君の瞳にブーゲンビリアを飾りたい

冬原來桃

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第一章 新生活

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随分浮かれているな、と女は思った。目の前の、重たそうな木製の椅子に座る男の事だ。大きな窓から差し込む光を背中に浴びながら、彼は、感情が削げ落ちた無機質な目線を手元の書類に落としている。しかしよく見ると、僅かに口角が上がっている。これは踊り回りたいほどの喜びを抱いている時に見せる表情である。女は長年の付き合いで、男の感情を的確に読み取る事が出来た。
「喜べジスレーヌ。とっておきの話が舞い込んできたぞ」
男は顔を上げると、鋭い視線を女――ジスレーヌに向けた。突き刺すような鋭い視線に射抜かれても、彼女は怯む様子を見せない。無表情のまま、男と同じ空色の瞳を瞬かせると、「どうなさいました」と透明な声で返事をした。
「陛下がついこの間、后を王宮から追い出したのは知っているな。そこで私がお前を后にと推薦したところ、あっさり承諾された。これで陛下をお守りするのは、以前より簡単になるぞ」
男は上擦った声で説明した。口角が先程よりも上がっている。彼は立ち上がると、手にした書類をこちらに差し出してきた。反射的に受け取る。筆記体が踊る紙の一番下に、皇帝リュカ・オーギュスタン・アンブロワーズの署名が記されていた。皇帝が記した、公式の文章という事だ。
女は目を伏せて書類の文字を追いながら、淡々とした声で尋ねた。
「妹ではなく、私を推薦されたのですか」
「ああ。お前は適齢期だからな」
「しかし妹の方が器量も良く、愛嬌もある。私よりも妻として適任だと思いますが」
ジスレーヌが食い下がると、男はすっと目を細めた。先程の微笑が消え、目に冷酷な光が宿っている。
「ブランディーヌは他に仕事があるんだ」
有無を言わさない口調でそう言うと、男は机を回ってジスレーヌの前に立ち塞がった。威圧的な雰囲気に、思わず腰が引ける。
「そういう事だから、ジスレーヌ、直ぐに準備して宮殿に行ってくれ。そこで皇帝陛下の后として生活するんだ」
男はジスレーヌから書類を奪い取ると、そうあっさり、全く何でもない事のように言った。
(………后)
自分と不釣り合いなその言葉を口の中で転がす。水と油のように、しっくりこない組み合わせだ。
「后として王宮に入る事が出来れば、今よりもっと陛下をお守りするのは簡単になる。これはお前にしか出来ない仕事なんだ」
男はそう言うと、無感動に黙ったままの娘に向かって両腕を伸ばし、ぎゅっとその肩を掴んだ。薄い空色の布に皺が寄る。
「いいな。お前は皇后として、陛下の事をお守りするんだ。これまでと同じように。我が組織の面目を潰さないでくれ。…分かったな」
ジスレーヌは一瞬、物言いたげな表情で男を見上げた。しかし、直ぐに俯いて目を閉じる。
「はい、父上」
淡々とした娘の返事に、男は満足気に頷いて見せた。


数時間後。腕の中にすっぽり収まるほどの小さな手提げ鞄を膝の上に置いて、ジスレーヌは馬車の中から流れゆく景色を見詰めていた。澄み切った空が、木の葉の間からちらちら顔を出す。ジスレーヌの瞳と同じ、薄い空の色だった。数日前よりも色が淡くなっている。秋が深まると、空は段々色を失っていくのだろうか。景色を眺めながら、後どのくらいで着くのかしら、とジスレーヌは思案した。そろそろお尻が痛くなってきた。身動ぎしようとした時、馬車ががたんと揺れ、衝撃で一瞬腰が浮く。道が悪い、と顔を顰める。この道は整備されていないのだろうか。
飛ぶように過ぎていく木々をぼんやり見詰めながら、ジスレーヌはこれから訪れる新生活に思いを馳せていた。


我がアンブロワーズ帝国は、広大な領土を誇る帝国である。数十年前、戦争によって多くの国を吸収合併した我が国は、文化、領土、財産などにおいて他の国を凌ぐ存在になっていた。しかし、華やかさの裏には醜さが存在するもの。急激に国が豊かになった事に慢心し、前皇帝はまともな政治をしなくなったのだ。金を使い込み、沢山の女を侍らせた。政治を投げ出して大臣に任せ、自分は放蕩の生活を始めたのである。そんな君主の姿を見た部下達も、ある者は財産を乱費し、ある者は貧しい民衆から搾取し、またある者は政治資金を横領した。良い政治を行いたいと願う大臣も居たのだが、彼らにはこの国を変えるだけの力は持っていなかった。つまり、帝国でまともな政治を行える者が一人もいなくなってしまったのだ。それにより、豊かだったはずのアンブロワーズ帝国は、翻って衰退の一途を辿って行ったのである。当然、民衆は不満の声を上げた。しかし、皇帝は国民の声に耳を貸す事なく、一層女遊びや散財に耽り、最終的にいきり立った民衆の一人に命を奪われてしまった。
たった一人の君主を失い、資金も底をつき、このままこの国は衰退するだけだ。誰もがそう覚悟した。しかしその時、一人の若き男が立ち上がったのだ。名をリュカ・オーギュスタン・アンブロワーズという。前皇帝の四男だ。彼は御年13歳にして、政治を放棄した兄達3人と大臣達を王宮から追い出し、自ら皇帝を名乗ってこの国の立て直しに尽力し始めたのだ。残された大臣達も、始めは子供の戯言と相手にしなかったのだが、段々彼の手腕を認めるようになり、リュカに従って国の復興に協力するようになった。今から13年前の事である。
リュカはまず、腐敗した中央政府を粛正し、次いで外交に力を入れて他国との関係を修復する事に励んだ。彼の大胆さ、豪胆さ、そして政治力により、近年、我が帝国は段々と貧しさから脱却しつつある。彼の手腕とリーダーシップは見事なものである。
しかし、全ての人が彼の功績を讃えるわけではない。多くの人々は、若くして才能溢れる豪胆な君主を恐れ、こう呼んでいる。
「冷酷非道、唯我独尊、傍若無人の暴君皇帝」
「血も涙もない、悪逆非道の君主様」
民衆は皆口を揃えて、皇帝陛下は恐ろしく、惨い人だと言う。実際以前宮廷で働いていた役人も、陛下程冷たい人は他に居ないと証言していた。腕のいい皇帝陛下は、その実血も涙もない残酷な人らしい。ジスレーヌは、そんな男の妻となるのだ。これからの生活は、きっと波乱に満ちたものになるだろう。


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