虹の向こうへ

もりえつりんご

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第3章

第6話 喉元を過ぎて

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 芝蘭が正常に身体を動かせるようになって一刻が過ぎていた。日向、ソラ、二藍の話もすっきりと把握できるほどには思考も働き、自分が置かれた状況も正しく理解できる。

「現状をまとめよう」

 方針を立てるべく、芝蘭は全員の顔を見渡した。
 今回の企ては、火月個人の事情で進められた。
 呉藍と二藍は最低限の協力を、占音はなんらかの取引の元に火月の企てを支援し、静だけが火月の事情に全面的に協力し動いていたが、占音の手により死亡した。
 問題は、静を通じて朱家が企てを知ってしまったことに始まる。
 二藍によれば、朱家を代表とする反対派が、静の所在不明と火月への不信を理由に珠魔を扇動、屋敷の火事をきっかけに騒ぎを起こしたという。占音の従者と呉藍が無関係の珠魔を誘導し、内陸へ匿っているというが、あまり長く任せてはいられず、放っておけば彼らの身も危ない。
 休む暇はない。黄央州まで引き連れてきた軍人の大半は、静の監視があったために承和家で待機させたままだ。乗船した兵士を数に入れても、一個小隊ほどの人数にしかならない。少数精鋭とはいえ、身体能力で勝る珠魔を相手に戦闘をするのは難しい。
 早急な対応をしなければ、今ここにいる全員の命が危ういことを、口にせずとも誰もが察していた。

「様子を見て参ります」

 一先ず、芝蘭が情報を把握したことを伝え、珠魔の状況を探るべく、二藍が幕営を出た。
 珍しくも、ソラは芝蘭達の側に留まるらしく、僅かではあれ不安が減る。透水は見張りも兼ねて光河の準備を手伝い、ハークは芝蘭が気がついた時にはもう姿がない。
 幕営の近くの木蔭には、専用の椅子と円卓が用意され、水の入った茶器が置かれていた。
 腰を下ろし、芝蘭は陣営の片付けを見守る。動けるようになったとはいえ、まだ万全ではないからと、手伝うことを拒否されたのだ。休憩も兼ねて水を飲んでいると丁度、幕営から出てきたソラと目が合う。

「そういえば、透火は後で戻ると聞いたが」

 話し相手がいないのもあり、向かいの席を進めた。耳聡く芝蘭の声に反応し、近寄るものの、彼は首を振って席には座らない。日向の圧力も関係しているかもしれないと、背中に感じる圧を苦笑で流し、芝蘭はソラの返事を待つ。
「動けるなら魔法で戻れるでしょう。……ああ、方向音痴でしたっけ」
 蓋布を羽織ながら、面倒そうに答えが返される。その言葉に二重の意味が含まれていたことを、芝蘭は気付けなかった。文字通りの意味すら捉え損ねて、瞠目する。

「怪我でもしているのか? なら何故、占音は透火を連れて動かない」
「王子」

 眼鏡の位置を直しながら、二色の瞳が芝蘭を睨み据える。どちらも青に通じる色をしていて、木漏れ日の落とす淡い光が、彼の髪を銀に浅葱に欺く。その様が、芝蘭の脳裏に既視感を植え付けた。

「基音が誰と敵対したか、ご存知でしょう?」

 少しだけ、ソラの声が遠くなる。

「……ああ。いや、でも、それなら」
「弔うのは彼のきょうだいと珠魔だ。そんな場所に彼を連れて行くなんて、殺せと言うようなものです」

 無駄口を叩くなと言うような物言いに、口を噤む。
 日向の報告と透水の話を時系列で纏めると、透火が殺したのは火月ということになる。だから、全員の前では火月の話を避けた。
 警備に徹する軍人と日向を視線で見遣り、それから声を落とす。

「遺体の処理をしていると?」
「いいえ、珠魔に遺体はない。壊されなければ、魔石が残るそうです」
「魔石……」
「静の死体も、今はもう魔石に還ったでしょうね」

 いもなく返された言葉に、芝蘭の動揺が冷ややかな瞳に写り込む。
 占音が見せた紅玉の輝き、呉藍の腹部に収まっていた翡翠、火月の手首に嵌め込まれた灰簾石。心魔でいう心臓と同じものだと分かっているのに、その美しい特徴を思うと肌が粟立つ。道具として使ってきた魔石も、誰かの生命だったのではないかと錯覚しそうになる。
(透火……)
 透火が火月と対峙した詳細を知るのは、透火と占音、ソラと日向、そして芝蘭の五人だけだ。透水とハークだけが殺めた瞬間を知っているが、相手が誰かまではわからないはずだ。
 一方で、対峙した相手が肉親だと知った上でああ言ったと勘繰ることも出来て、芝蘭は透水をどう気遣えばいいのか分からない。
 親や兄として見守り支えてやるくらいしか、透火と透水にしてやれない。

