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8.5章【どの雲にも銀の裏地がついている】
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しおりを挟む桃枝とのデートを終えた、翌日のこと。
「課長。少し、お時間いいですか?」
山吹は管理課の事務所から誰もいなくなるまで、静かに待機していた。
……『誰も』は、少々語弊だ。厳密には『山吹と桃枝以外』である。山吹は桃枝と二人きりになれる時間まで、ジッと自分のデスクで待機していたのだ。
時刻は、夜の二十時。むしろこの時間までよく耐えたと、山吹は妙な称賛を自分に送りかける。自分の挙動が不審だと、薄々察していながら。
だが、山吹の挙動を不審に思っていたのは当然、桃枝とて同じこと。
「微動だにせずなにしてんのかと思ったら、このタイミングを待ってたのか」
「すみません……」
「いや責めてはねぇんだが、お前っておかしなところで要領悪いよな」
「俄然責めてるじゃないですか」
「責めてねぇよ」
両想いになったところで、二人のやり取りはさほど変わっていない。山吹の言動が多少ぎこちなくなってはいるが、桃枝が普段通りなのだから。
おそらく、山吹が事務所に残っている様を見て他の管理課職員は『いったいどこの誰と待ち合わせをしているのか』と思ったに違いない。山吹は周りから見ると、そういう男なのだから。
ただ一人、心の底から『なにをしているんだ』と不審がっていたのは桃枝だけ。まさか自分を待たれているとは思わず、こう見えてほんの少し浮かれていた。……無論、山吹は浮足立つ桃枝に気付いている。
「こんな平日に、すみません。あの、その……っ」
だとしても、言葉が詰まってしまう。山吹は桃枝のデスクに近寄った後、モジモジと縮こまり、俯いた。
本日、山吹はどうしても桃枝に伝えたいことがあったのだが……。果たしてこんなことを言って、迷惑ではないだろうか。そんな不安に、今さらながら苛まれ始めたのだ。
山吹がなにを言おうとしているのか、桃枝は全く気付いていない。もとより【察する】という能力が絶望的なほど皆無な男なのだから、当然だ。
しかし、山吹がこうして縮こまる時は大抵『遠慮をしている時だ』と、桃枝はなんとなく学習していた。
「なんでも言ってくれ。俺は、お前の言葉が聴きたい」
「課長……っ」
こうして桃枝に甘やかされて、山吹の心が揺らぐ。『迷惑かも』という不安を、桃枝はいとも容易く溶かしてくれるのだ。
ならば残すは、意を決するのみ。山吹は拳を握り、必死に顔を上げた。
「今日、と言うか明日? えっと、とにかく日付が変わるまで。日付が変わって明日になる瞬間まで、課長と一緒にいたい、です……っ」
「日付が変わるまで? えらく限定的と言うか、具体的と言うか」
鈍い。素早く、山吹は心の中で桃枝を責めた。
普通、卓上なりパソコン上なりのカレンダーを見て気付くだろう。今日が何日で、明日が何日なのか。そこから自ずと、山吹の目論見が分かるはずなのに。
真っ直ぐと山吹を見ている桃枝は、気付いていない。ならば、やはり山吹は明確に【希望】を口にするしかなかった。
「──一番に、課長へ『おめでとう』って言いたくて、だから……っ」
そこまで言われてようやく、桃枝はカレンダーを確認する。俊敏な動きだ。
目視して理解をしてしまえば、なんてことはない。桃枝は「あー……」と、申し訳なさそうに呻いた。無論、自分の鈍さに対しての呻きだ。
コホンと一度、咳払い。桃枝は山吹を見上げ直してから、頷く。
「そんな嬉しい提案を、俺が断るわけないだろ」
「だって、明日も仕事ですよ? 日付が変わるまでなんて、課長にとってメーワクじゃないですか?」
「迷惑なんかじゃねぇよ。嬉しいっつの」
「連日、課長を拘束してしまっています」
「そうだな、嬉しい限りだ」
山吹にとことん甘い。桃枝は相変わらずだ。
──誕生日の前日だろうと、数時間後に恋人から『おめでとう』と言われると分かっていようと、ひとつ年を重ねようと。桃枝は、桃枝だった。
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