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5巻
5-3
第三話 再び霊山へ
キーリエフさんとゼラスさんに出迎えを受けた俺たちは、そのまま料理長のゲーリクさんが用意してくれていた夕食を食べた。
その後、以前も泊まっていた部屋へ案内され、布団を出して倒れるようにスノーに抱きついて寝てしまった。
しばらくは倉持匠さんの遺した庵で寝泊まりしていたとはいえ、やはり緊張もあって疲れていたのだろう。次の日に目覚めたのは、いつもの早朝ではなく、陽が昇ってしばらく経った頃だった。
『あ、起きた、アリト』
『おはよう、スノー。これだけゆっくり寝たのは、いつ以来かな』
まだぼうっとする頭を振り、浄化魔法を掛けてさっぱりしてから支度を整えると、スノーを伴って部屋を出て、階下の食堂を目指した。
「おはようございます、アリトさん。ゆっくりお休みいただけましたか」
階段のところまで来ると、ゼラスさんが待っていてくれた。
「おはようございます、ゼラスさん。ありがとうございます。いきなり来たのに、すみません。ゆっくりと寝させてもらいました」
「それは良かったです。朝食はできていますので、食堂でお待ちください。ティンファさんは起きてこられましたら案内いたします」
この気遣いは、さすがだな。昨夜は旅の詳しい話をする前に眠ってしまったから、色々気になるだろうにな。
キーリエフさんには、出迎えてくれた時に新しく仲間になったリアンとイリンの紹介だけして別れたままだ。タクーのことは、白竜だなんて言ったら大事になるので、詳しく話をする時に紹介するつもりである。
食堂へ入ると、メイド長のナンサさんが俺の分の朝食を並べてくれているところだった。
「おはようございます、ナンサさん。ありがとうございます。あとでゲーリクさんのところへ顔を出しますね。お土産の食材がいっぱいあるんです」
「おはようございます、アリトさん。ええ、ゲーリクも楽しみにしていますよ」
一人で朝食を食べ始めると、ティンファとレラルが一緒に入ってきた。
「おはようございます、アリトさん。ゆっくり寝てしまいました」
「おはよう、ティンファ。俺もさっき起きたばかりだよ。あ、この後おばあさんの家に行く前に、露天風呂を貸してもらおうか? まだ疲れているだろう? 昨日はお風呂に入れなかったから、俺も借りたいと思っているんだ」
俺は今日もこの屋敷に泊めてもらうので夜でもお風呂に入れるが、ティンファはおばあさんの家に滞在する。普通の家庭にお風呂はないので、今のうちに入っておいた方が旅の疲れはとれるだろう。
オースト爺さんの家に戻ったら、早急にお風呂を作ろう。何で俺は浄化の魔法だけで満足していたのかな。
庵で毎日お風呂に入れる生活を送っていたら、もうお風呂なしの生活には戻りたくなくなってしまった。というか、お風呂を気にするだけの精神的余裕が出てきたってことだろうな。
「いいですか、ゼラスさん」
「どうぞお入りください。今の時間は誰も入りませんので。あとキーリエフ様は、ティンファさんを送って戻ってくるまで私の方で止めておきますので」
好奇心旺盛なキーリエフさんのことだから、早く話を聞きたいと思っているだろうけどな。
「それは助かります。キーリエフさんには色々報告しないといけないことがあるので、戻ったら詳しい話をしますね。あ、ドルムダさんはまだ屋敷に滞在していますか?」
昨夜、俺たちが到着した時にはキーリエフさんたちの食事はもう終わっていて、遅い時間だったので確認する余裕もなかったのだ。
「はい、まだ滞在されていますよ。ただ、今は街の工房の方へ泊まりがけで教えに行っているのです。昨夜知らせを送りましたので、今晩か明日には戻ってくると思います」
ああ、作った物を流通させるには、ドルムダさんが製作するだけでは数が足りないからな。街の工房で作らせるって言っていた気がする。
「じゃあ、ティンファ、俺はもう食べ終わるから先に露天風呂に入るよ。出たら声を掛けるから」
「はい。朝食をいただいて、準備しておきますね」
ゲーリクさんに旅で手に入れたお土産を渡そうかと思っていたけど、とりあえずは風呂だな。
朝食を食べ終えると、着替えを持って露天風呂へと向かった。
「おばあさん、ただいま戻りました!!」
「お邪魔します。無事に戻りました!」
露天風呂に入り、しっかりと温まって疲れを癒すと、ティンファが入っている間にゲーリクさんにお土産の食材を渡して一緒に昼食を作った。
俺たちが朝食を食べ終えたばかりだから、軽めのパンケーキだ。トッピングすれば、ガッツリ昼食にもなるし、ジャムを作って挟めばおやつにもなる。後者はティンファのおばあさん、ファーラさんへのお土産だ。
早めに昼食を食べ終えた後、キーリエフさんに捕まる前にゼラスさんが馬車でファーラさんの家まで送ってくれた。今も下で待ってくれている。
「まあまあ、おかえりなさい。アリトさんも、元気そうで良かったわ」
「はい、怪我をすることなく無事に戻ってこられました。ただ、ティンファには体力的にかなり厳しい旅になってしまいました……。街で何日かゆっくりしてから、俺の暮らしていた場所へ一緒に向かいたいと思っています」
