虹の向こうへ

もりえつりんご

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第3章

第1話 春に逝く平穏

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 麗春れいしゅんの儀と呼ばれる、心魔独自の儀式がある。
 王族と教会が共同主催で行う儀式の一つで、新たな季節の訪れを祝うそれは、新年から数えて五度目の晦月に行われる。
 聖光国は二季節性の大陸を領地としており、人々が感知する季節は春と冬の二つしかない。瞬きの合間に夏が去って、気付けば秋が足下を通り過ぎ、更に、一年の半分以上を冬と共に暮らす国だから、春の盛りは大陸の北に行くほど重視されやすい。そんな事情から、聖光国では季節を先取った者が成功しやすく、偏りが生じさせぬ様足並みを揃えるべくして儀式は設定されていた。その他、自然の脅威、特に厳冬に備えるための風花の儀、心魔の存続を願う凍花の儀、自然の恵みに感謝を示す豊穣の儀など、季節以外の理由から設定された儀式もある。
 明確な区切りは、流通する食物・衣類などの入れ替え、衣替えの目安にもなる。国中がその日を境に装いを変え、新たな季節とともに新たな時代へと踏み出していく。
 直井透火もまた、その一人に数えられる。
 望まぬ形で新しい環境へと身を投げ、数ヶ月。銀世界が春の陽射しに彩を得る様を、名残惜しくも見届けた彼を待ち構えていたのは、無慈悲な運命であった。
 月色の瞳に、若葉と蕾が瑞々しい碧を射していた。
 すれ違う軍人兵士の衣替えを見送り、背筋を伸ばして常より高い位置の視線を一点に固定する。あとひと月もすれば新緑に包まれるであろう、若芽ばかりの木々の向こうには蒼穹が顔を覗かせ、雪に埋もれていた低木が夜を知らぬ顔を並べる。
 燦々と降り注ぐ陽光を目一杯に浴び、枝葉を広げる新緑の逞しさは、冬の終わりに見せた誰かのように美しく、憎らしい。
(春が来ちゃったなあ)
 襲い来る眠気に負けぬよう、ふあと欠伸を噛み殺す。
 今代基音として種族代表となった透火は、『神の落とし子』とも称する金色の髪と目を持つ、第一王子を後見人とする少年だ。
 数ヶ月前まで、第一王子の従者をも務めた珍しい経歴を縦に利用し、恩人であり主人である第一王子に尽くしてきたが、むしろ今は、自身の足枷としてその過去を処理しつつある。それを成長の兆しと受け入れる者とそうではない者のいる中で、簡単に予測される周囲の反応を、透火は彼らしい堅実さでもって回避していた。本人が望まずとも、愛されることを当然とする風貌は直接的な関係の有無に関わらず、周囲の理想を刺激する。
 存在だけで話題に事欠かない彼は、冬の終わりに年を重ね、十七歳となっていた。
 基音の衣装は普段着としてすっかり身体に馴染み、少年らしさを抜けつつある長身痩躯を雅に飾る。慣れぬ振動で飾り紐が後れ毛共々楽しげに舞い、足取りの軽やかさが動きに出る。冬用の長靴は底の浅い春用に変わり、手綱を握る手こそ乗馬用手袋に包まれているが、それもまた、薄手の革へと変わっていた。柔らかな茶色が陽光に映え、見た目の朗らかさに色を添える。

「酔いそう」

 なだらかな道を歩き続けて、一刻。
 カポカポと呑気な音が響く中、とうとう、透火は馬上で音を上げた。

「酔っていないなら平気だな」
「うわあ、芝蘭しらんが屁理屈覚えちゃった。光河こうがに怒られそう」
「なんでだ」

 伸びてきた前髪を耳にかけ、前を歩く青年の後頭部に三白眼を送る。

「この間、紅茶のことで文句言われてさ」
「初耳だ。あいつの紅茶に文句をつけたことはないが」

(最後の一口を飲まずに返したくせに)
 気付いて欲しい要素を素通りされ、続けたい言葉を鼻息一つで堪える。
 九条光河とは、第一王子後任従者の少年の名だ。元従者の透火にとっては後輩にあたり、同年代と分かってはいるけれど二人の仲は宜しくない。
 しかし、勿論ながら、元従者と現役従者の歪み合いを主人は望まない。それを弁えた上で、透火と光河は数多の牽制と皮肉を正反対の表情でぶつけ合い、一勝一敗を重ねる中で好意的でも否定的でもない信頼関係を築いていた。
 透火が知らなかったように、光河とて分からないことはある。相談の形こそ取らないが、情報交換は巧みに行われており、故に、一種の愚痴も聞かされることが増えたというだけだ。そうはいっても、光河の愚痴を主人に告げてやる卑怯さを、透火は持ち合わせていない。
 せめて、胃痛の原因が一つでも減ればいいなと促しを試みたものの、青年にとっての一番が覆されない自信と覆せない苦さが増えただけで、藪蛇以外の何物にもならなかったわけである。らしくない優しさなど、振りかざすものではないなと反省した。

