とばっちり男爵令息は幼馴染侯爵の溺愛に気付かない

白世藍

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とばっちり男爵令息は幼馴染侯爵の溺愛に気付かない

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「リリアン・エルモンド男爵令嬢! 私の婚約者を害した罪で断罪する!」
「どうして!? 私はこの世界のヒロインなのに!」

 目の前で断罪劇が行われている。
 俺の、婚約者の。

「私はクロード様のためを思って……!」
「何が私のためだ! 彼女は君のせいで怪我をしたんだ! それにそもそも君の婚約者はそこにいるディオン・セルディック男爵令息だろうが!」

 会場の視線が、断罪劇の真っ只中にいるリリアン嬢からこの俺、ディオン・セルディックに一斉に向いた。
 哀れみのような、蔑みのような。どう捉えても嬉しくない感情が強く浴びせられる。
 反応に困った俺は、静かに瞼を閉じた。

「こんな男、クロード様に比べたら道端の雑草よ!」
「それは確かにそうだろう。だがその事が私に何の関係があるんだ?」
「私にはクロード様こそが相応しいの!」

 耳には蓋がついてないせいで、会話がずっと聞こえてくる。
 なんで俺がディスられてんだ。俺何もしてないだろ。

 気を紛らわせるため、これまでの経緯を思い出す。
 リリアン・エルモンド男爵令嬢は、確かに俺の婚約者である。ただし、3日前に決まったばかりだが。
 元々リリアン嬢は平民の家で暮らしていたそうだが、実はエルモンド男爵の庶子ということがわかり男爵家に引き取られたのが1年前。そしてすぐにこの貴族ばかりが在籍するグランシャリオ学園に転入してきた。
 それから何を勘違いしたのかわからないが、リリアン嬢は高位貴族の子息にばかり擦り寄りまくり、各自の婚約者から大変な抗議を受けることになった。エルモンド男爵家としても問題を起こされて困ったのか、リリアン嬢の学園内の監視役として婚約者を探し始めた。
 大半の家はリリアン嬢の婚約者を断ったのだが、貧乏貴族である我が家は多額の持参金に目が眩んだようで、俺が全く与り知らないところで婚約が決まった。その知らせが来たのが昨日だ。
 すぐに家族へ婚約解消を訴えたが、本日行われている全学生が参加する卒業パーティには間に合わなかった。
 そのせいでリリアン嬢は現在、一応俺の婚約者ではある。

「クロード様が私の事を好きになってくれたら何も問題はないのに!」
「婚約者がいる相手と恋仲になろうとする時点で大問題だろう! そんなことも知らないのか!」
「婚約者なんてどうでもいいでしょ! 運命の恋の方が正しいの!」
「一体どういう教育を受けているんだ! それにディオン・セルディック! 君も何故彼女を止めようとしない!?」

 急に名前を呼ばれて驚いた俺は目を見開く。そこには激昂した様子のクロード・ヴェントリー侯爵令息がいた。

「君も同罪だぞ!」
「……何の、でしょうか」
「我が婚約者に怪我をさせた罪、それに我が侯爵家に不敬を働いている罪だ!」

 俺、何もしてないのに?
 喉まで出かかった抗議の声を飲み込む。
 ヴェントリー侯爵家は名門貴族で現在の王妃の生家である。不興を買ったら弱小貴族のセルディック家など取り潰し待ったなしなのだ。

「……申し訳ございません」
「今更謝罪しようがもう遅い! 衛兵! こいつらを会場から追い出せ!」
「……え?」

 俺、何もしてないのに!?
 しかし抵抗するわけにもいかず、やってきた衛兵に連れられ会場の外に追い出される。リリアン嬢は抵抗していたようで、ビリビリと布が破れる音やらボキリとヒールが折れる音を激しく鳴らしながら引きずられていた。
 会場の外まで出ると、中の喧騒とは違って静かだった。冷たい夜風が吹き、星空の中で月が寂しそうに輝いている。

「もう! あんたのせいよ! あんたなんかが勝手に婚約者になるから!」
「……俺も知ってたら断ってたよ」
「うるさい! あんたの意見なんて聞いてないわ! どっか行って!」

 リリアン嬢は喚きながらまだ会場内に入ろうとしている。
 もうこの事態に付き合う気も卒業パーティに参加したい気持ちもなくなった俺は、衛兵たちに頭を下げてとぼとぼと寮へと戻る。
 何故こんなことになったのか考えてみたが、そこまで自分に原因があるようには思えなかった。
 しいていえば、運が悪い、ぐらいか。

 昔から運だけは悪かった。テストに向けて勉強した時に限って食中毒で寝込むとか、買い物に出かけたら泥棒と間違えられるとか。思い返せばろくでもない思い出ばかりがいくつもよみがえる。

「……シリルがいたら、愚痴ぐらい聞いてくれるだろうにな……」

 昨年卒業していった2つ年上のシリルのことを思い出す。
 シリル・コーディナルは俺の幼馴染で、早くに両親を亡くしたため爵位を継いだコーディナル侯爵家のご当主様だ。
 本来ならば平凡の極みである俺とは縁遠い存在なのだが、俺の人生の唯一の幸運で、領地が隣同士であった。そのため幼い頃から交流があったのだ。
 シリルはとんでもないイケメンなのだが、中身もとても良い男だ。普段は人懐っこいおっとりとした大型犬みたいな感じなのだが、俺が困ってる時はいつもさりげなく助けてくれた。
 人違いで誘拐された時も夜遅くまで俺を探してくれたし、三角関係の当事者だと勘違いされ刺されそうになった時も冷静にアリバイを提示して無罪だと証明してくれた。
 もしもこの場にシリルがいたなら、きっと助けてくれただろう。
 なんとなくそんなことまで考えて、ため息をつく。
 元々身分違いの幼馴染で、シリルは侯爵位を継いだ身だ。以前みたいに親しく過ごせるはずがない。
 シリルが学園に在籍していた頃は話をすることもあったが、彼が卒業してからはたまに手紙のやりとりをするだけで顔を合わせることもなくなっていた。おそらくこのまま、縁が切れていくのだろう。

「……いつまでもシリルに頼ってちゃダメだよな」

 気持ちを切り替えるため、頬を強くはたく。
 あと1年で俺も卒業するのだ。卒業パーティは来年楽しめばいい。



+++



 今思えば、卒業パーティの帰り道の俺は楽観的だった。
 あれが最後の卒業パーティになるなんて思っていなかった。

「……なんで、こんなことになっちゃったんだろうなぁ?」

 深くため息をつく。
 部屋を見渡せば、元実家の自分の部屋よりも豪華な家具が見える。しかしそのどれもが生活用というよりは見栄えを優先したものだ。
 この部屋で特に異質なのが内装にそぐわないほど豪奢な天蓋付きのベッドだ。大人でも余裕で3人は寝られるほど大きい。
 何故わざわざこんなでかいベッドが置いてあるのかと言えば、簡単な話である。
 ここは娼館なのだ。

