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時間渡航少女は泣かない

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私が時間を「遡り」出来る体質だと判ったのは、小学生の頃だ。それまで、何度か同じ体験をしていると感じた事はあったが、幼い私には夢を見ているような感じに過ぎなかった。明らかに「遡り」を感じたのは、遠足のバスが事故を起こした時だった。反対車線から自家用車が遠足のバスに衝突したのだ。同級生の何人かが血まみれになって、担任の先生が慌てふためいていた。大変な事が起こった。どうしようと錯乱している内に、遠足のバスが出発前に「遡り」をしていた。


 私はバスの出発時間をずらすべく、出発間際に担任の先生に「トイレに行きたい」と願い出た。それは嘘だった。トイレに行くと、出すものもないのに、30分ほどいた。それから、私のニックネームは「トイレ」になったが、事故が起きるよりマシだと思い、我慢した。おかげで、事故は回避出来たのだ。だが、遠足のバスが事故を起こした場所を通ると、やっぱり事故は起こっていて、違う車と衝突事故を起こしていた。帰ってから、ニュースを見ると、事故を起こした車の運転者は居眠りをしてたらしく、事故は起こるべくして起こったのだ。ただ、衝突する時間は変わらないが、衝突される車の順番がずれただけだった。
 衝突された車には三人親子が乗っていて、全員死亡とニュースは付け加えていた。その時に、車に乗っていた三人家族に申し訳ないと思うのと同時に、自分の「遡り」の能力の制限を知った。「遡り」をしたとして、因果律が全て変わる事はないのだ。助かったのは自分と自分の同級生と遠足のバスの運転手さん、担任の先生だけだったのだ。身代わりとして、三人家族の人たちを犠牲にしたのだ。
 それから、「遡り」の力に奢ることなく過ごしていこうと思った。「遡る」事によって、誰かが身代わりになる。それは自分にとって「禁忌」のものになっていった。


 その「禁忌」を破った事が何度かあった。中学校の二年生の時だった。クラスで浮ついていた所為か、虐められている同級生の女子がいて、自分の目の前で校舎の上から飛び降りた。地面に落ちた彼女の体は壊れた人形のように、手足の方向がバラバラになっていた。
 それを見た時に、意識の中に白いものが走り、「遡り」をしてしまった。戻った場所は自分の教室で、校舎の屋上から飛び降りた同級生はまだ、教室にいて、俯いていた。机の上は落書きだらけで、教科書は無残に引きちぎられていた。
 混乱している私は彼女を保健室に連れて行くと、保険室の先生に彼女の事を相談した。保険の先生に自分の事情を話し始めると、突然、泣きだした。
 それから、保険の先生は保護者に連絡をした。担任の男性教諭は保険室の先生から信頼を受けていない事を知るのは後の事だったが、それから保護者、保険の先生、担任の男性教諭、教頭、校長先生で夜中の遅くまで、緊急的な面談が行われた。担任の男性教諭は保護者からかなり面罵されたらしく、それから、しばらくして学校を去った。
 教頭も校長先生も穏便に解決しようとしていたが、保護者が教育委員会に大学の同窓生がいる事を匂わせたらしく、手のひらを返した。
 虐めた加害者の生徒と保護者を呼び出し、厳重注意をした。最初は子供同士の事だからと開き直っていた保護者たちだったが、机に残っていた落書きと無残に破損された教科書を見せられると黙ってしまったらしい。
 これらの事は同席していた保険室の先生は「守秘義務」とかを飛ばして、アドレナリン全開で喋りまくった。余程、この学校に鬱憤が溜まっているんだなと感じた。私はそうですか、そうなんですね。とお茶を啜りながら相槌を打つだけだった。
 大人社会の特に学校という閉ざされた社会はどういうものであるかを今回の事で学習した。当時の私は14歳の少女に過ぎなかったが、大人は特に学校関係者はこういう力関係で動く社会的動物である事を認識した。それが思春期の人間にとって「幻滅」するという事だと知るのは後の事だ。


 それから、しばらくの間、保健室が虐めの被害者の同級生と私の避難場所になった。同級生の名前は三枝美紀。よくよく考えれば、こういう事がなければ、この子と会話する事はなかっただろうな。二人はそれからいつも二人でいるようになった。行くのは保健室や図書室。学校関係者がいるような場所だ。
 虐めをしていた同級生たちは、しばらくは大人しくしていたが、ある時期から、又、個人攻撃をし始めた。通学用の自転車のタイヤをパンクさせられていたり、上履きに虫の死骸が入っていたり。直接攻撃でない所が鬱陶しかった。
 一度、学校に相談しようと思ったが、空とぼけるに違いない。放っておこうと思った。これは「遡り」の力を使って、因果律が変わった為だ。そういう風に思うようにした。


 一度、「遡り」の力を使おうと思ったが、あれは自分に心証的な「アクシデント」がなければ、発動しない。それに、「遡り」の能力を使って、何をするのだ?
 時間を「遡り」をして、犯行現場を押さえる?押さえたからと言って、謝るような連中ではない。自分たちで寄せ集まり、カーストを作って学校を徘徊している「迷惑」に過ぎない。



