰り広げられ、下では三人のぶつかり合いが行われた。
「悠! 優! 足元気をつけろ!」
「ガッテン承知~!」
「任せろっ! 智佳も気をつけろよ、どこ狙われるか分かんねぇぞ!」
「俺を誰だと思ってんだ? ……オラァッ!」
智佳の雄叫びが上がり、騎馬の踏ん張りが強くなる。
「翔和! いまだ、いけっ!!」
その声を合図に、揺れ動く相手の頭からハチマキを奪い取る。
それと同時に、目の前の騎馬は崩れていき、やがて人の山積みとなった。
「やった! やったよ!」
奪い取ったハチマキを片手に掲げ、喜びに胸を躍らせる。
これで僕たちの勝利――と思った、次の瞬間。
「この時を待っていたぜ!」
不意に聞こえてきた美声に、何だろうと振り返ったところを狙われ、頭に付けていたハチマキが奪われる。
「……へっ?」
「あっ! 環、テメェ!」
優くんが名前を呼ぶと、A組で軽音部のボーカルをやっている楠環くんが僕のハチマキをパタパタと揺らして笑っていた。
どうやら、僕たちとB組の騎馬の戦いが終わるのを見計らっていたらしい。
環くんが最後の一個となるハチマキを掲げた瞬間、勝敗を告げる放送が流れ、騎馬戦は終了した。
「翔和……お前なぁ!」
「ごめん……」
こうして、熱き戦いを繰り広げた騎馬戦が終わり、僕たちは観客席へと戻っていった。
「先生、ごめんなさい……負けちゃいました」
「気にすることはない、得点ではまだC組が一位じゃないか」
「でも……あっ! そうだ! 歩は? 大丈夫でしたか?」
「ああ。さっき保健室に様子を見に行ってきたよ、軽い打撲で済んだそうだ」
「良かったぁ……」
歩の無事を聞いて、安心したのか身体から一気に力が抜けていく。
いまは大翔が付き添って、保健室で休んでいるらしい。
午後からのクラス対抗リレーは棄権するそうだ。
「それにしても、みんなよく頑張ったな。さすがうちの子たちだ」
「先生……」
優しい笑みを浮かべて言ってくれた言葉が嬉しくて、思わず涙が出そうになるのを必死で堪える。
すると、後ろから智佳が肩に触れてきた。
「なに?」
「……いや、なんでもない」
どこか機嫌が悪そうな顔で言い、そっと肩から手を離すと、観客席に座ってスポーツドリンクをゴクゴクと飲みだす。
いったい何だったのか、分からないけれど、そんなに気には留めずに僕も席に座って冷たい麦茶で喉を潤した。
「昼休憩が終わったら、対抗リレーなんだろう? しっかりと力をつけなさい」
そう言って、豪華なお弁当がシートの上に広げられる。
「わ~! 美味しそう~」
「これは……凄いな」
「良かったら、君たちも食べないかい?」
「いいんですか?」
「もちろん、沢山作ってきたからね」
「じゃあ、遠慮なく! いただきま~す! ん~! 美味しい!」
悠くんが先生特製のから揚げに舌鼓を打つのを見ながら、心の中で先生は凄いんだぞ、と胸を張る。
こんな豪華なお弁当を人数分以上作って来られるのは、先生だからこそだ。
さすがだな、とキラキラとした視線を送っていると、不意に智佳がこちらを見つめていることに気がついた。
「どうしたの?」
「べつに……なんでもねーよ」
「……?」
さっきといい、いまといい、いったいどうしたのだろうか。
今日は別段、喧嘩になるようなことはしていないし、これといって何かあったわけでもない。
なのに、あの視線――。
なんなんだろうと悩みながら、お弁当を完食すると、放送で10分後に対抗リレー開始の連絡が流れた。
「いよいよ、最後の戦いだね~」
「そうだな。うちのクラスは二人棄権してる分、智佳が多めに走るらしいが……大丈夫なのか? 智佳」
「どうってことねーよ!」
「捻挫してるのに、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって、お前ら心配しすぎだっての!」
「でも……」
「いいから、早く行くぞ」
ポンと僕の頭に手を置いて、列に並びに行く。
智佳はアンカーだから、一番最後の走者だ。
本当に、大丈夫なんだろうか。智佳にもし、何かあったら――。
「……っ」
最悪なことを考えてしまい、首をブンブンと横に振る。
智佳が言ったんだ、いまはそれを信じる他ない。
最初の走者が走り出したのを見て、僕も順番で走っていく。
足は速い方じゃないけれど、智佳の負担を少しでも減らせるように、懸命に走った。
そして、繋がれたバトンが智佳に渡ったのを見て、自分でも驚くほどの大きな声で応援をする。
「いけぇー! 智佳ぁ!」
他クラスの走者をグングンと追い抜いて、トップを走る智佳の姿に圧倒されながらも、一生懸命に応援を続ける。