「ふふふ。いいわよ。こうやってティンファが笑顔で訪ねてくれたのだもの。街にいる間は、アリトさんもまた顔を見せに来てくれるのでしょう? さあさあ、ティンファ、入ってゆっくりしてちょうだい」
「ティンファ、買い出しの時はここに寄るよ。アディーに一日一度は顔を出すように頼むから、何かあったらその時に手紙を預けてくれ。では、ファーラさん、また来ます。お邪魔しました」
笑顔で微笑み合う二人に声を掛けてから、パンケーキを渡して引き返した。
さて。いい加減キーリエフさんの相手をしてから、手紙の確認かな。
「ゼラスさん、お待たせしました。俺宛ての手紙は屋敷に届いていますか?」
「はい。商人ギルドへ届いたものは、その日の夕方には屋敷に来ています」
「では、ギルドへ寄る必要はないですね。屋敷に戻りましょうか」
そのまま屋敷に戻って扉を開けると、キーリエフさんが待ちかまえていた。まあ、予測通りだ。
「さあ、アリト君! 色々話を聞かせてくれないか!」
「はい。森の中で運良くいくつかの集落を見つけて立ち寄りましたので、その話もしますね」
そのまま応接室へ案内され、キーリエフさんとゼラスさんに旅の間のことを順を追って話していった。マジックバッグを集落へ三つずつ渡したことを告げると。
「それは良かった。マジックバッグはドルムダが頑張って作ってくれているけど、どうやって流通させるか迷っていたのだよ。あればかりは、アリト君に聞いてから他の工房で作るかどうかを決めたかったんだ」
調理器具などは、ドルムダさんが作り上げたそばから流通させていた。
でもマジックバッグだけは、ここから俺が旅立つ時でもドルムダさんが屋敷に留まって作る、としか聞いていなかった。改良版の方は領主の屋敷や知人へ渡すと言ってはいたけど。
なんだかうれしいな。元々俺は表に出たくなくてキーリエフさんに丸投げしたのに。キーリエフさんの名前で出すのだし、全部任せたのだから、マジックバッグをどう扱われても文句は言えない。
でも、キーリエフさんは俺に気を遣って製作の拡大や流通はストップしてくれていたようだ。
逆に言えば、それだけマジックバッグの扱いは難しい、ということだろうな。
マジックバッグは便利過ぎるし、流通に乗せるかをキーリエフさんに任せた後も、まだ葛藤はあった。でも、集落での暮らしを目の当たりにして、流通させるべきだと今は思うようになっている。
とはいえ、マジックバッグは元々、上級魔物の皮を使い、そこに自分の魔力を通すことで容量を増やして完成させたものだ。この作り方なら、今の俺のカバンのように部屋一つ分の荷物は楽に入るようになるが、流通させるものを同じ製法では無理だろう。個人の魔力量や魔力操作の技量の違いで、容量にかなりの差が出るのが最初からわかっている分、使用する人を選ぶからだ。
だから流通させるのは、ドルムダさんと一緒に改良した、使用者の能力に性能が左右されないマジックバッグになる。集落へ提供したのもこれだ。
ただそのマジックバッグだと、だいたい三畳程度の容量しかないんだよな。
「マジックバッグの材料は上級魔物の皮ですが、エリダナの街での取り扱いは多いのですか?」
俺やキーリエフさんなら問題なく手に入れることができるけど、この街の周辺に出る魔物や魔獣は、強くても中級だ。旅していた時も、上級魔物が出てきたのはかなり森の奥の集落からだった。
ここから東の森へ行けば、霊山の影響で上級魔物もいるかもしれないけど……。王都も東の森の中だったっけ?
「王都からの荷物でなら、たまに入荷することはあるよ。まあ、街の工房に恒常的に流通させるのは、僕が手を出さなければ無理だろうね」
「ですよね。なら、キーリエフさんが売ってもいい人を選別して、最初はその人たちから流通させるのはどうでしょう。あと俺としては、旅の途中で森の集落の状況を見ましたから、集落へは優先的に流通させてもいいように思いますけど」
大々的に売りに出すとなると、その分の材料調達をキーリエフさん個人で担うのは無理だ。かといって、俺がオースト爺さんの家に戻ってから商人ギルドへ上級魔物や魔獣の皮を卸すというのも避けたい。かなり目立つことになってしまうからな。
俺の都合もあるので、申し訳ない気持ちもあるが、キーリエフさんには希望も込めて伝えてみた。
「では、そうしようか。僕もマジックバッグに関してはそうするしかないとは思っていたんだ。ただ、信用できる昔馴染みの知人には、正規の作り方を教えてもいいかな? 僕も自分で作ったバッグは、今では小さな倉庫程度まで入るようになったし、とても便利だからね」
……あはははは。もう小さな倉庫、か。ま、まあ、俺とキーリエフさんじゃ魔力量が違うからな! うん! くやしくなんて、ない、からな!
……オースト爺さんのマジックバッグは、戻ったらもう家一軒分は楽に入るようになってそうだよな。少し悲しくなってきたような……。い、いや。俺はのんびり暮らせればいいだけだから!
気を取りなおして、俺はキーリエフさんに答える。
「ええ、いいですよ。自力で上級魔物を倒せる人になら、ぜひ勧めてください」
「実は私もアリトさんが旅に出てから作りました。王都へ行く用事があった時に、少し森の奥へ入りまして。お蔭で食材の買い出しがとても便利になりました」
ゼラスさん、とてもいい笑顔ですね! 買い出しのために大陸中を飛び回っているんですね!
