虹の向こうへ

もりえつりんご

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第1章

二人の来訪者

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 時は少し遡る。
 二階に上がった芝蘭は、宝飾品をすべて片付け、最後の確認をしていた。
 広間の中央には祭壇があり、その周囲には等間隔に芝蘭の脚の長さほどの高さを持つ棚が並ぶ。その周囲には円形に模られた絨毯が敷かれ、長靴の足音を吸い取っていた。
 壁に掛けられた燭台の火が、芝蘭の影を二重三重に壁に映し出す。

「よし、全部あるな」

 一人呟いて、天窓を見上げる。
 あれだけ雪が降り続けているにも関わらず、空が見えていた。月読みを行うため、魔法がかけられているからだ。
 二階の広間へ入る扉とは反対側、部屋の奥の方にはまた一つ扉があり、ここから外壁に沿う階段を上ると天窓の向こうに出られる。晴れた日や季節の変わる頃はよく、そこで月読みが行われた。
 今はその窓すら、芝蘭には憎い。
 天窓からわずかに差し込む光が、真っ直ぐに中央の祭壇に降り注ぐ。
 そこに鎮座する、銀鎖の鈴。
 存在するだけで世界を動かすことのできる、空の神の宝具。人と違い、生命も魔法も何も持たないただの道具。飾り。それなのに、人々はそれに希望を見出すーーその宝具に最も振り回される人間の気も知らないで、嘘に呑み込まれている。

「馬鹿馬鹿しい」
「そうでもない」

 幾らかの嫉妬を含めてぼやいた言葉に、返す声があった。
 後方を振り返り、剣の柄に手をかける。遅れて声の主が誰かを理解し、芝蘭は己の醜態に舌打ちした。
 どうしてここに、とは聞けなかった。

「気を抜きすぎだ。感情に振り回されるようでは、まだ王族とは言えんな」
「私は貴方の息子であり、王族の自覚があります。国王陛下」

 姿勢を正し応じると、コツと音を立てて相手が近づいてくる。蝋燭の炎が揺らいで、一つ、消えた。
 現れたのは、紫亜だ。
 昼間と同じ格好で、無表情に影の中に立つ。

「ならば、王族の覚悟を示し、あの子を差し出せ」

 継承権を与える条件の一つを、彼は提示した。

「継承権が無くとも、私は王になると決めました」
「……二年の月日を賭けて、お前は何をした? 理解が遅いのなら尚のこと、お前に権利を与えるわけにはいかない」

 痛いところを突かれて、返す言葉が遅れる。

「国は民あってこそ成り立つものです。一人の犠牲で保つものではない」

 それは、目の前にいる本人から教わった言葉だ。
 この国が国らしく動き始めたのは、芝蘭が生まれる少し前の話だ。歴史は浅く、王都の力は近くに位置する五つの地区までにしか行き届いていない。
 残り四つの州との関係を保ちながら一つの国として人々や物を統治する術を、芝蘭は父やエドヴァルドから直接教わった。人々がどのように暮らし、生きているのか。どうして自分たちの生活が成り立っているのか。人が国を作ることの意味と、国が彼らに与えることで実現する安定とは何か。
 一を聞き、十を学ぶよう厳しく教育を受けてきた。たとえそれが自分には難しいことでも、芝蘭はこの国に住まう民を守る立場になりたいと思い、それを望んだ。
 だからこそ彼は、継承権という国王の信頼を得る重要性を、嫌という程理解していた。理解しているから、引くわけにはいかない。

「何事にも、犠牲はつきものだというだろうに」
「それこそ、私たち王族が犠牲となるべきです。国のためというのなら」
「……お前の師にあいつをつけるのではなかったな」