 卒業パーティの後、何とかしてリリアン嬢との婚約解消をしようとした。
 だがそれより早く、断罪された。
 リリアン嬢と俺が。

 ヴェントリー侯爵家の意向により、まず学園から退学処分が下された。そして失意のまま実家に戻ったら、多額の賠償金の支払いのため身売りを言い渡された。拒否する間もなく娼館の従業員に引き渡され、現在に至る。
 おそらくリリアン嬢も似たようなことになっているとは思うが、気にするだけの余裕もない。
 実家との関係が悪いのは今に始まったことじゃないが、金のために婚約者の家に売られ、賠償金のために娼館に売られと、愛情なんて本当にないんだなと実感する。寂しいとさえ、思わない。

「俺、本当に何もしてないんだけどな……」

 今日何度目かわからないため息をつく。
 この店は男の俺が売られた先だけあって、男娼専門の娼館である。
 この店に来た時、自身の売却金額より稼がない限り出られることはないと説明された。しかし他の男娼を見る限り綺麗な見た目の人が多く、平凡な自分が売れるとは全く思えない。
 果たして、ここで何年働けば解放されるのか。解放されたところで何処で何をすればいいのか。そもそも借金が返済し切れる日が来るのか。
 いくつも悩みが浮かんで、解決策も見つからないまま溜まっていく。

「なんかもう、嫌になってきたな……」

 椅子に座っているのも面倒になり、商売道具のベッドに横たわる。シーツは新品だが、これも自分の稼ぎで買わない限り新しくなることはない。あと数時間もすれば使用済みのシーツに変わってしまう。

 もしもシリルがいてくれたら、助けてくれたのだろうか。
 ふとそんな考えがよぎる。
 シリルなら、俺が家族に売られたなんて知ったら怒ってくれると思った。多分、俺よりも。

「もう二度と会うことなんてないんだろうなぁ……」

 侯爵家当主のシリルと男娼になった俺に、接点はない。
 手紙を出すことぐらいはできるだろうが、今の状況を知らせるのも気が引ける。
 それなら最初から諦めた方がいい。


「せめて最初の客が良い奴でありますように」

 目を閉じながら呟く。
 娼館の主の話によれば客は多少なりとも選ぶことができるそうだが、初めて客を取る時だけは一番高値を払った客が相手になるらしい。どんなに気に食わない相手でも断れないのだそうだ。
 しかしながら当然俺も性行為が初めてなのだ。丁寧なやつとかモノが小さいやつの方が良い。
 せめて相手を選ぶ権利があればいいのになと思っていると、ドアがノックされる。
 どうやら運命が決まる時間が来たようだった。



+++



 平凡に化粧をするとどうなるか。多少見てくれがマシな平凡になるだけだった。
 そして際どい衣装に着せ替えられ、客からも見える広間のソファに座らせられる。
 客達の方を見れば、多くは仮面をつけた身なりのいい紳士だった。仮面をつけていない客もいるが、そういう奴はすでに決めた相手がいるようで、すぐに上の部屋へと消えていく。
 一方で店員に何かを告げて壁際で待っている客もいる。おそらくそれが俺に値段をつけている客なのだろう。本来なら愛想良く振る舞うべきなのだろうが、到底そんな気にはなれない。
 テーブルの上に置かれた水に手を伸ばす。果実でも入っているのか、どこかさっぱりした風味はとても飲みやすかった。

「ディオン!」

 急に名前を呼ばれ、驚きながらも振り返る。そこには息を切らしながらキョロキョロと辺りを見回すイケメンがいた。
そしてその姿には見覚えがある。

「…………シリル?」
「ディオン! 良かった! 無事だったんだね!」

 名前を呼べば、その人物は思いっきり抱き着いてきた。力強過ぎて少し息苦しいぐらいだ。
 間違いなく幼馴染のシリルだった。
 さっきまで会いたいと思っていた人物だけに、どういう反応を返すべきか悩ましい。

「……えーっと。久しぶり、シリル」
「そうだね。ディオンがちっとも学園から帰ってこないから」

 少しふてくされた顔をしているものの、その顔面は国宝級に整っている。淡く輝くシルバーブロンドの髪の毛1本だけでも俺自身の何十倍もの価値がありそうだ。

「っていうか、何でここに? こういうとこ良く来るのか?」
「来ないよ! ここに来たのは、ディオンが売られたって聞いたから……!」

 先ほどよりも更に強く抱き締められる。あまりの苦しさに引き剥がそうとしても全然離れない。
 どういう経緯で耳にしたのかわからないが、俺の噂を聞いて駆けつけてくれたらしい。

「そもそも、なんでディオンがこんなところにいるの? すぐに僕のところに来てくれれば良かったのに」
「いや、さすがに俺も実家帰ったら身売りされるとか思ってなかったし」
「それはそうかもしれないけど……。でも実家と仲悪いの、ディオン自身がいちばんわかってるでしょ?」

 いつまで経っても心配顔のシリルが剥がれないので、そのままにしておくことに決めた。
 シリルは何故かやたら俺に甘いというか甘えてくるというか。幼馴染の気安さもあるのだろうが、高位貴族とは思えない振る舞いをすることが多い。
 シリルが学園を卒業する前も、こうやって抱きつかれることが日常茶飯事だった。シリルの卒業パーティの時も『エスコートするならディオンがいい』と散々駄々をこねられたので付き合った記憶がある。シリルと男同士でダンスしたりデザートを一通り食べ比べしたのは楽しかったが、シリル狙いの令嬢達の怨みの視線を一身に受けたのも記憶に残っている。
 今思えば、俺にリリアン嬢以外の婚約者ができなかったのは、あれが原因だったのかもしれない。今更だが。

「まぁディオンが無事なら良かった。一緒に帰ろう」

 シリルは俺の手を引いて店を出ようとするが、その前に店員に止められる。

「……お客様、申し訳ございませんが此方は今宵の商品でして……」
「…………まぁそうか。そうだね。いくらなの?」
「今宵はお答えできかねます。どうぞ貴方様が価値をつけてください」

 恭しく頭を下げる店員とは裏腹に、シリルの顔がどんどんと険しくなっていく。
 誰がいくらとつけたかを伏せることによって値段を吊り上げる方式のようだ。これなら値崩れしそうな俺でも高値が付けられることもあるだろう。
 よくできたシステムだと俺は感心する。
 物語ならば絶体絶命のピンチにヒーローが助けに来たという状況なのだろうが、現実はそんなに甘くないということだ。

