251 / 466
8章【軋む車輪は油を差される】
25
しおりを挟むそっと、桃枝の手が頬から離れる。
「山吹、ほら」
桃枝はそう言うと腕を伸ばし、両手を広げて山吹を見つめた。
この行為が、意味するもの。理解すると同時に、山吹は顔を青ざめさせた。
「そ、れは……っ。お、怒らせて、しまうかも、しれません……っ」
「大丈夫だから、来いよ」
「で、でも……っ」
「映画館では肩にもたれかかってくれたじゃねぇか。俺はそれが、映画の内容を忘れるくらい嬉しかったんだぞ」
山吹は恐る恐る、桃枝の目を見る。すると、微笑みを返された。
この男は、嘘を言わない。この男は、山吹のことを優しく愛してくれているのだ。そう、山吹は分かっている。
瞳を伏せて、悩んで。山吹はようやく、意を決した。
「……っ。えいっ!」
「お、っと。……随分と勢いがあるな」
「こういうのは恥じらった方が負けなんです。スピード勝負なんです」
突進のように、桃枝の胸に飛び込む。予想していた以上に勢いのある飛びつきに、桃枝は驚いている様子だ。
だが言葉の通り、桃枝は喜んでいる。山吹の背に腕を回し、愛おしそうに抱き締めているのだから。
「随分と、山吹は素直になったな」
「なんですか。素直じゃなくて、ひねくれた感性を持った虚構まみれなボクの方がお好みでした?」
「いや。お前はお前だろ。いつだって愛おしい男だ」
なんでも、受け入れてくれている。桃枝の胸に顔を埋めた山吹は、くぐもった声で続けた。
「課長が好きになった【無邪気でカワイイ山吹緋花】なんて、もうどこにもいないんですよ。本当のボクは、そんな男じゃないんですから」
「そうだな。打算尽くしで可愛いお前なら、俺の腕の中にいるけどな」
「それ、褒めてますか?」
「一応な」
あまり、褒め言葉には聞こえない。不服そうに唇を尖らせるも、桃枝は気付かなかった。
それどころか、そんな山吹すらも包み込むように、桃枝は優しい声音で囁いたのだ。
「これからはもっと、自分にとっての楽しい時間を増やしてほしい。趣味に、好きなもの。そういったものに時間を使えるようになってほしいと、俺は思う。自分の気持ちを、抑制しないでくれ」
これでは、立場が逆になっている。なにかを教え、感動をさせるのは山吹のはずだったのに。
まるで、上手に甘えられているようで。上手に甘える方法を教え込まれているようで、居心地が悪い。山吹の中には、そんな感情もある。
だが、それでも山吹は離れない。桃枝に抱き着いたまま、会話を続けた。
「じゃあこれからは、ボクからもメッセージを送っていいですか? 今までずっと、受け身だったので」
「あぁ、勿論だ。問題ないどころか、俺としては嬉しい限りだ」
「それと、ごめんなさい。受け身だったくせに、話を広げようともしなかったくせに……何度か、メッセージのことで課長を責めてしまって」
「気にしていないから気にすんな、って言うのも意味が少し違う気もするが。とにかく、気にするな。お前の返信を不快に思ったことはねぇし、お前の指摘を『間違っている』と思ったこともねぇからな」
やはり、桃枝は優しすぎる。なぜ、ここまでしてくれるのだろう。申し訳なさと、過去の我が儘極まりない自分に対する怒りが、山吹を苛む。
山吹は、しみじみと思う。分かるように『返して』と言わなくても、返してくれる人。山吹が『欲しい』と言わなくたって、山吹の欲しいものをくれた人──桃枝は、やはり。
「ボクに課長は、もったいないです。……でも、ヤッパリ課長を手放すことはできません」
こんな身勝手にも、桃枝は怒らない。
「馬鹿言うな。俺の方こそ、お前はもったいないくらいだっつの。お前以外の誰になにを言われたって、俺はお前を手放せないがな」
まるで『同じだ』と言いたげに、柔らかく微笑む桃枝は……。
「そこは『お前に頼まれたって離してやらない』くらい言ってくださいよ」
「お前に頼まれたら考える。話し合いをして、どうにか折れてもらうがな」
「なんですか、それ。弁舌合戦でボクに勝てるとでも?」
「勝つさ。根拠は、今の俺たちの関係だ。俺の勝利の果てに、お前を落とせたわけだからな」
「ぷっ、あははっ! それこそなんですかっ、課長っぽくないですよ?」
やはり、山吹の中で【優しい人】だ。
20
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
女子にモテる極上のイケメンな幼馴染(男)は、ずっと俺に片思いしてたらしいです。
山法師
BL
南野奏夜(みなみの そうや)、総合大学の一年生。彼には同じ大学に通う同い年の幼馴染がいる。橘圭介(たちばな けいすけ)というイケメンの権化のような幼馴染は、イケメンの権化ゆえに女子にモテ、いつも彼女がいる……が、なぜか彼女と長続きしない男だった。
彼女ができて、付き合って、数ヶ月しないで彼女と別れて泣く圭介を、奏夜が慰める。そして、モテる幼馴染である圭介なので、彼にはまた彼女ができる。
そんな日々の中で、今日もまた「別れた」と連絡を寄越してきた圭介に会いに行くと、こう言われた。
「そーちゃん、キスさせて」
その日を境に、奏夜と圭介の関係は変化していく。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる