妹と歩く、異世界探訪記

東郷 珠

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130 翔一の訓練体験

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 運河で佇んでいた翔一は、トールに声を掛けられる。面倒事の匂いを嗅ぎ分けた翔一は、少し頭を押さえた。
 その時の翔一には、ペスカがにやける顔が、ありありと浮かんでいた。

 どうせペスカが手を回して、この男を自分の所に寄こしたのだろう。軍人然とした男に、修行でもつけさせようと企んでいるのだろう。
 翔一の予想は、概ね正解である。しかし、ただの一般人である翔一とって、軍の訓練は想像以上に過酷である事を除けばであるが。
  
「翔一殿、聞いておられるか? 翔一殿?」
「え? あぁ、すみません。何の話しでしたっけ?」
「端的に申しますと、翔一殿には、我が隊の訓練にご参加頂きたいのです」
「はい? 何て?」
「訓練です。貴殿はペスカ殿の同胞でしょう? あの戦いでは、最前線にいらっしゃったと聞いてます。是非我々に、御指南頂けないでしょうか?」

 予想通りの展開に、翔一は頭が痛くなる思いだった。トールを見やると、いたって真面目な顔をしている。
 ただし、何もする事が無い翔一は、暇である事には変わりない。少し時間を置き、溜息をついてから、翔一は頷いた。

「わかりました。僕でよければ」
「おぉ有難い。では、行くとしようか」

 トールの後について、翔一は歩き始める。
 数時間前に訪れた、王立魔法研究所の近くに有る、エルラフィア軍の訓練施設に訪れた。
 訓練施設には、既に多くの兵士が揃っていた。どの兵士も、真剣な顔つきをしている。それぞれに抱えた思いが有るのだろう。
 それにしても、戦争が終わって直ぐにも関わらず、訓練をしている。どれだけ勤勉なのか。
 ただ、日頃から訓練を行っているから、彼らは生き残れたのだろう。五体満足で、軍へ従事出来るのだろう。
 
 翔一は、ぼうっと兵士達の訓練を眺めていた。そんな翔一に、トールから声がかかる。それは時間を惜しみ、翔一を急かしている様にも聞こえた。

「早速、始めましょうか」

 少し翔一の方を振りむいたトールは、直ぐに兵達に向かい大声を張り上げた。

「貴様等! 今日は特別に、英雄の一人がお越し下さった。胸を借りるまたと無い機会だ。我こそはと思う者は、前へ出ろ!」

 トールの掛け声と共に、何人かの兵が歩み出る。どの兵も屈強な身体つきで、死線を何度も潜り抜けた様な威圧感を漂わせていた。
 トールは前に出た兵達を見やると、笑みを浮かべる。

「翔一殿。彼らは、あの戦いで生き残った戦士です。不足は有りますまい。さぁ」

 トールは、翔一に木剣を差し出す。
 翔一は深い溜息をついた後に、差し出された木剣を受けとった。この時、翔一は訓練を甘く見ていた。軽く付き合ったら、満足するだろうと考えていた。
 木剣を受け取った瞬間から、翔一は宿に帰れる事は無くなり、寄宿舎で兵達と寝食を共にする事になる。

 元ライン帝国の中隊長であり、エルラフィア王国で将校となったトール。その熱い心は、伊達じゃ無い。
 祖国を失い、仲間を失い、尚も戦い続けるトールは、その身を預けたエルラフィア王国の地を、国を守り通す強い信念を持っていた。
 それ故、戦争が終わって間もないにも関わらず、兵達の強化を行っていた。

 兵達もまた、気合に満ちている。頑強な肉体と射殺さんとする瞳は、只人であれば恐怖をしていただろう。
 だが翔一は、人知を超える者達の戦いを、間近で見て来た。それこそ、モーリス達の様な達人クラスと対峙しなければ、恐れは感じない。

 いつもと同じ要領で、翔一は木剣にマナを纏わせる。それを見たトールは、ほぅと感嘆の声を漏らした。
 ラフィス鉱石を含んで作られた剣に、マナを纏わせるのは基礎である。しかし何の変哲もない木剣にマナを纏わせるのは、かなり難しい。
 これはある程度、剣を修めた者であれば、知っている事である。

 そして訓練が始まり、代わる代わる翔一に向かって、兵が勝負を挑む。
 どれも一瞬で決着が着いた。翔一の木剣と、誰も打ち合う事が出来ず、全て叩き折られる。死角に回り込まれて一撃を打たれ、簡単に意識を失う兵が続出した。

 兵達が弱すぎたのでは無い。
 冬也に体捌きを叩き込まれ、ペスカに魔法を仕込まれ、実践を繰り返した翔一は、自分に合った戦い方を身に付けていた。
 相手をしっかり観察し、行動を予測する。だから、相手の動きを読んで、死角に回り込めるし隙が突ける。
 本能的に体を動かす冬也と違い、翔一は思考をしながら、的確に体を動かす。
  
 翔一は何でも小器用にこなす。だが冬也の様に極めた者には、遠く及ばない。ただし、ある程度何でもこなせるからこそ、アドバンテージとなる事も有る。

 翔一は、知恵や技術等ありとあらゆる、自分の中に有るものを駆使して、戦い方を身に付けた。例え非力でも、スピードに叶わなくても、マナの差が有ろうと、負けない戦い方である。
 それが、この世界で翔一が学んだ技術であった。

 その真価は、翔一にすら理解していない、高いレベルのものであった。
 興奮したトールが、兵士達に発破をかける。翔一は碌に休む事が出来ず、次々と兵達と剣を交える。およそ五十名の兵を薙ぎ倒した所で、翔一の体力が尽きた。