……ゼラスさんもすでに俺よりも容量が大きくなっていそうで、どれくらい入るのかは聞きたくないな。
「役に立っているようで良かったです。あ、それでシオガが余っていたら、売っていただいてもいいですか? 結構使ってしまって」
シオガは醤油に似た調味料だ。ここで手に入りそうだから、旅の間も遠慮なく使っていたんだよな。集落で食事を用意していた時も、バンバン使っていたし。
「はい、もちろんです。ラースラもご入用でしたら、まだ在庫に余裕がございますよ」
「あ、じゃあ、ラースラもお願いします!」
ラースラは、お米のことだ。ラースラも、皆喜んで食べてくれるから、もうすっかり食事には欠かせない。
それにしても……本当に、どれだけ飛び回って食材を集めているのだろうな。俺とゲーリクさんとで色々メニューを増やしたけど、実は一番喜んでいるのはゼラスさんだったりして。
「この街では北の森の集落の情報は入りづらいから助かったよ。では、アリト君の目的がどうなったかも、聞いてもいいかな?」
「はい。集落を辿って北の辺境地まで行き、手がかりからなんとか倉持匠さんの住居を見つけました。そこで、白竜のリューラに会いました」
「「っ!?」」
どうだとばかりに、リューラのことを伝えた。
別にカバンの容量を抜かれて拗ねているんじゃないからな。俺だってリューラを見た時にはかなり驚いたのだから、キーリエフさんたちにだって驚いて欲しい。あ、オースト爺さんの手紙にも、リューラのことは書かないでおこう。
目を見開いて愕然として固まっている二人を見て、ハイ・エルフのキーリエフさんでも白竜は希少な存在なのだな、と思う。二人のこんな姿を見る機会なんて、滅多にないだろうからな。
キーリエフさんたちが落ち着いてからタクーを紹介し、リューラのことや倉持匠さんの遺してくれた本のことなどをじっくりと話した。
昨夜、タクーの気配には気づいたけど、白竜だとは思っていなかったそうだ。まあ、本当に小さいからな、タクーは。
「そう、か。ではアリト君は、もう『落ち人』についてはいいのだね?」
「はい。オースト爺さんのもとへ戻って、自分が望むように生きていきます。スノーや皆、それにティンファも一緒ですしね」
「街に住むつもりなら、ぜひともエリダナの街で僕と一緒に発明をして欲しかったのだけどね」
「いつでも呼んでくれたら遊びに来ますよ。『死の森』に住んでも、俺はオースト爺さんみたいに閉じこもるつもりはありませんし、落ち着いたら美味しいものを探しにあちこち旅もしたいと思っているんです」
キーリエフさんの言葉は、とてもうれしい。でも、どうしても街へ定住する、というのは性に合わないのだ。毎日の仕事の通勤に縛られることのない今、我慢をする必要もないしな。
ティンファも森暮らしが楽しみだと言ってくれているし、スノーたちに窮屈な思いもさせたくない。
住むのは『死の森』といっても、あちこち出歩くつもりではある。まあ、移動はスノーやアディー頼りなんだけどな!!
「ふふふ。それはいいね。では、何か思いついたら知らせてくれ。僕はいつでも歓迎するよ。いつだってこの屋敷に滞在してくれてかまわないからね」
「はい、ありがとうございます。とりあえず明日は、アディーに乗せてもらって霊山へ行きたいと思っています」
「霊山、か。ああ、アリト君が旅立ってから届いた手紙を持ってきてあるんだ。渡しておこう。今後、手紙はどうするかね?」
キーリエフさんの合図でゼラスさんが差し出してくれた手紙を受け取り、これからのことを考える。
『死の森』で暮らし始めたら、イーリンの街へはたまに買い出しに行くだろうから、その時に薬や薬草を卸せば商人ギルドに手紙の受け取りを頼めるかもしれない。
でも、信用できるのはこのままキーリエフさんに預けて、オースト爺さんへ送ってもらうことだ。
「……これからもお願いできますか? イーリンの街の商人ギルドにも頼みますが、こちらで預かってもらいたいものもあると思うんです。定期的に連絡しますから、オースト爺さんのところへ送っていただけると助かります」
「ああ、わかった。では、そうしよう」
話が終わる頃にはもう夕方になっていたので、そのまま俺が夕食を作ることにした。
厨房へ行くと、ゼラスさんが一昨日買ってきたムームンがあったので、贅沢にチーズグラタンを作ってみた。
皆は夢中で食べていたよ。キーリエフさんもとても興奮していたから、これでムームンの研究がもっと進むだろう。他にも色々な料理に使えますよって、そそのかしておいたし。俺もチーズは気軽に手に入れたいからな。
夜にものんびりと露天風呂に入って温まり、ゆっくりと快眠。
そして翌日の早朝、ゲーリクさんと一緒に朝食の用意と昼食用のお弁当を作り、アディーと一緒に屋敷の庭へ出た。
「それじゃあ、アディー、霊山までよろしくな」
『今回は仕方ないからな。ホラ、さっさと乗れ』
アディーはみるみる体を大きくして、俺と小さなスノーが乗れるサイズになった。
その背へレラルとリアン、それにタクーと一緒に乗る。イリンはティンファと一緒にファーラさんの家だ。リアンが寂しそうにしていたので、奥さんのイリンと一緒に行っていいと言ったけど、自分は俺と契約しているのだからと残ってくれたのだ。
座るとすぐにアディーが出発したので、慌てて風の障壁を張った。
スノーは俺の横、レラルとリアンとタクーは俺の膝の上だ。
『なんかこの間より小さいの。これだと動けないの』
『動かなくていい。お前は大人しく座っていろ。飛ばすからな』
スノーの言うように、今のアディーはロックバードのロクスよりも小さく、俺とスノーが座ればそれでいっぱいだ。
アディーは一気に高度を上げると急加速し、みるみるうちにエリダナの街が遠ざかっていった。
