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幕間 ソフィアの受難2

39 盗賊の襲撃(盗賊視点)

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 ソフィアが村からの脱出に成功したのを、いち早く気付いたものがいた。村人ではない。
 その者は村の外の林で息を潜ませていた。
 平凡な男だ。
 その辺の農民と大差ない顔立ちと身なりをしている。街を歩いていても誰も気にも止めない、そんな影の薄い印象を感じさせた。

「__デビット兄」
 男の声もどこにでもいる青年の声だった。
 ただし男がいる場所は特殊だった。彼は背の高い大樹の枝の上に立っていた。不安定な足場ながら、その足取りは安定している。

「んあ?」
 下から別の男の返事があった。面倒臭いけど反応だけはしておこうという感じの声だった。


「村人?が一人逃げてるんすけど、どうします?」
 平凡男の視線の先では今なお若い女性が逃走劇を繰り広げている。よっぽと村で怖い思いをしたのだろう。

「んなわけないだろ。寝言は寝て言え」

「寝てんのはデビット兄の方っすよ~」
 このときになって平凡な男は下の木陰で横になるもう一人の男に目をやった。
 すると、相手もこちらを見上げていた。

「暇なんだから仕方ねえだろ」
 だらしない風貌の男は、あくびを隠そうともせずにそう愚痴る。


「じゃあ監視替わってくださいよ~。自分、連日徹夜で疲れてるんすよ~」
 平凡な男は、昨日からずっと木の上で村の監視をしていた。いや、正確に言えば村に滞在しているある人物の監視だ。その人物は本来、盗賊である2人にとっては敵となる存在だ。
 しかし今回どういう経緯があったのかは知らないが、二人と協力関係を築くことになったのだ。ボスからの指令だった。
 とはいえ敵である者をそう簡単に信じられるほど2人の男は能無しではなかった。
 だから協力者がしっかり仕事をこなしているのか監視しているのだ。

「そりゃあ無理な話だな、マイケル。俺はお前の兄貴だからな。監視なんてつまらない仕事はしないのさ」

「ちぇっ~」
 平凡な男__マイケルは不貞腐れる仕草をした。デビットは監視という地味で退屈な仕事をしたくないだけなのだ。

「でも、逃げてるのは本当っすよ?」
 マイケルはせめてもの仕返しに会話を続けることでデビットの安眠を邪魔することにした。

「まだ言うのかよ。あの魔物の軍勢から逃げ切れる村人がいるわけないだろ。「気配遮断」を持つ俺でも骨が折れるだろうぜ」
 怒号。叫喚。血の臭い。目を瞑っていようとデビットには村の惨状が手にとるようにわかる。この状況で村人が、いや鼠一匹が村から逃れられるとは到底思えなかった。

「でも~」
「んだよ」
「いるんすよ~」
「だから見間違いだろ。俺は寝るからな」
 これ以上安眠を邪魔されては敵わないとマイケルの声を完全に無視することにしたデビット。
 しかしそこでデビットは飛び起きた。
「まじか」
 冷や汗が流れる。
 デビットの「気配探知」がこの林に向かう気配を感じ取ったのだ。マイケルの言葉は真実だったのだ。
「だから言ったじゃないっすか~」
 木の上からドヤ顔を見せるマイケルを鬱陶しく思いながら、デビットも木に登り闖入者を視界に収める。
「協力者……ではないな」
 どこからどう見ても協力者の背格好とは異なっていた。それに性別も違う。協力者は男だ。しかし今デビット達の元に逃げ込む者は女だった。
「間違いなく村人だな」
 デビットはそう結論づけた。
「そうっすねー」マイケルは少し不機嫌そうだ。自分の言葉を信じてもらえなかったのをまだ根に持っているらしい。
「しかしそれにしても___」
 デビットは鋭い目つきで女を観察する。
 油断ならない相手だ。
 必死に逃げる様は弱者を思わせる。普通の村人にしか思えない。
 が、それにしては不可解な点が多すぎるのだ。
 一番デビットを不可解にさせていたのは、どうやって魔物の軍勢から逃れたのか、ということだった。
 現在、村は百二十匹の魔物の大群に襲われている。
 いや、襲わせているという方が正しいか。
 村を襲っている魔物の軍勢は決して自然発生したものではない。
 魔物が縄張りを出ること自体稀なのにピンポイントで村を襲う。
 ありえないことだ。
 つまり普通を覆す何かが起こっているということだ。
 その何か、を起こしたのがデビットとマイケルだった。

