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1章【急降下エブリデイ】

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 それは、秋在と冬総が人魚の骨を探しに行く、ほんの一年と半年前の話。
 入学してすぐにあった体育の授業で、事件は起こった。

 ──秋在が突然、体育館に持ち込んでいたカッターで、バスケットボールを切り刻み始めたのだ。

 理由はいつまでも、不明なまま。交際後の冬総すら、その理由を知らない。
 しかし。


「なに、あの人……っ?」
「今、先生に押さえられてる人? あの人、カッター持ってなにしようとしてたの?」
「こわっ。よく分かんないけど、あんまり関わらないようにしよ?」


 ──【一年三組に在籍する、春晴秋在という男は異常】だ、と。そう認識するには、十分すぎる出来事だった。


「あれって、確か隣の席の……?」

 入学したてで、まだ髪の毛が黒かった夏形冬総にとってもそうだ。

 冬総が抱いた【春晴秋在に対するその認識】は、周りにと違いはなかった。


 * * *


 春晴秋在は冬総の隣の席に座る、異常で不思議なクラスメイト。
 背が小さく、なにを考えているのかよく分からない。……それが、冬総にとっての認識だ。

 冬総には分からない病的ななにかかとも思ったが、それとは少し違うらしい。【証拠】と言うには薄い根拠かもしれないが、あの体育以来、秋在は授業中に大きなアクションを起こさなかったのだから。

 だが【正常なクラスメイト】かと言うと、そうではない。
 友達をつくらず、人と関わろうとせず、一人の世界に籠っている。

 隣の席とは言え、ただの一度も会話をしたことはないけれど、冬総にとって秋在はそんな印象だった。


「──夏形くんって、横の席の【春晴】って人と、喋ったことある?」


 昼休み。
 廊下でクラスメイトの女子に声をかけられた冬総は、首を横に振る。


「ねェよ。話題とかも思いつかねェし、なに考えてるかも分かんねェから」


 秋在が奇行に走ってから、一ヶ月。
 時々、冬総はクラスの女子に秋在のことで心配されていた。


「だよね~。一発目の体育の授業でいきなりバスケットボール切り始めたし、この前なんて学校に花火持ちこんでたらしいよ?」
「あ、それ、私も聞いた! 校舎裏でカエルを焼こうとしてたって!」
「えっ、そうなの? 気持ちわるぅ~いっ! 夏形くん、なにかに巻き込まれないように気をつけてね?」


 関わったことがないけれど、いい噂を聞いたこともない。だからきっと、自分は春晴秋在とは関わらないのだろう。
 ……否。関わるべきではないのだ。


「おう、気ィつけるわ。巻き込まれて教師に怒られでもしたら、とんでもねェもんな」


 それが、冬総にとっての秋在だった。

 ──その評価が一変する出来事が、その日の放課後に起こるとは知らずに。



 * * *


 放課後はいつも、数人のクラスメイトと下校する。それを冬総は、苦痛だとは思わない。

 会話は純粋に楽しいし、クラスに馴染めていると実感もできる。控えめに言っても『自分はモテている』と、冬総は分かっていた。
 その環境を、苦痛に思うはずがない。なぜなら自分は、満たされているのだから。

 ……だけど、なにかが足りていない。中学の頃から、漠然とした虚無感に冬総は襲われていた。

 それは決まって、一人になってから痛感する。


「忘れモンするとか、アホらし」


 放課後になり、一度は家に帰った冬総だったのだが、忘れ物を取りに学校へ戻っていた。

 運動部の声や、楽器の音。それらが聞こえる廊下を歩いて、冬総は教室へ辿り着く。
 そして、扉をガラリと開けた。

 ──それこそが、運命の瞬間。


「──だれ」


 誰もいないと思っていた教室に、人がいた。

 ──変わり果てた教室の様子と、予想外の人物に。


「……えっ?」


 ──冬総は、愕然とした。 




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