そして、あっという間に霊山の姿が大きくなってくる。
揺れることはないが、あまりの速度にレラルが一層身を寄せてきた。その体をぎゅっと抱きしめてやる。
アディーはティンファにはとても気を遣うから、昨日の飛行はかなり安全運転だったけど。
前回霊山へ向かった時は途中までスノーに乗って森の中を走ったので、こうやって最初から空から行くのは初めてだ。
上から森を見ると、北の辺境とは違う、緑色の絨毯が広がっていた。所々にうっすらと見える道は、王都へと続いているのかもしれない。
前回は霊山にただ圧倒され、その威容の峻厳さに畏敬の念を抱いたが、今日は霊山が近づき空気が澄んでいくにつれ、心が静まり、研ぎ澄まされていくようだった。
ついに視界の全てが霊山になるほどまで近づくと、今度はぐんぐん上昇する。
上っていくにつれ、どんどん緑が消えて岩肌が見えてきた。そして岩肌ばかりになった頃には、もうすぐ目の前に雲があった。
雲の中へと続く霊山の全容は、まだ全く見えない。雲を突き抜けて空の彼方、太陽へも届いてしまうかのように遥か高くまでそびえ立つ霊山の姿に、この世界の意思を垣間見た。
この遥か先の頂は、もしかしたら他の世界、俺の生まれ育った世界へと繋がっているのかもしれない――そんな気すらした。
あそこから俺は、この世界に落ちてきたのだろうか。
全身が悲鳴を上げながら落下した時のことを思い出し、身震いした。
落ちた時に聞こえたあの声は、世界の声――いや、霊山の声だったのかもしれないな。
そうだとすれば、どうあがいても、手を伸ばしても、指先すら掠らないのは当然のことだ。
雲を突き抜け、まともに太陽の光を受け、眩しさに手をかざすと、開いた手のひらと指の間からキラキラと光がこぼれ落ちてきた。
この光のように、俺はあの頂からこぼれ落ちてきたのだ。それがたまたま、俺だっただけ。
俺は、もう遥か高みを目指しはしない。ここで生きていくと決めたから。
「ああ、眩しいな。霊山の頂なんて、俺には眩しすぎるよ。アディーはあの頂を目指したんだよな?」
『そうだな。まあ、若かっただけだ。今はもう、目指そうとは思わん』
「そうなのか? アディーなら、頑張れば行けるんじゃないかって思うけど」
今も、ぐんぐん上っていて雲は遥か下だ。どんどん空の青さが濃くなって、そして光に近づいている。
『いいや。もうその気はない。それにそろそろ限界だ。戻るぞ』
「もう、いいのか? ずっと望んでいたのに」
『ああ。まあ、今の暮らしも、悪くはない』
ふふふ。アディーはツンデレだな。本当に。
まだまだ空は天高くまで広がっていて、太陽へはとても手が届きそうにない。それでも遥か彼方へ霊山は続いている。
「本当にこんな場所で暮らしている人がいるのか? なんか俺には信じられないな」
もう空気だってほとんどないだろう。俺の障壁の上に重ねてスノーとアディーも障壁を張ってくれているから俺は呼吸をしていられるが、それがなかったら一瞬で終わりだ。
『さすがにハイ・エルフの里はもっと下だ。だが、俺が精霊族を見かけたのはもう少し上だな』
そりゃこんな場所で生きられるのなら、確かに竜と同じような生態の種族だな。
アディーが反転し、今度は逆に遠ざかる太陽を背に、近づいてくる森の緑を見てほっとする。
俺は空よりも、大地に自分の足で立つ方がいい。
「俺は地上の緑の方がいいよ。とても安心する。さあ、戻ろうか。ありがとう、アディー。ここまで連れてきてくれて。すっきりしたよ」
たまに日本のことを懐かしく思い出し、郷愁を覚えることはあるだろうけれど、もう迷いはない。
「あ、でも、海の彼方へ行きたいとは思わないけど、海水がしょっぱいのかは気になるな! なあ、アディー。そのうち海水を取ってきてくれないか?」
『お前は行かないで俺に行けと?』
「海にはあんな魔物がうようよしているのに、俺が海面に近づけるわけないだろ」
『フン。気が向いたらな』
「お願いな、アディー」
気になったら、行ける場所まで行けばいい。でも、それは自分一人で、じゃない。皆でお互いに助け合っていけばいいのだ。
『今度は私がアリトを乗せて走って連れてくるの!』
「ふふふ。そうだね。今度はスノーにお願いしようかな」
俺たちが地上を見つめる中、一人空を見上げているタクーの頭をそっと撫でる。
タクーは向こう側の種族だ。俺とは本来、違う立ち位置にいる。
でも、タクーの生は長い。だから、俺が生きているうちは、こちら側で一緒に色々なことを見て知って欲しい。
俺はちっぽけなただの一人の人族だ。求めるのは身近な幸せ。それでいい。
第四話 リナさんとの再会と出立
エリンフォードの王都は気になったが、結局そのままどこにも寄らずに戻り、昼前にはキーリエフさんの屋敷へ帰り着いた。さすがアディーだ。
用意したお弁当を部屋で食べながら、届いていた手紙を読む。昨日はまだ疲れが残っていて、読まずに寝てしまったのだ。
「お、ガリードさんたちから二通も届いているな。あ! リナさんからも来ている」
机に並んだ手紙を見て、こうやって気に掛けてくれる人がいると思うと、うれしいが少し気恥ずかしくもなる。
リナさんからの手紙をまず手に取り、封を切って中身を取り出して読むと。
「あっ! リナさん、まだこの国にいるのか。で……ん? もしかして今、エリダナの街にいるのか?」
手紙が届いたのは、ちょうど一週間前のようだ。そして十日したらナブリア国に戻る、と書いてある。さらに、もし俺がエリダナの街にいるのなら会えないか、とあった。
つまり、今ならリナさんはこの街にいるってことだよな。おお、ギリギリ間に合った! 今から急いで返事を書いて、リナさんが所属する討伐ギルドへ持っていこう。
お弁当を急いで食べ終え、手紙を書く準備をした。