 息子の頑なな態度に、紫亜が溜息とともに呟く。芝蘭とて溜息を吐きたい気分だったが、父親と同じことをするのは心の底から遠慮したかった。
 物心ついた時から、芝蘭は父親が苦手だった。
 家族として扱われたことはほとんど無く、そのくせ父親として彼は芝蘭に多くを学ばせ、経験させた。周囲と自分との認識の違い、できることとできないこと、その他多くを学んだ。
 しかし、民や国のためという考え方以外、納得することができなかった。
 人を掌で動かし、思うままに操り、自分は安全なところで高みの見物をする。身近な人間一人にも心を遣らない。
 唯一愛した女性すら、自分のために利用する。

「無駄話は終りだ。取引をしよう」

 用事は終わった。何もこんなところで、大事な友人を寒い外に置きざりにしたまま、終わりのない会話を続ける意味はない。
 面会さえ求めれば、いつでも王城で会える。一歩、部屋の中心から外れる。

「遠慮します。話ならまた後日、……?」

 紫亜に近づいたところで、芝蘭は違和感を覚えた。
 立ち止まったところに、紫亜が畳み掛ける。

「お前がそう頑なに拒むのであれば、あれはお前の手元に置くとしよう。

 だが、基音としては、目覚めてもらう」

「なにを言って──ッ父上!」

 微かに聞こえた空を切る音に反応し、父親を引き寄せる。直ぐに、腰から鞘ごと剣を抜いた。
 ギンと鞘が鈍い音を立て、衝撃を腕に伝えた。

「何者だ!」
「喚くな。痴れ者が」

 錫杖で庇ったらしく、法衣は破れたが怪我はない。父親を背後に庇い、芝蘭は剣を構えた。
 振り返った隙を確実に狙ってきた刃を受け止め、押し切る。

「っと。ま、そう簡単には獲れねーよな」

 黒い外套で全身を隠した影が笑う。若い、青年の声だった。隙を誘う明るい声だが、芝蘭は乗らない。

「無礼者が。名乗れ」

 切っ先を影に向け、睨み付ける。いつも視線を向ける位置よりも下方に頭部があるのが分かり、一瞬だけ目を眇めた。

「今のテメーに名乗る名前なんかねーよ」

 構えた芝蘭に対し、影は一つ飛んで頭上でひらりと身を翻す。
 祭壇の上に降り立った足元で、銀の輝きが翳る。

「それがお前の狙いか」
「さあ、どうかね」

 決まった人間の手でしか鳴らない鈴だ。銀鎖の鈴は古くから伝わる鈴というだけで、銀としての価値も低ければ鈴としても使えない。
 そう思っているから、芝蘭は影が鈴に手を掛けても動じなかった。
 その油断が、全てを狂わせた。

「芝蘭!」

 突如割り込んだ少年の声に、清らかな鈴の音が重なる。
 時が、動いた。








 目の前の光景から、透火は状況を瞬時に理解した。

「芝蘭、下がっ、て、うお!」

 芝蘭の前に出ようと足を踏み出し、足元に転がっていた何かを思い切り踏む。足首がおかしな方向に曲がって、走っていた勢いを全て床にぶつけた。

「透火!」
「いった……なに?」

 硬い球状の何かを踏んだことまではわかったが、踏みつけた時に別方へ転がしてしまったらしく、原因の物は見当たらない。
 だが、今はそれよりも目の前の不審者が重要だ。苦い顔をした芝蘭の隣に並び、透火も剣を構えた。
 この部屋で魔法を使ってはならないことを知っているのは芝蘭と透火だけ。下手に魔法を使わせて、魔法具が暴走しては困る。
(どうする……外におびきだすしかないか)
 影は鈴を手に持ったまま、じっと透火を見下ろしているようだった。
 黒い外套と、雲が晴れたか天窓から差し込む月明かりが影を強めて顔が伺えない。広間を照らしていた燭台は火が消えていて、距離が分かりにくい。
 透火は芝蘭に目配せをしたが、彼は徐に足元の何かを拾い、影を見上げる。