「お前は聞いているのか? 占音が何の為に、族長に協力したのか」

 しかし、個人の目論見とはいえ珠魔と敵対し、その命を殺めたのは事実だ。それを防ぐ為に占音が向かったというのならまだしも、そうではないのなら、彼は何の為に動いたのか。今の芝蘭には判断が難しい。

「いいえ」

 素っ気ない答えに、拗ねた空気を感じ取る。

「……そうか」

 それに、火月や水月によって、紫亜の関与があったことを新たに知った。承和家が事情を知った上で鍵を渡したのかも分からず、アドアがここに移された理由も、芝蘭の継ぐ血が封印の鍵となることも、基音の話も、芝蘭が透火と出会う前から用意されていた布石のように思われてくる。
 紫亜と昴は、何を思って始めたのか。昴が死んだことも何か理由があったのではないか。疑問は尽きず、不信感が募っていく。
 なにもかも、占音との出会いがなければ、明らかにされなかった話だ。
 占音が噛んでいるとも知れず、珠魔との国交回復が益々難しく思われてくる。かといって、大人しく珠魔の反乱を傍観するわけにもいかない。身の危険もあるが、占音の働きかけがどこまで作用したかわからないが故に、接触が推奨されないのだ。
 壱音である彼を迎えたことは、大々的に通達している。彼を蔑ろにするような動きは、珠魔に不信感を与えかねない。話し合いは、あくまで互いを立てる形で行わなければ、意味がない。
(……その割には、あまり信用されてはいないが)
 大胆な手で芝蘭達の界隈に入り込んできた占音を、芝蘭とて最初は警戒し、嫌煙していたはずだった。立場の類似から、透火は早くに占音と打ち解けたようだが、紫亜のこともあった芝蘭は、おいそれと仲良くするわけにはいかなかった。
 占音の実力を嫌というほど理解していても、芝蘭とて一国の王子としてここまで助けられて生きてきた。その事実を簡単に捨てられるほど、芝蘭は今の自分を受け入れられないわけではない。
 信頼はこれから築くつもりだった。彼の行動に信用が置けたとしても、見極めが必要と知っていた。そんな折にこんなことをしでかされて、いくら芝蘭でも容赦はしないと彼は思わなかったのだろうか。
(こちらからの信用に自信があった? ……まさかな)
 物思いに耽る芝蘭を見つめ、ソラが素っ気ない溜息を吐く。ぱちりと視線が重なったところで、さも今思いついたような顔をし、彼は人差し指を立てた。

「貴方はそれより、弟の方を気にするべきですよ。珠魔に対して使える手札は、もう彼だけだ」
「占音の従者だけはあるな。だが、その言い方は控えろ」
「それほどでも」

 窘めても意味はなく、しかしそれ以上の言葉を封じることには成功する。
 沈黙に落ち始めた二人の会話を、ソラは後頭部を掻いて誤魔化し、ややあって口を開いた。

「推測ですが、今すぐ、動いた方がいいと思います」
「──何?」
「占音の方は特に。国王に売られた彼をまともに相手にするような奴らなら、そもそもこんなことにはならない。
……悔しいけれど、今この島では、貴方しか占音を守れる人がいない」

 林の奥に覗く水平線を見つめるように、ソラがその目の色を、表情を薄くする。

「壱音も基音も、始まりは人間です。貴方がそうであるように」

 重石を置くような、実感のこもった言葉だった。
 願うような声色が一層、聞く者の心を惹き付け、脳髄に記憶するように音から浸透していく。

「……そういえば、お前はどうして、占音の従者を?」

 全身を布で覆い隠した今、彼の種族性を観るには髪色と瞳の色しかなく、特殊ながらも三種に共通する色が推測を拒む。体格でいえば心魔と言えるが、身体能力が示されればまた異なる見解を抱くことになる。
 ソラは眼鏡の位置を直す振りをして、芝蘭の視線を拒んだ。