ラストスパート、追い上げてきたA組の走者と僅差で駆け抜け、見事ゴールテープを切った智佳を見て、思わず飛び跳ねて喜んでしまう。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
「智佳、やったね! 僕たちのクラスが優勝だよ!」
「ああ、そうみたいだなっ」
荒く呼吸をする智佳に言い、ニコニコと笑っていると、不意に智佳が僕のジャージをちぃっと引っ張った。
「ふぅー……俺の走り、どうだった?」
「えっ?」
「格好良かったか?」
そう尋ねられ、一瞬だけ時が止まったように感じた。
智佳の走っている姿は確かに圧巻だった。それはもう、応援も忘れて見惚れてしまいたくなるほどに。
でも、そんな恥ずかしいことを簡単に言えるはずがない。
そう思っていたのだが、勝手に動き出した口からは、本音がだだ漏れていた。
「格好良かった……凄く」
思いもよらずに出てしまった言葉に、顔を真っ赤に染め上げると、智佳は嬉しそうに笑って僕の頭をくしゃりと撫でた。
「なら、良かった」
「……変なの」
僕がカッコイイと言ったのがそんなに嬉しいことだったのか、よく分からないまま、体育祭の終了を告げる校長先生の話を聞いて、長かった体育祭に幕が下ろされる。
帰り道、回復した歩たちと合流して一緒に施設まで向かっている途中、ふと空を見上げるとまだ夜になりきっていない藍色の空が広がっていた。
それがなんだか懐かしくて、でも何か大切なことを忘れているような気持ちも込み上げてきて、それが何なのかを考えながら歩いた。
――お前だって、……みたいじゃん。
無意識に蘇ってきた記憶の中の声。
それを不思議に思いながら、どっと疲れを現し始めた身体を引きずるようにして、施設までの道をゆっくりと進んでいった。
***
「ついに、この日が来てしまったか……」
怒涛の体育祭が終わったいま、僕たちに付きつきられたのはそう……中間テスト。
一週間の短縮授業を経てから、本番となるテスト期間が三日間組まれている。
「大翔って前のテストどうだった?」
「前? どうだったかな~、忘れちゃったや~」
「とか言って、結構上だったくせに」
「えっ、そうなの!?」
横から会話に入ってきた歩がそう言って、人数分のお茶をテーブルへ置く。
「ありがとう」
それを啜って、話を戻す。
「そういえば、大翔って昔から暗記系得意だったね」
「うん! だから一夜漬けでもうなんにも思えてないんだ~」
「得な頭してるよな」
「いや、本当」
普段はひょうひょうとした態度の大翔だが、何かと器用な方だからこういう時もそつなくこなしてしまうのだろう。
正直言って羨ましい。でも、真似できるかと言われれば、そうではない。
「歩もそこまでヤバい順位じゃないでしょう?」
「まあ……そう、だな」
「はぁ~、じゃあ頑張らなきゃなのは僕だけかぁ」
僕の順位は下から数えた方が早いくらいで、しかも全科目赤点ギリギリの成績をしている。
さすがに今回までギリギリは先生に申し訳ないし、顔見せできない。
なんとかして少しでも成績を上げないと、と考えていると、ふと歩から智佳の名前が上がった。
「智佳に勉強、見てもらったらどうだ?」
「あっ、それいいね~!」
「うげっ……なんで智佳? 先生の方が良いじゃん」
「先生は忙しいだろう? あんまり勉強に時間割けないんじゃないか?」
言われてみればそうで、先生はいままで忙しい時間の合間を縫って勉強を教えてくれていた。
さすがに今回も頼むのは気が引ける。
でも、だからといって智佳に素直に勉強を教えてくれと言うのも難しい。
どうしたらいいのだろうか、と唸っていると、後ろから会話を聞いていた張本人である、智佳が声をかけてきた。
「俺はべつにいいぞ」
「ほえ?」
急な登場に間抜けな声を出す。
智佳はさっきまで図書室で勉強をしていたのか、片手に教科書とノート等の勉強道具を持っていた。
「本気で言ってる?」
「ああ」
「僕、かなりデキ悪いよ?」
「俺がなんとかする。ようはそれなりな点数取れりゃいいんだろ?」
「うん……」
「なら、決定な。明日から最低三時間は勉強すんぞ」
言うと、智佳はもう寝ると言って自室へ戻って行った。
「良かったじゃないか」
「う~ん、でも……憂鬱」
「前から思ってたけど、なんで翔和って智佳のこと苦手なの?」
「苦手っていうか、単に合わないだけだと思うけど……アイツやたらと僕に突っかかってくるから」
そのくせ、優しく笑いかけてくる時もあって、頭が混乱するのだ、とまでは言わないでおく。
「昔、何かあったとかない?」
「俺たちが来る前って、確か此処には智佳と翔和の二人しかいなかったんだよな?」
「うん。段々と増えていったけどね」
施設ができたばかりの頃、此処に預けられた最初の子供は僕と智佳の二人だけだった。
そんな状態が半年くらい続いて、それから何年かして人数が増えた感じだ。
