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10章【疾風に勁草を知る】
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しおりを挟む会計を終えた後、桃枝は山吹と黒法師を乗せて運転を始める。
話を聴くに、やはり黒法師は迷子だったらしい。しかも、目的地は駅ではなくバス停。桃枝は仕方なく、超弩級の方向音痴を目的のバス停まで移送した。
なんとかバスに乗り込めると分かった黒法師は「おおきに」と快活な挨拶をした後、そのまま去っていく。
「土曜日なのに仕事先への移動をしていたなんて、あの人は多忙なんですね」
「アイツの場合、早め早めの移動をしないと当日に辿り着けない可能性もあるからな」
「あぁして、楽しそうに歩いているのが腹立たしいです。あの揺れている長い髪、切り刻みたくなります」
「お前は本当に水蓮が嫌いなんだな」
嫌い、と言うよりは、気に食わない。そもそも、馴れ馴れしく『白菊』と呼んでいることすら認められないのだ。いくら黒法師の性格がまともになったとしても、きっと山吹は黒法師を好きになれないだろう。
グルルと唸りそうなほど難しい顔をしている山吹を見て、桃枝は車を停めたまま眉を寄せた。
「……まさかとは思うがお前、水蓮となにかあったのか?」
「いえ。『なにか』と言うほど、大したことはなくてですね……」
心配をかけている。桃枝の心象を分かっていても、山吹はなにひとつ言葉にできない。
二度と、青梅とは会わないはず。たった一度起こってしまったエンカウントをわざわざ話すメリットが、山吹には思いつかなかった。
しかし、丁度いい言い訳も咄嗟には思いつかない。山吹はただ、気難しい顔をして閉口する。
助手席で黙っている山吹を見て、桃枝は感じるものがあったのだろう。
「なにか嫌なことをされたら、すぐに言えよ。ぶっ飛ばしてやるから」
「課長……っ」
なかなかバイオレンスな言葉だが、それでも山吹は喜んでしまった。言うと同時に頭を撫でてくれたのも、胸が高鳴った理由のひとつだ。
……もしもあの時、先に見つけてくれたのが桃枝だったら。見返りを求めることもなく、青梅から助けてくれたのだろう。
桃枝は、そういう男だ。だから山吹は、桃枝にどうしようもないほど惹かれてしまった。
「……白菊さん、好きです」
「え、っ」
「大好きです」
助手席から身を乗り出して、山吹は桃枝に抱き着く。突拍子のない言動に、桃枝は硬直してしまっていた。
「抱き締め返してください」
「あ、あぁ。わ、わか、った」
それでも、山吹の言葉は届いているらしい。言われた通り、桃枝は山吹を抱き締め返す。
この一瞬がどれだけ尊く、愛おしいものなのか。説かれるまでもなく、山吹は理解している。
桃枝のことが、好きで、好きで。大切で、大好きで、愛おしい。胸の奥から素直に溢れてくる気持ちを抱えたまま、山吹は桃枝を見つめた。
「──白菊さんのマンションに、行きたいです。……早く、二人きりになりたいから」
素直に甘えることが、まだまだヘタでも。不慣れでも、山吹は『したい』と思った。
山吹が素直に好意を寄せられる相手は、山吹が克服しようとしている【不得意なこと】を求めてくれていると、分かっているから。
「そ、そう、か。……あぁ、そうだな。初めから、今日はそういう約束だからな。移動するか」
「はい。……ふふっ。課長、お顔が真っ赤ですよ?」
「お前だって指摘されたら嫌がるんだから、俺の顔色だって指摘するんじゃねぇよ、悪ガキが」
身を離した後も、山吹は安心した気持ちで笑みをこぼすことができた。
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