籠中の鳥と陽の差す国〜訳アリ王子の受難〜

むらくも

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出立

05.ネヴァルストの王

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 波に揺られる船の旅。
 思っていた以上に船内は快適だった。ネヴァルストを出立した時よりも揺れが少なく、魔法をまとって滑る様に進んでいたアルブレアの馬車と遜色がない。
 その事にもはしゃぎ始めたグラキエ王子を微笑ましく眺めていると、じっとその様子を見ていたテネスがわざとらしく咳払いをした。
「殿下のご機嫌も麗しい事でございますし。今の内にネヴァルストの王政についてお勉強いたしましょうか」
 その言葉に返すのは、きょとんとした表情。 
「謁見に行くだけだというのに、大袈裟な」
「王室文化も異なるのですから、事前情報は入れておくべきです。どうせ今までの講義はご記憶にありますまい」
 じとりと向けられる言葉と視線に、婚約者は口ごもって視線を泳がせる。どうやら図星のようだ。

 グラキエ王子は人への興味が薄い。
 自分に近い相手のことはよく見ているし、それ以外の相手でも全く気遣いがない訳ではないけれど。それよりも技術的な事や、物語に出てくる他国の風景の方が興味をひかれやすい。その話題が出てくると途端に意識が逸れてしまうほどに。
 そんな主の行動を熟知している教育係である。
 最短のルートを最短の日数で結ぶ高速船ではなく客船を選んだのも、予備知識を叩き込む目的があっての事なのだろう。 
「他ならぬラズリウ殿下の御実家の事ですぞ」
 急に己の名が出て来て、ラズリウは意味もなく背を伸ばした。とはいえ、そんな事で動く人なら苦労はしないだろうに……などと考えながら見守っていたけれど。 
「……ラズリウの……実家」
 婚約者は予想と反対の態度を見せた。
 
 何か考える仕草をするグラキエ王子に、テネスはしめたとばかりの表情を浮かべる。
「左様にございます。そう思えば興味が全く出ない訳でもありますまい」
「そう、だな……頼む」
 どこか神妙な表情で頷く顔を、周囲の人間一同でまじまじと見つめてしまった。
 アルブレアとネヴァルストの間に国交はない。
 民間人の交流……もとい、ネヴァルスト商人の行商による文化の行き来がある程度である。きっとこの先も関わりの殆どない王室の話。家族の多さ故に関係が希薄で、ラズリウ自身もあの一族にさほど愛着を持っている訳でもないのに。
 己の祖国だという理由で興味を持ってくれたという事が、何故か無性に嬉しく感じるのだった。

 
 現ネヴァルスト国王、シュクラーファ・ダズリグ・ネヴァルスト。
 戦火の絶えない歴史を歩んできた国で、他国との大規模な戦のない治世を続けている数少ない国家元首。
 しかしかつて隣国との戦火が爆ぜようとした時に、侵攻の先陣を切る実兄の首を差し出して鎮火させたとも言われている冷酷な王である。
 
 実際には兄王子が独断で攻め入ったとされている。その生死にネヴァルストは口を出さないと一言を添えて、侵攻予定の土地に住む住民を逃すよう相手国へ密かに進言したと言われているのが当時の第二王子シュクラーファだ。
 その密告によって侵攻ルートを正確に把握された王太子は討たれてしまった。
 何故当時の敵国が第二王子の進言に応じたのかという謎は残る。しかし隣国の王は第二王子を支持し、友好関係を回復。本格的な戦の回避という実績に政敵は沈黙せざるをえなくなった。
 その後、父王の崩御によって正式に即位し今に至る。

「……兄を売ったということか?」
 
 じっと黙って聞いていたグラキエ王子だけれど、そこまで聞いて小さく頭を横に振った。小さく呟く声は何だか呆然としているようにも聞こえる。
 無理もない。
 アルブレアの王室は羨ましくなるくらいに家族仲が良い。グラキエ王子は兄王子達を慕っているし、兄王子達は弟を目に見えて可愛がっている。そんな家庭の子供が理解するには、あまりにも前提となる世界が違い過ぎる。
「……それぐらいはする人だと思うよ」
 そっとグラキエ王子の左腕に寄り添うと、勢いよく振り向く様な物音がする。
 けれど、どうしてだろう。
 向けられているあろう金色の瞳を見つめ返すことはできなかった。
 
「勝手に戦争おっ始めようとする方が悪い。自業自得ってやつだ」
 スルトフェンの少し怒りを含んだ声がする。
 彼の故郷はその侵攻が始まった時、相手側からの報復で焼け出されて山の麓に身を寄せる事になったのだという。それは本人が生まれる前のことだけれど、後にその集落は山崩れで壊滅する事になる。
 直接的ではないにせよ、現王の兄が起こした諍いが故郷を失う原因となってしまったのだ。
「評価の分かれる所でございますが、先の一件で後継者争いが治まったのは事実ですな。スルトフェンの様な意見の民も多いと聞きます」
 ――自然災害が多発した年が何度かある。
 その被害に遭った民の半分ほどは、スルトフェンの故郷と同じ様な境遇で住居の移動を余儀なくされた村落だったと言われている。だから当時の王太子が起こした無謀を止めたとされる現王は、なんだかんだで支持されているのだ。
「……そう、なのか」
 それでも困惑を隠せないグラキエ王子に、テネスは少しだけ躊躇う様な表情を浮かべたけれど。
 
「まだ続きがございますぞ」

 心を鬼にした教育係は更に畳み掛けるつもりのようで。
 ひとつの咳払いから続く言葉に、婚約者の目はまん丸になってしまっていた。
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