86の約束

仙道 神明

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Lap 2 「奇跡の同タイム」

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 「おい悟、ちょっと来い」

 ガレージの奥から古川の声が響いた。悟が缶コーヒー片手にのそのそ歩いていくと、赤いGR86の横に立つ少女を指差した。

「紹介しとくわ。こいつ、早矢(はや)ちゃん。現役のプロドライバーだ」

「ああ、どうも」

 悟は軽く会釈だけして、言葉を続けない。

「こいつな、昔っからAE86転がしてるんだぜ。いまどき珍しいぞ?なあ、早矢ちゃんも言ってやれよ、こっちのハチロクのがいいって!」

 早矢は興味深そうに悟の横をすり抜け、駐車スペースのトレノの前に立った。

「AE86……渋いですね!」

 その声には、素直な驚きがあった。

「わたし、旧車好きなんですよ……。これ、見てもいいですか?」

「……ああ、どうぞ」

 悟は少し驚いたように返事をした。若いドライバーが、ここまで素直に旧車を褒めるとは思っていなかった。しかも、興味だけじゃない。歩き方、目線の動き、姿勢……“見る人”のそれだった。

「……純正シートだ。ミッションもノーマルっぽいですね」

「エンジンは1度換えてるけどな」

「あら、やっちゃったんですか?」

 思わず、悟の口元が緩んだ。ここまで食いついてくる若い子なんて、初めてかもしれない。
 そんな二人の様子を見ながら、古川が腕時計を見てつぶやく。

「やべ、もうひとりの予約客来る時間だ。悟、ちょっとだけ付き合ってやってくれ。すぐ戻る」

 古川が店内に消えると、外には悟と早矢だけが残された。静かな日差しの中、赤と白、二台のハチロクが並ぶ。

「やっぱいいなあ、4A-GE。音が違うんですよね、こっちは。振動も」

「最近の車は静かすぎて、逆に怖いくらいだな」

「わかります!“走ってる”って感覚、今の車にはあんまりないかも……」

 年齢も、人生の道のりもまるで違う二人。
だけど、この時間だけは同じ“言語”を話していた。

 しばらくして古川が顔を出し、手招きした。

「中、涼しいし入ってこいよ。早矢ちゃん、あれまだあるぞ。あれ」

 店内の壁際に設置されたのは、グランツーリスモの試遊台。ハンドルコントローラーに専用シート、3画面モニターの豪華仕様。
 来客用と言いつつ、古川が一番遊んでいることは皆が知っている。

「うわ、グランツーリスモ……!」

 早矢が少年のような顔で駆け寄った。

「これ、やっていいんですか?」

「おう、ちょうど暇だろ。タイムでも測ってみな」

「じゃあ……筑波で。車種は――AE86のノーマルで!」

 早矢が選んだのは、あえて自分のGR86ではなく、悟の愛車と同じAE86。やっぱり旧車が好きらしい。
 ゲームとはいえ、現役レーサーの腕がどれほどのものか──悟も興味がわいた。

 コースインから数秒後、マシンが第一コーナーへ。ライン取りが違う。立ち上がりが鋭い。
 滑らかなアクセルワークと、ブレーキポイントの的確さに悟は息を呑んだ。

1周、2周……そしてアタックラップ。

「……出ました。1分10秒880」

 古川が眉を上げた。

「はっや……。ノーマルAEでそれって……マジかよ」

 「まぐれですよ!」と笑う早矢。だが、その腕は確かだった。

「悟、お前も走ってみろよ」

「いいのか?」

 悟は静かに席に座った。古川と早矢の視線を感じながら、スタートボタンを押す。アクセルの踏み始め、ブレーキの遅らせ方、すべてが長年の“感覚”によるものだった。

 雑さもある。
 迷いもある。
 でも、不思議な集中があった。

 そして──1ラップ後、モニターに映ったタイムは──

「……1分10秒880」

 一瞬の沈黙。空調の音が妙に耳に残った。

「えっ……えっ!?」

 早矢が振り向いた。

「同タイム……?……マジで!?」

 古川が目を見開く。

 悟は少し照れたように笑った。

「ま、運が良かっただけだ」

 でも、その笑顔は少しだけ誇らしげだった。

「……なんか、運命感じますね」

 そう呟いた早矢の目は、ただのプロドライバーのそれではなかった。
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