「……シリル、帰っていいよ」
「…………ディオン?」
「いくら幼馴染だからって、こういう迷惑は掛けられないよ。ぶっちゃけ死ぬ訳でもないし?」

 おそらく男娼となった俺はもう貴族には戻れないだろうし、結婚もできないだろう。それなら最低限生活できるここで暮らすのもいいかもしれない。
 いくら俺でも、さすがに金銭的負担を幼馴染に掛けるのは気が引けた。

「…………そうだよね。別にディオンは死ぬ訳じゃないもんね」
「そうそう」

 知らない人間に抱かれるだけ。死ぬ可能性はない。
 今まで巻き込まれたトラブルの数々を考えれば、意外と悪くない。元から開いてる穴にちんこを突っ込まれるだけで、腹にナイフを刺されるより断然マシだ。
 しかし、心配かけまいと笑った俺に対し、シリルの顔からは表情が消える。その視線の鋭さだけで、人が殺せそうな程だ。
 こんな冷たい顔のシリルなんて、見たことない。
 俺がたじろいでいると、シリルは店員の男に声を掛ける。

「……それで、いくらなの?」
「申し訳ございませんが、此方のお値段につきましては……」
「そうじゃなくて、この店、いくら?」

 吹雪みたいに冷たい声でシリルは店員へと尋ねる。店員はしばらく固まっていたが、慌てて深く頭を下げた。

「……お待ちくださいませ。確認してまいります」
「面倒だから僕が直接行くよ」

 シリルは店員に連れられ、店の奥に消えていく。周囲は微妙にざわついていた。
 この店の値段を訊くということは、店ごと買うつもりなのだろうか。
 男娼専門で貴族令息の身売り先になるような娼館だ。どう考えても安くはないし、そもそもシリルが欲しがるような店でもない。

「……ええー……?」

 普通に考えたら店ごと俺を買い上げようとしてる感じなんだろうが、シリルにそんなことをするメリットがない。
 おそらく、シリルにとってこの状況が不快でとりあえず解決するために一番手っ取り早い方法を取ろうとしているんだとは思う。だがそれにしたって短絡的過ぎる。

 まずはシリルを落ち着けないと。
 俺もシリルが入っていった部屋のドアに入ろうとしたが当然のように止められた。仕方なく、ドアの前で待つことにした。
 俺がドアを見始めてから数分後、ようやくドアが開いた。シリルはやけににこやかな笑みを浮かべている。

「シリル、思い直した方が……」
「ディオン、帰ろう!」

 なだめようとした声は、あっさりとシリル本人に掻き消される。

「ほら、もうサインしたからね。ディオンは僕のものだよ」

 そう言ってシリルが差し出したのは、俺の所有権の譲渡に関する契約書だった。すでにオーナーとシリルのサインが入っており、明らかに法的に有効と思われる。

「本当はお店ごと買おうと思ったんだけど、さすがに運営許可証とか色々手続きがあって時間が掛かるみたいだったから、ディオンだけにしたんだ」
「……えーと?」
「今すぐ僕の家に帰ろうね」

 シリルは未だに状況を飲み込めない俺の手を引くと、そのまま店の外へと出る。
 まだ夜の入口だというのに近隣の店に灯った明かりで随分と明るい。それなのに至る所から不健全な気配が漂っている。
 僅かにでも周囲に視線を向ければ、客引きの不躾な目がこちらに向く。明らかに値踏みされている。

「ディオン、よそ見しないで」
「……あ、ごめん」

 急にシリルの手に力が入る。周囲の気配に気圧されて、いつの間にか歩くのが遅くなっていたらしい。
 俺は大人しくシリルの後ろについて行く。

「あら、お熱いのね」
「羨ましいこと」

 くすくすと笑う声の方を見れば、おそらくは娼婦だろう女性が立っていた。
 確かに、傍から見れば店から買い取った貴族と買い取られた男娼だろう。
 何とも居たたまれなくなって顔を地面に向ける。
 そのまましばらく歩けば、コーディナル侯爵家の紋章が入った馬車があった。そして俺が何か言う前に馬車へと押し込まれる。

「家に着いたら着替えとか用意させるから、もうちょっと待ってね」
「……なんか、本当にごめん。こんな迷惑掛けるつもりじゃなかったんだけど……」
「なんでディオンが謝るの? これは僕がしたいからしてるだけだよ」

 俯いた顔を少しあげれば、にこりと微笑むシリルの姿があった。
 こんな優しいやつが婚約者だったなら。ありもしない未来を考えて、胸が苦しくなる。まるで恋でもしているかのような――。
 …………? いや、これはなんか違うな……?
 不自然に心臓が早く脈打っている。体温も上がっているのか、何だか暑い。不思議と頭が回らない。

「……シリル。なんか……変な感じする」
「え? 大丈夫?」

 シリルの手が頬に触れる。それだけの刺激なのに何故か気持ち良くて、こちらからも頬を擦り寄せる。
 ごくりとシリルが喉を鳴らす音が聞こえた。

「……誘ってる、……ってことはないよね。だってディオンだもんね。ということは、何か飲まされたりした?」
「……? 果実水ぐらいしか飲んでない……」
「……果実水? ……それ、多分果実水じゃないね。お酒か、それとも……」

 シリルは困った顔でため息をつきながら、俺から視線を逸らすようにそっぽを向く。赤くなった耳がよく見える。

「どういうことかわかんないけど、もう触んないの?」

 もう一度頬を撫でられたい気持ちが抑えきれず、シリルの手を指でなぞる。
 自分よりふた回りは大きい。ふしくれだった指も太くてかっこいい。
 もっと、この手で触られたい。

「ディオン!?」

 衝動的にシリルの右の手首を掴んで、自分の頬へと運ぶ。
 自分の手とはまるで違うその触り心地。触れたところから溶けてしまいそうな体温の高まりを感じる。

「……もっと」

 頬を撫でていたシリルの指先が美味しそうに見えて、整えられた爪の先端に舌を這わせる。
 すると口の中にシリルの指が入ってきた。指は舌の表面を何度もなぞる。それから口の中を確認するように上顎や頬の内側を嬲られた。