「それよりさあ、いつまで歩くの」

 颯爽と話を転じ、逃げを打った。

「第一王子に馭者の真似させるとか、不敬罪で俺を殺したい?」
「今のは聞かなかったことにしてやる」

 冗談のつもりもなく問いかければ、素早く青年が振り返り、肩を怒らせる。

「来週には出立なんだ。揺れに慣れるまでは続ける」
「はい慣れた慣れた。おしまい」
「あ、おい、こら」

 いの一番に覚えた降り方を見事に実践し、透火は先ほどより低い位置に目線を置いた。
 やはり、見上げる方が自分の性に合っている。自覚しながら、眉間に寄りかけた皺を伸ばす。
 微笑みの形に整えられた透火の顔を見て、芝蘭は渋い表情で訴えた。

「お前な……朝暉ちょうきもお前を気に入ったから乗せてくれたんだぞ」
「そこはちゃんとお礼言ったもんな。ありがとう」

 首を撫でて馬と顔を合わせる透火に二の句も告げなくなったか、今度は芝蘭が深く溜息を吐いた。

「こんなに聞き分けなく育てた覚えはないぞ……」

 芝蘭が額に指先を添えると、傾けた分前髪が揺れ、春陽を光の輪に変える艶やかな夜明け色が、さらりと流れた。
 わざとらしい仕草に合わせて閉ざされた瞼が、様子を見るようにゆっくりと持ち上がる。時に紫紺に変わる紺の瞳に愛想笑いの透火が映ると、整った鼻筋の下、薄い唇が次の言葉を探して開閉した。透火の忍び勝ちだ。
 聖光国第一王子にして第三王位継承者、青芝蘭。それが、この青年の素性である。
 透火よりもさらに上背の彼は、ともすれば強面にも見える顔立ちに似合わず、どこか頼りなく、臆病な一面を持ち合わせる。場面が違えば優しさや甘さにも変換されるものではあるので、揶揄いこそすれ、芝蘭のそういう面を咎めたことは一度もない。透火にする様に、彼にとって重要な人間には必要以上に世話を焼きたがるところがあり、そんな厄介なところもまた、芝蘭の良さだと透火は理解している。
 四つの時、透火は文字通り芝蘭に拾われた。弟と二人揃って城で育てられ、透火は六つの時から芝蘭と机を並べて学園にも通っている。芝蘭の嘆きは冗談でも揶揄いでもなく、純粋な彼の本心だ。
 基音という唯一無二の存在に成り代わっても、芝蘭の中で透火はまだ幼い子供のまま変わらない。必要な線引きはこちらから行っていかねば、この先変わることもないだろうと透火は学んでいた。

「芝蘭の馬だろ。ご主人様に乗ってもらう方が嬉しいだろうし、何より、今の俺の気持ちで乗るのはこの子に失礼だよ」
「お前がやる気になれば済む話だろう」

 正論の皮に我儘を隠して投げると、的確に中身を引きずり出される。反射で感じた苛立ちに透火は思わず、む、と唇をへの字に曲げた。

「少なくとも、芝蘭に手伝ってもらうのは嫌だ」
「何故。朝暉の白い毛並みはお前の金色とも馴染み易い。見ているだけで満足する」
「芝蘭はね」

 な、と訴えかける両手のうち傷痕のある左手を横目に、透火は努めて無表情に言葉を返した。何を間抜けな発言をしているんだ、と言わないだけ優しい方だ。
 冬の終わりに受けた、掌への傷。それは月読から向けられた殺意の証だが、何をどう思ったか、負傷して以来、芝蘭は開き直ったように王族らしくなっていた。断りをいれると、その月読と芝蘭に元々の繋がりはなく、王族らしくなるという言葉自体、意味を持たない表現だ。
 芝蘭は第一王子の地位に加え、立候補者から王位継承権取得者へと立場が変わり、指定王位継承権授与の影響によって他の貴族や労働者達との関係が変化していた。言語化することの少なかった自身の感情や好意を、行動で示すことが求められるようになってきたのである。そういった変化の兆しとしてあの怪我が受け入れられ、一層、芝蘭が芝蘭らしく王子として在ろうとするのなら、これ以上素晴らしいことはない。
 だが、それは一方で、皮肉に他ならない。
 芝蘭が自身の受けた傷を大事にするほど、彼の従者や騎士は自らの誇りを穢さずにはいられず、自戒にすることすら許されない。あからさまな主人の指摘と取る者も、周囲には居る。
 従者を止め、友達という対等な立場にもなりきらず、結局は元の家族という関係に収まりつつある透火にも同じことが言えた。
 芝蘭の血が流される日が来るなど、思いもしなかった。
 過信が導いた一瞬の隙を悔やまずにはいられず、それを芝蘭に気付かれたくない故に、口出しすることもままならない。

