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Ⅳ.
第三話
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「え…………??」
先生の言葉に祥子の声が震えだす。
祥子は余りの恐怖に、フローリングの床から全く動けなくなっている。
自分の聞き違いでなければ、先生は確かに「死にゆく顔」と言っていた。
それはマキナを殺した張本人こそが、先生であるという証明だった。
怯える祥子を見て危険を察知したドルーリーが、牙を剥き出しにして先生に吠える。
先生目掛けてドルーリーが飛び掛かったその瞬間、ドルーリーの身体は突然床に叩き付けられた。
もくもくと怪しい白い煙が沸き上がれば、床で這い回るドルーリーの姿が祥子の視界に入る。
ドルーリーの顔と身体は大きく焼け爛れていた。
「…………ドルーリー!?!?!?」
祥子が金切り声を上げた瞬間、先生が隠し持っていた薬品の瓶を落とす。それは科学実験で使う酸の類だった。
フローリングの床を焦がした後に、ドルーリーは動かなくなる。
祥子は変わり果てた愛犬の姿を目の前に絶句した。
この男は本気で今、殺意を持って自分達に接している。
身体中から一気に血の気が引き、ざわざわと鳥肌が立つ。
すると先生は残念そうな声色で馬鹿にした様な笑みを浮かべた。
「あーあ、犬だけに使い切っちゃった…………本当は君にも使いたかったんだけど、残念だなぁ………。
家で人を殺すのはもうしたくなかったけど、仕方ないよね………?」
そう言いながら笑う椿山先生は祥子に歩み寄ってくる。
祥子はフローリングの床を後退りしながら、先生から懸命に逃れようとした。
先生はナイフを取り出し光に翳す。金属独特の銀色の冷たい光が、更に祥子の恐怖心を加速させてゆく。
そして何も話せなくなっている祥子目掛けて、先生は更に言葉を吐き出した。
「俺はね、とても幸せそうな表情から、不幸な顔に切り替わるのを見るのが大好きなんだ。君みたいな女の子が。
何にも気付かない純粋な子が大好き。
…………最期迄俺が犯人だなんて、気付かないで逝かせてあげてるの優しさなんだけどさぁ………。
………………だけど、君は恋人じゃないから、最期に嫌われても良いや」
余りの恐怖にガタガタと奥歯が鳴る。
ホラー映画だとかドラマの恐怖のシーンを、祥子は長らく誇張表現だと感じていた。
本当に怖いとこんな風になるんだと、祥子はその時初めて理解する。
奥歯どころか膝さえガクガクと震え身動きが取れない。
これから自分は殺される。そう思ったその時だった。
窓ガラスがいきなり大きな音を立てて割れ、祥子の指先近く迄破片が飛び散る。
音のした方を見れば、全身真っ黒な服を着た何者かが其処にいた。
ジップ式のフードの黒いパーカーと、タイトなGパン。足元はミリタリートレッキングブーツ。
肩を上下させながらゆっくりと顔を上げたその人は、ガラスの破片まみれになったフードを捲る。
パラパラとガラスがフローリングの床に落ちた時、その人の顔を祥子は見た。
その人の顔はマキナそのものだった。
顔に縫われた様な傷痕がくっきりと付いているがマキナである。
長きにわたり傍に居たズッ友が其処に居た。
「マキナ…………?」
祥子が思わずその名前を呟けば、先生の表情が凍り付いてゆく。
マキナは茫然自失の先生目掛けて全速力で駆け出した。
空に舞うかの様に飛び上がり、先生の手にあるナイフを蹴り上げる。
先生が手首を押さえて床に踞れば、ナイフがフローリングの床に回転しながら転がってゆく。
マキナは嘗ての恋人を見下した。
「………まー残念だけど、アタシももう知っちゃったからさぁ?