「……ディオンは、こういうの嫌じゃない?」

 シリルの指はいつの間にか2本に増やされていた。指で舌を挟むように弄られているせいか、上手く声が出ない。
 仕方なく、こくりと頷く。

「……嫌じゃないなら、もっとしてもいいよね? だって、ディオンは僕が貰ったんだもんね」

 俺が答えるよりも先に、唇を塞がれた。
 端正な顔が目の前にある。その瞳は獲物を狙う鷹みたいに獰猛だった。

「……っ、ふ……」
「キスする時は鼻で息するんだよ」

 そう言われても、俺の意識はほとんど口付けられたシリルの唇に向いていた。いや、正確には差し込まれた舌に、だ。
 指よりも柔らかいのに、縦横無尽に俺の口の中を動き回る。何度も舌を絡め取られ、シリルの口の中へと誘い込まれた。
 息苦しくて離れようにも、いつの間にか顎を掴まれ身動きができない。

「ほら、ディオン。頑張って」

 わずかに唇を離されたタイミングで、必死に息を吸う。だが満足するより前にまたシリルの唇が襲ってきた。
 キスしてるだけなのに、シリルに溺れて死にそう。
 なんだか怖くなってきて、軽くシリルの胸元を叩く。

「どうしたの? ディオン。苦しかった? ……あぁ、ごめんね。こっちも触らないとね」

 俺の目を覗き込んでいたシリルの視線が、下へとずれる。つられるように俺もそちらを見れば、シリルの手が俺の下腹部を撫でようとしてるところだった。

「……ひ、ぁ……っ」
「キスだけでこんなに感じてくれるなんて嬉しいよ、ディオン」

 自分でも気づかないうちに勃起していたそれを、シリルは服の上から包むようにして擦り上げる。
 娼館で着せられた衣装はやけに薄いせいで、その手の温もりがはっきりと伝わってきて、やたらと生々しく感じる。

「んん、…………っ」
「そろそろイキそう? それとももっと気持ちよくする?」

 ぞわりとするぐらい低い声が耳元から聞こえる。
 声を振り払おうと首を横に振るが、今度はくすくすという笑い声が聞こえてきた。

「ディオンは本当に可愛いね」
「……かわいく、ない……っ」

 何度も撫でられた俺のムスコは、もう我慢の限界である。だがこんなとこでイくのは恥ずかしい。
 っていうか、なんでこんなことになってるんだっけ……?

「それ、やめ……っ」
「やめないよ。だって僕が楽しいから」

 シリルの手を押しのけようとするが、シリルの力の方が強く、びくともしない。
 いつの間にか服の中まで手が入ってきていた。先端を直接扱かれると、くちゅくちゅと濡れた音が聞こえてくる。

「ほら、我慢しなくていいよ。イくとこ見せて?」

 さすがにそれは恥ずかしすぎて無理。
 必死に首を横に振って嫌がる素振りを見せるが、シリルの手は止まらない。
 ガタン、と馬車が揺れる。

「…………あ……っ」

 揺れで驚いたせいか、堪えていたはずの精液を吐き出してしまった。
 心地よい開放感と疲労感。
 シリルを見ればうっとりとした目で自身の手のひらを見ていた。いや、見ているのは俺の精液かもしれない。

「何か、拭くもの……」
「別に大丈夫だよ」

 シリルはにこりと微笑む。そして視線を俺から逸らさないまま、ぺろりと白濁した液体を舐めた。

「ディオンのってこんな味なんだね」
「…………え? なんで舐めたの?」
「次は直接飲んでみたいけど、とりあえずお預けかな? 続きは部屋に行ってからにしようね」

 気が付けば馬車は止まっていた。窓の外を見ればシリルの住む侯爵家の屋敷がある。
 シリルは力の入らない俺の身体を簡単に抱き上げると、そのまま屋敷の中へと入っていく。そして真っ直ぐ辿り着いたのはシリルの寝室だ。
 シリルはベッドの上に俺を下ろすと、部屋の明かりを点けて回った。まるで昼間みたいな明るさになる。ここまで明るくする必要はあるのだろうかと疑問に思うほどだ。

「もう、寝るんじゃないの……?」
「今夜は寝かすつもりないけど?」

 事情聴取的なやつでもするのかなと頭を捻っていると、シリルがのしかかってきた。油断していた俺はあっさりとベッドに押し倒される。

「シ、シリル……?」
「ほら、ディオンのここも物足りないって言ってるよ」

 シリルの指先が、迷いなく俺のムスコを撫でている。それだけの刺激であっさりと勃起した。
 シリルは戸惑う俺を見てにこりと笑うと、再び口付けてきた。
 防ぐ間もなく舌が入り込んでくる。上顎を容赦なくなぞられ、自然と唾液が溢れていく。

「キスももっと教えてあげたいけど、今日は先にこっちだね」
「…………ん、ぁ……っ」

 勃起したムスコを掴まれ、思わず声が出た。
 下を見れば、先端からは先走りが垂れて衣装を濡らしていた。そのせいで、形が丸わかりになっている。

「ディオンはどこもかしこも全部可愛いけど、ここもこんなに可愛いんだね」
「……かわいく、ない……っ」
「そうかなぁ? ほら、こうしてあげるとすぐにビクビクするよ?」

 指の輪で何度も竿の部分を扱かれる。先走りのせいでぐちぐちと濡れた音が聞こえてくる。
 正直、かなり気持ちいい。

「まって……、もう、出る……っ」
「何度でもイっていいよ? 僕もたくさん見たいし」

 にこやかなシリルの顔とはうらはらに、シリルの指先は俺のムスコを責め立てていた。雁首が特に弱いことにも気が付いてるようで、執拗に擦られている。

「ぁ、も、……いく……っ」

 本日2回目だと言うのに、吐精した量がかなりある。そのせいで、シリルの手のひらは白濁した液でぐちゃぐちゃだ。

「いっぱい出せたね。可愛い」

 シリルはよしよしと呟きながら、手のひらの精液を擦り付けるように俺の亀頭を撫で回す。
 ただでさえイった直後で敏感なのに、その光景すらいやらしすぎてすぐにムスコが起き上がってくる。
 ……明らかになんかおかしい。

「……なんか、今日ヤバいんだけど……」
「何が?」
「……いつも、こんなに興奮しない……っ」

 健全な男子ではあるが、自慰の頻度は高くない自覚がある。クラスメイトが今日何発抜いたかで盛り上がってる時、大体最下位になるのだ。
 続けて3回など、今までの記録にない。

「ふーん? じゃあディオンはこれからいっぱいえっちになる余地があるってことだね」
「……え?」
「今まで知らなかった分、たくさん
教えてあげる」

 別にいらないです。
 そう答えるより先に、シリルは俺のムスコを咥えていた。ぬるりとした舌の感触に、思わず全身が跳ねる。
 気持ちいいとしか言えない。悲鳴を上げたいのに、変な声しか出ない。