『魔呼びの笛』という魔道具がある。高名な魔女が製作した、名前の通り魔物を呼び寄せる笛だ。本来は魔物を一箇所に集め効率よく掃討するために作られたものだが、デビット達はその特性を悪用して魔物を誘き出し村を襲撃させたのだ。
 とはいえ、実際はそう簡単な話でもなかった。

『魔呼びの笛』にはいくつか欠点がある。笛の効果範囲が限られているのもそうだが、デビット達を一番悩ませたのは、魔物を呼び寄せられるのは笛を吹いている間のみだったことだ。
 村を襲えるほどの数を集めるには魔物の縄張りを何箇所も回る必要がある。しかしそれには笛の数も人員も足りない。
 それに、効果が続いている間は魔物たちは一種の錯乱状態でおとなしいが、効果が切れた瞬間、魔物達はところ構わず暴れ出してしまう。
 だからデビットとマイケルは昼夜問わず笛を鳴らし続けなければならなかった。
 二人は代わる代わるゴブリン・コボルド・オークそれぞれの集落に赴いては酸欠になるまで笛を吹き続け、この大軍勢とも言える総勢120匹の魔物をかき集めたのだ。
 そんな血と汗と涙の努力があった故の村襲撃なわけで、デビットにしてみれば一人でも脱走者がでたのは許されざることと同時に信じられない事であった。
 贔屓目に見ても120匹という数は異常だ。
 あの混沌とした村の中にいて生きて逃げられるなど神技に等しい。相当な実力者ではない限り不可能だろう。
 つまり、この一見弱そうで何らかの幸運が重なって奇跡的に逃げ切れたような村人の女は、実はデビットとマイケルの二人がかりでも叶わない圧倒的強者である可能性が高いのだ。
 まったく油断ならないぜ。
 デビットは女の一挙手一投足に集中する。
 こちらから手を出すのは危険だと判断し、とりあえず女の出方を伺うことにしたのだ。

「はぁ……! はぁ……!」

 女がついにデビットとマイケルのいる木の下にたどり着いた。息は絶え絶えで今にも倒れてしまいそうな様子だ。
 一見すれば走り疲れている風だが、デビットの目は騙されない。
 これは油断を誘っているのだ。
 デビットもよくやる手口だ。相手に油断させておいて背後から寝首をかく。油断している相手ほど狩りやすい獲物はないからだ。
「見事だな……」思わずデビットは漏らす。
「え?」マイケルは理解できていない様子だ。
「俺たちの気配に感づいておきながら、そのことを俺たちに感づかせないように振る舞いつつ隙を窺っているんだろうよ」
 デビットはマイケルにも分かるように説明した。
「そうなんすっか? 自分には普通に気づいていないように見えますけどね」
「それこそが彼女の策さ。俺らに油断させるためのな。これが分からねえから、お前はいつまでも半人前なんだよ」
「そうなんすかねぇ……」
 マイケルは最後まで不満そうだった。こいつには難しい話だったかもな、とデビットは思った。
 デビットとマイケルがヒソヒソと話していると、女に動きがあった。
 のろのろとした足取りでどこかに向かおうとしている。

「追うぞ。油断するなよ」
 デビットはマイケルにそう告げて、女の跡をつけることにした。村の監視にマイケルを置いておくべきかと思ったが、女の存在の方が優先度が高いと判断したのだ。
 村から逃げた女が何をするのか、見張っておかなければならない。もしどこかにいる仲間の元へ向かっているのなら、早々に殺す必要がある。村の襲撃が明るみになっては、デビットたちの今後の計画が破綻するからだ。