「次、そんなくだらないこと言ったら、口聞かないから」
「なんでだ。褒めたのに」
「本当に褒め言葉だと思ってるなら、やめた方がいいよ。俺には」

 本心から狼狽する芝蘭に毒気を抜かれて、腕を組んだまま肩を落とす。

「はい。乗って」

 手綱を渡し、恭しく馬上への道を譲る。わざとらしい仕草に諦めがついたか、芝蘭は渋々鞍に乗り上がった。
 朝暉は嬉しそうに嘶いて、透火を先導するように歩き出す。
 名前に恥じぬ美しい白の鬣を、芝蘭は心なし楽しそうに撫でる。その横顔を盗み見ながら、透火はやはり何度目かも分からない溜息を零さないではいられなかった。
『友達に、なりたいんだ』
 最初に、これまでの関係を崩そうとしたのは透火だ。それは認めるし、その関係を芝蘭に認めてもらえないからといって、発言を覆そうとは思わない。夜会で基音として求められたことに苛立ちや怒りのような感情を抱いたことも、間違いだとは思っていない。
 透火はいつだって、芝蘭から『透火』自身を必要とされることを望んできた。
『基音としてのお前じゃなく、透火自身の存在を、貸して欲しい』
 それ故に、彼から提示された交渉を、未だ根に持たずにはいられない。
 芝蘭個人の話ではなく、琉玖やリアナといった他の候補者にも影響の出る、延いては国全体の未来にも関わる話だ。
 彼らは、芝蘭を代表に、透火個人の存在を求めた。
 嬉しさと、戸惑いと、怒りと、最早言葉で言い表せられるのかも危うい様々な感情や意識が渦巻いて、結局、透火はその提案への回答を保留していた。ただし、緊急に迫られた時は対応するということは付け足して、協力する気がないわけではないという意思表示は欠かさない。
 リアナは兎も角、琉玖とは芝蘭同様古い仲である。個人としての関係なら、基音と王子としての関係よりも繋がりが強い。透火本人をよく知っているから、三人の協力者として透火が選ばれた。それだけの話ではあったし、そう割り切ってしまえば良かった。
 分かってはいても、素直に従いたくない気持ちを隠せない。
 芝蘭と透火の間に立場以外の大きな変化はない。芝蘭の過保護は健在だし、透火が芝蘭に忠誠を誓い尽くす姿勢も揺らぐ隙がなく、ただ、漠然とした不安にもなり切れない違和感が寝そべるようにはなった。
 公務と関係なく、芝蘭と二人で何かをしなくてはならない今のような時、どう接すればいいかが分からない。褒められると嬉しかったはずのことが嬉しくない。片っ端から否定していきたい気持ちも起こり、同時に、透火の言葉や歩み寄りに一切思い至らない芝蘭への苛立ちが募る。益々、透火の内情は混乱を極めるばかりで手に負えない。
 それでもまだ透火に冷静さが残っているから、努めて拒絶に聞こえない体で遠ざけることができていた。効果の有無は火を見るよりも明らかではあるが、示さない以外の手は無く、別の手段も見つからない。
 糸がほつれて、絡み合ったような感じだ。

「透火」
「なに」
「プラチナが戻ってきた」

 悩める黄玉に地面を写して歩いていると、芝蘭の声が差し伸べられる。春の芽吹く柔らかい土の上に、爪先が止まった。

「あの時も、絵から出てきたような美しさだったな」

 感嘆が褒め言葉となって紡がれ、透火の視線を嫌でも誘導する。
 吊るされた糸を手繰るように上空へ視線を向けると、丁度、銀竜の背から降り立つ少女の姿が見えた。
 銀の守護者。ハーク・ジッバ・ラティと名乗った彼女は、基音である透火の監視役としてこの地に降り立った他種族の人間だ。
 守護者の特徴である銀髪青目は、冬の月夜が湖面に映されたように幻想的で美しい。光が射すと毛先が青に水色に煌めいて、まるで新雪を透明な糸で紡いだような髪だが、彼女以外に銀の守護者を知る透火は、それがハークだけの持つ美しさだと理解している。空と海の間に溶ける青目は蒸着水晶を嵌め込んだように透き通って、彼女の清廉な雰囲気によく似合う。白地に金糸の刺繍が施された守護者独自の衣装は、春の空の下では妖精のように淡く、彼女の存在を儚く魅せる。
 王城の一角、棟の最上階に降り立った彼女たちの姿が見えなくなるまで目で追ってから、思い出した様に芝蘭が透火を振り返った。

「そういえば、お前を監視しなくていいのか?」
「今は城から出ないし、いいんじゃないかな。情報交換の為にしか飛ばないって言ってた」
「……ああ。魔法が使えないから」

 他三種族とは別種として扱われるには、独自の特徴が必要だ。
 彼女たち銀の守護者は、銀髪青目のみを持ち、銀竜使役を行うことがその特徴と言われている。そして、魔力を持たず、魔法を使わずに生きることもまた、彼女達独自の特徴とされていた。
 魔力がそのまま生命力に直結し、魔法や魔石を使って生きる心魔にとり、魔法が使えないことは弱者を意味する。魔力の少ない芝蘭ですら、王城で生活する上で様々魔石を駆使して魔法を使うことが出来るから生きている。魔法の使えない不便さは理解のしようがあれど、一切使わずに生きる過酷さは想像を越える。況して、魔力の多い透火には想像すら困難だ。
 納得している芝蘭の横顔から、透火は訓練場へと視線を移す。
 透火が乗馬を始めて、三刻ほどが経っていた。
 厩から王城の中心を通って対角線上に位置する訓練場は、徒歩でも凡そそのくらいの時間が掛かる。身体も程良く温まってきた頃合で、隙を見て訓練をする軍人に紛れて逃げることも可能だ。むしろ、芝蘭が馬に騎乗している今こそ、退散する好機かもしれない。
 ところが、透火の画策は予期せぬ形で潰えることとなる。