今はちょうどキーリエフさんの屋敷に滞在していること。いつでも都合がいい時に会いたいこと。そして目的の旅は果たして、今からミランの森を回ってナブリア国へと戻ることを書いていく。
書き終えると封をして、すぐにスノーたちと一緒に街へ出た。
屋敷を出て真っすぐに討伐ギルドへ向かい、受付で手紙をリナさん宛てに預けた後、ついでに商人ギルドに行く。
久しぶりにエリダナの街中の店を覗きながら歩いていると、泡立て器や蒸し器が置いてあったり、それを使った料理を出している露店などがあったりするのを見つけて、面映ゆくなる。
どれもこれも、俺がドルムダさんやゲーリクさんと一緒に作ったものだ。
その中でも、蒸した肉に木の実のソースを掛けたものを売っている屋台が気になって、近寄っていくと。
「お、アリトじゃねぇか! 無事に帰ってきたんだな。怪我もしてないようで安心したぜ。今街にいるって聞いて、今日から屋敷に戻ろうと思っていたんだ!」
後ろから掛けられた声に振り返ると、懐かしい顔を見つけた。
キーリエフさんとゼラスさんに出迎えを受けた俺たちは、そのまま料理長のゲーリクさんが用意してくれていた夕食を食べた。
その後、以前も泊まっていた部屋へ案内され、布団を出して倒れるようにスノーに抱きついて寝てしまった。
しばらくは倉持匠さんの遺した庵で寝泊まりしていたとはいえ、やはり緊張もあって疲れていたのだろう。次の日に目覚めたのは、いつもの早朝ではなく、陽が昇ってしばらく経った頃だった。
『あ、起きた、アリト』
『おはよう、スノー。これだけゆっくり寝たのは、いつ以来かな』
まだぼうっとする頭を振り、浄化魔法を掛けてさっぱりしてから支度を整えると、スノーを伴って部屋を出て、階下の食堂を目指した。
「おはようございます、アリトさん。ゆっくりお休みいただけましたか」
階段のところまで来ると、ゼラスさんが待っていてくれた。
「おはようございます、ゼラスさん。ありがとうございます。いきなり来たのに、すみません。ゆっくりと寝させてもらいました」
「それは良かったです。朝食はできていますので、食堂でお待ちください。ティンファさんは起きてこられましたら案内いたします」
この気遣いは、さすがだな。昨夜は旅の詳しい話をする前に眠ってしまったから、色々気になるだろうにな。
キーリエフさんには、出迎えてくれた時に新しく仲間になったリアンとイリンの紹介だけして別れたままだ。タクーのことは、白竜だなんて言ったら大事になるので、詳しく話をする時に紹介するつもりである。
食堂へ入ると、メイド長のナンサさんが俺の分の朝食を並べてくれているところだった。
「おはようございます、ナンサさん。ありがとうございます。あとでゲーリクさんのところへ顔を出しますね。お土産の食材がいっぱいあるんです」
「おはようございます、アリトさん。ええ、ゲーリクも楽しみにしていますよ」
一人で朝食を食べ始めると、ティンファとレラルが一緒に入ってきた。
「おはようございます、アリトさん。ゆっくり寝てしまいました」
「おはよう、ティンファ。俺もさっき起きたばかりだよ。あ、この後おばあさんの家に行く前に、露天風呂を貸してもらおうか? まだ疲れているだろう? 昨日はお風呂に入れなかったから、俺も借りたいと思っているんだ」
俺は今日もこの屋敷に泊めてもらうので夜でもお風呂に入れるが、ティンファはおばあさんの家に滞在する。普通の家庭にお風呂はないので、今のうちに入っておいた方が旅の疲れはとれるだろう。
オースト爺さんの家に戻ったら、早急にお風呂を作ろう。何で俺は浄化の魔法だけで満足していたのかな。
庵で毎日お風呂に入れる生活を送っていたら、もうお風呂なしの生活には戻りたくなくなってしまった。というか、お風呂を気にするだけの精神的余裕が出てきたってことだろうな。
「いいですか、ゼラスさん」
「どうぞお入りください。今の時間は誰も入りませんので。あとキーリエフ様は、ティンファさんを送って戻ってくるまで私の方で止めておきますので」
好奇心旺盛なキーリエフさんのことだから、早く話を聞きたいと思っているだろうけどな。
「それは助かります。キーリエフさんには色々報告しないといけないことがあるので、戻ったら詳しい話をしますね。あ、ドルムダさんはまだ屋敷に滞在していますか?」
昨夜、俺たちが到着した時にはキーリエフさんたちの食事はもう終わっていて、遅い時間だったので確認する余裕もなかったのだ。
「はい、まだ滞在されていますよ。ただ、今は街の工房の方へ泊まりがけで教えに行っているのです。昨夜知らせを送りましたので、今晩か明日には戻ってくると思います」
ああ、作った物を流通させるには、ドルムダさんが製作するだけでは数が足りないからな。街の工房で作らせるって言っていた気がする。
「じゃあ、ティンファ、俺はもう食べ終わるから先に露天風呂に入るよ。出たら声を掛けるから」
「はい。朝食をいただいて、準備しておきますね」
ゲーリクさんに旅で手に入れたお土産を渡そうかと思っていたけど、とりあえずは風呂だな。
朝食を食べ終えると、着替えを持って露天風呂へと向かった。
「おばあさん、ただいま戻りました!!」
「お邪魔します。無事に戻りました!」
露天風呂に入り、しっかりと温まって疲れを癒すと、ティンファが入っている間にゲーリクさんにお土産の食材を渡して一緒に昼食を作った。
俺たちが朝食を食べ終えたばかりだから、軽めのパンケーキだ。トッピングすれば、ガッツリ昼食にもなるし、ジャムを作って挟めばおやつにもなる。後者はティンファのおばあさん、ファーラさんへのお土産だ。
早めに昼食を食べ終えた後、キーリエフさんに捕まる前にゼラスさんが馬車でファーラさんの家まで送ってくれた。今も下で待ってくれている。
