上 下
8 / 183
プロローグ【完成形ハッピーエンド】

7

しおりを挟む



 岩場に着いて早々。

 ──冬総の胆が、冷えた。


「秋在、ストップ。さすがに、ちょっと待ってくれ」


 岩の上を歩こうとする秋在を、冬総はすぐさま抱き上げる。
 子供のように抱き上げられた秋在は、ポカンとしていた。


「なに?」


 宙に浮いた足を、秋在はプラプラと揺らす。

 ──靴を脱いだばかりの、裸足で。


「裸足で岩場を歩くのは危ないだろ」
「そんなの、誰が決めたの? 憲法? 法律? それとも歴史?」


 単純に、足の裏を切るかもしれないから。……そう説明したところで、秋在は納得しない。
 秋在は、普遍的な事柄を好まないのだから。

 だからと言って、秋在をそのままにはできない。秋在の足裏に傷ができるなんて、冬総には耐えられないのだから。

 正論で諭しても、無駄。かと言って、素直に『心配だから』と伝えたって、無意味。
 そこまで分かっている冬総は、なんとか秋在の行動を止めようと言葉を探す。

 そして……。


「──下で牙を剥いているのが、見て分かんないのか?」


 冬総の返事を聴き、秋在は瞳を動かす。
 冬総の顔から、足元へ。秋在は視線を動かし、ポツリと呟く。


「……宇宙人だ」


 見えもしない、なにかの【牙】という設定。絞り出した屁理屈は、どうやら効果があったらしい。冬総は上々な手応えに、内心でガッツポーズをとった。

 そんな冬総とは対照的に、秋在は冷静だ。


「フユフサ、不思議だね。昨日は、宇宙人がボクらを遥か高みから見下ろしていたのに……今日は、ボクらが宇宙人を見下ろしている」


 昨日言っていた、あの宇宙人のことか。瞬時に、冬総は理解した。

 岩の表面を、秋在は虚ろな瞳で見つめている。
 どれだけ近くに居ようと、特別な関係性になろうと。秋在が見ているものを、冬総は見ることができない。
 それを『悔しい』と、冬総はいつも感じていた。


「……そうかもな」


 抱き上げていた秋在を、靴の上に下ろす。
 そのままペタリと座り込んでしまった秋在は、ぼんやりと岩を眺めている。今の秋在は、動きそうになかった。
 だからこそ、冬総は。

 ──靴を、脱いだ。

 視界の端で、冬総の動きを捉えたのだろう。


「──脱いじゃダメッ!」


 珍しく、秋在が叫んだ。


「宇宙人がフユフサを攻撃しようとしてるッ! 見て分からないのッ!」


 靴下すらも脱ごうとしていた冬総が、自分を見上げる秋在を見下ろす。
 パチリと目が合い、冬総はニコリと笑った。


「なら、秋在も靴を履いてくれ。独りぼっちは寂しいだろ?」


 まさか、怒鳴られた上で微笑みを送られるなんて。予想外の表情を向けられて、秋在は目を丸くする。


「……フユフサも、寂しいときが……ある、の?」
「あぁ、あるさ。お前が近くにいないときは、いつだって寂しいぞ?」
「そ、う……なん、だ」


 秋在の世界に、冬総は共感できない。理解したフリはできても、真に理解はできないだろう。
 それを、冬総は『悔しい』と思う。命より秋在が大切でも、冬総は秋在になれはしないのだから。

 そして、秋在を理解できないときは堪らなく『寂しい』と思うのだ。


「そう、そう、そうなんだ……そう、そっかぁ」


 不意に。
 秋在が、靴を持ち上げる。
 そのまま。


「ははっ! フユフサの、寂しがり屋~っ!」


 冬総に向かって、ポイッと投げた。
 屈託のない笑みを浮かべる秋在を見て、冬総も思わず笑みを浮かべる。


「なんだよ、今さらか? 知ってるだろ、そのくらいっ」


 投げられた靴を、難なくキャッチしながら。




しおりを挟む

処理中です...