宇宙航路は遥かにて(β版)

星川わたる

文字の大きさ
16 / 38

第16話 やさしいひと

しおりを挟む
 怒った彼は、こわかった。

 いや、わたしがこわい思いをしたんじゃない。

 どういう原理かわからないけれど、彼はなにか巨大なちからで、目のまえの人たちを痛めつけた。

 やさしかったのに……死んだわたしを、自分のたましいを削って生き返らせるほど、やさしかったのに。
 あんなにどぎまぎしていたのに。エアロックのなかで、ふたりで座り込んでいたあのときは。

 今の彼は――
 両手で人間ふたりを引きずって、意識のない彼らを軽々とエアロックに投げ込んで……

 ――!

 それはだめ――!

「あの!」

 わたしの声に振り向いた彼の表情は、明るい笑顔――

 みえる……
 見える、血まみれの顔が。

 彼の顔が、胸が、両手が――体じゅうが、血にまみれている。
 指先から、血が滴りおちる。床に血のしずくが垂れている。

 目にみえたものじゃない――
 わたしが肌で感じた、彼のすがた。

 人間じゃない。
 「あれ」は、だれかを痛めつけることを、たのしんでいる。

 人を投げ込んで閉めた、エアロック。
 このまま減圧したら、このひとは――!

「減圧は、だめです!」

 それでも彼は、笑顔をくずさない。

「あはは、だいじょうぶ。いまはやらないよ。勝手に出てこられたらこまるんだ。ここに閉じ込めようと思ってね」

 「いまは」やらない――

 いずれは……やるつもり?

 彼は、エアロックの緊急閉鎖ボタンを押した。
 この操作を行うとエアロックはシステム上破損扱いとなり、開かなくなる。内部機器の破損も想定しており、中からの操作は受け付けない。

 たしかに、閉じ込める場所としては適している。

 でも、中に入れられたひとは……

 いつ、外部から減圧操作をされるかわからない。
 絶対に出られないエアロック、そして減圧への恐怖――

 彼はそれを――彼らを痛めつける「いい手段」としてみている。

 彼はそれから、わたしにいくつかの指示をだした。
 わたしに対しては、友好的な態度にみえる。

 でも、身にまとう気配に、やさしさは、ない。

 彼の指示を復唱するわたしに、にやりとする口元。
 「よし、使える」とでも思っているかのよう。

「行動開始、行くぞ」

 ……どうしよう。
 いけないものを、見た気がする。

 彼――いや、「これ」は暴力をふるうための人型のロボット。
 人の痛みをまるで考えず、むしろその痛みに快感を覚えるもの。

 これは、存在してはならないもの。

 そばにいては、ならないもの。

・・・・・・

 うす暗い階段室……「それ」はわたしなど置き去りにして、ただじぶんのために階段をのぼっている。
 わたしは必死でついていくけれど、体力がもたない。腕が、足が、いうことをきかない。息がつづかない。空気があるのに、おぼれてしまう……
 なんとか踊り場によじ登ったが、そこでわたしは床にへたり込んでしまった。

 さすがに気付いた「それ」が、おりてくる。

「きみ、進めないか。ここで待つか?」

 ここで待つ……わたしが? さっき「絶対に離れるな」と言ったのに。

 どうやらわたしを戦力外とみなしたらしい。

 また、だ。
 「これ」のまとう気配が、ぞわりとするほど暴力の予感を帯びる。
 くらい階段室で、「これ」に染み込んだ赤黒い血が、階段の下へと滴り落ちる。

 そっか――どうせ、こんな奴だったんだ。
 不定期船の乗員に、まともな奴なんていないんだ。

 「これ」も結局、うわべだけの善人。
 わたしの「希望」は、ぜんぜん「希望」じゃなかったんだ。


 童話の中の、王子さま――
 眠れるお姫さまを、あまいキスで目覚めさせる王子さま――

 そんな人に会えたと、思ったのに……


「……」

 でも――

 でも、そうだ。暴力がふるいたければ、あのときエアロックのなかで、無抵抗のわたしにいくらでもふるうことができた。
 でも現実は、逆。彼は自分のたましいを削って、死の世界へおちていくわたしを、ひきあげてくれた。
 唇を奪われはしたけど、それはわたしを……

 いや、奪われてない。あれはキス、わたしへのキス。童話の王子様だって、それをしている。
 すこしこそばゆかった……思い出すと、とてもあまかった時間。まだちょっと、唇がじんわりする気がする。
 振りほどかなければよかった。目をさまさないふりをして、もうすこしそのまま触れ合っていればよかった。

