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9章【終戦後デイブレイク】

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 川の水面に、月が浮いていた。

 一人の少年は、その月を掬いとろうと……手を、伸ばす。

 けれど、水面に映る月は掬えない。

 ――ならば、と。

 少年はその小さな両手で、川の水を掬おうとした。

 ――手のひらにある水面に、月を映せば。

 ――あるいは、月を掬い取れた気になれるかもしれない。


『ほんの少しだとしても、千切ってしまってごめんなさい……っ』


 少年はそう、川に謝る。

 川の一部を奪い取り、その身を引き裂いたという罪悪感は……幼い少年が抱くには、大きすぎた。

 それでも、自分自身が咎人になろうとも……少年は、月を掬いたかったのだ。

 両手で川の水を掬い、月を映す。

 ――だが、少年の心は満たされなかった。

 確かに、少年の両手には月が映っている。

 けれど……その月は、川の水面に映っている月とは別物なのだ。

 ――これでは、いつまで経っても月を掬えない。

 少年はついに慟哭し、足元にあった小石を、川へと投げつけた。

 幼稚な八つ当たりにも見せるその行動は、そんな感情とは程遠い衝動だ。

 ――掬うことができないのなら、いっそ。

 ――水面に映る月を、掻き消してしまおう。

 そう、少年は足掻いたのだ。

 しかし、どれだけ石を投じたとしても……水面が揺れ、幾度となく波紋を産んだとしても。

 月は、消えたりしない。

 水面でただ一人、寂し気に浮かぶ月を眺め……少年はとうとう、膝から崩れ落ちた。

 ――ひとしきり、叫び。

 ――泣き続け。

 ――少年の涙が、枯れ果てたそのとき。


『……ぁ、はは……ははっ、あはは……っ!』


 ――少年は、笑みを浮かべた。

 少年は、気付いてしまったのだ。

 ――自分は、なんて諧謔かいぎゃく的なのだろう。

 ――これはきっと、エゴに他ならない。

 ――始まりの悲劇を覆す力なんて、自分にはないというのに。

 少年は、月が欲しかったのではない。

 ましてや……【掬いたかった】わけでもなかったのだ。

 ――少年は、川から月を【救いたかった】。

 ……ならば、せめて、と。

 少年は【クリーム色の瞳】を、暗闇で煌々と咲き続ける月へ、真っ直ぐと向ける。

 どれだけ見上げ続けても、月に嘲笑されているだけ。

 そうと、知っていながら。

 そうと、分かっていたとしても。


『ボクは……従者に、なれないんだ……っ』


 黎明を待つ少年は、齢一桁にして初めて。

 ――人という生き物の、愚かさを。

 ――人という生き物の、無力さを……痛感、したのだった。




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