 女が向かったのは小さな川だった。
 何をするつもりだ、とデビットが注視していると、突然女が服を脱ぎ出した。

「うほ、マジっすか!」
 マイケルが喜声をあげる。
「静かにしろ。気付かれる」
 あるいはもう気付かれてるのかもしれないが、とデビットは思った。
 女は下着姿になると、脱いだ服を川につけ始めた。
「何をしてると思う」
「そりゃあ、服を洗ってるんすよ。遠目からでも血とか魔物の体液がめっちゃ付いてましたし」
「違うな」
「え?」
「俺たちを誘ってるんだ。どこからでも仕掛けてみろってな。無防備になったのは、俺たちに先制を譲るって意味だろうな。恐ろしい女だぜ」
「違うと思うっすけど」
 デビットはマイケルの無能さに呆れたように溜息をつくと、
「じゃあ聞くがマイケル。森の中、一人、どこから魔物や野生動物が襲ってくるかもわからない状況で、呑気に服なんて洗うか? 無防備になれるか?」
「なれないっす」
 どんな達人でも万が一に備えておくものだ。ましてや単身のときは余計気を張るものだ。
「だろ。それが答えだ」
「でもそれって普通はってことっすよね。普通じゃない人はそうは思わないんじゃないっすか?」
「普通じゃない? ああ、確かにあの女は普通じゃねえな。自分の力に絶対的な自信を持ってやがる。そういう奴は強えぞ」
「単にアホなだけじゃないっすか?」
「アホはお前だろ」
 再び女に動きがあった。
 今度は濡れた服を枝に吊し始めたのだ。
 白と黒の布が交互に風に揺れる。
「なに?」
 デビットが震えた声を出した。
「降伏しろ、だと?」
 何が何やらわからないというマイケルの顔を見て、デビットは説明する。
「黒白旗は警告を意味する。これから攻撃しますってな。だが、わざわざ攻撃することを警告するバカはいねえ。つまり俺らに向けて降伏を促してるんだろうよ」
「ただ単に服を乾かしてるだけじゃないすか? てか、よく見たら結構上等な服っすよ、あれ」
 マイケルの言う通り、汚れが落ちて綺麗になった服は、そんじょそこらの村人が手に入れられないほどの高級なものだった。
「決まりだな。この女は村人じゃねえ。村人のフリをして俺たちを殺しにきた傭兵か暗殺者か、まあどうでもいいか。やるかやられるか、だ」
 デビットには降伏するという選択肢はなかった。
 降伏するなら死んだ方がマシだからだ。散々人を騙し、陥れ、殺してきたデビットにも矜持はあった。
「マイケル、覚悟を決めろ。女をやるぞ」
「なんの覚悟かわからないっすけど、了解っす」
 緊張感を漂わせるデビットとは異なり、マイケルは余裕綽々な様子で得物を抜く。
「女だからと油断するなよ。死ぬぞ」
「はいはいっす」
 マイケルの生返事には多少思うことがあったが指摘しなかった。
 後で痛い目を見ればいい、とデビットは思った。
「作戦はこうだ。俺がまず女の注意を引く。その間に背後からお前が殺れ」
「はいっす」
 マイケルの返事を聞き終わる前に、デビットは行動を開始した。枝を伝い、女の頭上まで接近する。
 女はなおもデビットたちに降伏を促してくる。
 下着姿のままで、だ。
 自信があるのはわかるが、それにしても無防備すぎやしないかと思わずにはいられない。デビットが右手に握るナイフを投げればあっさりと死んでしまいそうだ。試しにやってみるか。
(いや……)
 投擲しかけたナイフをデビットは下ろした。
 こんな明からさまな罠にかかってやる意味がないと考え直したのだ。ナイフを投擲しても交わされるのがオチだ。それなら手数を残しておく方が望ましいだろう。
 ヒュウと、どこからか鳥の鳴き声がする。
 マイケルが位置についた合図だ。作戦決行である。
(行くぞ)
 デビットは集中力を高める。
 するとそれまで感じていた焦り、不安、緊張といった余計な感情は姿を消した。代わりに五感の情報が強化され研ぎ澄まされる感覚があった。
 スキル『精神統一』。デビットが生まれながらにして持っていたユニークスキルだ。集中力を高めることで、五感が少しばかり強化するというもの。
 ユニークスキルにしてはあまりにしょぼく周りから馬鹿にされてきた。
 しかし今デビットは感謝していた。このスキルがなかったら間違いなく強敵であるこの女に立ち向かえなかっただろう。

「___ッ!」

 音もなく頭上から女に襲いかかったデビット。入りは完璧だった。しかしそれと同時に、女もまた頭上を見上げたのだ。
 女の視線とデビットの視線が交差する。
 デビットに驚きはない。スキルによる恩恵もあるが、初めから予想していたことだ。
 あくまでデビットは陽動。この攻撃で仕留められるとは思っていないし、仕留めるつもりもなかった。女の注意を一瞬でも引ければいいのだ。あとはマイケルがやってくれる。

 しかしここでデビットの予想外のことが起こる。
 強化された視界の中、女の目が大きく開かれた。口も大きく開かれる。

 何か大きな攻撃がくる。
 強化された五感で察知したデビットは瞬時に防御体制をとった。

 そして。

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 デビットが落下したのと同時。
 凄まじい悲鳴が辺りの空気を震わせたのだった。
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