「……やぁ……っ」
「いや? こんなに気持ちいいって反応してるのに?」

 鈴口の隙間に舌を差し込まれ、自分の意思とは無関係に身体が震える。下腹部にじんじんと疼くような快感がわいてくる。
 だがそんなことよりも、目の前の光景が信じられない。
 俺の脚の間でシルバーブロンドの髪が揺れている。形のいい唇が、俺のムスコを根元から咥えている。

「……こんなの、頭おかしくなる……っ」

 心からの叫びが、ようやく言葉になった。
 けれどもシリルがそこから離れる様子はなく、むしろくすくすという笑い声が新しい刺激になってムスコから伝わってくる。

「本当に、ディオンは可愛いね」

 イきそうになる瞬間、強くムスコの根元を握られる。そのせいで、射精できなかった。
 ぐるぐると熱が体内を巡る。

「……なんで?」
「もう1回イかせてもいいんだけど、折角だから我慢してる顔も見たくて」

 シリルは俺のムスコの根元を指で締め付けたまま、竿やら亀頭やらに舌を這わせる。その度に先端から透明な先走りが零れるが、すぐにシリルが舐めとってしまった。

「ディオンのここ、ずっとえっちな味がするね」
「……知ら、ない…………っ」

 イきたいのに、イけない。
 だけども、イかせてほしいと懇願するのも恥ずかしくて、俺は緩く腰を揺らす。
 シリルはたったそれだけの動きで俺の望みに気付いてくれたのか、俺のムスコを深く咥え直すと、締め付けていた指を緩めてくれた。

「…………イ、く……っ」

 1秒の我慢もできず、堰き止められていた精液が弾け出た。強過ぎる射精の快感に、自然と息が詰まる。

「……いっぱい出てるけど、さっきより薄いかな?」
「……味の感想とか、いらない」

 シリルは俺の目の前までわざわざ顔を近づけると、そこでごくりと喉を鳴らして飲み下す。
 喉仏の動きすら、いやらしく見えた。

「でも、気持ちよかったよね?」

 その問いに答えるのが恥ずかしくて、俺は顔を背ける。
 シリルはしばらく返事を待っていたみたいだったが、途中で諦めたのか、首筋に吸い付いてきた。

「……な、に」
「ごめんね。首筋まで真っ赤にしてるディオンが可愛くて」

 シリルはやたら機嫌良さそうに、何度も首筋に口付けてきた。
 くすぐったくもあり、どこか心地よくもある。
 抱きついてきたシリルに大人しく身を委ねると、強く抱きしめられた。

「そろそろ本番に入ろっか」
「……本番?」
「ディオンのここ、いっぱい気持ちよくするね」

 シリルの手が尻に伸びてくる。後ろの穴に、指先が入ってきた。

「…………え?」
「何でそんな予想もしてなかったって顔するの? 男同士でセックスするんだから当然でしょ」
「……え、待って? セックスするの!?」

 確かにえっちなことしてたけど。
 シリルが更に続きをするなんて思っていなかったので、完全に混乱している。
 よく考えたらえっちなことしてること自体がおかしいけど。

「ディオンはわかってないかもしれないけど、ディオンが売られてた娼館ってこういうことする所だよ?」
「いやまぁそれはわかってるけどさ……」
「絶対わかってないでしょ」

 シリルはじっとりとした視線を俺に向ける。
 俺だって多少の知識ぐらいはある。尻の穴に男のイチモツを突っ込むのだと知っている。

「そういうシリルだって知らないだろ? 娼館行かないって言ってたし」
「知ってるよ。精通始まる前からディオンのことぐちゃぐちゃに犯す妄想してるんだから」
「やっぱり妄想じゃ……、ん?」

 なんか今、すごいこと言われた気がする。

「今日はね、ディオンのナカをガンガンに突いてよがらせて、僕とのセックス以外で満足できないようにするつもりだよ」
「…………今の、俺の聞き間違いとかにならない?」
「もっとエグい言い方が好みならそうするけど?」

 俺を見つめるシリルの目も発言も、だいぶヤバい。
 でもそれよりも、そんなシリルを怖いと思わない自分もおかしくなってる気がする。
 ほんの少しだけシリルから離れてみたけど、腰を掴まれすぐに抱き寄せられる。

「ディオンは、どうしたい?」
「…………優しく、がいいです……」

 極上の笑みに、反旗を翻す気は起きず。かといって全肯定もできず。
 思いっきり言葉を濁してみたがシリルはそれで納得したようで、俺の服を脱がせにかかる。そして止まることなく、俺の秘部へと指を伸ばしてきた。
 先程よりも深いところまで、指先が入ってくる。

「どう? 痛くない?」
「……痛くはないけど……。違和感はある」
「ふーん? じゃあこういうのは?」

 シリルが指先を折り曲げる。その瞬間、自然と身体が跳ねる。じんじんとした疼きが下腹に広がる。

「……え? 今の、何……?」
「今のとこがディオンの気持ちいいところみたいだね。それじゃあいっぱい可愛がってあげるね」

 何度も同じところを擦られる。快感のスイッチになってるかのように、触れられる度にびくびくと身体が震えた。
 やめてほしいと首を横に振っても、シリルは一切手を止めずずっと同じところを弄ってくる。

「……それ、もう……!」

 俺のムスコはあっさりと限界に達していた。射精を我慢するつもりが、勢いなく先端から精液が零れていく。

「ふふ、可愛いね。これだけでもう気持ちよくなっちゃうんだ」

 シリルは俺の中を弄る手を止めることなく、じっと俺の様子を眺めている。
 イったばかりで辛いはずなのだが、それよりも腹の奥がもっと気持ちいいのがほしいと訴えかけてくる。

「…………シリルぅ」
「どうしたの? 我慢できなくなっちゃった?」

 何の我慢なのかは、さっぱりとわからない。だけども、その問いに頷けばシリルなら何とかしてくれる。
 その一心で、俺は首を縦に振った。

「ディオンは本当に可愛いね」

 指が引き抜かれ、額にシリルの唇が触れる。そして、熱い塊が腹の奥まで深く差し込まれた。

「あぁっ!」
「……やっぱり、ちょっとキツいね。もうちょっと慣らしてあげられたら良かったんだけど」

 強い圧迫感で息の仕方がわからなくなった俺に、シリルは何度も口付けてくる。そのせいで余計に苦しいのに、腹の中は言うことを聞かずに、シリルの屹立をぎゅうぎゅうと締め続ける。

「……これはこれで気持ちいいんだけど、動けなくてちょっと困るかな。ねぇディオン、深呼吸できる?」

 シリルの言葉に、深く息を吸おうとする。それと同時に腹筋が動き、俺の意思とは関係なく腹の中に入り込んだものをより深く咥えこもうとする。腹の中がずっと疼いている。
 自然と涙が零れてきて、どうしたらいいのかわからずシリルの顔を見上げる。