「何か、あったかなぁ……」
薄らぼんやりとしか覚えていない、空白の半年間。
そこで何かあったのかもしれない。けれど、思い出そうにも、記憶の中を巡るのはカッコイイ先生の姿ばかりで、小さな智佳の存在は出てこない。
でも、確か智佳の目の色の話をしたことがあるのだけは、なんとか覚えていた。
お日様みたいと言った僕、それに智佳がなんと返してきたのか……。
――お前だって、海みたいな綺麗な色じゃん。
「――っ!!」
「翔和?」
突然、鮮明に思い出された言葉に驚き、ガタン!と音を立てて立ち上がる。
そして、ビックリする大翔と歩におやすみと言って、急いで智佳を追いかける。
「智佳!」
二階へ駆け上がり、部屋のドアノブを握っていた智佳に声をかけた。
「どうした? そんな急いで」
「えっと……」
思わず呼び止めてしまったけれど、いざとなると何を言っていいのか分からず、ぐるぐると混乱する頭から必死に言葉を引き出す。
「明日から、その……よろしくお願いします!」
「……ははっ! んだよそれ、お前変なとこ真面目だよな」
「だって……」
「みっちりやるから、覚悟しとけよ」
そう言って、僕の頭をくしゃりと撫でてる智佳。
変に胸が高鳴って、呼吸が苦しい。走ったせいだろうか。
少し、違う気がする。
「んじゃ、おやすみ……翔和」
「うん、おやすみ。智佳」
優しい笑みに返すように言うと、智佳は静かに自室へと入っていった。
胸がおかしくなったのか、鼓動がうるさくて暫く立ち尽くしてしまう。
この気持ちは、いったいなんなんだろう。
ひどく、懐かしく思う――。
「僕も、寝よう」
呟いて、僕も自分の部屋へと向かう。
暫く続いた胸の鼓動は、深夜まで続いて、その日は上手く寝つけなかった。
***
「そこ、さっきも教えたぞ。あと、ケアレスミス多すぎ」
「うぅ……スパルタ」
智佳の教えてくれる勉強は恐ろしいほど分かりやすい。
けれど同時に厳しくて、眩暈がしそうになる。
それでも、自分の勉強時間を削ってまで教えてくれる智佳には感謝していた。
「智佳、ここの文法は――」
問いかけて、横を見ると、至近距離に智佳の顔があることにいまさら驚く。
こうやって、まじまじと見るとやはり美形なのだと思った。
少しだけ跳ねた無造作な黒髪、目は切れ長で、形の良い眉によく合っている。そして、極めつけは綺麗な金色の目。
どこも見惚れてしまって、思わず目が離せなくなった。
「どうした?」
「あっ……ごめん、勉強に集中する……っ」
「……」
急いで視線を教科書に戻すと、今度は智佳の方からジッとこちらを見つめられた。
「えっと、なに?」
「翔和ってさ……結構、かわいい顔してんのな」
「……はぁっ!?」
「ガキの頃から思ってたけど、中性的って言うの? 女装とか似合いそう」
「馬鹿にしてんのっ!?」
「してねーよ。本当にそう思っただけ」
「なんだよそれ……」
普段通りの優しい笑みを浮かべて言われ、悪態を吐きたくても吐けなくなる。
これが智佳の本音だとしたら、どういった反応をするのが正しいのか、迷走してしまう。
そんなことを考えて、手を止めてしまっていると、智佳が例文を指していたシャープペンシルを置いて、少しだけ低くした声で話しかけてきた。
「翔和ってさ……聖さんのこと、好きなんだろ」
「ちょっ、急になんの話?」
「真面目な話。お前、此処来た時からずっと聖さんにゾッコンだったじゃん? あれって、普通の好きじゃねーんだろ?」
智佳の言葉に、改めて先生のことを思い浮かべる。
先生が笑ってくれるだけで、胸が温かくなるこの感情は、確かに一般的な親等に対する好きとは違うのだろう。
自覚すると、一気に頬が赤らんで熱を持ちだす。
「そう、だね……たぶん、恋人になりたいとか、そういう好き……だと思う」
「そっか……やっぱりな」
答えた僕を、智佳は少しだけ寂しそうな表情で見つめて、ポンッと僕の頭に手を乗せてきた。
「男同士ってことは、気にならねーの?」
「えっ……?」
考えたことがなかった。
言われて、初めて気がついたと言っても過言ではない。
言われてみれば、先生も僕も男同士だった。でも、今さらそんなこと大して気にならない。
「べつに。だって好きなんだし、仕方ないじゃん」
そう答えると、智佳は目を丸くして、お腹を抱えて笑い始める。
「そんな面白いこと言った?」
「いや、悪い……なんか、お前らしいなって思ってさ」
「僕らしい?」
「ああ。なんてーの、貫き通す感じ? 翔和らしい」
ひとしきり笑い切って、智佳は僕の頭をポンポンと軽く撫でると、やはりどこか寂しそうな表情を浮かべてから教科書に視線を戻した。
それが不思議で、聞きたくなったけれど、いまは試験勉強に集中するべきだと思い、僕もそちらへ視線を戻す。