それって優しさじゃないよね、せんせー…………」
先生がマキナを見上げて慌てて身体を起こす。口元を歪めながら笑い、マキナの体を舐めまわす様な目で見る。
先生の眼差しを見た時にどうしてこんな男を好きだったのだろうと思う。
自分の心が急速に冷え切ってゆくのを、マキナは体感していた。
縫い目と継ぎ接ぎまみれになったマキナの姿に対し、先生はケラケラと笑いだす。
マキナは気持ちの悪い怪物を見ている気持ちになった。
「あぁ…………そうか、マキナ…………。
そういえば君の傍にはLepidopteraの開発者がいたな…………。
それで甦ってきたのかい?その表情も魅力的だよマキナ………」
先生はそう言い捨ててから、部屋から逃げ出そうとする。
追いかけて掴み掛かろうとしたマキナの背後で、祥子の声がした。
「………ドルーリー………ドルーリーしっかりして!!!」
マキナが振り返った時、身体を半分に火傷を負ったドルーリーの変わり果てた姿が目に飛び込む。
ドルーリーの身体からはまだ白い煙が立っていた。
泣き叫ぶ祥子の声を聞いた時、マキナの心がズタズタに引き裂かれんばかりに痛む。
マキナは自分の目の前にある光景を、受け入れられなかった。
「…………ドルーリー!!!」
マキナはドルーリーがこんな風に怪我を負っていたことには、一切気付いて居なかった。
まだ息のあるドルーリーがマキナに向かい、クゥンと甘える様に鳴く。
マキナの目からはバラバラと大粒の涙が溢れた。
バタバタと走り去って行く足音が響き渡り、ドアが背後でばたんと閉まる。
先生に逃げられたと気付いたその瞬間、マキナはやるせない感情に飲み込まれた。
胸が掻き毟られているかの様な苦しさに襲われながら、ドルーリーの傍に歩み寄る。
ドルーリーはマキナを見ると目をキラキラと輝かせた。
こんなに大きな怪我を負っているというのに、マキナの姿を見て嬉しそうな目を浮かべる。
そしてドルーリーは全く動かなくなった。
マキナの頭の中では元気に自分に飛び付いて来た頃の、ふかふかのドルーリーの姿が浮かんで消える。
マキナはこの時に自分の無力さを思い知ったのだ。
「………ドルーリーは大丈夫だ。Lepidopteraは動物だったら使い慣れてる。
…………元の姿に完全に戻すと迄はいかないが、命は必ず救うから………!!」
「………ごめんなさい………本当、アタシが先生の事全然警戒しなかったばっかりに………!!本当、本当にごめんなさい…………!!!」
研究所で泣き叫ぶ祥子を二人の警察官が支えている。
マキナは祥子の背中を擦りながら、静かに涙を流していた。
祥子はこれから先生の家に戻り、現場検証を控えている。
この日Lepidopteraの使用をされている人間がいる事を知られることになった。
国が絶対に知られてはいけないと決めているLepidopteraの使用者の情報が漏れたのは、どう考えても一大事だ。
もうその事は大きな問題になっていた。颯斗は始末書の提出をしなければならないのが、既に決まっている。
これからどういう処分が待ち受けているのかと思うと、マキナの心は更に痛んだ。
マキナはこの時、自分の事を責めていた。
何故なら椿山先生と交際をしていなければ、こんな事になってなんて居なかったと思うからだ。
祥子がこんな事に巻き込まれてしまったのも、ドルーリーが大火傷を負ったのも自分のせいだと自身を責める。
更には知られてはいけなかったのにも関わらず自分の存在を、祥子を守る為とはいえ知られ颯斗に迷惑をかけた。
この時、自分を責める以外マキナには出来なかったのだ。
研究所から出ようとローファーを履く祥子が、涙目でマキナに振り返る。マキナは暗い表情を浮かべバイブスを完全に下げきってしまっている。
祥子はそんなマキナに泣き晴らした顔で、何時もと同じ優しい笑みを浮かべた。
マキナがガラスを割って助けに入ってきてくれなければ、祥子は先生のナイフの餌食になっていたに違いない。マキナは祥子の命を救ったのだ。
そんなマキナに「ごめんね」は違う。伝えたい言葉を賢明に考える。
落ち込むマキナの顔を覗き込み、祥子は涙混じりの声でこう云った。
「………ねぇマキナ、ありがとう……。大好きだよマキナ…………!!