「おし、もう一回だ。こい」
「っはい!」

 いつの間に二人が知り合いになったのか、透火は知らない。
 金の両目に、見覚えのある顔が二つ、写り込んだ。
 普段は後頭部で一つ結びにされている黒髪は三つ編みにされ、鞭のように撓り、空気を割く。他の軍人と同様白服を纏い、下肢だけが身分を示す褐色に染まる。腕捲りの下から伸びる前腕は、陽射しを受けて一層活き活きと輝いた。
 その腕が、構えの姿勢から流れるように下に沈んだ。発展途上の細い腕が振り翳した拳を掴み、勢いを殺すことなく足払いをかけ、背負い投げを決める。

「ぬわっ!」

 汗で濡れた黄色髪が、宙を舞った。
 踏み出しと受け身の練習だと察していながら、堪らず、透火は指先を動かす。飛ばされてきた少年を風魔法で受け止め、二人に存在を示してみせた。
 淡色の制服を着た少年が、火照った顔で透火を睨む。

「透火、邪魔しないでよ」

 青褪あおざめこそしていないが、透火の顔から血の気が失われる。元の肌の白さが際立ち、少年の健康的な肌との対比が周囲に意識された。

「透火……?」

 硬直する透火の背後で、ぽつんと芝蘭が零す。戸惑いを多分に含んだ聞き返しは、しかし少年には無視される。
 これまで、少年は透火を透兄と呼び、周囲に人がいようと構わず透火に親しんできた。親や兄のように二人を見守ってきた芝蘭にとって、少年の変化は急なものに写ったはずだ。
 けれど、今はそれに構っている場合ではない。

「透水と、いつ知り合いになったの」
「お前の知らない時に」

 透火が黒髪へ言葉を投げると、彼は左右の肩を鳴らし、そつなく返答した。
 この国における彼の名は、朱瑠占音。本名は朱占音という。珠魔の青年であり、透火と等しく、種族を代表とする存在・壱音である。
 夜をかたどり、その美しさを表現するためだけに調えたような黒髪は、心魔には見られない珠魔独自の美を体現している。透火の金髪と並ぶとより色の強さが際立ち、昼下がりの空に濃い影が浮かぶようだ。
 オニキスの瞳が月色を映し、笑みの形に歪む。

「強くなりてえんだとさ。いいだろ、組手くらい」
「良くない」

 間髪入れず言い返した透火に、占音が愉快そうに肩を揺らした。反省の色は無い。

「だーかーら、邪魔すんなってば!」
「痛っ!」

 不意打ちになりきらない反発を受け止めたところ、想像以上の力が背中に響いた。じんじんと熱を持ち始める背中越しに振り返れば、怒りを顕に少年が喚く。

「透火には関係ないっつったじゃん!」
「それは聞いてない。言ってない」

 猫が威嚇いかくするように怒り散らす少年に、周りで見物していた軍人たちはにやにやと笑いながら背を向け、通常業務に戻っていく。元々、軍人や兵士たちのための訓練場だ。そこに占音が紛れ込み、馴染んだところに少年も割り込んだ。経緯が見てきたように思い浮かんで、透火の顔に半笑いが浮かぶ。
 この春、騎士学科に入学した黄色髪の少年は、名を透水と云う。血の繋がる弟で、年は二つ下になる。
 以前はこんな風に言い合いをするような兄弟ではなく、顔を合わせばべたべたとするような二人だった。
 透火が基音となってから変わったことは様々あるが、透火と透水の兄弟関係もまた、変化の一途を辿っていた。

「こら。透火に乱暴するな」
「うっ、止めろ王子。痛い!」

 透火と同じく芝蘭を親代わりとして育った為に、思春期らしい反発も対芝蘭の方が強めに現れる。頭を鷲掴んで叱る芝蘭も甘いが、じたばたと届かぬ拳を振り回して反抗する透水の姿もまた、可愛いものだ。

「賑やかだな」
「誰のせいかな……」

 透水が年相応に反抗する分、透火は年不相応に冷静になって、隣に並ぶ占音に遠回しの皮肉を投げた。当事者然としない占音の様子に、呆れて声が棒になる。

「生きてりゃ変わるもんだ」

 不敵な笑みがこちらを向いて、徐に透火の金髪に手を伸ばす。毛先が伸びたことを指しているのだと思って仕方なく、そのまま指先を受け入れた。気を良くして、やや爪先立ちに、占音はそのまま透火の頭も撫でる。拒む理由もないので、大人しくされるがままになってやった。
(なんだろうな、これ……)
 付き合いなら、この中で最も短い。
 冬夜に邂逅を遂げたこの青年と春日の下で仲良く肩を並べる日が来ることなど、あの時の透火なら微塵も信じるまい。
 彼曰く、透火と占音は生まれた時から兄弟のように育つも、四つになる前に透火がこちらに移ったために、透火の方に記憶が無いのだという。幼子の記憶の曖昧さは分からないでもなく、事実、記憶がないのだから確かめようもない。
 それでもこうやって芝蘭に対する態度と等しい程には気安く接してしまうので、強ち兄弟というのは嘘ではないのかもしれない。一般的に、兄弟で触れ合うことは珍しいと分かっていても、そういう在り方こそが透火自身の兄弟観なのだろうと納得できてしまえた。