そうして、ノルマの三時間勉強タイムは続いていった。
***
智佳に勉強を教えてもらって一週間が経ち、いよいよ試験が始まった。
三日間という時間をやたら長く感じながらも、みっちりと詰め込まれた知識のおかげで、それなりに解答欄を埋めることに成功した。
自主チェックも行ってみたところ、どの教科も70点代は取れていることが分かり、ホッと胸を撫で下ろす。
「その様子だと、そこそこやれたみたいだな」
「うん。今回は大丈夫そう」
「まあ、この智佳先生が教えたんだから? 当たり前だけどな!」
「今回ばかりはそうだね……助かったよ、ありがとう」
素直にお礼を言うと、智佳は嬉しそうに笑ってくしゃりと僕の頭を撫でた。
放っておくと、すぐに頭を撫でててくるのは、智佳の癖なのだろう。
思い返せば、ことあるごとにされていた気がする。
「全員席着け~、いまから学園祭の出し物決めるぞ~」
全科目のテストが終了し、花形先生がそう言いながら資料を片手に教室入ってくる。
そういえば、テストが終わったらすぐに学園祭があることを忘れていた。
「各自、やりたいもの書いてこの箱に入れろよ。適当に引いたやつで決定すっからな」
相変わらずのやる気のなさにクラス一同からブーイングが起こるのも気にせず、花形先生は小さな紙を配ると、各々に出し物を記載させて、くじ引き箱へと入れさせる。
「全員入れたな~? それじゃあっと……」
箱から一枚だけ取り出された紙が開かれるのを、みんながドキドキしながら見つめる。
すると、そこに書かれたものが花形先生の口から発表された。
「うちのクラスは……コスプレ喫茶に決定な」
誰が入れたのかは分からないが、大半の生徒が喜んでいるのが分かった。
まあ、コスプレ喫茶なんて、いかにも学園祭らしくて悪くはないのではないかと、僕も思う。
「それじゃあ、各自準備進めるように~、解散!」
それだけ言って、花形先生は教室から出ていく。
手に持っていた資料はなんでもなかったのかと疑問に思ったけれど、あの先生のことだ、きっと会議の資料か何かを面倒だから持ったまま教室に来たのだろう。
どこまでもやる気とは無縁の人だ。
「コスプレかぁ~、俺なにやろうかな~」
「悠は吸血鬼とか似合うんじゃないか?」
「それいいね! 採用!」
「早いな……俺は無難に執事とかにするかな。翔和と智佳はどうするんだ?」
優くんの問いかけに、コスプレ姿の自分を思い浮かべようと目を瞑る。
モヤモヤとして何も思いつかないけれど、なぜか智佳の姿は簡単に思いついてしまった。
「智佳は……狼男、とか?」
「おっ! いいじゃんそれ」
「絶対似合うよ~! それだと、翔和は赤ずきんちゃんだね」
「僕だけ女装!? っていうか、どうしてセットになるの!」
「だって、智佳と翔和はニコイチみたいなもんじゃん」
「はぁっ!?」
確かに同じ屋根の下で暮らしてはいるけれど、それだけでセットにされるのはなんだか腑に落ちない。
けれど、智佳を見るとどうしてか嬉しそうな表情で相槌を打っていて、反論する機会を失ってしまった。
「それじゃあ、今度店見に行こう~! そういうの売ってる店知ってるから」
「決まりだな。じゃあ、俺は軽音部の練習あるから行くわ」
「あっ! 俺もお母さんに買い物頼まれてたんだ~! じゃあ、また明日ね~」
教室を出ていく二人を見送って、そのまま僕たちも下校することにした。
帰り道、まだほんのりと赤い空を見上げて、さっきの智佳の顔を思い出す。
どうして、あんなにも嬉しそうだったんだろうか。
隣を歩いているのだから聞けばいい話なのだが、どことなく聞きづらい。
そんな気持ちでいると、智佳の方から何気ないことを聞かれる。
「空、そんなに綺麗か?」
「えっ?」
「ずっと見上げてるから」
「ああ……まあ、汚くはないと思うよ」
「なんだそれ」
クスクスと笑う智佳に一旦視線を移して、もう一度空を見上げる。
綺麗とも、汚いとも言い表しにくい空の色。
大して意味もなく見上げてしまうのはなぜだろう。
「夕焼けも悪くねーけど……俺は、夜になる手前の空が一番好きだな」
「そうなの? 変わってるね」
「そうか? だって、海みたいで綺麗じゃん?」
「……っ!」
完全に不意を突かれた言葉に、ドキドキと胸が痛いほどの強い鼓動を示す。
子供の頃に言われたのと、同じ言葉。
背格好は随分と変わってしまったけれど、その言葉の優しさは今でも変わっていない。
「ち――」
「それに……好きなんだから、仕方ねーし」
ニカッと笑って言われると、言いかけた言葉は簡単に消えていった。
好きなら、それ以上の言葉は必要ない。
この間、智佳が僕の答えを聞いた時と同じだ。
好きなんだから、仕方ない。
