86の約束

仙道 神明

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Lap 11 「爪先ひとつぶんの距離」

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──レース1、決勝当日。

 午後2時、空は青く澄みわたり、富士スピードウェイのアスファルトが陽に照らされて熱を帯びている。

 風馬レーシングのGR Supra GT4 Evoがグリッドに並ぶ。

「作戦はこうだ。前半、早矢が一気にプッシュしてタイム差を稼ぐ。後半スティントで悟がタイヤを持たせて順位を守りきる。それでいくぞ」

 古川がガレージで二人にレース戦略を説明する。

 ポールポジションは椎名の乗るBMW M4 GT4。早矢はクラス2位のグリッドから、赤と白のマシンをスタートラインに並べた。

──シグナル、ブラックアウト!

 早矢のスタートは完璧だった。1コーナーを抑え、滑らかな加速で後続との差を開けていく。

しかし──椎名はさらに速かった。

 その背中は、むしろ周回ごとに遠ざかっていった。

 スタートから30分が過ぎたころ、チームはピットインのサインを出す。クラス2位のまま、GR Supraはピットへ飛び込んだ。

「タイヤ……ずいぶん使っちゃった……」

 ブレーキの焼けた匂いとともに、ドアが開く。

「悟さん、タイヤ使いすぎちゃった……ごめん」

 と、やや気まずそうに言いながらバトンを渡す。

 悟は黙って片手を上げ、マシンに乗り込んだ。

 レース後半、コースに戻った悟は、驚異的なラップで周回を重ねていった。モニター上のタイム差はみるみる縮まる。
 トップとの差は10秒、8秒、6秒……そして残り3周でついに1秒まで迫る。

 ピットのモニターに映るラップタイムを見て、椎名が声を上げた。

「……お、おい、何やってんだ……?
俺が築いたタイム差が……全部、消えていくじゃねえか……!」

 その表情には、怒りよりも困惑がにじんでいた。
 “アマチュア”のはずの男に、プロの自分が築いたアドバンテージを削られている──その事実が信じられなかった。

だが──その時。

「……タイヤ、終わったか……」

 悟は唇を引き結んだ。

 ピットの早矢も、変化を察した。マシンの姿勢が微かに不安定になる。

「……私のせいだ……」

 早矢はつぶやき、両手を組んで祈るようにモニターを見つめた。

 だが悟は諦めていなかった。

「ここは……富士だ。最後の勝負は、ストレート……!」

 悟はコーナー進入での無理なブレーキングを避け、タイヤを労わりながら最終セクターへマシンを導く。

 ちょうどGT3マシンが悟を抜いていく。

「……使える……!」

 悟はGT3マシンが最終コーナー手前でアウト側に膨らむのを読んで、あえて早めにインへ切り込む──
 空気の壁を切り裂くGT3の“スリップストリーム”を完璧に捉えるためだった。

 さらに、最終コーナーでほんのわずかにアクセルを早く開ける。

「……トラクション、乗る!」

 リアが一瞬わずかに流れるが、絶妙なカウンターとスロットル調整で立て直す。長年のゲーム経験が染みついた“反射”だった。

 マシンは鋭く直線へと躍り出る。

──残り600メートル。

 スリップに入った瞬間、マシンはまるで後ろから押されるように加速する。

──400メートル。

 前を走るBMW M4 GT4が、視界の中でじわじわと大きくなる。

──200メートル。

 もう“真横”まで来た。観客席からどよめきが起きる。

「……行け、悟さん……!」

 ピットの早矢が、無意識に両拳を握りしめていた。

──チェッカー!

 並んだ2台は、ほんのコンマ数秒の差でフィニッシュラインを通過した。

 結果は──クラス2位。だが、そのタイムは0.186秒差だった。

 まさに、あとわずか──“爪先”ひとつぶん、届かなかった。

「……悟さん、すごかった……!」

 と、早矢はピットロードに駆け寄り、涙を浮かべた笑顔でそう言った。

──

 その夜、周囲はざわついていた。

「アマチュアがGT4でファステスト!?」
「経歴が空白すぎる……誰だこの男」

 悟の素性を探ろうと、関係者らが古川に詰め寄る。

「アマじゃなくて、元何かでしょ?テストドライバー?それとも海外帰り?」

 しかし古川は笑ってごまかした。

「さあ?ただのゲーム上がりですよ、あいつは」

 半分本気、半分はぐらかし。

──夜、ホテルの部屋。

 悟はシャワーを浴び、ひと息ついたあと、ベッドの上に倒れ込んでいた。

 天井を見つめながら、今日のレースを振り返る。

「あそこでスリップに入れて、最終立ち上がりで…」

 思い返せば、自分の感覚と、ゲームで掴んだ“ライン”が見事に一致していた。

(……まだやれるのか、俺)

 思わず、そんな言葉が漏れた。

 気がつけば、窓の外には富士の山影。その大きさに、なぜか安心感を覚える。
 スマホを見ると、早矢からメッセージが届いていた。

悟さん、本当にお疲れさまでした!
明日も、楽しみですねっ😊

悟は静かに笑った。

(……こっちこそ、楽しみにしてるよ)
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