メジ様

みょうが

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メジ様

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 大学の友人の話をしようと思う。そいつは東北の山間の小さい村の出身らしいが、とあることをきっかけに市内の親戚の家でくらすようになり、そのまま大学まで市内に住んでいた。そいつが酔っぱらった勢いで教えてくれた話を一つ。うろ覚えの部分もあるし、オチもないが許してくれ。


 友人の村では代々土地神のようなものを信仰していた。その神様は村の奥の林の中にある祠に祀られていて、普段は村の人間が祠に近づくことすら禁止されていた。そしてその祠の中へ入ることは、村のごく限られた人間にしか許されていなかった。

 林の入り口には、ちょうど子供の背丈くらいの木製のゲートがあり、左右にはフェンスが張られていた。当時子供だった友人らがそのあたりに近づこうとしただけで、近所に住む老人が飛び出してきて彼らを怒鳴りつけたという。しかし、子供というのは駄目といわれると意地でもやり遂げたくなる生き物である。当時10歳になったばかりの友人は、近所の子供らABCDと一緒にその祠に忍び込もうとした。例の監視役の老人の家を覗き込んで、ちょうど彼が用を足しに立ったタイミングを見計らい、全員でゲートをよじ登り、乗り越えたという。

 鬱蒼とした林の中の小道を100メートルほど進んだ位置にあるその祠は、大人の背丈ほどの大きさで、手入れが行き届いていたのか、古びた感じもない比較的きれいな外観だった。屋根にも落ち葉や枝がほとんど落ちていない。草木がもつれ合い、暗くじめじめとした林の中には似つかわしくないほどに、その祠はきれいだった。

 友人を含めた五人は、皆入り口の前に固まり、当時の友人が恐る恐る閂を外して木の両開き扉を開ける。扉は軋みもせずすんなりと開いた。外の光にぼんやりと照らさせたその内部を皆で覗き見ると、しかしそこは小さい祭壇が奥に置かれているだけの、案外面白味のない空間であった。友人らはびくびくしながらも祠の中に入り、その祭壇を詳しく眺めてみた。
 祭壇は最上段が1メートルくらいの高さの木製のものであった。祭壇も特別古ぼけているわけでもなく、やはり恐怖を駆り立てるようなものは何一つなかった。
 祭壇に置かれているものを見てみる。まず最上段には木の実のような黒い粒が二つ、白い紙の上に落ちていた。恐らく鼠か何かが紙の上にあったお供え物を食って糞をしたのだろう。その下の段には神社でよく見るような丸い鏡。その下の段には対になった杯が置かれている。たったこれだけであった。
 あまりにも簡素な祠の内部に友人らは、安堵と共に落胆した。そして友人らはそのまま祠を後にした。再びゲートのある林の入り口までやってきた彼らは、例の老人に見つかるかもしれないとひやひやしたが、不思議と全員がゲートを乗り越え終わっても、その老人が家から飛び出してくることはなかった。
時間は既に夕刻を回っており、友人らはその場で解散した。

 翌日、友人はその祠のことなど一切忘れ、A、B、C、Dと共に、廃材置き場になっていた村の空き地でかくれんぼをして遊んでいた。友人が鬼になり、10数えた後に三人を探した。探すと言っても、古い廃材やコンクリブロック、ドラム缶が適当に積み上げられているだけの小さな空き地だ。ものの1分でABCの三人を見つけ出すことができた。しかし、なぜかDだけがいない。DはCの弟であり、まだ6歳になったばかりであった。空き地の隅々まで全員で探し回ったが、やはりDはいない。やがて日が傾き始め、5時のチャイムが鳴ったころ、誰というでもなく、Dはきっと家に帰ったのだろうと思い、各々が帰路につき始めた。兄のCでさえ、「あいつは暗くて狭いところが嫌いだから、隠れるのが嫌で帰ったんだろう」と言って帰っていった。それを聞いて友人も帰宅した。今となっては分からないが、あの時はDが家に帰ったということを信じて疑わなかったらしい。自宅で夕飯を食べている頃には、友人はDのことなどすっかり忘れていたそうだ。

 夕飯を食べ終わった後、突然玄関から複数の人の足音と怒声が聞こえてきた。玄関扉を乱暴に開ける音がし、続けて誰かが玄関から友人の父親を大声で呼んだ。父親が玄関へ向かい、相手と何事か話すと、居間に戻り、友人の襟首をつかみ玄関へ引きずり出した。そのまま靴すら友人に履かせず、彼を村の公民館へと連れて行った。
 公民館の畳の広間には大勢の男たちがいて、Aの父親とBの父親も広間の中央で待っていた。そのわきでAとBが泣き出しそうな顔で座っていた。男たちは各々何やら話し込んでいた。
「これはまずい」「なぜ見ておかなかったんだ」「村が終わるぞ」「祓える者も村にはもういないのに」このようなことを口々に話していたらしい。

友人とABが広間に集まったところで、部屋の隅にいた老人が3人の前に進み出た。老人は険しい顔をして言った。
「あの祠へ行ったな。様の祠に。」
その時友人は初めて祠に祀っている神の名前を知った。3人は俯いた。
 
老人は3人を広間の横の部屋に連れて行った。友人とAとBの父親が、それぞれ動こうとしたが、老人に目で制され、部屋には老人と3人だけが通された。部屋は8畳ほどの板の間で、中央にはビニールが敷かれ、その上に不自然に盛り上がった新聞紙が広げられてあった。
「お前たちの年齢には少々酷かもしれないが、これもお前たちへの戒めだ。」
3人に新聞紙の山の前に座るように言うと、老人はその新聞紙を丁寧にめくった。

Dだった。
中途半端な形で硬直した手を胸の上に置かれ、顔は血の気が亡くなり、半開きになった口の周りには吐瀉物がこびりついていた。そしてその上には生気の抜けた瞳…があるはずだった。
 