言及したい言葉の意味は、今度でいいだろうと思い、僕は開きかけた口を閉じて、智佳の隣を少しだけ速足で歩いた。
「あ~、腹減った。今日の晩飯なにかな」
「僕はハンバーグがいい」
「俺はオムライスの気分だな」
「それもいいね」
そんな他愛ない話をしながら、帰路を歩く。
微かに冷たさを帯びた風が頬にあたって、秋が来たことを知らせてくれているように思った。
***
「これ、お前にやる! だから、もう泣くな」
「ひっ、ぐっ……うぇ……」
泣きじゃくる子供に、やや背の高い子供が一本の大きなひまわりの花を渡している。
そして、それを受け取った子供は驚いたようにそれを受け取って、涙をぐしぐしと拭っていた。
「その……なんだ、誰も迎えに来なくてもさ……俺が絶対に行くから」
「……ほん、と?」
「ああ! んで、絶対に手、離さない。だから……お前は笑ってろ」
「……うん! 約束だよ、智佳――」
ジリリリッとうるさい目覚まし時計の音で目を覚ます。
どうやら夢を見ていたらしい。
とても、懐かしい夢。
「あんなこと、あったな……」
まだ此処に来たばかりの頃、迎えになんて来ない親の存在を知って、泣いていた僕に、智佳が大きなひまわりの花をくれたことがあった。
智佳は、両親を事故で亡くして此処に来たらしく、捨てられてやって来た僕とは違っていた。
けれど、いつも沈んでいた僕に花や玩具を渡して、手を取って引っ張ってくれたことを思い出す。
そのおかげで、僕は笑うことを思い出せて、それで先生も喜んでくれたのを覚えている。
ひまわりの花は勝手に花壇から引っこ抜いたものだったらしく、その後こっぴどく叱られたのだが。
「そういうとこ、後先考えてないんだよな、アイツ……」
そう呟いて、口角を上げながらカーテンを開く。
今日は学園祭前の休日で、久しぶりにゆっくりできる日だ。
学園祭の準備は万端、試験も終わって無理に勉強をする必要もない。
たまには何処かへ足を伸ばしてみようかと思った時、コンコンと扉を叩かれる。
「翔和、起きてるかい?」
「先生! はい! 起きました!」
僕の返事を聞いて、先生が部屋に入ってくる。
「どうしたんですか?」
「天気が良いから、物置の掃除をしようと思ってね。良かったら手伝ってほしいんだが……」
「やります! すぐに準備しますね!」
「そうか? ありがとう。それじゃあ、朝食が済んだら物置まで来ておくれ」
「分かりました」
先に片付けているから、と物置へ向かった先生を見送り、急いで着替えて朝食を取りに行く。
少しだけ遅く起きたせいか、食堂には誰も居なくて、みんなもう各々のやりたいことをやりに行っているようだった。
「お待たせしました~」
小走りで物置までやって来た僕を先生は笑顔で迎えてくれた。
物置の外には沢山のダンボールが置かれていて、中身が分かるようにそれぞれ箱には中身が何かが記されている。
「凄い数ですね」
「ああ、なにせ此処が建って間もない時からの物もあるからね」
「へぇ~……あっ! これ懐かしいですね! 子供の頃よく読んでもらった絵本」
「こんなところにしまっていたのか。よく寝る前に読んだね」
「僕、絵本はどれも好きだったけど、これが一番好きだったなぁ」
古びた一冊の絵本を手に取り、ページをめくる。
よくある、童話ではなく、オリジナルのストーリーの絵本で、泣き虫なお姫様をあの手この手で笑顔にする王子様の話だ。
最初は慰めても泣き止むことのないお姫様に花や玩具をプレゼントして、漸く泣き止みそうになったお姫様がとある大事件に遭遇してしまい、また泣いてしまったところに王子様がプロポーズをして笑顔にする、といったちょっとませた話が当時の僕には物珍しくて大好きだったのを思い出す。
「懐かしいなぁ……お妃様にしてやる! って、いま読んでもなんだよって感じがする」
「まるで、智佳と翔和のようだね」
クスクスと笑っていると、先生が優しい笑みを浮かべてそう言った。
「えっ!? どこらへんがですか!?」
「そのままだよ。不器用で、でも温かな心を持っている……まるで二人のようじゃないか」
「そんなことないですよ。智佳……僕のことからかってばかりだし」
「好きな証拠だよ。よくあるだろう? 好きな子にちょっかいをかけるって」
「それは、そうですけど……でも僕は!」
先生のことが好きなんだ、と言いかけて止める。
こんな場所で、そんなことを言っても伝わらないのは分かっている。
それに、先生のことだから簡単にあしらわれてしまうだろう。
でも、それならいつ告白したらいいのか。
こんなにも、胸が高鳴るくらい好きなのに……いまだって、二人きりで居られるこの時間が幸せでたまらないのに。
「先生」
そう思うと、心の中で僕が伝わらなくてもいいと叫んできた。
伝わらなくても、好きな気持ちを伝えたい。
だって僕は――。
「僕、先生のお嫁さんになりたいです」
気がつくと、口からそんな言葉が出ていた。
目の前でダンボールの山を担いでいた先生が、目を丸くしてこちらを見つめている。
「翔和……」
「分かってます……こんな気持ち、先生に迷惑だって。でも、どうしようもないくらい好きなんですっ……好きで好きで、たまらないっ」
いつの間にか零れ落ちた涙が地面に落ちていく。
すると、先生が即座にダンボールを置いて、僕の涙を優しくぬぐい取ってくれた。
「翔和、ありがとう」
「せん、せっ……」
「でもな、翔和……お前の気持ちには答えられない」
言われて、頷く。
そんなこと分かっていた。先生まで僕に同じような気持ちを抱いてくれるだなんて、そんな都合の良いことは端から考えていない。
ただ、僕が伝えたくて言っただけにすぎないのだから。
「俺は此処のお父さんで、翔和のことも本当の子供のように思っている。みんなそうなんだ、此処に居るみんな……俺のかわいい子供たちなんだ」
「はい……っ」
「だから、一人にだけ特別な感情を注ぐことは……俺にはできない」
そう言って、先生は僕を抱きしめてくれた。
トクトクと心地の良い鼓動が聞える。
それを聞けただけで、たまらない多幸感に包まれた。
この人を好きになれて良かったと、心から思う。
「先生……もう、大丈夫です」
すっかり止んだ涙の雨を感じ取り、先生から離れる。
先生は少しだけ眉を下げて、心配そうにしていたけれど、僕が満面の笑みを見せると、ホッとしたように優しく笑顔を浮かべてくれた。
「ありがとうございます。フってくれて」
「もう、平気かい?」
「はい! スッキリしましたから!」
「そうか。それなら良かった」
「片付け、再開しましょう!」
軽くなった心のせいか、急に身体も軽くなったようにテキパキと動けるようになった。
こうして、僕の長い恋は終わりを告げたわけだけれど、そう悪くはない結末に気持ちだけでなく、頭もスッキリとする。
「先生、この箱はどうしますか?」
「ああ、それはバザーに出すからそこに置いておいてくれ」
「分かりました」
片付けをしながら空を見上げると、秋晴れの美しい光景が広がっていて、まるでいまの自分の心のようだと思った。
***
「おお~! 翔和、かわいい~!」
クラス中から驚くような歓声が上がる。
赤いひざ丈のスカートに可愛らしいブラウス、頭にはスカートと同じ色の頭巾をして、ちょこんと立っている、僕。
クラスの出し物であるコスプレ喫茶用の衣装に身を包んだ僕を、クラス一同でかわいいと言って写真を撮られる。
「写真撮らないでよ……まったく」
「ええ~、いいじゃん翔和の赤ずきんちゃん、すっごくかわいいし!」
スマホを向けてそう言ってくる、大翔もなんだかんだで可愛らしいメイド服に身を包んでいる。
フリルたっぷりのロングメイド服は、ふわふわした性格の大翔によく似合っていた。
その横から、大きなかぼちゃの仮面を被った歩が話しかけてくる。
「お世辞抜きに、似合ってると思うぞ」
「嬉しくないけどありがとう。っていうか、歩は本当にそれでいいの?」
「ああ。仏頂面が隠れていい」
「あっ、そういうこと」
表情の乏しい歩にとっては、顔を隠せる状態での接客は嬉しいらしい。
そういった気配りは大翔が行ったもので、さすがだと思った。
「耳……この位置であってんのか?」
不意に背後から聞こえてきた声に振り返る。
すると、そこには立派な狼の耳と尻尾を付けた智佳の姿があった。
エナメル素材のぴっちりとした服に、獣らしい装飾が元の智佳の雰囲気によく合っていて、思わず口をあんぐりと開けて驚いてしまう。
「智佳カッコイイ~!」
「めちゃくちゃ似合ってるな」
「そうか? サンキュー」
狼男のコスプレを勧めたのは僕だが、ここまで完璧に似合うとは思っていなかったからうっかりと凝視してしまう。
こんな狼なら、女の子だけでなく男でも見惚れてしまうのではないだろうか。
「どう? 似ってるか?」
「へっ? あっ、うん。いいと思うよ」
「翔和も、赤ずきん似合ってる……食っちまいてぇくらいだ」
「なりきりすぎ」
そんな会話をしていると、学園祭の開始の放送が流れた。
ザワついていた教室が一瞬だけ静かになって、すぐに調理班と接客班に分かれて店を開く。
大翔は廊下で呼び込みをして、歩は見ていて少し心配になる動きで来てくれたお客さんたちに水を配膳していた。
「僕たちも早くしなきゃ」
「そうだな。俺、メニュー取ってくるから翔和は席案内頼む」
「分かった」
各々に役割を担って、喫茶店を盛り上げていく。
お客さんの大半は智佳目当ての女の子で、メニューをテーブルに置くだけで黄色い声が上がっていて、ちょっとだけイラッとした。
どうしてそんなことを思うのかは分からないけれど、いまは悩んでいる暇はないと思って入ってきたお客さんたちを開いている席へ案内する。
「ご注文は何にいたしますか? お嬢様」
「えっと……アイスティー、お願いします」
「かしこまりました」
執事さんのコスプレをした優くんが接客を注文取りをしている様子を見つめて、さすがだと圧倒される。
こういった格好をしている以上、なりきってしまった方が案外楽なのかもしれない。
現に、吸血鬼のコスプレをした悠くんもお客さんの女の子に牙を見せて笑っている。
「かわいい子は噛んじゃうぞ~」
「きゃぁ~!」
楽しそうな声が聞こえてきて、僕も楽しくやろうと思えてきた。
折角の学園祭なのだから、楽しまなきゃ損だ。
こうなれば、盛大に楽しんでやる。
「ありがとうございました! 道中、狼さんにお気をつけくださいね」
会計を済ませて出ていくお客さんに笑顔でそう言うと、小さな女の子が元気に手をあげて返事をしてくれた。
姿が見えなくなるまでバイバイと手を振って見送る。
それから、ぐるっと教室を見たところ、もう既に満席状態でなかなかの盛況っぷりであることが分かった。
中でも悠くんや優くんのサービスに満足してくれるお客さんが多いようで、楽し気な会話が聞こえてくる。
「アイツらさすがだな」
「ね。完全になりきってるっていうか、ちゃんとお客さんに寄り添ってる感じ」
「でも、そろそろ優は離脱だろ? 悠も休憩入るし、俺らが対応しねーと」
「あっ! そうだったね」
優くんはお昼から軽音部のライブがあるため、クラス出店は少しの間しか居られない。
悠くんもそれに合わせて休憩を入れているから、そろそろ僕たちが本格的な接客に回らないといけない時間だ。
「大丈夫かな……」
もう満席で、時間制限を設けているいる状態で、二人が居なくなるのは心細い。
だけど、僕だってこのクラスの一員だ。少しくらいは良い所を見せなければ。
「……やるしかない、よね」
「ああ。精一杯やろうぜ」
そう言って、お互いの拳をコツンとあてて、優くんたちをライブに送る。
終わったらすぐに戻ると言われたのに礼を言って、智佳と二人で接客にあたった。
「いらっしゃいませ。制限時間があるけど、楽しんでいってくれよな!」
「お兄さんと写真とかはOKですか?」
「ツーショットならいいですよ」
「きゃー! ありがとうございます!」
大勢の女の子たちと代わる代わるに写真を撮る智佳を横目に、僕も負けていられないとお客さんに愛想を振りまく。
「いらっしゃいませ。只今の時間は一時間限定のお席となりますのでご了承を――」
時間制限の説明を進めていると、不意にガタイの良い男に肩を抱かれた。
筋肉質な腕が首にまわされ、グイッと強い力で抱き寄せられる。
「ちょっ……お客様っ!」
「男子校だから、どんな化け物女装野郎が出てくるかと思えば……かわいいじゃねぇか!」
「はぁっ!? ちょっと! 此処はそういう店じゃ……」
「いいだろ~、金払ってんだからサービスしろよ」
「やめっ……ひゃぁあっ!?」
急にスカートの中へ手を突っ込まれ、気色悪さにブルブルと身体が震える。
気持ち悪い。
ベタベタと身体に触れてくる脂ぎった手が不快でしかない。
けれど、体格差や根本的な力の差があって、押し退けることができない。
「はな――」
もがいていると、急に肩から手が離されて、視界に長い足と吹っ飛んでいく男の姿が映った。
なにが起きたのだろうかと振り返れば、思い切り男を蹴り飛ばした後の智佳の姿があり、思わずポカンと口を開けて見上げてしまう。
「申し訳ございませんお客様……当店、迷惑行為には実力行使をしても良いルールとなっておりますので……とっとと失せろ、ゲス野郎!」
「くっ、クソッ……!」
「あっ……ちょっと智佳! いくらなんでもやりす――わわっ!」
智佳が強い力で僕の手を掴み、そのまま走り出す。
たくさんのお客さんの波をかき分けて、無言で走っていく後ろ姿を暫く見つめていると、人気のない屋上まで連れて行かれた。
「はぁ……っ、ふぅー……ここなら、邪魔は入らねーな」
大きく息を吐くように言うと、智佳は思い切り僕を抱きしめてきた。
そして、さっき男に触れられた箇所を撫でて、乱れた服を綺麗に整えてくる。
「智佳?」
「お前が他人に触れられるの見たら止められなかった……悪い」
「えっ? それどういう意味?」
「……ここまでしても気づかねーのかよ」
そう呟いて、肩に埋めていた顔をガバリと上げる。
そして、真っすぐに僕を見て、智佳は頬を赤らめながら口を開いた。
「お前のこと、好きだって言ってんだ!」
「……へっ?」
「へっ? じゃねーよ! 俺がどれだけお前のこと気にしてたと思ってんだ!」
「……っ!!」
叫ばれた言葉に、ビクンと肩が揺れる。
