幻灯夜話・幻想奇譚

伽音蓮子

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第十五章

暗殺天使

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ある月夜の宵…一人の少女が歩いていた。静かな足取り、足音一つたてたりはしない、静かな…歩み。
彼女はどこかをめざしている。闇夜に浮かぶ上弦の月…少女は黒いフード付きのコートを来ていた。
やがて、彼女の前に巨大な建物が見えてきた。
闇夜にも薄く輝く白い教会であった。
美しい建造物に、少女はゆっくりと近づいてゆく…。ぎぃい
古い樫の木の扉をあけて、少女は教会のなかへと消えていった…




彼女の入った教会は、とてつもなく広い。蝋燭の光が礼拝堂のなかを照らしていた。あわい光だった。
オレンジのやわらかな光のなかで、彼女はフードを脱いだ…やわらかな茶色の髪がふわりとゆれる。幼い顔立ちのなかに、印象的な紫の瞳…彼女は礼拝堂の奥にある、銀色の十字架を見つめている。
目を細めながら、口元が歪んだ。
笑っているように。



その時だった。礼拝堂の奥の扉から、一人の青年があらわれた。
はっとして、少女は青年を見つめた。
黒い牧師の服を来た彼は長い金髪を腰まで垂らし、やさしげな青い瞳で少女を見る。
緊張の表情を浮かべる少女…彼女にむかって、彼はにっこりほほえんだ。
「どうしました?こんな夜更けに…。」
「わ、私は祈りを…捧げに…」
おびえの表情…少女は一、二歩、あとずさった。
青年は首を傾げる。
なぜ彼女がおびえているのかはわからないが、彼はこう続けた。
「かまいませんよ?私は奥にいますから、どうぞ祈りを捧げてください…」
そう言い残し、彼は礼拝堂から去っていった。



少女はほっとしていた。
そして、十字架の前にひざまづき、静かに瞳を閉じた…ゆっくりと腕を組みながら、深く祈りを捧げはじめる。
長い時間…そうやっていると、またあの青年があらわれた。
「おや、まだおられましたか…。」
そういう彼の手には、湯気を放つ小さなカップがあった。
「あたたかい、ミルクでもどうですか?」
彼はやさしく笑った。





とまどいながらも、少女は黒いコートを脱いだ。
中にはオレンジ色のワンピースを着ている。
あたたかい色…礼拝堂内の蝋燭の光に照らされて、あたりの空気が変わったかのよう…
青年は少女にカップを手渡した。
「ありがとう…」
「外は冷えますから。」
少女がはにかんだ。
ミルクを飲みはじめながら彼女はぽつりとつぶやいた…「私、実は暗殺を営む仕事をしてるの。」




青年は驚いたように眉をあげた。しかし、そのまま彼女をみつめる。
話を、少女は続けた。
「私は…こんな仕事、大嫌いです。でも、恩のある方のために…」
彼女はことばを切りながらうつむいた。
青年は少女の肩に手を置いた。
「私には、あなたを救うことはできませんが…たぶん人の道は人それぞれ。これからの選択は、あなたがなさることですよ…。」






少女は青年の手をやさしくつかんだ。そして、笑う。「やさしい人…どうもありがとう。カップを返すわ」青年の手に、受け取ったカップを返しながら、少女はいった。
中身はすべて、飲み干していた。体が暖かさを求めていたから。
少女は黒いコートを再び着込んだ。青年に背を向けて歩いてゆく。
ふいに。
彼女は振り返ってほほえんだ。
「私、この仕事、やめるわ…きっかけをくれて、ありがと。」
少女は教会からでていった…黒いコートの下に、やさしいオレンジの心を隠しながら。


第十五話・暗殺天使・了
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