 しかし、無かった。

 本来目があるはずの部分は、赤黒い二つのくぼみとなっていた。くぼみの奥は妙にてらてらとした質感で、部屋の蛍光灯を反射していた。よく見ると不自然に曲がった手の指の先にも赤い液体がこびりついていた。
「恐らくパニックになって吐いたものを喉に詰まらせたのだろう。こと切れる前に、自分の目玉を指で掻きだしたようだ。」
まるで学者のように冷静に老人は言った。再びDの遺体に新聞紙をかぶせると、老人は3人に向き直った。こらえきれずAがその場で吐いた。吐瀉物の臭いが立ち込める中、老人はそのまま話し続ける。
「Dはメジ様の祠の中で見つかった。恐らくメジ様の怒りを買ったのだろう。祠へ行ったお前たちを責めるつもりはない。そんなのは無意味だ。だが、お前たち3人はもうこの村にいてはいけない。一刻も早く出ていきなさい。お互いとの連絡も一切取ってはいけない。」
友人はただ茫然とした。Dの死体を見た直後に老人から矢継ぎ早に説明を受け、まったく状況が飲み込めないまま放心していた。メジ様の怒り?村を出ていく?意味が分からない。AとBも同じだったのだろう。三人はしばらく言葉を発することができなかった。

長い沈黙の後、一番年上のBが小さい声で聞いた。
「あの…Cはどこですか?」
「Cはだめだ。Dの血縁だからな。じきにあいつも同じ目に遭うだろう。Cにはもう会えないと思いなさい。」

その後、A、Bそれぞれが父親に連れられて家へ帰り、友人も父親に一発殴られた後に家へ戻った。途中、祠のある林をちらりと振り返った。林の入り口の周辺には懐中電灯の光がせわしなく動いているようだった。
その時、友人はDの死体の映像がフラッシュバックするのと同時に、背筋に悪寒が走った。

Dはどうやってあの祠まで行ったんだ?

友人らがかくれんぼをした空き地は、祠のある林とは反対側にある。そして空き地の周辺はだだっ広い田んぼである。かくれんぼの10秒で、自分たちの目が届かなくなるまで遠くへ行くことなど不可能だ。それに空き地から祠のある林まで最短でも1㎞はある。その間を村民の誰の目にも触れずに祠まで到達したのだろうか。さらに言うと、Dは暗くて狭いところが大の苦手である。最初に祠に探検に行った時も、祠の中に入ろうとする兄のCの後ろに必死にしがみつき、何度も「早く帰ろう」と急かしていたではないか。それなのにパニック発作で嘔吐してしまうまで暗い祠の中にいたのか…祠の中?なぜ祠の中で死んでいた?祠の扉には閂がかかっていた。自分で祠の中から閂をかけることはできないはずだ。つまり、誰かに祠の中に閉じ込められたのか?


色々な考えがぐるぐると頭の中を駆け巡り、その日の友人の記憶はそこでぷっつりと途絶えているという。後日友人とA、Bの一家は村を出て、新たな土地で暮らし始めた。老人の言いつけを守り、お互い一切の連絡を取らずに、だ。

「それからは…何も知らない。村のことも…Cがどうなったかも。」
友人はそう言ってグラスに残っていた酒を一気に飲み干した。
「…ふーん。それで今までここで暮らしてたってことか。」
話を聞き終えた俺は、もちろん友人の話を馬鹿正直に信じようとはしなかった。友人も俺も、ネット掲示板かなんかでその手の話は聞き飽きている。それにあまりにもオチが中途半端すぎて、ぞっとしない。
山間の村に伝わる奇習。土着の信仰。森の奥の謎の祠。祟り。何もかもがありきたりだ。
「さ、もう終わりにするぞ。お冷頼むからな。お前飲みすぎだ。」
俺が店員を呼ぼうと手を上げかけた時、友人は呟いた。
「おかしかったんだ…いま考えると…あの祭壇…。」
「祭壇?」俺が聞き返す。
「ああ、あの祠の中にあった祭壇…今考えれば、おかしいんだよ…。」
おかしい、おかしかったんだと友人は繰り返し呟く。俺は話を終わらせようと続きを急かした。
「何がおかしいって?お前の話を聞いた限り、おかしい所なんて…。」
「最上段に置かれてた紙とその上に落ちてた糞…あの時はお供え物を動物が食ったと思ったんだが…よく考えるとおかしいんだよ…。」
「だから、なにが。」
「その紙は祭壇の最上段にあった。普通祭壇って、1番上のところには、1番神聖なもの…御神体的なものを置くよな?1番上にお供え物を置くわけが無い…そうだよな?」

俺は黙った。
もはや友人は俺に話しかけてはいないようだった。
「違ったんだ…あの黒い2つの粒は…糞なんかじゃない…あれこそが、あの祠で祀ってたものなんだ…。」

友人は項垂れた。酔いのせいなのか、それともそれ以外の感情によってだろうか。

「これは全部俺の妄想なんだが…今思えば…あの爺さんから聞いた『メジ様』っていうのは…『メジ様』じゃなくて、『様』だったんじゃないかと思うんだ…祠に祭られてたふたつの黒い粒は…眼球だったんじゃないかと思うんだよ……。」
友人はここまで言うと。テーブルに突っ伏し、いびきをかいて寝てしまった。


 これが俺の聞いた話の全部だ。全く腑に落ちない話で申し訳ない。俺がこのしょうもない話を書き込もうと思ったきっかけなんだが、先月、友人がバイクで衝突事故を起こしたらしい。命に別状はなかったそうだが、頭を打った衝撃で頭蓋骨の中の視神経が損傷し、失明してしまったそうだ。
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