「逃げてたところを助けてもらったんで。恩返しですよ、命をかけた」
「……透火みたいなことを言うんだな」
「同じだと思いました?」

 聞きなれた言葉の並びに微笑むと、それを見咎めるようにソラが肩越しに芝蘭を睨む。

「冗談も大概にしてください。他でもない貴方にそう思われて、気分が悪いのは彼だ」

 ソラの声に怒気を感じて、雨に突然振られたように、芝蘭は驚いた。ソラの背中を呆然と見つめて、疑問符を浮かべる。怒るようなことを言ったとは思っていなかったから、余計に意味が分からなかった。
 風が吹く。灰色に混ぜられた思考が、冷静になる。

「王子。よろしいでしょうか」
「なんだ」

 片手に丸めた紙を持って、光河が駆けてくる。情報がまとまったらしい。近くで見守っていた日向も、それに合わせて芝蘭に近付く。

「珍しい組み合わせでしたね」
「そうか?」

 ソラとの会話を指摘され、首を傾げる。
 言われてみれば、占音のいる時しか顔を合わせず、声を掛ける理由もなかったのがこれまでだ。日向にそう言われるのも、不思議ではない。
 その間にも机に紙を広げ、光河がペン先をインクに浸す。顔色を伺われ、慌てて日向との会話を打ち切った。

「やはりここは、船で港に向かう方が安全かと。視界が開けているので、風魔法での移動も容易です」

 芝蘭達が案内された港と、珠魔が貿易で使用していた大きな港とを繋いで、光河が提案する。二藍が齎した情報を元に、時間と損害を計算したのだろう。陸上を移動せず船を優先するのは、万一の際、離島しやすいからだと光河は説明する。

「船は破損したと聞いたが」
「部屋が一つ吹き飛んだ程度です。帆にも動力源にも影響はなく、運航に問題はありません。それに、珠魔の船を別に用意できると言われました。最初に乗ってきた船と同じものだそうで」
「……一応確認するが、奪うわけではないな?」
「拝借する、という形を取っているとは言われています」
「不安だな」

 こういう時、透火なら微妙な笑顔で誤魔化す。
 光河は無表情の鉄壁で、芝蘭の心配も不安も容赦なしに跳ね返し、次の行動に移ってしまう。日向は落ち着いてからというもの、一向に視線が合わず、他所向きの微笑みで顔を固定していて参考にならない。

「全員船へ戻ろう。プラチナはともかく、透水は?」
「王子」

 首を巡らせると、神妙な表情の透水と目が合った。
 普段の呼び名に戻ってはいるが、相変わらず暗い顔の透水に芝蘭は努めて微笑みを向けた。
 帰ってこない透火への心配が強いのだろう。浮かない顔は子供らしく、この土地では隠さずにいられる首元の魔石が似合わない輝きを放っている。
 誰かに縋りたいであろう掌を握り、透水は俯く。

「透火は、帰ってくるよね」
「当たり前だ」

 軍人への指示を光河に任せて、透水の前に立つ。肩に手を置いてくるりと透水の向きを変えさせ、船へと共に向かう。

「ねえ、王子」
「なんだ?」

 成長期には伸びると慰められていた身長も、彼の種族がはっきりした今、縮まることは一生無い。上体を傾けないと俯いた透水の声は聞き取りにくく、抱き上げて尋ねるほどの年でもないことが芝蘭の中に郷愁を呼ぶ。
 服の裾が、強い力で引っ張られた。

「俺にとっては、王子と透火が、親みたいなもんだから」

 日の光を浴びて輝く黄色髪が、ゆっくりと光の輪を移動させる。火月と同じ癖のついた前髪をかきあげて、透水が眉間に皺を寄せたまま笑う。

「だからさ、俺、透火と王子が並んでるの見ると、落ち着くんだ。透火には秘密だけど」
「……そうか」
「うん」

 後頭部から抱き寄せるように頭を撫で、港へ向かう。
 芝蘭よりも小さな背中を叩いて慰めながら、透火が彼と同じ年だった頃を振り返る。
 透水が不安定ながらも思春期を迎えているのに対し、透火はまだそれを経験していなかった。むしろ、最近の彼こそやっと弟と同じ成長段階に乗ってきたように思われて、今更それに気付いたことに不甲斐なさを覚える。

「俺も、お前達が一緒じゃないと、落ち着かない」

 ちくりと痛む春の出来事に目を瞑って、芝蘭は透水と並んで港へ向かった。


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