 「加奈ちゃん、大丈夫?」と三枝美紀はいつも心配そうに、私の顔を覗き込むが、その度に「何とかなるじゃない」と根拠のない答えを繰り返した。
 何とか、ならなくなったのは、数日後の下校時間だった。三枝美紀を虐めていたグループが下校ルートでたむろしていた。
 おもむろに、駆け寄って来たのは「主犯格」の同級生が睨みつけて来たが、言葉はなかった。
 新島冴子が彼女の名前だ。
 私は彼女を押しのけて、帰宅の道を急ごうとした。
 その押しのけようとした私の手を新島冴子が掴んで離さなかった。
 「何か用なの?」
 彼女は無言でカッターナイフを出すと、いきなり、私の首を狙ってきた。
 身をひるがえしたが、間に合わなかった。
 私の頬に血の滴りが出てきた。

 その時、「遡り」が始まった。
 「加奈ちゃん、大丈夫?」と三条美紀が聞いて来た。
 いつもの通りの三条美紀だ。ちょっとホッとした。
 「美紀ちゃん、今日はこっちから帰ろうか」と違う下校ルートで帰る事にした。そして、三条美紀を家まで届けると、自分も自宅に戻った。


 翌日、新島冴子がいつもの下校ルートで私たちを待っている途中、ダンプトラックが飛び込み、跳ねられて即死したニュースがテレビで流れた。

 ここで禁忌していた「遡り」ちゃんとしたルールが判ってきた。私が心理的外傷を受けて「遡り」をした場合、因果律を含めて、自分が受け持つが、自分が何かに傷つけられて、外傷を負わせられた場合、相手側に因果律が移動してしまう。
 小学校以来、悩んでいた「遡行能力」の基本的ルールが判って来た。

 新島冴子が死亡が翌日のホームルームで担任から説明があったが、誰も何も言わなかった。内心、新島冴子を頂点とするカーストにうんざりするものや、近づかないでおこうとするものが多かったからだ。

 新島冴子が亡くなって新しいカーストは出来なかった。ただ、新島冴子という「同調圧力」をどう使えば良いのか判っている14歳の少女がいなくなったのだ。

 中学生の「同調圧力」は凄いが中心が抜けると、こんなものかと拍子抜けした。

 残った虐めメンバーたちは各々、違うグループの中に入り、何事もなかったように、日々を過ごす。

 それで、三条美紀に対する虐めの加担に対しての贖罪がされたと思わないが、彼女たちには「罪の意識」はなかった。

 ただ、そこに虐めてもいい羊が群れの中に入ったので、石を投げてぶつけた。

 それだけなのだ。
 
 
 それから、私と三条美紀は順調に学校生活を送り、同じ進学校に通い始めた。、

 彼女も虐めを受けていた時とは違い、笑顔に愛嬌のあるクラスの人気者のなっていた。

 彼女に中学時代の事を聞こうと思ったが、止めておいた。

 誰しも、心理的な外傷はあって、それがいきなり、蘇る事があると知るのは、後の事だ。


 ある時、三条美紀に「好きな人が出来た」と告白された事があった。

 同じクラスの運動部の人間、というのは、少女漫画のテンプレだなと感じたが、「どうすればいい?」まで聞かれると、いつの少女漫画だよ、と頭の中の自分が囁く。

 そんな時、自分はもしかすると、自分は知らないうちに、「時間遡行」をしていて、精神的に経験を積んでいるのかなと思ってしまう。

 同世代の異性関係の話や将来の夢を聞くと、醒めた自分がいる。

 麻疹だよ、そんなもの。

 そういういやらしい呟きだ。


 はたして、自分は精神的にはいくつなんだろう?

 「どうすればいい?」三条美紀は真剣である。

 「告白しちゃえば?」あくまで、私は二人にとっては部外者だ。発言は誰が見ても無責任だが、それしかないだろう。

 意を決して、三条美紀が同級生に「告白」したのは、三日後で、結果は惨敗だった。

 
 「加奈ちゃん、ダメだったよ」三条美紀は明るく言った。「中野くん、他に好きな子がいるだって」

 「そう。それは大変だったね。残念会でもしようか」目の前の交差点の向こうのバーガーショップへ誘った。

 「うん」三条美紀は笑いながら、こう続けた。「中野くんの好きな子って、加奈ちゃんだったんだよ」

 横断歩道の信号は赤で交通量の多い場所だった。

 猛スピードで走って来る車が通ろとした瞬間、三条美紀は私の背中を押した。

 私は車に跳ねられる瞬間、意識に靄がかかった。

 「時間遡行」が始まるんだ。

 次は何処だろう。三条美紀に告白を薦めたあの瞬間なのだろうか。


 気がつくと、私は「時間遡行」を始めて感じた小学生の遠足の日に戻っていた。

 私は先生に「風邪を引いたみたいで、気分が悪いです」

 「我慢できない?」

 「出来ません」
 
 「それなら、仕方ないわね、お家には連絡する?」と担任の栗山先生は言った。

 本当だったら、来週、結婚するという話を同級生から聞いていた。

 「いいです。先生。うちは近所だから、ごめんなさい」

 本当に、ごめんなさい。栗山先生。

 そして、ともだち。

 明るい陽射しの中、私はリュックサックを背負い、自宅に戻った。

 悲しい気分だったが、涙は出なかった。

 そっか、私はこうやって生き延びて、いつもそこで泣いていたから、もう泣けないんだ。

 それをやっと自覚した。
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