「……なるほどね。うん。可愛いんだけど、凶悪過ぎるね」

 シリルは困ったように眉を下げる。
 なんか、えっちしてること自体が間違ってる?
 不意に湧いてきた不安に、胸の奥が苦しくなる。涙がぽろぽろと零れて、一向に止まらない。

「あ、ごめんね。ディオンのこと不安にさせちゃったね。そういう意味じゃないよ。ちゃんとディオンの中、気持ちいいから」

 シリルは俺の頬やら首筋やらに何度も口付けてきた。
 慰めだとはわかるものの、少しだけ気分が落ち着いてくる。
 じっとシリルのすることを眺めていれば、不意に視線が絡み合った。

「……優しくしてほしいって言われたから本当は優しくしたいんだけど。ごめんね、ちょっと無理そう」

 シリルは俺の腰を掴むと、ずるりとその屹立を引き抜き、そしてまた深くまで入り込んできた。重い衝撃と同時に、言葉にならない快感が走る。
 思わず身を捩って逃げようとするも、腰を掴まれたままではどこにも逃げられない。
 そしてそのまま何度も奥を穿たれる。じゅぷじゅぷと聞いたことのない水音も聞こえてくる。

「ディオンの中、すごく気持ちいいよ。ずっと僕に絡みついて、欲しい欲しいって言ってるみたい」
「んんっ」

 否定しようにも、喉からは変な喘ぎ声しか出ない。
 腹の中を執拗に擦られて、蕩けそうなぐらい熱くて苦しい。でもそれ以上に、痺れるような快感がずっと続いてる。

「……あっ、……やぁ……っ」
「ディオン、本当に可愛いね。初めてなのに、いっぱい気持ちよくなってるね」
「……ひぁ………っ」

 内壁を抉るような腰の動きに、俺のムスコから精液が零れた。
 イキそうとか、そんな前兆なかったのに。
 その後も奥を突かれる度に、先端からだらだらと液体が溢れ出る。俺の下半身はぐちゃぐちゃだ。

「……すごい。ディオン、ずっとイッてるね。すごく、えっちだ……」
「……うぅ……あぁ……っ、あっ」

 シリルの言葉を恥ずかしいと思うのに、もう気持ちがいいことしかわからなくなって、自然と腰が揺れる。弱いところにシリルの屹立がゴリゴリとぶつかって、また喘ぎ声が出る。

「……僕ももう限界だから。中、出していいよね?」

 喘ぎ過ぎてもう声が出なくて、俺はただ反射的に頷いた。
 それと同時に腹の中が熱くなる。奥に注ぎ込むように、シリルの腰が僅かに揺れる。
 荒い呼吸のあと、シリルは再び俺に口付けてきた。

「ディオン、本当に可愛いね。すごく気持ちよかったよ。ありがとう」

 セックスってこんなにすごいんだ。
 そう思いながら疲れ果てた俺は、汗で湿ったシーツに身体を預けていた。
 シリルの顔を見れば、キラキラと光るような汗をかいている。拭ってやりたくても、腕を動かすのも辛いぐらい疲れていたので、そのまま見とれておくことにした。
 シリルはしばらくの間俺の唇を貪ってきてのだが、急に動き始めた。またぐちゅぐちゅという音が下半身の方から響いてくる。

「…………え?」
「普通、1回で終わるわけないよね?」
「…………ま……っ」
「待たないよ。だってさっきお休みしてあげたんだから」
「あぁ……っ」

 先程よりも滑らかに、奥まで屹立が入りこむ。精液で濡れた隘路に、勢いよく穿たれる屹立を拒む力はない。

「朝までたくさん可愛がってあげるからね」
「やぁ……っ」
「ふふ、文句は明日になったらね」

 その後の俺はシリルの有言実行に付き合わされ、本当に朝になるまで解放されなかった。



+++



「……夢、じゃないよなぁ……」

 鳥も鳴きやんだ翌昼、俺はようやく目を覚ました。
 全身、特に腰のあたりが鈍く痛い。セックスって気持ちいいだけじゃないんだ、と思い知らされている。
 辺りを見回してもシリルの姿はない。

「……みず」

 喉が乾いて、声が掠れている。
 重い身体を無理やり起こして、ベッドから降りようとする。だが、腰が抜けて立てない。ベッドに戻ることさえできず、床にへたり込むしかなかった。

「……わぁ」

 よくよく自分の姿を見てみれば、昨日着せられた衣装に染み込んだ体液が乾いてカピカピになっている。その上太ももや胸の辺りに赤い跡もたくさん付けられていた。
 その上、尻の方から何かが垂れたような感触もあった。そちらは確認するのも気まずいのでとりあえず無視をしておく。

「ディオン、どうしたの? ベッドから落ちちゃった?」

 床で途方に暮れていると、水差しを持ったシリルがやってきた。すでに着替えを済ませたようで、着心地の良さそうなシャツとトラウザーズがよく似合ってる。

「ちょっと立てなくて……」
「まぁ激しくし過ぎちゃったもんね」

 シリルはサイドテーブルに水差しを置くと、俺を抱きかかえてベッドの上に戻してくれた。ただし、何故か俺から離れようとしない。
 水差しに手を伸ばそうとしても、シリルの身体が邪魔で届かない。

「水取ってほしいんだけど」
「お水欲しいの?」

 シリルは水差しからコップに水を注ぐと、俺の目の前で飲んだ。

「え?」
「ん」

 シリルは驚く俺の顎を掴むと、そのまま水を口移ししてきた。
 コップでいいだろ、という文句を言う隙間もなく、無理やり水を流し込まれる。物理的にキスで溺れそうだ。
 なんとか水を喉の奥に飲み込んでシリルを睨みつければ、当の本人はにこにことした笑顔を浮かべている。

「水は足りた? もっと飲む?」
「……頼むからコップでくれ」

 シリルに要求をつきつけると、残念そうな顔で水を注いだコップを渡してくれた。とりあえず一気飲みをして、喉を潤す。
 それからゆっくりと今の状況について考えてみた。
 一番の疑問は、何故シリルは俺を抱いてくれたのか、だ。
 しかしこの問題は解決したところで、何かが変わる訳ではない。俺の気持ちが納得するかどうかだけだ。
 それならばもう少し先を見据えた方がいいだろう。
 おそらくもう実家には戻れないし、戻りたくもない。買い取られたので娼館にも戻れない。かといってシリルの家にお世話になるのも迷惑だろう。
 男爵令息だった頃でさえ、身分差があったのだ。今の身分では一緒にいることさえ難しい。
 自立を最優先にするべきだろう。

