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プロローグ【完成形ハッピーエンド】

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 学校を早退し、冬総は秋在の手を引いてバスに乗っていた。

 バスに乗ってすぐさま窓に両手をペタッとつけた秋在は、ジッと外を眺めている。黒板には決して向けていなかった真剣さだ。


「人が、犬と散歩してる」
「今日は天気がいいからな」
「人が、犬に散歩されてる」
「天気がいいからな」


 お年寄りばかりを乗せたバスに揺られながら、秋在は外を眺め続けた。そんな秋在を、冬総は微笑ましそうに眺め続ける。

 流れていく景色を見て、秋在はあることに気付いた。


「あっ。お腹、すいた」


 おそらく、空に浮かぶ雲が食べ物にでも見えたのだろう。秋在はいつの間にか人が歩いている地上ではなく上空を眺めながら、そう呟いた。

 残念ながら、冬総は食べ物を持っていない。
 秋在は外を眺めているものの、明らかに肩を落としていた。


「一回、バスから降りるか?」


 丁度、次のバス停で降りたらコンビニがあったはず。冬総の提案に対し、秋在は外を眺めながら答える。


「うぅん。真っ直ぐ、海に行く。行かないと、海に」


 どうやら秋在は、海で人魚の骨を探すことが最重要事項らしい。

 抑揚のない声だけれど、視線は窓の外。落ち着いているようで、浮かれている。
 そんな恋人の後頭部を眺めた後、冬総はポケットに手を突っ込んだ。


「秋在、あーんして」
「あー」


 ガラスに反射した秋在は、口をパカッと開けている。そんな秋在に、冬総は背後から抱き締める形で距離を詰めた。

 そのまま、開かれた秋在の口に【あるもの】を入れる。


「飴、一個だけ持ってた」
「んむっ」


 昼休みに女子から貰った飴だ。
 口の中に放られた飴を舐めた秋在が、ようやく冬総を振り返る。


「……半分こ、する?」
「ここではやめとく」


 舌先に飴をのせて、秋在が小首を傾げた。
 その飴を奪い取ることも、二人でシェアすることも冬総にとっては容易だ。だが、いくら秋在狂いの冬総でも【TPO】というものは弁えている。

 誘いに応じられなかったことに機嫌を損ねることもなく、秋在は舐め始めたばかりの飴を噛む。


「家に帰ったらちゃんと、ノート写せよ?」


 コリコリ、ゴリゴリ。無理矢理飴を噛む秋在に、冬総が思い出したかのように告げた。
 それに対し、秋在は問いかける。


「それは、朝日が昇るまで人魚の骨を探すのと、どっちが重要?」
「同じくらいだな」
「ふぅん……」


 ……ガリッ。
 飴を砕いた秋在が、再度、外を眺めた。


「フユフサ、海」


 そう言うと同時に、秋在は降車ボタンを押す。


「バス停から、どっちが先に砂浜行けるかの競争でもするか?」
「いいよ」
「負けた方が勝った方のお願いを聞くってのはどうだ?」
「いいよ」


 ゆっくりと、バスが停まる。


「ボク、今日は足が速いんだ」


 そう言って、秋在は走り出す。

 お金を払わずに降りてしまった秋在に、運転手が驚く。
 そのやり取りは想定済みなのか、慣れているのか……冬総は秋在が置いていった鞄と、自分の鞄を抱える。


「ありがとうございました」


 そう言い、冬総は二人分の運賃を払った。
 冬総がバスを降りた時には、秋在の背中は遠く、小さい。


「秋在からのお願い、か……」


 競争なんてしなくても、冬総は秋在のお願いならなんだって叶える。
 それでもこんな、秋在を勝たせるためだけの競争を提案したのは……。


「──走ってる秋在、超レアだな」


 ただ、それだけの理由だった。 




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