冥府の徒花【完結】

四葩

文字の大きさ
17 / 56
第三幕

第15話【追躡する闇】

しおりを挟む

──重い。誰かにのしかかられている。痛い。絶え間なく、体の奥底に触れられている。うるさい。大勢の男の声がする。

 嗚呼、喉がカラカラだ。水が飲みたい。
 視界がぼやけて、はっきり見えない。体にまったく力が入らない。声も出ない。手足の感覚もなくなってきた。

 みょうに寒い。急に静かになった。さっきまでの重さも、痛みも感じない。
 ここはどこだ? 俺は何をされていた?
 わからない。
 目も耳も覚束無おぼつかないうえに、次々と状況が飛んでいく。
 ぼんやりしただいだい色の灯りが、かろうじて見える。行灯あんどんだろうか。どうやら薄暗い部屋に横たわっているらしい。

 ずずり、ずずり、と音がする。濡れた頭陀袋ずだぶくろを引きずるような音だ。この音を、俺は知っている。それが近づいてくるにつれ、酷く厭な気分になる。恐怖とも畏怖とも違う、おそれ。見たくない、知りたくないという自己防衛本能だ。

 ぼやける視界に影が落ちる。呻くような呟きが降ってくる。繰り返し何か言っている。

『…………せよ……』

 ずしり、と腹に重みがかかって臓腑ぞうふが押しつぶされる。苦しい。
 よく聞こえないが、俺にまたがった男が同じ言葉を呟いている。

『……いせよ……愛せよ……』

 愛せよ……。俺はその言葉を、幾度となく聞いてきた。長い間、それだけを言われ続けてきた。俺はこの状況、この光景を知っている。

 厭だ。見たくない、聞きたくない。思い出したくない。

 男が腕を振りかぶる。霞む視界の中で、何かが行灯の灯りを反射し、冱え冱えと光った。吐き気に似た悪寒とともに、なぜか強い安堵感が沸き起こる。その矛盾に、頭はますます混乱する。

『……ゆるして……くれ…………エンマ…………』

 男は掠れた声で呟くと、勢い良く腕を振り下ろした────


 と、そこで夕立は目を覚ました。荒い呼吸を繰り返す。汗でぐっしょり濡れた襦袢じゅばんが背に張りついて、酷く不快だ。
 既視感があり、異様なほど鮮明な夢だった。男が最後に呟いた言葉の意味は分からなかったが、己にとって途轍もなく重要なものだと直感していた。
 酷い疲労を感じつつ体を起こし、額に手を当てて夢の言葉を反芻はんすうする。

「愛せよ……赦してくれ……エンマ……」
「くくっ……起き抜けに愛を乞いつつ懺悔するなど、みょうな真似をするようになったのう」

 隣で書物に目を通していた閻魔が、にやりと笑って紫煙を吐いた。ここは白檀香に霞む閻魔の寝室、豪奢な天蓋付き寝具の上である。

「……ちげぇよ、懺悔なんてガラでもねぇ。最近、何度も見る夢で聞いたんだ。痛みも感触もやたらリアルで、見るたびに長く、鮮明になっていく気がする……」

 閻魔はわずかに眉をひそめた。やはりかと内心、嘆息する。
 夕立に起こっているのは心的外傷後ストレス障害、急性ストレス障害のひとつ、いわゆるフラッシュバックである。帝釈天に嬲られたことが引き金となり、夕立にとって最も陰惨な記憶が、夢という形で蘇っているのだ。
 このような事態を予測していた閻魔は、あの日から毎晩、夕立を同衾どうきんさせている。フラッシュバックは非常に生々しく、かつ鮮明に記憶を呼び起こすため、万が一、夕立がパニックを起こしても、即座に対処するためである。くわえて、過剰に高められた淫欲は、連日にわたる調整が必要だったのだ。
 ふう、と溜め息とともに紫煙を吐き、閻魔は問うた。