「失礼します」

 親子喧嘩とも言い切れない言い争いが続く中、鶴の一声が投げられた。
 木蘭色を視界の端に捉えた側から、透火は目を眇めて身構えた。

「光河」

 芝蘭が、従者の名を呼ぶ。

「琉玖王子とフェオファノア侯の準備が整ったとの連絡が。東棟の客室への移動をお願いいたします」
「分かった。占音、透火、行くぞ」

 身長は透火と占音のちょうど中間になる。無表情で顔面を固めた従者は、春の空に似合う空色軍服を身に纏い、右掌を左胸に翳して低頭している。
 彼こそが、先に話題に出た九条光河本人だ。木蘭色の髪は首後ろに一つ結いされ、不似合いな赤いリボンで留められている。梅鼠色の瞳は感情を灯さず、確かな意思だけを秘めて芝蘭を見上げる。
 彼の前を芝蘭が通り過ぎ、占音の後に透火が続いたところで、制止の声が掛かった。

「君は呼んでいない。ついてくるな」

 瞬時に反発しかけた口を、寸で閉ざす。光河の言葉の矛先は透火でなく、透火の後ろに続こうとした透水だ。

「なんでだよ。俺は透火の弟で、王子が後見人だぞ」
「関係無い。帰って勉強でもしてろ。その方が為になる、双方の」

 弟を無下に扱われると、カチリと何かの螺子が回って苛立ちがこみ上げる。そんな言い方しなくても、と注意を飛ばしかけた口が音を発する前に、芝蘭の声が割り込んだ。

「光河。無駄口は叩かなくていい」
「……失礼」

 こんなときは、やはり年長者なのだと実感する。
 踵を返した光河と視線が重なり、慌てて、進行方向へと身体の向きを変える。咄嗟の反応のせいで、その時透水がどんな顔をしていたのか、透火には分からなかった。
 四人の向かった客室は、東棟の五階にある特別招待客向けの応接間だ。
 入り口では温和な男性──九条日向が待機しており、召使から人数分の飲み物と茶請けを預かっていた。
 光河が茶器の類を引き受け、日向が扉を開く。騎士とは、主人の進む道を護る者だ。

「待たせてくれるな」

 開口一番に文句を言ってのけた青年が、背凭れに預けていた腕から先を振って透火達を迎えた。
 茶髪に紫水晶の瞳を持つ彼は、第二王子・青琉玖。
 一年前より王位継承者としての頭角を見せており、能力の高さで言えば芝蘭をも凌ぐうら若き青年である。第一王位継承者に相応しく、一筋縄にはいかない硬質な雰囲気を纏い、耳朶や手首を派手に装飾で彩る。金糸の刺繍が施された緋色のソファに腰掛け、ぞんざいな言葉を投げる琉玖だが、しかし、奇妙にも彼は下肢は礼儀正しく揃えて座っていた。
 ちぐはぐな姿勢に、後方に佇む黒髪褐色の少女が扇を広げて失笑する。

「女性と二人きりはまだ慣れぬそうで」

 彼女は羅魔と呼ばれる他種族の女性で、見た目こそ幼いが、実年齢はこの中で誰よりも上をいく。心魔の土地に移り住んだのが七十年以上前と聞いた時は、透火も耳を疑ったものだ。
 季翼という名を預かり、琉玖の乳母として青家に仕え始めたのを契機に、現在も従者として琉玖を支持し、こうして琉玖の不器用な一面を茶化しては場を和ませる。一見主人を貶めているようでいて、本質は異なる。その忠誠心は、青家内部において一目置かれており、琉玖との会話は姉と弟のそれのように受け入れられていた。

「透火の乗馬訓練に付き合っていてな」

 分かっているのかいないのか、芝蘭は真正直に答えて部屋の中央を進む。上座のソファに芝蘭が腰を下ろすと、当たり前のように占音がその隣を陣取った。ひらりと三つ編みを尾のように翻り、軌跡を辿る。脚を組むまでの所作全てが様になっていて、王子が二人並んだようだ。
 長卓を囲むように円形に並ぶソファは、余裕を持って用意されている。従者を除いた人数分だと察していながら、透火は腰掛け椅子を運んで琉玖の隣を借りることにした。
 芝蘭の視線は自分の隣を指していたが、見なかったことにする。

「春ですものね」

 両手をぽんと蕾の形に合わせ、華のような微笑みで場を和ませたのはリアナ・フェオファノア侯爵だ。
 第二王位継承者にして、この春、新たに当主の座に着いた彼女は、二十歳という若さで聖虹教会の司教も務める。教会で重視される水色の髪は小川のように背中で波打ち、淡青色の瞳は温和な性格を歌うように煌めく。浅葱色のドレスには白のレースがあしらわれ、視覚的に空気が洗われる思いがした。
 光河の紅茶が、芝蘭の前に差し出された。

「本題に入ろう。話が付いたと連絡が来たが?」
「ええ。次期大司教にはカートラ家当主が着任することになりました。国王様には、明朝、謁見なさるとのこと。それから……」

 リアナが頷くと日向が扉の向こうへ顔を出し、一人の女性を招き入れた。
 これまで紺に隠されていた白髪に、光が射す。首元から後ろ上がりに切り揃えた髪を揺らしながら、彼女は控えめな足音で主人の背後に回った。
 光河が傍から差し出した紅茶に目礼を返し、リアナは彼女を振り仰ぐ。