また逢えて良かった…………!!!!」
笑顔のままで目から一筋涙を流した祥子が、研究所のドアから警察官と一緒に出てゆく。
ドアが閉まるのと同時にマキナの目から、暖かい涙が溢れ落ちた。
先生の言葉に祥子の声が震えだす。
祥子は余りの恐怖に、フローリングの床から全く動けなくなっている。
自分の聞き違いでなければ、先生は確かに「死にゆく顔」と言っていた。
それはマキナを殺した張本人こそが、先生であるという証明だった。
怯える祥子を見て危険を察知したドルーリーが、牙を剥き出しにして先生に吠える。
先生目掛けてドルーリーが飛び掛かったその瞬間、ドルーリーの身体は突然床に叩き付けられた。
もくもくと怪しい白い煙が沸き上がれば、床で這い回るドルーリーの姿が祥子の視界に入る。
ドルーリーの顔と身体は大きく焼け爛れていた。
「…………ドルーリー!?!?!?」
祥子が金切り声を上げた瞬間、先生が隠し持っていた薬品の瓶を落とす。それは科学実験で使う酸の類だった。
フローリングの床を焦がした後に、ドルーリーは動かなくなる。
祥子は変わり果てた愛犬の姿を目の前に絶句した。
この男は本気で今、殺意を持って自分達に接している。
身体中から一気に血の気が引き、ざわざわと鳥肌が立つ。
すると先生は残念そうな声色で馬鹿にした様な笑みを浮かべた。
「あーあ、犬だけに使い切っちゃった…………本当は君にも使いたかったんだけど、残念だなぁ………。
家で人を殺すのはもうしたくなかったけど、仕方ないよね………?」
そう言いながら笑う椿山先生は祥子に歩み寄ってくる。
祥子はフローリングの床を後退りしながら、先生から懸命に逃れようとした。
先生はナイフを取り出し光に翳す。金属独特の銀色の冷たい光が、更に祥子の恐怖心を加速させてゆく。
そして何も話せなくなっている祥子目掛けて、先生は更に言葉を吐き出した。
「俺はね、とても幸せそうな表情から、不幸な顔に切り替わるのを見るのが大好きなんだ。君みたいな女の子が。
何にも気付かない純粋な子が大好き。
…………最期迄俺が犯人だなんて、気付かないで逝かせてあげてるの優しさなんだけどさぁ………。
………………だけど、君は恋人じゃないから、最期に嫌われても良いや」
余りの恐怖にガタガタと奥歯が鳴る。
ホラー映画だとかドラマの恐怖のシーンを、祥子は長らく誇張表現だと感じていた。
本当に怖いとこんな風になるんだと、祥子はその時初めて理解する。
奥歯どころか膝さえガクガクと震え身動きが取れない。
これから自分は殺される。そう思ったその時だった。
窓ガラスがいきなり大きな音を立てて割れ、祥子の指先近く迄破片が飛び散る。
音のした方を見れば、全身真っ黒な服を着た何者かが其処にいた。
ジップ式のフードの黒いパーカーと、タイトなGパン。足元はミリタリートレッキングブーツ。
肩を上下させながらゆっくりと顔を上げたその人は、ガラスの破片まみれになったフードを捲る。
パラパラとガラスがフローリングの床に落ちた時、その人の顔を祥子は見た。
その人の顔はマキナそのものだった。
顔に縫われた様な傷痕がくっきりと付いているがマキナである。
長きにわたり傍に居たズッ友が其処に居た。
「マキナ…………?」
祥子が思わずその名前を呟けば、先生の表情が凍り付いてゆく。
マキナは茫然自失の先生目掛けて全速力で駆け出した。
空に舞うかの様に飛び上がり、先生の手にあるナイフを蹴り上げる。
先生が手首を押さえて床に踞れば、ナイフがフローリングの床に回転しながら転がってゆく。
マキナは嘗ての恋人を見下した。
「………まー残念だけど、アタシももう知っちゃったからさぁ?