「まあまあ、おかえりなさい。アリトさんも、元気そうで良かったわ」
「はい、怪我をすることなく無事に戻ってこられました。ただ、ティンファには体力的にかなり厳しい旅になってしまいました……。街で何日かゆっくりしてから、俺の暮らしていた場所へ一緒に向かいたいと思っています」
「ふふふ。いいわよ。こうやってティンファが笑顔で訪ねてくれたのだもの。街にいる間は、アリトさんもまた顔を見せに来てくれるのでしょう? さあさあ、ティンファ、入ってゆっくりしてちょうだい」
「ティンファ、買い出しの時はここに寄るよ。アディーに一日一度は顔を出すように頼むから、何かあったらその時に手紙を預けてくれ。では、ファーラさん、また来ます。お邪魔しました」
笑顔で微笑み合う二人に声を掛けてから、パンケーキを渡して引き返した。
さて。いい加減キーリエフさんの相手をしてから、手紙の確認かな。
「ゼラスさん、お待たせしました。俺宛ての手紙は屋敷に届いていますか?」
「はい。商人ギルドへ届いたものは、その日の夕方には屋敷に来ています」
「では、ギルドへ寄る必要はないですね。屋敷に戻りましょうか」
そのまま屋敷に戻って扉を開けると、キーリエフさんが待ちかまえていた。まあ、予測通りだ。
「さあ、アリト君! 色々話を聞かせてくれないか!」
「はい。森の中で運良くいくつかの集落を見つけて立ち寄りましたので、その話もしますね」
そのまま応接室へ案内され、キーリエフさんとゼラスさんに旅の間のことを順を追って話していった。マジックバッグを集落へ三つずつ渡したことを告げると。
「それは良かった。マジックバッグはドルムダが頑張って作ってくれているけど、どうやって流通させるか迷っていたのだよ。あればかりは、アリト君に聞いてから他の工房で作るかどうかを決めたかったんだ」
調理器具などは、ドルムダさんが作り上げたそばから流通させていた。
でもマジックバッグだけは、ここから俺が旅立つ時でもドルムダさんが屋敷に留まって作る、としか聞いていなかった。改良版の方は領主の屋敷や知人へ渡すと言ってはいたけど。
なんだかうれしいな。元々俺は表に出たくなくてキーリエフさんに丸投げしたのに。キーリエフさんの名前で出すのだし、全部任せたのだから、マジックバッグをどう扱われても文句は言えない。
でも、キーリエフさんは俺に気を遣って製作の拡大や流通はストップしてくれていたようだ。
逆に言えば、それだけマジックバッグの扱いは難しい、ということだろうな。
マジックバッグは便利過ぎるし、流通に乗せるかをキーリエフさんに任せた後も、まだ葛藤はあった。でも、集落での暮らしを目の当たりにして、流通させるべきだと今は思うようになっている。
とはいえ、マジックバッグは元々、上級魔物の皮を使い、そこに自分の魔力を通すことで容量を増やして完成させたものだ。この作り方なら、今の俺のカバンのように部屋一つ分の荷物は楽に入るようになるが、流通させるものを同じ製法では無理だろう。個人の魔力量や魔力操作の技量の違いで、容量にかなりの差が出るのが最初からわかっている分、使用する人を選ぶからだ。
だから流通させるのは、ドルムダさんと一緒に改良した、使用者の能力に性能が左右されないマジックバッグになる。集落へ提供したのもこれだ。
ただそのマジックバッグだと、だいたい三畳程度の容量しかないんだよな。
「マジックバッグの材料は上級魔物の皮ですが、エリダナの街での取り扱いは多いのですか?」
俺やキーリエフさんなら問題なく手に入れることができるけど、この街の周辺に出る魔物や魔獣は、強くても中級だ。旅していた時も、上級魔物が出てきたのはかなり森の奥の集落からだった。
ここから東の森へ行けば、霊山の影響で上級魔物もいるかもしれないけど……。王都も東の森の中だったっけ?
「王都からの荷物でなら、たまに入荷することはあるよ。まあ、街の工房に恒常的に流通させるのは、僕が手を出さなければ無理だろうね」
「ですよね。なら、キーリエフさんが売ってもいい人を選別して、最初はその人たちから流通させるのはどうでしょう。あと俺としては、旅の途中で森の集落の状況を見ましたから、集落へは優先的に流通させてもいいように思いますけど」
大々的に売りに出すとなると、その分の材料調達をキーリエフさん個人で担うのは無理だ。かといって、俺がオースト爺さんの家に戻ってから商人ギルドへ上級魔物や魔獣の皮を卸すというのも避けたい。かなり目立つことになってしまうからな。
俺の都合もあるので、申し訳ない気持ちもあるが、キーリエフさんには希望も込めて伝えてみた。
「では、そうしようか。僕もマジックバッグに関してはそうするしかないとは思っていたんだ。ただ、信用できる昔馴染みの知人には、正規の作り方を教えてもいいかな? 僕も自分で作ったバッグは、今では小さな倉庫程度まで入るようになったし、とても便利だからね」
……あはははは。もう小さな倉庫、か。ま、まあ、俺とキーリエフさんじゃ魔力量が違うからな! うん! くやしくなんて、ない、からな!
……オースト爺さんのマジックバッグは、戻ったらもう家一軒分は楽に入るようになってそうだよな。少し悲しくなってきたような……。い、いや。俺はのんびり暮らせればいいだけだから!
気を取りなおして、俺はキーリエフさんに答える。
「ええ、いいですよ。自力で上級魔物を倒せる人になら、ぜひ勧めてください」
「実は私もアリトさんが旅に出てから作りました。王都へ行く用事があった時に、少し森の奥へ入りまして。お蔭で食材の買い出しがとても便利になりました」
ゼラスさん、とてもいい笑顔ですね! 買い出しのために大陸中を飛び回っているんですね!
