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3章【雨に濡れる羊を、狼が哀れむ】
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しおりを挟む入浴を終えて、就寝準備も終えて。山吹は一人きりの部屋で、ぼんやりと壁を眺めていた。
凹んだ、壁。視線を落とせば、傷ばかりの床が目に付く。ならばと顔を上げてみると、物がぶつかってできたであろう汚れが天井にはあった。
誰だって、こんな部屋を見て驚かないわけがない。絶句し立ち尽くしていた桃枝の反応は、正常でまともだ。
今さら、この部屋を見てなにを思おう。そうとは分かっているはずなのに、今日は不思議な心地だ。
山吹は【家族との幸せな思い出】が刻まれた部屋から、目を背けたくて堪らなかった。
目的地もなく視線を移すと、視界に入ったのは……。
「なんでボク、こんなに嬉しくなっちゃってるんだろ」
テーブルの上に置いた、桃枝からのクリスマスプレゼントだった。
立ち上がり、山吹はプレゼントに近寄る。
「そう言えば、まだなにを貰ったのか知らないや」
プレゼントを手に取り、山吹はゆっくりと包装を解く。テープで包装紙が破けてしまわないようにと、細心の注意を払いながら。
「あっ、マフラーだっ」
プレゼントの正体は、シンプルなデザインのマフラーだった。どことなく桃枝らしくない気もするが、かなり悩んで選んでくれたのだろうか。
「……ふふっ。へへへっ」
緩む頬と、漏れ出る喜び。山吹はマフラーを眺めながら、ニコニコと自然な笑みを浮かべる。
使うなり、捨てるなり……やりようは、自由。しかし山吹は、触れることにすら度胸が必要で。……この形状のまま、崩したくなくて。
「これは、もう少し飾っておこうかな。使うのは、見飽きてからでもいいし」
それらしい防寒具を持っていないから、使うだけ。そこには、それ以上の理由がない。もしも使用している姿を桃枝に指摘されたら、そう言えばいい。……なんとなく『嬉しかったから』と告げるのは、恥ずかしい気がするから。
そんな楽しい想像をしていると、不意に。スマホが通知音を鳴らし、メッセージが届いたことを告げた。
すぐに山吹は放置していたスマホを手にし、メッセージの確認を始める。
『今日は、いろいろ話してくれてありがとう。自分の未熟さを知って、その中で俺はやるべきことが明確になったと思う。そしてなによりも、今日はよりお前を知って、よりお前を好きになった』
差出人は、桃枝だ。送られた文章を読み終わると同時に、またしてもスマホが音を鳴らす。
『俺に対して望むことがあれば、今後も言ってほしい。不謹慎だとは分かっているが、今日のお前の主張はとても可愛かったし、嬉しかった』
『愛してる。おやすみ』
山吹からの教えや指摘が、いったいどこまで嬉しいのか。今日のメッセージは、アカウントを乗っ取られているのではないかと思えるほど饒舌だ。
「これ、読み返したときに恥ずかしくならないのかな」
今日交わした山吹との会話を、いったいどういう形で受け止めたのか。山吹がいかに面倒な男かを知っただけなくせに、なぜこの男はこんなにも嬉しそうなのだろう。
山吹と桃枝では、抱く【愛】の形が違う。それがどれだけ厄介なことか、分かっていないのだろうか。
それとも、それを含めて『かまってほしい』という言葉が嬉しくて仕方なかったのかもしれない。……山吹に骨抜き、どころの話ではないだろう。
スマホを触り、返信を打つ。承諾といった主旨、揶揄いという意味合い、就寝の返事。……それと、最後に『メリークリスマス』を添えて。
「メリークリスマス、か。……そんなの、初めて口にしちゃったなぁ~。ふふっ、ふふふぅ~っ」
またしても、口角が上がる。山吹は返信を終えてから、スマホの画面を一度、暗くさせ……。
「──んんっ? この部屋でこんなふうに笑っちゃったの、よく考えると初めてなような……?」
笑う自分に、盛大な違和感を抱いたのだが。今日だけは、深く追求したくはなかった。
山吹は「まぁ、どうでもいいか」と呟いた後、視線を動かす。桃枝から貰った、クリスマスプレゼントを眺めるために。
3章【雨に濡れる羊を、狼が哀れむ】 了
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