それって優しさじゃないよね、せんせー…………」
先生がマキナを見上げて慌てて身体を起こす。口元を歪めながら笑い、マキナの体を舐めまわす様な目で見る。
先生の眼差しを見た時にどうしてこんな男を好きだったのだろうと思う。
自分の心が急速に冷え切ってゆくのを、マキナは体感していた。
縫い目と継ぎ接ぎまみれになったマキナの姿に対し、先生はケラケラと笑いだす。
マキナは気持ちの悪い怪物を見ている気持ちになった。
「あぁ…………そうか、マキナ…………。
そういえば君の傍にはLepidopteraの開発者がいたな…………。
それで甦ってきたのかい?その表情も魅力的だよマキナ………」
先生はそう言い捨ててから、部屋から逃げ出そうとする。
追いかけて掴み掛かろうとしたマキナの背後で、祥子の声がした。
「………ドルーリー………ドルーリーしっかりして!!!」
マキナが振り返った時、身体を半分に火傷を負ったドルーリーの変わり果てた姿が目に飛び込む。
ドルーリーの身体からはまだ白い煙が立っていた。
泣き叫ぶ祥子の声を聞いた時、マキナの心がズタズタに引き裂かれんばかりに痛む。
マキナは自分の目の前にある光景を、受け入れられなかった。
「…………ドルーリー!!!」
マキナはドルーリーがこんな風に怪我を負っていたことには、一切気付いて居なかった。
まだ息のあるドルーリーがマキナに向かい、クゥンと甘える様に鳴く。
マキナの目からはバラバラと大粒の涙が溢れた。
バタバタと走り去って行く足音が響き渡り、ドアが背後でばたんと閉まる。
先生に逃げられたと気付いたその瞬間、マキナはやるせない感情に飲み込まれた。
胸が掻き毟られているかの様な苦しさに襲われながら、ドルーリーの傍に歩み寄る。
ドルーリーはマキナを見ると目をキラキラと輝かせた。
こんなに大きな怪我を負っているというのに、マキナの姿を見て嬉しそうな目を浮かべる。
そしてドルーリーは全く動かなくなった。
マキナの頭の中では元気に自分に飛び付いて来た頃の、ふかふかのドルーリーの姿が浮かんで消える。
マキナはこの時に自分の無力さを思い知ったのだ。
「………ドルーリーは大丈夫だ。Lepidopteraは動物だったら使い慣れてる。
…………元の姿に完全に戻すと迄はいかないが、命は必ず救うから………!!」
「………ごめんなさい………本当、アタシが先生の事全然警戒しなかったばっかりに………!!本当、本当にごめんなさい…………!!!」
研究所で泣き叫ぶ祥子を二人の警察官が支えている。
マキナは祥子の背中を擦りながら、静かに涙を流していた。
祥子はこれから先生の家に戻り、現場検証を控えている。
この日Lepidopteraの使用をされている人間がいる事を知られることになった。
国が絶対に知られてはいけないと決めているLepidopteraの使用者の情報が漏れたのは、どう考えても一大事だ。
もうその事は大きな問題になっていた。颯斗は始末書の提出をしなければならないのが、既に決まっている。
これからどういう処分が待ち受けているのかと思うと、マキナの心は更に痛んだ。
マキナはこの時、自分の事を責めていた。
何故なら椿山先生と交際をしていなければ、こんな事になってなんて居なかったと思うからだ。
祥子がこんな事に巻き込まれてしまったのも、ドルーリーが大火傷を負ったのも自分のせいだと自身を責める。
更には知られてはいけなかったのにも関わらず自分の存在を、祥子を守る為とはいえ知られ颯斗に迷惑をかけた。
この時、自分を責める以外マキナには出来なかったのだ。
研究所から出ようとローファーを履く祥子が、涙目でマキナに振り返る。マキナは暗い表情を浮かべバイブスを完全に下げきってしまっている。
祥子はそんなマキナに泣き晴らした顔で、何時もと同じ優しい笑みを浮かべた。
マキナがガラスを割って助けに入ってきてくれなければ、祥子は先生のナイフの餌食になっていたに違いない。マキナは祥子の命を救ったのだ。
そんなマキナに「ごめんね」は違う。伝えたい言葉を賢明に考える。
落ち込むマキナの顔を覗き込み、祥子は涙混じりの声でこう云った。
「………ねぇマキナ、ありがとう……。大好きだよマキナ…………!!
また逢えて良かった…………!!!!」
笑顔のままで目から一筋涙を流した祥子が、研究所のドアから警察官と一緒に出てゆく。
ドアが閉まるのと同時にマキナの目から、暖かい涙が溢れ落ちた。
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