 そうだ、あれはキス。そうでなくてはならない。でないと、彼はわたしの王子様でなくなってしまう。

 どうして彼がこんな状態になっているかは分からない。
 きっとわたしがしらない、なにかがあるんだろう。

 でも、あのときはたしかに、やさしい王子様だった。
 このひとは、わたしの王子様だ。だからそんなに、血にまみれないで。わたしの王子様のままでいて。

 みればまだ、ネクタイがずれたまま。
 どうせだれも見ないからって、適当に結んだんだろう。見た目より、ちょっと子供っぽいのかもしれない。

 ずれたネクタイが、そんな彼のすがたを残している。
 そこだけは――血にまみれていない。

 このひとは、大きな二面性をもっているのかもしれない。
 だから、さっきわたしにみせたやさしい一面も、たしかにあるんだ。

 ちょっと子供なわたしの王子様は、まだ、この中に残っているはず――
 それを、やさしいこのひとを、わたしのまえに引き戻したい。

 ――引き戻したい。

 まだ息がきれていたが、わたしは彼の襟首をつかんだ。ずれたネクタイごと。

 なにもわかってない表情。振り払われるかと思ったが、意外に彼はうごかなかった。

 思えば、これはかなり危険な行為だ。凶暴な人格をあらわした彼に、このわたしがつかみかかっている。すでに殺されていてもおかしくないが……
 はるかに強大なちからを持つであろう彼は、わたしひとりにつかまれたまま、呆然としている。

 まだ、わたしは殺されない。
 もしこれが、彼のやさしさなら……まだわたしに、やさしくしているのなら。

 このまま彼を、引き戻せるかも――

 なにを口実に――そうだ、なまえ。
 このひと、まだ一度もわたしのなまえを呼んでない。

 ……。

 忘れたな、この――!

「な、なまえ……」

 くそ、息が……ことばが、出ない。
 抗議しなければ。なまえを覚えてないのに平気な顔をしてるこのひとに。

「わたしの、なまえ……おぼえて、ないでしょ……!」

 彼はわたしに襟首をつかまれたまま、まだぼけっとしている。

「あなた、わたしのなまえ、覚えてないでしょ!」

 言えた。言ってやった。
 さあどうなの、覚えてないんでしょ!

 まだなにも分かってない顔をしている。

 わたしは抗議しつづけるが、彼の表情はまだかわらない。そのぼけっとした顔、それがわたしのなまえを覚えてないことを証明している。

 引き締まらない表情、ずれたままのネクタイ。素のこのひとが、みえてくる。

 襟首ごと、彼を引き寄せる。もっと近寄れ。
 エアロックの中にいたとき、このひとはわたしにどぎまぎしていた。

 好意を持たれてる、なんて妄想はさすがにしない。でも――ちょっとくらい興味あるんでしょ、あんな態度するんだから!

 血まみれの彼と、どぎまぎする彼――まるで違う。そしてあの時どきまぎしたのは、たぶんわたしに対して。
 もういちどそうさせてやる。わたしへの興味でもとに戻ってくれるなら、安いもの。
 戻ってこなかったら――そのときは、わたしはこのひとの手にかかるだけだ。

 触ってやる、この。たじたじになってしまえ。

「ネクタイ、曲がってる。気になってしょうがない。船長さんなんだから、しっかりして」

 「船長さん」と呼んでやる。ちょっとくらい、どきりとしてみろ。

 彼はすこしたじろいでいる。
 そして、わたしはまだ殺されない。

 ネクタイをなおすだけなら、どうせすぐ終わってしまう。なおってもしばらくいじくってやろう。

 ――あれ?

 ネクタイはちょっとずつほどけていく。触れれば触れるほど、ほどける……
 なんだこれ、どういう結びかたなんだ。おい、どうしてこんなになるんだ、そこのあなた。

 うす暗い階段室で、彼の顔色はよくみえない。でもまだ、わたしにされるがままだ。なんの抵抗もしない。

 そして――ついにネクタイはほどけた。どうして。

 ええい結びなおしだ。そうだ最初からわたしが結んだほうが、うまくいく。
 あ……わたしと彼は向き合っているから、結びかたは、わたしからみて逆になるのか。く……難しい。

 ネクタイとわたしの攻防がつづく。いや、ネクタイとの攻防ってなんだ。どうしていま、わたしがネクタイと戦わなければならないんだ。

 ネクタイがほどけた彼はなかなか情けない姿だが、あなたの結びかたがわるいんだ。決してわたしのせいじゃない。
 何度もほどけるネクタイ。わたしはずっと、指先で彼の首元に触れている。くすぐったいだろう、ほら。

 するり……

 ――ネクタイはほどけんでいい!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...