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5章【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】
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しおりを挟む季節は、二月。管理課として初めて迎える決算月が近付く中、山吹は部屋で一人、スマホを触っていた。
日曜日の、夜。しかしこれといって特にすることもない山吹は、ただただ時間を浪費している。
すると突然、スマホが音を鳴らす。山吹は唐突に変わった画面に多少驚きつつも、すぐに画面を触った。
「はい、山吹です」
通話の発信を受信したスマホを、山吹は耳に当てる。
こう見えて山吹はメッセージのやり取りをする相手が多くても、通話する相手はいなかったのだが。……最近一人、通話をかけてくる相手ができたのだった。
その相手は、当然……。
『悪いな、夜に。起こしたか?』
桃枝だ。電話先でも相変わらず、桃枝の声は低くて威圧的だった。
しかし、少しだけ違う部分もある。山吹はスマホを片手に、口角をゆるりと上げてしまう。
「いいえ、まだベッドには入っていませんでした」
『そうか』
「……お話はそれだけですか?」
『うっ。……悪い。要件は、特にない』
「あははっ。知っていますよ」
声が固いのはいつもだが、今日は【いつも以上】だ。おそらく会議で意見する時以上に、声が固いだろう。
『お前に電話をかけるのは今日で五回目だが、まだ慣れねぇな。……正直に言うと、緊張してる』
理由は、桃枝が自分で言った通り。山吹との電話に、緊張しているからだ。
山吹には、桃枝の緊張が伝わっている。だからこそ可笑しくて、口角が上がってしまうのだ。
伝わってはいても、共感はできない。自分の声にそこまでの価値があるとは思えず、なによりも【好きな人との通話】という感覚が分からないからだ。
それでも、気分はいい。いつも難しい顔をして威圧的に人を睨む桃枝が、一回り以上年下の山吹に緊張しているのだ。愉快になって当然だろう。
「課長っていつも、夜に電話をかけてきますよね。もしかして、寝る前の子守歌でもご所望ですか?」
『なわけねぇだろ。っつぅか、俺が頼めば歌ってくれるのか? 歌わねぇだろ、絶対』
「酷いですね、歌くらい歌ってあげますよ。ポップなアイドルソングとビジュアルバンドのハードロックな曲、どちらがいいですか?」
『訊く必要あるのか、それ。子守歌の選曲じゃねぇだろ』
少し、桃枝の声が柔らかくなった。どうやら、緊張が解れてきたようだ。
『夜に電話をかけるのは、せめてもの配慮だと思ってくれ。日中にかけると、お前の休みを潰しちまうだろ』
「それって、ボクとの電話に【就寝】という外せない予定を組み込まないと無限にお喋りしちゃうって意味ですか?」
『わざわざ言語化するな、馬鹿ガキ』
「そんなガキを相手に休みの夜、ほぼ毎回電話をかけてきている甘ったれな大人もどうかと思いませんか?」
『了承したのはそっちだろ』
「強請ったのはそっちじゃないですか」
今回は、山吹の方が正しい。そう思ったのか、桃枝が悔しそうに呻いた。
『くっ。……あぁ、そうだな。俺の方が、どうかしてる』
すぐに、桃枝は付け足す。
『お前の声も、俺は好きなんだよ。聴きたくなって、当然だろ』
どうして桃枝は、自ら恥を上塗りするのだろうか。
「分かります。ボクって、声もカワイイですもんね」
『自分で言うかよ、普通。……まぁ、事実だが』
「ありがとうございまーす」
口説かれながら山吹は、どこか他人事のようにそう思った。
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