「……して、どのような夢なのじゃ」
「まだ途切れ途切れなんだが……薄暗い部屋にぼんやりした灯り……。誰かにのしかかられる重さと体の痛み……それと、大勢の呻き声がしてうるさかった。そのうち急に静かになって、男が俺に跨って……何かぶつぶつ言ってたな」
「なんと言っておった?」
「さっきの言葉だ。〝愛せよ、赦してくれ、エンマ〟……くらいしか聞き取れなかった。覚えがある気はするんだが、今はまったく意味不明だ」
「……そうか」

 閻魔はことりと煙管を置き、額を押さえる夕立を優しい手つきで抱き寄せた。汗で張り付く髪をいてやりながら虚空を睨む。
 いつか、その生い立ちを夕立に伝えねばならないとは思っていたが、このような形で知らせるのは、あまりに精神負荷が大き過ぎる。すべての記憶が一気に蘇っては、例えどんな強者でも混乱をきたしてしまう。とはいえ、既に事態は動き出してしまった。長い時間をかけ、しかるべき手順を踏むつもりでいたが、先日の件で台無しである。
 しかし、肝心な部分はまだ奥底に眠っているはずだ。それだけは、何としても封じておかねばならない。そのためにも今しばらく、できる限り傍に置いておく必要があるのだ。
 閻魔の指が頬を撫でると、夕立の体がふるりと揺れた。これもある種の後遺症である。長時間、解放を封じられていた欲は、反動でわずかな刺激にも容易く反応してしまう。閻魔は夕立の顎をすくい上げ、唇を触れ合わせながら囁いた。

「大丈夫じゃ、心配ない。どんなことがあろうと、わしがすべて受け止めてやる。なにも案ずる必要はないぞ、夕立」
「……すまねぇ……こんなていたらく……」
「そんな言葉は要らん。今は何も考えず、身を任せよ。ぬしはわしのものじゃ、誰がなんと言おうと手放さぬ。分かったな?」
「ああ……」

 夕立は弱りきった表情で閻魔を見つめ、首を縦に振る。そのまま唇を重ね、角度を変えて幾度も口付け合った。普段より数倍、過敏な状態の夕立は、たったそれだけでぼんやりと瞳をとろけさせている。閻魔の襦袢にすがりつき、荒く息を吐きながら甘い声を上げた。

「ぬしは必ずわしが守る。過去からも、未来からもな」
「ん……っ、信じてる……」

 淫楽へ溺れる中でつむがれたひと言に、閻魔はただ困ったような笑みを浮かべるのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

妹を救うためにヒロインを口説いたら、王子に求愛されました。

藤原遊
BL
乙女ゲームの悪役令息に転生したアラン。 妹リリィが「悪役令嬢として断罪される」未来を変えるため、 彼は決意する――ヒロインを先に口説けば、妹は破滅しない、と。 だがその“奇行”を見ていた王太子シリウスが、 なぜかアラン本人に興味を持ち始める。 「君は、なぜそこまで必死なんだ?」 「妹のためです!」 ……噛み合わないはずの会話が、少しずつ心を動かしていく。 妹は完璧令嬢、でも内心は隠れ腐女子。 ヒロインは巻き込まれて腐女子覚醒。 そして王子と悪役令息は、誰も知らない“仮面の恋”へ――。 断罪回避から始まる勘違い転生BL×宮廷ラブストーリー。 誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。

届かない「ただいま」

AzureHaru
BL
いつも通りの変わらない日常のはずだった。 「行ってきます。」と言って出て行った貴方。1日が終わる頃に「ただいま。」と「おかえり。」を笑顔で交わすはずだった。でも、その言葉はもう貴方には届かない。 これは「優しさが奪った日常」の物語。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】顔だけと言われた騎士は大成を誓う

凪瀬夜霧
BL
「顔だけだ」と笑われても、俺は本気で騎士になりたかった。 傷だらけの努力の末にたどり着いた第三騎士団。 そこで出会った団長・ルークは、初めて“顔以外の俺”を見てくれた人だった。 不器用に愛を拒む騎士と、そんな彼を優しく包む団長。 甘くてまっすぐな、異世界騎士BLファンタジー。

処理中です...