智佳が僕を好きだった……そんなの、考えたこともない。
だって、智佳はいつも僕をからかってばかりで、馬鹿にもするし、突き放すようなことだって言われたことがある。
それが、好きだなんて……そんなの信じられない。
「嘘……」
「嘘吐いてなんになるんだよ」
「だって、智佳はなんでもできて、僕は全然だし」
「そんなの、好きな気持ちに関係ねーだろ」
「でも……そんな」
「嫌なのか? 俺に好かれるの……迷惑か?」
そう問われて、智佳の顔を見る。
いままで見たことのない、怯えるような目。僅かに揺れる身体、噛みしめられた唇。
そんなのを見て、これが嘘や冗談ではないことは明白だった。
「迷惑なんかじゃないよ、だけど……」
「知ってる……お前、聖さんのこと好きだもんな。敵わないって分かってる」
「違う! そうじゃ、なくて……」
「でも、ずっと好きだった。ガキの頃から、ずっと」
それを聞いて、あの夢を思い出す。
ひまわりの花や玩具をくれたこと。
僕の手を、絶対に離さないと言ってくれたこと。
「本当言うと、気づいてると思ってた。でも、お前は聖さんのことが好きだからって……諦めようとしてた」
震える唇から零れ落ちる言葉も僅かに震えていて、智佳の恐怖や自信のなさが伝わってくる。
「でも、諦めきれなかった」
「……どうして?」
「好きになっちまったから、仕方ねーだろ?」
いまにも泣き出しそうな顔で笑い、伝えてくれる智佳を真っすぐに見つめる。
他の誰にも見せない、僕だけが見ることを許される、智佳の顔。
そうなものを見せられて、何も言えないほど僕は弱くない。
深く深呼吸をして、智佳の綺麗な瞳に語りかけるように言葉を紡ぐ。
「そうだね。仕方ないね」
「……えっ?」
きょとんとする智佳を見て、クスクスと笑いながら続ける。
「僕もね、先生に告白したんだ。諦めきれなくて」
「……」
「でも、フラれちゃた。僕は先生にとって、子供なんだって」
「そっか……そう、だったんだな」
「でね、たくさん泣いたんだ。そうしたら、なんだかスッキリしてさ……漸く他の人のこと、考えられるようになった」
「他の人って?」
不安そうに聞いてくる智佳にニコッと笑って見せる。
そして、もう一度深呼吸をしてからその名前を口にした。
「智佳のことに決まってるでしょう?」
「……っ!?」
驚く智佳を見て、いままでの智佳の言動や行動を思い出す。
あんな分かりやすいアプローチに気づいていなかった自分が、ちょっと恥ずかしいけれど、いまならそれを全部受け止められる。
あんなにも僕を想っていてくれた智佳が好きだ。
大好きだ。
「ビックリした? でも、僕も驚かされたから、おあいこだよ」
「……んだよそれっ」
「ふふっ……智佳、大好きだよ。いまの僕には、智佳が一番の好きな人だ」
胸を張ってそう言うと、智佳は僕から手を離して、大きな掌で口元を覆った。
きっと喜んでいるのを隠したいのだろう。智佳のことなんてお見通しだ。
「僕はもう、泣き虫じゃないけど……手、離さないでいてくれるんだよね?」
「あっ、当た前だろっ!」
慌てた様子で言い、今度は手を取って強く握られる。
男らしいゴツゴツとした掌が、なんだか安心して離したくないと思わせてくる。
「絶対離さない。俺が手に入れたんだ……離すもんか」
「なにそれ。いまから独占欲丸出し?」
「いいだろ……そんだけ、マジに好きなんだから」
「仕方ないなぁ」
茶化すように笑い、二人で空を見上げる。
秋晴れの空に浮かぶ太陽が眩しい。まるで、真っすぐに僕を見つめてくれた智佳の瞳のようだと思った。
「なあ、仲いい奴にだけ……その、教えてもいいか? 俺らの関係」
「いいよ。ただし、僕のお願いも聞いてね」
「なんだよ」
「今度、海に行きたい。二人きりで」
「……分かった。寒くなる前に行こうな」
一瞬だけ目を丸くして、笑って返してくれた智佳と、触れる程度のキスをする。
恥ずかしいから、お互いに目を閉じて触れ、離れていく。
「いつか、ちゃんと見ながらしようね」
「ああ、約束な」
お互いに照れ隠しのような笑い声を零して、ギュッと手を握る。
若干、汗ばんだ掌が吸い付くように離れないのをいいことに、僕たちは暫くそのままでいることにした。
「早く戻らないと怒られるかな?」
「いいんじゃねーの? ちょっとくらい」
「そうだね。最悪、僕は狼に食べられちゃったことにすればいいし」
「お前なぁ……本当に食っちまうぞ」
そんな他愛ない会話をして、笑い合う。
心地の良い風に吹かれながら、僕たちは世界で一番近くて遠かった恋から、世界で一番近くて深くなっていく恋へと、発展していくのだった。
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