今宵、月あかりの下で

東 里胡

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10.甘くて苦いバレンタイン

10-3

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 日曜の夜、皆でお好み焼きをした。
 勇気さんも今日はお休みで全員揃ってのお夕飯は久しぶりだった。
 マスターにも声をかけたけれど、今日は用事があるから、とのこと。

「ねえ、ちょ、勇気がひっくり返したやつ、焼けてないじゃん!」
「それ、美咲がひっくり返した方だから! なんで、俺のせいにした?」
「ん? そうだっけ」
「すぐ人のせいにするし」

 むうっとふくれ面をした美咲さんに、勇気さんはちゃんと焼けた方のお好み焼きを皿に置く。

「ありがと」

 ぶっきらぼうな御礼だけど美咲さんの頬が赤くなってる気がするのは、気持ちを知ってしまったせいだろう。
 そっと祥太朗さんの表情を盗み見たら、能面のように無関心を装い、トクトクと自分のコップにビールを注いでいる。
 
「あ、あの、祥太朗さん。ビール空ですか? 持ってきましょうか?」
「大丈夫だよ、自分で取に行けるから、吉野さん座ってて」

 一瞬だけこちらに向けた笑顔も寂しそうで気になってしまう。

「祥太朗、あんま飲みすぎんじゃないわよ」
「わかってる、これ一本で止めとくし。つうか、美咲のが飲んでるだろ」
「全然、飲んだの全部勇気だし」

 美咲さんのテーブル周りに空き缶が既に五本。

「ちょ、また人のせいにするし。俺一本、美咲四本な」
「祥兄より、姉ちゃんのが酒癖悪いんだから気をつけなよ」

 ワイワイとしたおしゃべりの輪を離れ、冷蔵庫にビールを取りに行く祥太朗さん。
 思えばこういう時、いつもそっと輪から外れてしまうのが祥太朗さんなのだ。
 しっかり者で、実は皆のこと一生懸命考えていて優しくて。
 だけど、なんだか寂しそうな横顔を覗かせる人。
 お替りのお好み焼きを新たにホットプレートに落した後、私もキッチンに向かう。
 リビングからは見えない位置にある冷蔵庫にもたれて、ビールの缶ごと口をつけている祥太朗さんと目が合った。

「あ、邪魔? ごめん」
「いえ、麦茶だけ取ってもらってもいいですか?」

 私の声かけに冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを出してくれた。

「もう食べないんですか? 今、お替り焼いてます」
「ん~、もうお腹いっぱいかも」

 そんなに食べてなかったのにな。
 もしかして今日のお好み焼きはお口にあわなかったんだろうか。

「明日は祥太朗さんの好きなトンカツにしますね」
「ん? 俺の好物覚えててくれたの?」
「はい、全員の好みはもう把握しました」
「さすが」

 クスっと笑った祥太朗さんは。

「あ、今日のお好み焼きも美味しかったからね! ただ粉物はすぐお腹膨らんで、あんま量食べれないってだけだから」
「は、はい」

 私が危惧していたことを見透かしていたようだ。
 苦笑した私の頭をポンポンと撫でて。

「やっぱ、もう一枚食べようかな。吉野さんも、食べよ」

 その笑顔がやっといつも通りに見えて、ホッと胸を撫でおろした。




***

「じゃあ、その日は好きに使っていいよ。俺も出かけておくし」

 今度の土曜日は祝日のため、定休日となる。
 その日、お店のキッチンが空いていたら、お借りできませんか? とお願いしたら、二つ返事で了承してもらえたけれど。

「え? いえ、マスターがいない時に勝手になんて」
「土曜日の帰りに合鍵渡すから。女子ばっかで集まってる中に俺はいない方がいいと思うよ? その代わりと言ってはなんだけど、風花さんの作ったチョコ俺にも食べさせてほしいな」
「勿論です! マスターは、どんなチョコがいいですか?」
「ん~、ブラウニーとか好きかも」
「じゃあ、マスターのはブラウニーにします」
「え!? もしかして全員違うのにしたり?」
「はい」
「めちゃくちゃ手間じゃん! 皆と同じでいいよ」
「日頃の感謝の気持ちなので、それぞれが好きなものを送りたいんです」

 お気遣い、いつも、ありがとうございます! と笑ったら、マスターもありがとうと笑顔をこぼしてくれる。

「あ、昨日はせっかく誘ってくれたのに、ごめんね、行けなくて」
「いいえ、どこかお出かけだったんですか?」
「ん、ちょっとね、墓参りに」

 あ……、これはもう地雷踏んでしまったかもしれない。
 冷や汗をかきながら、相槌を打ちつつチーズケーキを一人前ずつ切り分ける私の横で、マスターはサラダを作っている。