「とりあえず就職先探したいんだけど、なんかおすすめとかある……?」
「……他にもっと訊いてほしいことあるんだけど。まぁおすすめのところならあるよ」
「本当か? できれば紹介してほしいんだけど」

 シリルが紹介してくれる仕事なら、問題はないはず。
 俺が思わずシリルの手を握ると、シリルはにこりと微笑んだ。

「それじゃあディオン、僕のお嫁さんになってくれる?」
「ちょっと待って」

 俺が困惑している間にも、シリルはナイトテーブルの引き出しからいそいそと婚姻契約書を取り出した。俺のサイン以外は全部記入済みだ。

「はい。ここにサイン書いて」
「いやいやいや」

 シリルは俺の手にペンを握らせようとしてくる。めちゃめちゃ力強い。

「っていうか。普通に考えて結婚できないだろ! 絶対許可降りないって!」

 国ではまだ同性婚が認められていないし、貴族籍を抜けた俺が侯爵家当主と結婚できるわけがない。
 だが当の本人はけろりとした顔だ。

「法律なんてどうにでもなるよ?」
「いや、ならないだろ」

 必死になってペンを押し返すが、シリルの力が非常に凄まじく、すでに頭文字を無理やり書かされている。
 いや、書かされているっていうか俺の手ごとシリルが書いている。

「もう、強情だなぁ」
「そういう問題じゃないだろ。っていうか結婚ってなんだ。同情とか責任取るとかっていう理由なら俺は別に気にしてないから」

 娼館から買い取ってもらって嫌な奴とセックスしなくて済んだだけでも御の字だった。その代わりとして俺の貞操はシリルに貰われていったが、大したことではない。
 それよりも、ただでさえ金銭的な負担を掛けているのにこれ以上お世話になる訳にはいかない。
 だが、シリルの顔を見れば不満げに頬を膨らませている。

「そんなに僕のお嫁さんになるの嫌?」
「……嫌とかじゃなくて。なんていうか、悪いだろ」

 シリルは公爵家当主で、イケメンで、優しいのだ。花嫁を募集したらそれこそ国中からこぞって押し寄せてくるだろう。
 それなのに取り柄もない訳あり元貴族なんかを娶らせるなんて罰当たりにも程がある。
 俺の本気の遠慮を感じ取ってくれたのか、一瞬だけ沈黙が走る。だがすぐにシリルは口を開いた。

「僕はね、ディオンがいいんだよ。ディオンと結婚したい」

 先程までの賑やかな空気は消え、真摯な青い瞳がこちらを向いていた。

「ずっと前からディオンのことが好きだよ。多分、ディオンは気付いてないと思うけど」

 少しだけ呆れているような、それでも甘やかすような声。
 思い返せば、俺を助けに来てくれたシリルはいつもこんな声をしていた。
 面倒見が良くて優しい幼馴染だからだとずっと思っていたのに。それだけが理由ではなかった。
 その想いを言葉にされて、俺の中にふわふわとした感情が湧き上がってくる。

「だからちょっと婚姻契約書出してくるね!」
「…………え?」

 いつの間にかサインが書き上がっていて、シリルは嬉しそうに婚姻契約書にキスをした。そして止める間もなくシリルは走り去ってしまった。
 今、告白の返事をしなきゃいけない空気だったと思ったんだが、違ったようだ。
 急に自覚した行き場のない想いが、頭の中をぐるぐる回っている。だが伝えるべき相手はこの場にいない。
 どうするべきか。

「…………寝るか」

 全身筋肉痛の俺には、シリルを追いかけるほどの体力はない。
 湧き上がりかけた感情を一旦しまって、夢の世界に逃避行することにした。



+++



「……名門ヴェントリー侯爵家凋落、と。ついでにうちの実家も潰れてるし」

 朝食のトーストをかじりながら、新聞を読む。
 複数の貴族家が降爵やら領地没収となっているせいで、ニュース欄がぎちぎちになっている。弱小男爵家であるうちの実家なんか紙面が足りなくて領地没収の上取り潰しとか書かれていない。
 それにしてもヴェントリー侯爵家にエルモンド男爵など、聞き覚えのある家門がいくつも没落したようだ。元婚約者であるエルモンド男爵家なんかは罪状がずらりと並べられていて実家よりも念入りに取り潰されている。死罪こそないものの生きてくのも大変だろうなという感じだ。なんか婚約破棄騒動の関係で問題でもあったのかなと思う。

 しかし、それとは関係なく没落している家門も多い。家財没収のほか男手に重労働も課せられているので、復興は難しそうだ。
 敵対派閥への粛清が一斉に行われたのだろうか。そう考えるぐらいには極端な情勢である。
 他の面にも、グランシャリオ学園の職員不祥事による集団辞職やら違法人身売買の娼館摘発やら話題が尽きないくらい沢山のニュースが載っていた。どれも聞き覚えのある名前ばかりだったので、もしかしたら俺が貧乏神で関わった人を全員不幸にしてしまったのだろうかと、一瞬だけ悩んだ。でも、多分偶然だと思う。
 内容に目を通すのに疲れた俺は、新聞を置いてコーヒーに口をつける。程よい苦味に心が落ち着く。

「……それにしてもシリル、何やってんだろ」

 シリルが婚姻契約書を持って出掛けてから、既に3日が経っていた。王都に婚姻申請をしに行ったとしたとしてももうとっくに戻ってきててもいい頃である。

 正直なところ、シリルとセックスしたのも婚姻契約書にサインさせられたのも、夢か本当か怪しくなっていた。
 最初は本気でも後から熱が冷めることなんていくらでもある。もしかしたら途中で目が覚めたかもしれない。
 そもそも勢いだけだったかも。
 何せ、俺の返事も聞かなかったのだから。

「……いい加減、仕事でも探そうかな」

 シリルは使用人に俺のお世話を頼んでいてくれたようで、毎日至れり尽くせりの生活だ。だが主人のいない家で過ごすのは居心地が悪い。
 畑の草むしりでも荷物運びでも探せば俺にもできる仕事はあるだろう。お世話になった礼にしては些細かもしれないが、少しでも返しておきたい。
 トーストの最後の一欠片を飲み込んでおもむろに立ち上がろうとした時、勢いよくシリルが飛び込んできた。

「ディオン! 会いたかった!!」
「えーっと、おかえり?」
「うん、ただいま。キスしよう?」

 避ける暇もなく、シリルにキスされた。舌こそ入れてこないが、何回も何回も唇を舐められる。それをなんとなく受け入れてると、シリルの手が服の下に伸びてきたので、一旦追い出した。
 シリルは少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに満面の笑みに戻った。