……ゼラスさんもすでに俺よりも容量が大きくなっていそうで、どれくらい入るのかは聞きたくないな。
「役に立っているようで良かったです。あ、それでシオガが余っていたら、売っていただいてもいいですか? 結構使ってしまって」
シオガは醤油に似た調味料だ。ここで手に入りそうだから、旅の間も遠慮なく使っていたんだよな。集落で食事を用意していた時も、バンバン使っていたし。
「はい、もちろんです。ラースラもご入用でしたら、まだ在庫に余裕がございますよ」
「あ、じゃあ、ラースラもお願いします!」
ラースラは、お米のことだ。ラースラも、皆喜んで食べてくれるから、もうすっかり食事には欠かせない。
それにしても……本当に、どれだけ飛び回って食材を集めているのだろうな。俺とゲーリクさんとで色々メニューを増やしたけど、実は一番喜んでいるのはゼラスさんだったりして。
「この街では北の森の集落の情報は入りづらいから助かったよ。では、アリト君の目的がどうなったかも、聞いてもいいかな?」
「はい。集落を辿って北の辺境地まで行き、手がかりからなんとか倉持匠さんの住居を見つけました。そこで、白竜のリューラに会いました」
「「っ!?」」
どうだとばかりに、リューラのことを伝えた。
別にカバンの容量を抜かれて拗ねているんじゃないからな。俺だってリューラを見た時にはかなり驚いたのだから、キーリエフさんたちにだって驚いて欲しい。あ、オースト爺さんの手紙にも、リューラのことは書かないでおこう。
目を見開いて愕然として固まっている二人を見て、ハイ・エルフのキーリエフさんでも白竜は希少な存在なのだな、と思う。二人のこんな姿を見る機会なんて、滅多にないだろうからな。
キーリエフさんたちが落ち着いてからタクーを紹介し、リューラのことや倉持匠さんの遺してくれた本のことなどをじっくりと話した。
昨夜、タクーの気配には気づいたけど、白竜だとは思っていなかったそうだ。まあ、本当に小さいからな、タクーは。
「そう、か。ではアリト君は、もう『落ち人』についてはいいのだね?」
「はい。オースト爺さんのもとへ戻って、自分が望むように生きていきます。スノーや皆、それにティンファも一緒ですしね」
「街に住むつもりなら、ぜひともエリダナの街で僕と一緒に発明をして欲しかったのだけどね」
「いつでも呼んでくれたら遊びに来ますよ。『死の森』に住んでも、俺はオースト爺さんみたいに閉じこもるつもりはありませんし、落ち着いたら美味しいものを探しにあちこち旅もしたいと思っているんです」
キーリエフさんの言葉は、とてもうれしい。でも、どうしても街へ定住する、というのは性に合わないのだ。毎日の仕事の通勤に縛られることのない今、我慢をする必要もないしな。
ティンファも森暮らしが楽しみだと言ってくれているし、スノーたちに窮屈な思いもさせたくない。
住むのは『死の森』といっても、あちこち出歩くつもりではある。まあ、移動はスノーやアディー頼りなんだけどな!!
「ふふふ。それはいいね。では、何か思いついたら知らせてくれ。僕はいつでも歓迎するよ。いつだってこの屋敷に滞在してくれてかまわないからね」
「はい、ありがとうございます。とりあえず明日は、アディーに乗せてもらって霊山へ行きたいと思っています」
「霊山、か。ああ、アリト君が旅立ってから届いた手紙を持ってきてあるんだ。渡しておこう。今後、手紙はどうするかね?」
キーリエフさんの合図でゼラスさんが差し出してくれた手紙を受け取り、これからのことを考える。
『死の森』で暮らし始めたら、イーリンの街へはたまに買い出しに行くだろうから、その時に薬や薬草を卸せば商人ギルドに手紙の受け取りを頼めるかもしれない。
でも、信用できるのはこのままキーリエフさんに預けて、オースト爺さんへ送ってもらうことだ。
「……これからもお願いできますか? イーリンの街の商人ギルドにも頼みますが、こちらで預かってもらいたいものもあると思うんです。定期的に連絡しますから、オースト爺さんのところへ送っていただけると助かります」
「ああ、わかった。では、そうしよう」
話が終わる頃にはもう夕方になっていたので、そのまま俺が夕食を作ることにした。
厨房へ行くと、ゼラスさんが一昨日買ってきたムームンがあったので、贅沢にチーズグラタンを作ってみた。
皆は夢中で食べていたよ。キーリエフさんもとても興奮していたから、これでムームンの研究がもっと進むだろう。他にも色々な料理に使えますよって、そそのかしておいたし。俺もチーズは気軽に手に入れたいからな。
夜にものんびりと露天風呂に入って温まり、ゆっくりと快眠。
そして翌日の早朝、ゲーリクさんと一緒に朝食の用意と昼食用のお弁当を作り、アディーと一緒に屋敷の庭へ出た。
「それじゃあ、アディー、霊山までよろしくな」
『今回は仕方ないからな。ホラ、さっさと乗れ』
アディーはみるみる体を大きくして、俺と小さなスノーが乗れるサイズになった。
その背へレラルとリアン、それにタクーと一緒に乗る。イリンはティンファと一緒にファーラさんの家だ。リアンが寂しそうにしていたので、奥さんのイリンと一緒に行っていいと言ったけど、自分は俺と契約しているのだからと残ってくれたのだ。
座るとすぐにアディーが出発したので、慌てて風の障壁を張った。
スノーは俺の横、レラルとリアンとタクーは俺の膝の上だ。
『なんかこの間より小さいの。これだと動けないの』
『動かなくていい。お前は大人しく座っていろ。飛ばすからな』
スノーの言うように、今のアディーはロックバードのロクスよりも小さく、俺とスノーが座ればそれでいっぱいだ。
アディーは一気に高度を上げると急加速し、みるみるうちにエリダナの街が遠ざかっていった。
そして、あっという間に霊山の姿が大きくなってくる。
揺れることはないが、あまりの速度にレラルが一層身を寄せてきた。その体をぎゅっと抱きしめてやる。
アディーはティンファにはとても気を遣うから、昨日の飛行はかなり安全運転だったけど。
前回霊山へ向かった時は途中までスノーに乗って森の中を走ったので、こうやって最初から空から行くのは初めてだ。
上から森を見ると、北の辺境とは違う、緑色の絨毯が広がっていた。所々にうっすらと見える道は、王都へと続いているのかもしれない。