「誰の、って聞かないの?」
「え!?」

 まさかの返しに焦ってしまった私の足元にまだ切り分けていなかったホールケーキが半分、ぼとっと落ちてしまった。

「う、ああ、すみません。ごめんなさい、ケーキすぐ作り直しますんで」
「いいよ、大丈夫。今日のチーズケーキは限定八名様にしとこ」

 気にしないで、とケーキを一緒にケーキを拾ってくれるマスターと手がぶつかって、視線をあげたらぶつかった。

「マスター……?」
「あ、なんだ、これ。ちょっと顔洗ってくる」

 焦ったように立ち上がって、自室への階段を駆け上がっていく足音。
 泣いてた、と思う。
 やっぱりさっきの私の話題ふりが引き金となってしまったんだろうか。
 お墓参り、きっとフユさんの、だよね? 二月って言ってたし。
 ケーキを片付け終えても、まだ降りてこないマスターが心配になって。

「マスター?」
 
 開きっぱなしの扉の上に声をかけてみる。
 まだ開店までは一時間あるし、大体の仕込みは出来上がっているけれど。

「お、お邪魔、します」

 そっと家に入る階段を昇り、リビングのドアをノックした。

 返事はない、だけど気配はあるし……。

「開けます、ね?」

 静かに開けて、中を見渡したら部屋のソファーに座り込み背中を丸めて俯いているマスターがそこにいた。

「大丈夫ですか……?」

 心配になりソファーの横まで行き、屈みこんでみたのはさっきよりも更に目を真っ赤にしたマスターの泣き顔。

「ごめ、なんか昨日から涙腺壊れてて」

 泣き笑いしながらティッシュを手に取り目を擦る。
 そっか、今朝も何だか目が赤かったのは気のせいじゃなかったんだ。
 とても苦しそうなその涙は、フユさんを想ってだろう。
 マスターの座る正面に位置する絵の中のフユさんはクリスマスに見た時と同じ華やかな笑顔でこちらを見ている。
 丸くなったマスターの背中を落ち着かせるように恐る恐る撫でてみたら、ごめん、と小さな呟きが聞こえた。

「昨日、行った墓参り……、元婚約者の、なんだ」
「……そうかなって思ってました。ごめんなさい、前にマスターの家のお手洗いをお借りした時、私があの絵を見ていたら勇気さんが教えて下さって」
「勇気、他になんか言ってた?」
「最近、マスターが元気ないってことを、お話したら、勇気さんも祥太朗さんもとっても心配してました」
「う、わ、それって風花さんにも余計な心配かけちゃってたってことか。もうさ、ホント情けないよな」

 参ったな、と立ち上がったマスターがキッチンに向かう。

「お詫びに珈琲淹れるわ。座ってて」

 はい、と頷いて、またそっと絵を眺める。
 愛らしく華やかな人。マスターと並んだらお似合いだろう。
 マスターが高校二年生の時からお付き合いしてたというから、六年付き合ってたってことなんだ。
 
「はい、祥太朗から風花さんの甘みの好み習ったけど、あってる?」
「ありがとうございます」

 初日の出を見た時に祥太朗さんが教えたのだろうか。
 一口飲んだら、ほどよい酸味と甘みが口の中で芳しく広がる。

「いつもは命日に合わせて行ってたんだ。彼女の実家の法要にも出させてもらって。でも、去年、フユのご両親に言われたんだ。『もう、フユのことは忘れて涼真くんは前に進みなさい』って。フユのお母さんって、フユに目元とかよく似ててね。その人がそう言うなら仕方ないかって、だから今年は行かないつもりだったんだけどね。命日に近づくと、どんどん苦しくなっちゃって。そんで、誰にも会わないように、命日よりも前に墓参りだけならいいんじゃないだろうか、そう思って」

 グッと唇を一度噛みしめてから、泣いているみたいに目尻を下げて笑う。

「フユのお母さんが言ってた意味、最近本当は気づいてたんだ」

 意味? と首をかしげた私に、マスターは頷いた。

「フユと離れてもうすぐ四年目になる。その間、俺は生きて毎日忙しくて、風花さんや桃ちゃんや新しい人と知り合ったり、祥太朗と勇気とまた親交するようになったり。生きている限り、新しい思い出が日々増えていくのに、フユとはもう増えることはないんだ。……むしろ、少しずつ記憶があいまいになる。忘れたくないのに、あの時フユは何て言ってたっけ? とか、髪の匂いとか、そういう生きている人だったら確認できそうなことを、どんどん忘れていくんだ。きっと、フユのお母さんは、そうやって俺が苦しんでいるのを知っていて、もう考えなくていいって背中を押してくれたんだろうけど。でも、俺が許されていいのかな、あの時、買い物に行ったのが俺だったら良かったのに」

 記憶のかさぶたを剥がして、また傷だらけになっているマスターの独白をただ頷きながら聴いた。
 この苦しみを誰かに分けることができるなら、私にも分けて欲しいと願う。
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