「先日釈放になりましたので、私の侍女に迎えました。フェリシアです」

 右手を左胸に掲げる軍人式の一礼の後、血のような赤い目が透火を一瞥する。一拍の空白を置いて、フェリシアが口を開く。

「その節はご迷惑をお掛けしました。リアナ様の命の下、ささやかながら御三方の支援をしたく参上致しました」

 こうして顔を合わせて初めて、フェリシアが紫亜の従者として側に置かれていた理由が分かる。
 アルビノだから余計に目立つのだろう、同年代と思われるロズよりも年老いてみえ、側女として多分に配慮がなされた結果に思われた。紺色を基調にした衣装は月読の頃と変わらないが、痩身ながら隙のない佇まいは上品に、元々の華やかさを一層際立たせている。
 琉玖も芝蘭も彼女の顔を初めて見たようで、しばし驚きを顔に出して呆けていたが、占音の咳払いで正気に戻る。

「無事に戻られて何よりだ。父上の側仕えも長かっただろうに」
「恐れ多い御言葉。王子達の御口添えがあったからこそ、レム元侯の道連れを免れました。充分にございます」

 感謝の意を交わし合い、リアナが本題へ軌道修正する。

「お父様──レム元侯に確認を取ったところ、珠魔の女性には珠魔の集団を集め、貴族の目を惹くよう舞踊を教え込ませることだけを指示したようです。その後、紫亜様からフェリシアを通して新たな取引が持ちかけられ、……おそらく、占音様の仰るお話はこの後の取引になるのでしょう。紫亜様の取引を拒み、彼女は私の誘拐を目論みました」

 腕置きに頬杖をつく占音と視線を合わせて、リアナが先に目を逸らす。どこか恥ずかしげのある様子に、透火は思い当たる節がなく心の中で首を傾げた。

「カヅキの取引は、帰郷を許す代わりに基音の婚約者を連れて来いとか、そんなんだろ」
「……んっ?」

 紅茶を喉に詰めかけて、内臓が痙攣した。

「推測の話だ。大事なのは、国王の取引が何で、彼女はどうしてそれを拒んだのかだ」

 芝蘭が占音を睨み付けながら、片手を上げて透火の反論を防ぐ。取引に関わったフェリシアが進み出、言葉を挟む余地もなくなった。

「私がお渡しした書簡について、少し。二つの魔石が贈り物として添えられ、書簡の封に使われた魔力も高く保たれていました。珠魔宛の書簡としては最適ではありますが、些か厳重すぎるきらいもあります」

 書簡は、紙の封筒と木枠や飾り箱の封と様々な形で保管され、運ばれるものだ。一般的に使用される郵便手段であり、身分や用途に合わせて封の形や開け方が決まっている。中身の重要性に合わせて開示に必要となる魔力の量も変更できる書簡も開発されており、貴族間の主流は後者になる。
 城内や屋敷内ではあまり使用されないため、フェリシアの話を聞いても透火には重要なものだったのだろう、程度のことしか伝わらなかった。

「厳重だと何が良くないんですか?」
「第一に、分かり易すぎる。第二に、それほど中の情報が重要だとも考えられます」

 形式ばった物言いで、フェリシアが透火をあしらう。

「珠魔に流してよかった情報かどうかも、怪しいだろ?」

 占音の一言で納得した。珠魔の女性の居場所が不明であることが、交渉に影響してこないか心配なのだ。
 透火が沈黙したことで、リアナが再度口を開く。

「それと、晴加様に関しまして、……私との契約は、紫亜様の御厚意により結ばれたものでした」

 九条家本家三男・九条晴加。彼は芝蘭の専属騎士である日向の叔父に当たり、光河にとっては歳の離れた兄になる。主人を失って以来、契約騎士として様々主人を変えているとの話が貴族達の共通認識であり、リアナもまた、その一人のはずだった。

「受諾の際、晴加様は契約騎士としてお父様の計画を拝聴なさいまして、協力を」
「晴加殿の身分を隠していたのは、元侯を含め貴族達の警戒を解くためだろう。王族以外は彼の身分精査を行えないようになっているし、……父上は、後任騎士はしばらく探さないと言っていたから」

 父の代わりというように芝蘭は視線を落とす。紺碧の瞳に誰の顔が浮かんでいるのか、透火には嫌でもわかった。

「だが、情報はいずれ漏れ出る」

 琉玖が難しい顔をして、現状を憂う。
 誘拐事件は、彼女たちフェオファノア家首謀で起こった出来事だ。紫亜の関与も一時疑われていたが、晴加をリアナに紹介したことが明るみになり、今では、誘拐事件を早くに解決するための関与と考えられるようになっている。夜会の主催者が、ルーカス家だったためだ。
 芝蘭達が解決したことを重視する者もいれば、紫亜達の関与があったからこそ、大事にならずに済んだと見る者も少なくない。
 一部の上流貴族には、紫亜の後援を強固にする動きも見られ始めている。いくら王位継承権が認められたとしても、支持する者がいなければ、彼らが引き継ぐことはできまい。公表した活動指標と打ち立てた策に基づいて三人は動かねばならないが、彼らが気付いていなかっただけで、条件を達成する以外にも必要なことは多くあった。
 重圧を逃がすように吐息を零し、リアナが空気を変える。