「これ、お土産だよ」

 シリルは懐から1枚の紙を取り出した。俺とシリルの名前の上に、結婚許可証と書いてある。婚姻契約書が受理されないと発行されない書類だ。

「え? 結婚の許可おりたのか?」
「うん。ちょっとお願いしたら大丈夫だったよ。ちゃんと法律も変えてきたし」
「……法律も変えてきたし?」
「ほら、新聞にも書いてあるよ」

 シリルは先程まで俺が読んでいた新聞を拾い上げると、とある記事を指さした。そこには婚姻法改正に伴い同性婚が認められたと書かれている。
 法改正って3日で出来ていいのか。
 でも実際に新聞に載っているのだから本当に変えてきたのだろう。
 いや、変えてきたって何だ。

「これでディオンは僕のお嫁さんだね」

 いつの間にか左手の薬指に指輪が嵌められていた。まじまじと見なくてもわかるぐらい繊細な細工がされた指輪は、抜けそうにないほどピッタリに見える。
 これも3日で用意できるようには見えないが、深く追求するのもなんとなく怖い。

「折角の新婚だったのに、3日も留守にしてごめんね。色々対応してたら遅くなっちゃった」
「いやまぁ、その辺は自覚ないからいいけど。っていうか、本当に結婚したのか……?」
「心配しなくても大丈夫だよ。国王様にも『シリル・コーディナル侯爵とディオン・セルディックの婚姻を認める。』って一筆もらってきたから」

 シリルが差し出した紙には国王陛下のみが用いる紋章の透かしが入っており、更には玉璽の印が押されている。
 紛うことなき、国王陛下の親書である。
 単純な貴族の結婚でこんな親書が発行されるわけがない。どうやって貰ってきたのか。
 しかしそんなことよりもつっこむところがある。

「これ、『結婚祝いとして旧セルディック男爵家の領地を贈る』って書いてあるんだが……?」
「あぁ、それ? 余ってるならちょうだいって言ったらくれたんだよ」

 余らないだろ。領地は。くれないだろ。普通。
 どうだと言わんばかりの満面の笑みを浮かべたシリルとは対照的に、俺の頭の中は疑問符だらけになっていたが、口にするのも恐れ多くて何も言えなかった。
 まあ少なくとも没落した実家の領民が穏やかに暮らせそうで良かったなとは思う。

「ディオン、一緒にお仕事頑張ろうね」
「うん、そうだな」

 増えたばかりの領地だ。人手はいくらあってもいいだろう。
 そのつもりで頷いたのだが、何故かシリルは俺の手を引っ張りながら寝室へと向かう。

「……何で寝室?」
「新婚のお仕事に励もうかと」

 どこからつっこもうか、と悩む。
 悩むが、基本的に無駄な気がしてきた。

「…………まだ朝だけど?」
「だって3日もご無沙汰なんだよ?」
「普通に俺、シリルとの結婚にまだ頷いてないんだけど」

 シリルの足がぴたりと止まる。
 顔を見れば、責めるように眉間に皺が寄っているが、どちらかというと泣きそうに見える。

「もう結婚したし」
「書類上な」
「外堀も全部埋めた」
「まぁそうらしいな。実感ないけど」

 シリルの言葉に反論してみれば、シリルは拗ねたように唇を尖らせて、強く抱き締めてきた。物理的に逃げられないようにしたいらしい。

「……ディオンの意地悪」
「別に意地悪じゃないだろ。シリルが、ちゃんと訊かないだけで」

 意地を張っているつもりはないが、俺にもプライドというものがある。
 そして、プロポーズにも手順があるのだ。
 俺の言葉を反芻するように、シリルは数度瞬きを繰り返す。
 そのわずかな間にちゃんと気付いたようで、花が咲くように微笑みを浮かべた。

「……ディオン、好きです。僕と結婚しよう」
「いいよ、シリルなら」

 シリルのいなかった3日間。
 考え事をするのも覚悟を決めるのにも、十分な時間だった。
 振り返ってみれば、ずっとシリルは俺の事を助けてくれていた。それこそ時間も手間もお金も惜しまずに。
 それに成り行きでセックスしてみたのも全然嫌じゃなかった。それこそ抱きたいと言われれば喜んで尻を差し出してもいいと思っている。
 自覚がないだけで、俺も十分シリルのことが好きだったのだ。身分差とか性別とか、その辺りを理由に勝手に諦めていただけで。
 だけども今回シリルは俺の言い訳を全部解消してくれた。
 ならば俺もちゃんと気持ちを伝えておくべきだ。

「俺もシリルのこと好きだよ」

 シリルの頬に軽く口付ければ、熱烈なキスが返ってきた。深く舌が差し込まれ、これ以上何も言うことができない。
 そのまま数分キスを続けたところで、シリルはもう我慢できないといった顔で俺の服を脱がそうとし始めた。まだ廊下の真ん中にいるのに。

「……さすがにそれは寝室まで我慢してくれよ」
「だって、ディオンが可愛いから……」

 シリルの手をはたけば、あっさりと俺の身体が宙に浮く。そのまま寝室のベッドまで運ばれた。

「ディオン、大好き。愛してる」
「……まぁ俺も」
「絶対に幸せにするから」
「……期待してる」

 なんだかんだ不幸な人生だったとは思うけど、一生分の幸運と引き換えにしてでもシリルと一緒にいられる方が嬉しい。
 だからこそ、一応確認しておこうと思う。

「ところで、王都で3日間何してたの?」
「……それは内緒、かな」

 蕩けそうな極上の笑みの向こう、深い闇が一瞬だけ見えた気がする。だが、シリルは俺にそれを見せるつもりはないようだ。
 多分知らない方がいいことなのだろうと納得して、大人しく身体を委ねることにした。



+++



「なぁシリル、最近巷で俺がなんて呼ばれてるか知ってる?」
「……何て呼ばれてるの?」

 俺が訊けば、シリルはにこりと笑った。
 わかっていて黙っているつもりのようだ。

「とばっちり令息だって。俺に何かすると、100倍になってとばっちりが返ってくるんだとか」
「それは悪いことした人が悪いよね」

 シリルは微笑んでいる。
 目も泳いでいないので、間違いなく開き直っている。

「そう呼ばれるのが嫌なら、どうにかしようか?」
「……別に気にしてないからいい」
「そっか。でも僕が嫌だから噂消しとくね」

 どうやらシリルは、俺が噂を聞くのを良しとしなかったようだ。
 でもこの感じだと俺の噂がさらに強固になるのではないかと思っていたのだが。

 数日後、流れてきた噂によると『シリル・コーディナル侯爵は幼馴染のお嫁さんを溺愛していてお嫁さんのためなら何でもする』らしい。
 ……困ったことに事実通りなので、まぁいいか。
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