「芝蘭?」
「どうして、お前がそれを鳴らせる」

 彼が問いかけたのは、目の前に立つ影だ。視線を戻すと影がもう一度鈴を振る。透火の知るどの音でもない不思議な音色が響く。
 鈴が、鳴った。

「見つけたぞ、基音」

 声が届くとともに、透火の剣が強い力で押された。
刃を寸でのところで止めたものの、足の踏ん張りが間に合わず後方に倒れる。脚で蹴りあげようとすると影は宙で回転して、透火の頭側に移動した。
(なんで!? 芝蘭しか鳴らせないんじゃ)
 影の動きに合わせて鈴が鳴る。それが逆に、影の動きを捕らえにくくした。

「透火!」
「芝蘭は逃げろってば!」
「それは俺の台詞だ!」

 起き上がり様に影に攻撃を仕掛けた透火に、芝蘭が加勢する。早い突きが、影の外套に刺さった。外套が破れて、影が距離を取る。
 祭壇を挟んで二人と一人が対峙した。

「いやいや、おかしいだろ! 逃げろってば!」

 透火には芝蘭が引かない理由が分からないし、この空間に守るべき対象がいること自体、非常に動きにくい。それは芝蘭も理解しているだろうに、彼は一向に引く様子を見せない。逆に透火を庇うように前に出てくるから、やりにくい。
 影が、破れた外套を脱ぎ捨てた。

「そりゃ引けねーよ。基音を守んねえと国が滅んじまうからな」

 月光を反射したのは、どこまでも暗い夜の色だ。
 長い黒髪と、整った、けれど透火たちとは異なる顔立ち。衣服は軍服と仕様が似ていて、腰には二つベルトが留めてある。剣の数だけ目視で確認して、透火は構えた。
 すかさず、二刀の短剣が飛んでくる。一つは切っ先で方向を変え、もう一つは確実に地面に払い落とした。影の方へ振り上げようと、一歩を踏み込む。

「そこまでにしていただきますわ」

 頭上から飛んできた重石に、透火の剣が弾かれた。
 短剣を素早く拾い、青年が広間の奥へ退く。最早、彼を隠すものは影以外何もなかった。
 虎のような低く太い咆哮が広間に響き、透火と芝蘭は耳を塞ぐ。何も飾らない祭壇の上に、大きな影とともに太い動物の足が落ちた。

「なに、」

 間近でそれを見上げた透火は、それ以上声に出せず固まった。
 首の長い、蜥蜴のような動物だった。腹部は大きく、翼は蝙蝠のそれと似ており、羽ばたくと風圧で後方に押される。

「鈴を鳴らしましたわね、基音」

 それを竜と呼ぶのなら、その上に立つ彼女は女神か天女と呼ぶべきだろう。
 月光に白く輝く、銀の真っ直ぐな髪。
 影になってもそれと分かる青色の瞳。後頭部の飾りは珍しくも魔石を彫って作られているようで、純白に金糸の刺繍が施された上着とスカートは、透火がこれまで見てきたことのないほどに簡素だ。足元の短靴は、町娘が履くような粗末な作りをしている。
 それなのに、まるで完成された絵画を見ている気分にさせられた。
 ただし、彼女が手に持っているのは鎖鎌で、先ほど透火の剣を弾いたのは彼女だと分かる。見た目に反して武道に長けているようだ。
 影に潜む青年と、身構える芝蘭と透火を見下ろして、彼女は宣う。

「この度、基音の監視の任に就くこととなりました。銀の守護者、ハーク・ジッバ・ラティですわ」
「プラチナ……」

 芝蘭と透火が警戒を解いたところで、ハークと名乗った少女は竜の背から跳び、祭壇の上を避けて軽やかに着地する。
 見ればみるほど、可憐な少女だ。
 透火と同い年くらいだろうか、弟の友人たちよりかは大人びていて、顔立ちはソニアよりも幼さを感じる。一挙手一投足に気品があり、どこか貴族然としているところに、透火は好ましさを覚えた。
 スカートの裾をつまんでお辞儀をし、彼女は二人と一人を見る。

「……それで、どなたが基音ですの?」

 全てが唐突な、始まりだった。


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