「トールさん。もう、勘弁してくれませんか」
「ふむ、私もお相手頂きたかったが、仕方ない。今日は兵舎でお休みください。明日もよろしくお願いします」
「あ、いや。僕は宿に」
「翔一殿。お気になさらず。食事もご用意いたしますので」
「そうじゃ無くて」
「何をやっている、早くご案内差し上げろ」

 トールの合図で、一人の兵士が動く。断り切れずに、翔一は後に続いた。

「はぁ。だから僕は駄目なのかな」

 溜息をつきながら、案内係の指示し従い、翔一は寄宿舎の中に入る。ただそこは、体育会系も真っ青な、過酷な場所であった。
 食堂では、大量の食事が翔一の前に並ぶ。所謂、食事も訓練の一つという事だ。沢山食べて激しい訓練をし、頑丈な肉体を作り上げるのだ。

「量、多く無いですか?」
「訓練中ですので、皆この位は食べております。翔一殿は、華奢でいらっしゃる。もう少し食べた方がよろしいかと」

 疲れ果てていた為、食事が喉を通らない。無理やり押し込む様に、翔一は食事を口に運ぶ。
 ようやく食事が終わると、部屋に通される。しかしそこは、囚人室の様に薄い敷物が置いてあるだけで他には何も無い。

「あの、これで寝るんですか?」
「例え貴族のご子息でも、兵になれば寄宿舎ではこれで寝ます」

 こうして、翔一の訓練体験は始まった。

 屋根が有るだけましであろう。アンドロケイン大陸では、野宿だってしたのだから。翔一は疲れて直ぐに寝息を立てる。そして翌朝、早朝に叩き起こされ訓練は始まった。

 王都の警備と訓練を交代で行っている様で、メンバーの入れ替わりが多い。訓練施設に集まったのは、昨日の訓練ではいなかった面々である。
 
 最初は、食事前に長距離のランニングである。翔一とて十代、ただのランニングなら訳はない。しかしこれは、ただのランニングでは無かった。
 五十キロの土嚢を担がされる。そして隊列を乱さぬ様に走らされる。少しでも隊列を乱した者は、罵声と鞭が待っている。
 へこたれる事は許されない。寧ろ、へこたれる者がいない。

 約二十キロのランニングを終えた時点で、翔一はヘロヘロになっていた。そして食堂へ向かう。周りの兵士達が勢いよく食べ進める中で、翔一は満足に食事が喉を通らない。
 吐きそうになるのを必死に堪え、翔一は食事を詰め込んだ。
 
「翔一殿。食べないと、訓練に着いて行けないぞ」

 翔一が振り返るとトールが立っていた。

「翔一殿。この食事一つが、国民の血の結晶。残すなんて以ての外だ。感謝して、頂かないとなりませんぞ」
「いや、その前に。なんで僕が訓練を受けているんですか?」
「うん? お聞きになられていないのですか? ペスカ殿から、翔一殿を鍛える様に命じられましたぞ」
「あぁ、やっぱりか」
「そう言う事です。故郷に戻られるまで、しっかりと鍛えて差し上げます」
「いや、そういうのは要らないです」
「まぁ、そう仰るな」

 笑いながらトールは食堂を後にする。
 食事を終えれば、午前は筋力トレーニングを行う。筋力トレーニングといっても、地球のそれとは大きく異なる。五キロは優に超える大剣を、ひたすら振るうのだ。

 これだけの重量を振るうのだ。足をしっかり踏みしめなければ、振り回す事は出来ない。
 剣を上下させるのには、背筋を使う。ただし五キロを超える大剣ならば、すっぽ抜けない様に強く握る為、握力が必要になる。更に降り下ろしの際、定位置で止める為には腕力も必要になる。
 
 休む事は許されない。一瞬でも手を止めた者は、罰として土嚢を担いで走らされる。翔一は、何度も罰のランニングをさせられ、昼食時には体を動かす事も辛くなっていた。
 
 午前の訓練が終わる頃、トールが警備の指揮を終えて戻って来る。そして食堂に行かず、一人で訓練施設に残り仰向けになる翔一を、見下ろながら言い放った。

「翔一殿。訓練は如何でしたか? まぁ、聞くまでも無いですね」

 息も絶え絶えの翔一は、トールに答える事が出来なかった。

「翔一殿。投げ出しても、咎める者はおりません。諦めますか?」

 翔一は、首を横に振った。半ば巻き込まれたとは言え、逃げ出したくはない。
 挑発でもする様なトールの言い回しで、翔一の瞳に闘志が宿る。それを見てトールが笑みを零した。 

「そうですか、流石ですな。これでもここに集めたのは、体力に自信が有る者ばかりです。それに今行っているのは、帝国式の訓練でして逃げ出す者が多いんです。期待してますよ、翔一殿」

 昼食を詰め込んだ後には休憩が有る。翔一は、入念にストレッチを行い、午後に備えた。
 午後は、戦闘訓練が行われる。昨日、五十名の兵を圧倒した力は、トール隊全員の知る所となり、翔一と手合わせしたいと望む者が多かった。
 だが翔一の前には、午前中に巡回に出ていたトールが立ちはだかる。

「先ずは、私とお手合わせ頂けないでしょうか?」
「わかりました。よろしくお願いします」

 相手は将校。翔一の顔が引き締まる。朝からの訓練で、翔一の体は酷く疲れている。そんな体で、どこまで戦えるのかわからない。
 それでもこの瞬間は、今の自分を計る絶好の機会であろう。

「負けない!」
 
 翔一は、小さく呟いた。
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