前回は霊山にただ圧倒され、その威容の峻厳さに畏敬の念を抱いたが、今日は霊山が近づき空気が澄んでいくにつれ、心が静まり、研ぎ澄まされていくようだった。
ついに視界の全てが霊山になるほどまで近づくと、今度はぐんぐん上昇する。
上っていくにつれ、どんどん緑が消えて岩肌が見えてきた。そして岩肌ばかりになった頃には、もうすぐ目の前に雲があった。
雲の中へと続く霊山の全容は、まだ全く見えない。雲を突き抜けて空の彼方、太陽へも届いてしまうかのように遥か高くまでそびえ立つ霊山の姿に、この世界の意思を垣間見た。
この遥か先の頂は、もしかしたら他の世界、俺の生まれ育った世界へと繋がっているのかもしれない――そんな気すらした。
あそこから俺は、この世界に落ちてきたのだろうか。
全身が悲鳴を上げながら落下した時のことを思い出し、身震いした。
落ちた時に聞こえたあの声は、世界の声――いや、霊山の声だったのかもしれないな。
そうだとすれば、どうあがいても、手を伸ばしても、指先すら掠らないのは当然のことだ。
雲を突き抜け、まともに太陽の光を受け、眩しさに手をかざすと、開いた手のひらと指の間からキラキラと光がこぼれ落ちてきた。
この光のように、俺はあの頂からこぼれ落ちてきたのだ。それがたまたま、俺だっただけ。
俺は、もう遥か高みを目指しはしない。ここで生きていくと決めたから。
「ああ、眩しいな。霊山の頂なんて、俺には眩しすぎるよ。アディーはあの頂を目指したんだよな?」
『そうだな。まあ、若かっただけだ。今はもう、目指そうとは思わん』
「そうなのか? アディーなら、頑張れば行けるんじゃないかって思うけど」
今も、ぐんぐん上っていて雲は遥か下だ。どんどん空の青さが濃くなって、そして光に近づいている。
『いいや。もうその気はない。それにそろそろ限界だ。戻るぞ』
「もう、いいのか? ずっと望んでいたのに」
『ああ。まあ、今の暮らしも、悪くはない』
ふふふ。アディーはツンデレだな。本当に。
まだまだ空は天高くまで広がっていて、太陽へはとても手が届きそうにない。それでも遥か彼方へ霊山は続いている。
「本当にこんな場所で暮らしている人がいるのか? なんか俺には信じられないな」
もう空気だってほとんどないだろう。俺の障壁の上に重ねてスノーとアディーも障壁を張ってくれているから俺は呼吸をしていられるが、それがなかったら一瞬で終わりだ。
『さすがにハイ・エルフの里はもっと下だ。だが、俺が精霊族を見かけたのはもう少し上だな』
そりゃこんな場所で生きられるのなら、確かに竜と同じような生態の種族だな。
アディーが反転し、今度は逆に遠ざかる太陽を背に、近づいてくる森の緑を見てほっとする。
俺は空よりも、大地に自分の足で立つ方がいい。
「俺は地上の緑の方がいいよ。とても安心する。さあ、戻ろうか。ありがとう、アディー。ここまで連れてきてくれて。すっきりしたよ」
たまに日本のことを懐かしく思い出し、郷愁を覚えることはあるだろうけれど、もう迷いはない。
「あ、でも、海の彼方へ行きたいとは思わないけど、海水がしょっぱいのかは気になるな! なあ、アディー。そのうち海水を取ってきてくれないか?」
『お前は行かないで俺に行けと?』
「海にはあんな魔物がうようよしているのに、俺が海面に近づけるわけないだろ」
『フン。気が向いたらな』
「お願いな、アディー」
気になったら、行ける場所まで行けばいい。でも、それは自分一人で、じゃない。皆でお互いに助け合っていけばいいのだ。
『今度は私がアリトを乗せて走って連れてくるの!』
「ふふふ。そうだね。今度はスノーにお願いしようかな」
俺たちが地上を見つめる中、一人空を見上げているタクーの頭をそっと撫でる。
タクーは向こう側の種族だ。俺とは本来、違う立ち位置にいる。
でも、タクーの生は長い。だから、俺が生きているうちは、こちら側で一緒に色々なことを見て知って欲しい。
俺はちっぽけなただの一人の人族だ。求めるのは身近な幸せ。それでいい。
第四話 リナさんとの再会と出立
エリンフォードの王都は気になったが、結局そのままどこにも寄らずに戻り、昼前にはキーリエフさんの屋敷へ帰り着いた。さすがアディーだ。
用意したお弁当を部屋で食べながら、届いていた手紙を読む。昨日はまだ疲れが残っていて、読まずに寝てしまったのだ。
「お、ガリードさんたちから二通も届いているな。あ! リナさんからも来ている」
机に並んだ手紙を見て、こうやって気に掛けてくれる人がいると思うと、うれしいが少し気恥ずかしくもなる。
リナさんからの手紙をまず手に取り、封を切って中身を取り出して読むと。
「あっ! リナさん、まだこの国にいるのか。で……ん? もしかして今、エリダナの街にいるのか?」
手紙が届いたのは、ちょうど一週間前のようだ。そして十日したらナブリア国に戻る、と書いてある。さらに、もし俺がエリダナの街にいるのなら会えないか、とあった。
つまり、今ならリナさんはこの街にいるってことだよな。おお、ギリギリ間に合った! 今から急いで返事を書いて、リナさんが所属する討伐ギルドへ持っていこう。
お弁当を急いで食べ終え、手紙を書く準備をした。
今はちょうどキーリエフさんの屋敷に滞在していること。いつでも都合がいい時に会いたいこと。そして目的の旅は果たして、今からミランの森を回ってナブリア国へと戻ることを書いていく。
書き終えると封をして、すぐにスノーたちと一緒に街へ出た。
屋敷を出て真っすぐに討伐ギルドへ向かい、受付で手紙をリナさん宛てに預けた後、ついでに商人ギルドに行く。
久しぶりにエリダナの街中の店を覗きながら歩いていると、泡立て器や蒸し器が置いてあったり、それを使った料理を出している露店などがあったりするのを見つけて、面映ゆくなる。
どれもこれも、俺がドルムダさんやゲーリクさんと一緒に作ったものだ。
その中でも、蒸した肉に木の実のソースを掛けたものを売っている屋台が気になって、近寄っていくと。
「お、アリトじゃねぇか! 無事に帰ってきたんだな。怪我もしてないようで安心したぜ。今街にいるって聞いて、今日から屋敷に戻ろうと思っていたんだ!」
後ろから掛けられた声に振り返ると、懐かしい顔を見つけた。
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