「最後に。私たち継承者の公務において、フェオファノア家より飛空艇の貸し出し許可を頂きました。ご利用の際は、お配りします耳環じかんを忘れぬようお願いしますね」

 フェリシアが運び入れた小さな台車を、ソファの傍へ寄せる。金と紺で色を整えた小箱が、芝蘭と琉玖の前に置かれた。
 一見銀環にも見えるそれを、それぞれ右耳に装着する。小さな魔法陣が浮かび、花弁のように淡光に消えた。

「次は私だ」

 向かいに座るリアナから視線を外しながら、琉玖が前のめりになって両手を組んだ。

「父上を通して交易拠点の洗い出しと、羅魔らまへの交渉材料の準備を進めた。今後種族間で何かあったとしても、前線とならないようにな。同じく、他三州の領主に対しても協力と、不用意に他種族へ接近せぬよう指示を通す必要がある。こちらには国王と父上の双方の名がいるから、書類の手配に時間がかかる。時期は芝蘭が帰都した後を考えているが、……早くて春の終わりになるだろう」

 机上に実物を示しながら報告する琉玖の横顔に、芝蘭が問う。

「そういえば、紫微しび様はご健勝か? 冬は一度もお会いしていないが」

 芝蘭と琉玖の繋がりは、父親同士が兄弟であるところからきている。
 貴族戦争時に年の離れた妹を亡くし、以来兄弟仲は睦まじいと評されている青兄弟だが、互いに家庭を持ってからというもの、年に一度顔を合わすか合わさない程度の交流しか保たれていない。それでも尚、周囲が青兄弟に一目を置いているのは、聖光国が始まって以来、彼ら兄弟の連携が崩れたことが一度も無いからだ。

「変わらずだ。協力的で干渉してこないところも含めて」
「そうか、……いや、巻き込まぬよう、気を付けないといけないな」

 顔色の変わらない従兄弟の姿に言葉を探し、結局、自分に言い聞かせるように芝蘭は呟く。
 芝蘭や琉玖のような若者が安心して次期国王となるべく奮闘できるのも、紫亜が設立した継承権制度を紫微が支えているからだ。
 ふるい王制であれば、紫微が最も継承者として強いはずだった。彼がそれを辞退しており、若者へと繋ぐべく協力してくれているからこそ、三人がこうして次の手を考えられている。周囲の理解と協力で成り立っている現状を改めて理解し、各自肯いたところで話は芝蘭に移った。

「こちらからも、報告がある」

 紅茶を提供し終えた光河が、資料を配り始める。粗雑に投げられた羊皮紙を受け取って、透火は芝蘭に視線を送った。記載内容は、初めて見るものばかりだった。

「占音」
「おう」

 待ってましたと言わんばかりに、占音の笑顔が弾ける。

「王子の一手は珠魔との国交回復だ。出立の予定は来週。フェオファノア侯の飛空艇で一日かけて黄央こうおう州に移動、その後半日かけて宝石……彩色さいしき島へ向かう」

 占音がちらりと光河を一瞥し、表情を変えずに続ける。
 宝石島とは、心魔が使う、珠魔の住む島の呼び名だ。身体に宿す魔石を宝石に見立て、狩れば富が得られることを喩えた名称で古くから使われている。対等な種族として今後共存していくのなら、その呼び名は相応しくあるまい。

「現在の人口は三百人強。季節は夏で、作物が実り始める頃だ。収穫期までは余裕もあるし、自給自足と身体能力が高いから、物資供給も十数名の技術者渡航も問題はない。この他の情報、交渉全ては条件を呑まない限り開示しないとのお達しだ」

 珠魔に王制はないが、世襲制はある。長と呼ばれる存在が種族全体を統治とまでは行かずとも、何かの決め事の際に基準とされる仕組みらしい。
 目に見える形で心臓を持つ彼らにとって、重要なのは宿す色だ。色別階級あるいは色別文化と呼ばれるように、髪と虹彩、そして魔石の色で立場が決まる。繁殖方法が独特なこともあり、生まれた子供の色により、誰が育てるかが決められる。必然的に、種の中で象徴的な色を持つ者が長の元で育つので、透火達心魔のいう『血の繋がり』は彼らの中には存在しない。
 珠魔の族長の名は、天星てんせい火月かづき
 自然の名称から名を得る彼らにとって、天星は天と星を統べる者という意味を持つ。石榴石の魔石を身体に宿すことから焔の名を戴いた族長は、黄髪に碧色の瞳を持つ男性らしく、成人するに合わせて長の座を引き継いで、今は四十と少しを生きた頃だという。珠魔の平均寿命まで手が届きそうな年齢である。
 紙面から目を離し、占音は透火から扉の方へ視線を動かした。

「この火月って族長が、透火の伯父になる」

 そこで一度言葉を区切り、紙を下げる。

「向こうの条件は、紫亜の下で育った家族を珠魔の土地に連れてくること」
「これには、透火がついてくることで話をつける。万一何かがあった場合は、銀の守護者が介入できるからな。全面的に彼女たちを補佐することで、こちらの不利を避ける」

 占音と視線のやりとりだけで話を引き取ると、芝蘭は吐息を挟んで、資料を机上へ置いた。

「基音と壱音を乗せる船を一隻と、念の為の別働隊用にもう一隻を用意した。これから国交を結ぶ相手だが、国王との遺恨や種族全体に与えてしまった蔑みによる反発を無視することはできないからな。……有事の際はあくまで脱出と保護を目的に動くよう、指示を徹底させる」
「だが、そのまんま連れてきゃ脅してるようなもんだろ。日中は島から一海里離れた場所で待機、夜間のみ停泊を許すとのお達しだ。王子と俺達を含め、上陸出来るのも近衛までだと」

 神妙な面持ちで琉玖とリアナが頷く。それに申し訳なく思いながらも、透火は片手を上げて質問を挟んだ。

「……つまり、芝蘭と俺と占音と、あとは九条さん達しか島に上陸しないのが条件?」
「そういうこと。これが、昨日までのあちらの条件で──」

 上体をソファから起こして、占音が扉の向こうを見据える。ノックが二つ、控えめになされた。

「失礼します」
「──今朝、新たに条件が追加された」

 招かれたのは、銀の守護者の二人と一人の少年だ。
 一人は先ほど透火と芝蘭が見かけたハーク、もう一人はナイシャ・レティ・オーリアという名の女性だ。外見から推察される年齢は琉玖や芝蘭と同年で、ハークとはまた別の近寄りがたい雰囲気を纏う。ハークと並ぶと銀髪の輝きも澄んだ青目もそれぞれ異なることが分かり、ナイシャは浅瀬を切り取ったような青をしていた。
 そして。

「透水?」

 二人の後ろに立つのは先程別れたばかりの弟で、衣装の色を見て直ぐ、透火は占音を睨みつけた。

「いつ、透水が占音の従者になったの?」

 黄色の髪には、その色は一層濃く映る。
 黒紅色の衣装は従者服と同じ形で仕立てられており、軍人でも兵士でもないことを示すためか、肩当はない。
 制服姿より少し大人びた弟の姿に、透火の唇が尖る。

「それが知りたきゃ後で聞け」

 一言で反論を往なして、占音は三人に椅子を進める。

「今朝追加された条件は、王子本人が上陸すること、『透水』を連れてくること。プラチナを上陸させないことだ」
「だから、上陸するのは俺と、護衛に日向と光河、案内役として占音、交渉に応じる誠意を示すために、透火を連れていくことにした。透水は船でプラチナと待機し、交渉が無事に終われば上陸を許可する」

 追い討ちをかけるように芝蘭が語るので、今度こそ、透火は黙っていられず腰を上げた。

「透火、座れ」
「断る。なんで透水まで巻き込むんだよ。国としての、種族間のやり取りに私情を挟むなんて間違ってる!」

 琉玖とリアナは、透火の指摘に居心地を悪くして顔を背ける。これまで冷静に応じていた芝蘭がようやく透火と顔を合わせて、柳眉を下げた。

「言いたいことは分かるが、透火」

 困らせてしまう自覚が透火にあったから、余計に黙っていられなくなったことは認める。芝蘭なら、よく考えた上で決断をしてくれたのだろうと信頼もできるたが、それでも、透火を無視して話を進める理由にはならないと示さずにはいられない。
 例え族長が血の繋がりのある相手だとしても、透火にとっての家族は芝蘭と透水だけだ。わざわざ向こうの我儘を聞いてやる義理はない。会いたければ、向こうが会いに来ればいいのだ。国交が回復すれば、いくらでも行き来できるようになるのだから。

「大体、なんで透水の名前を、」
「俺が言い出したんだ」

 怒りともとれる透火の言葉を遮ったのは、紛れもない、透水本人だった。予想外の告白に、透火も言葉を失う。
 戸惑いが、混乱を招く。

「透火が呼び出された後、日向さんのところにいって、占音さんと話ができるように繋いでもらった。
 何かあれば、俺も使っていいって言ったんだ」

 黄緑の若い目が、光を受けて力強く輝く。

「透火なら、俺の行動の意味、分かるよね」

 真っ直ぐに瞳を射抜かれ、逸らしたい気持ちを、寸でのところで抑えつけた。
 覚えがあるどころか、それこそ正に、透火が芝蘭にし続けてきた恩返しのやり方だ。詰め寄る度に芝蘭は視線を逸らして、どうにかこうにか彼の意見を絞り出していた。まどろっこしいと思ったことすらあれど、そうでないと芝蘭は何も言ってくれなかった。愛情と感情と、彼の想いは嫌でも示してくれるのに。
 透火が芝蘭たちに協力を申し込まれたあの日、透火は透水に全てを語らず、置いてきぼりにした。その後も、申し出の衝撃が大きすぎて透水に話をすることはできなかった。基音となったばかりの時は、話そうとすら思いもしなかった。
 透水を責めるのは、お門違いだ。
 目を逸らさない代わりに瞬きをして、透火は大きく息を吸う。

「……わかるよ。わかるから、賛成はしない」

 同系統ながらも色味の異なる目が、互いをその目に刻んで譲らない。
 透火が自ら考えて動いてきたように、透水とて自ら考えて動ける年になった。日向や占音は、自ら考えて動くことを赦し、それを支持する性格だ。透水の行動を、大人の一方的な考えだけで制限しない。
 本来は、透火がしてやれることだった。それだけで。

「……話の腰を折ってすみません。続けて」

 こめかみと額を押さえながら、表情を弟から隠すように椅子に座り直す。努めて冷静に耳を傾けるも、それから再開された話は微塵も頭に入って来なかった。

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