束縛婚

水無瀬雨音

文字の大きさ
4 / 10

しおりを挟む
 ベルティーユとオースティンの婚約は問題なく進んだ。当然ウィルフレッドがかなり反発したそうだが、まだ婚約段階であれば、身分の高いオースティンとの結婚が優先される。

「もっと早く、ウィル様と結婚すればよかった」

 ベルティーユはバルコニーの手すりに頬杖をついて、星空を眺めていた。
 夜着の上にストールを羽織っただけの状態だが、誰に会う予定もないのでかまわないだろう。
 オースティンが屋敷を訪れたあの日から、外出していない。当然、ウィルフレッドとも会えていない。会ってしまったら、ベルティーユの決心が揺らいでしまったかもしれないが……。
 成人して、社交界デビューもすませた。
 もうすぐ。
 ウィルフレッドと結ばれるまで、本当にもうすぐだったのに。
 ベルティーユの初恋は、あと少しで手が届くというところで、儚く消えてしまった。
 あと一週間後には、オースティンの迎えが来る。ベルティーユは本当に彼と結婚することになってしまう。彼女の愛したウィルフレッドではなく。

「ウィル様……」

 ベルティーユが呟いた名前は、夜風にのって、誰の耳にも入らないまま消えていった。

「……寒い」

 肌寒さを感じたベルティーユは、もう部屋に戻ることにした。風邪をひいてしまっては大変だ。

「きゃっ」

 不意にバルコニーの手すりから現れた人物に、ベルティーユは思わず声を上げた。
 ここにいるはずのない人。二度と会うはずのなかった人。

「一週間ぶりだね? ベルティーユ」
「……ウィル……様。どうしてここに。どうやって……」

 ウィルフレッドは、手すりにロープを引っかけて、それをのぼってきたようだ。
 貴族の屋敷だ。それなりの警備はあるのに、どうやってかいくぐってきたのだろう。
 ウィルフレッドはずかずかと部屋に入ると、ソファーに座りこんだ。

「そんな野暮な話はいいだろう。そんなに知りたいのなら、後で教えてあげてもいいけど。元婚約者とお茶を飲むくらいはしてくれてもいいんじゃないか? それとも、ほんのわずかな時間すら、私にくれないの?」

 久しぶりのウィルフレッド。二度と会えないと思っていた。前と変わらない姿に、涙がでそうだった。
 断るべきなのは分かっていた。だけれど、できなかった。

(今日が最後だから。会おうとしたって会えないのだから。これでが本当のお別れ……)
「……分かりました。お茶の準備をしてもらうので、少し隠れていてください」
「うん」

 ウィルフレッドが隠れたのを確認したベルティーユは、ティーセットを運んできてもらう。室内で準備してもらうのは断った。
 ウィルフレッドと向かい合わせにソファーに座り、てきぱきとお茶をカップに注いだ。

「どうぞ。ウィル様」

 差し出されたそれを、ウィルフレッドは一口口に含んだ。

「ありがとう。君の入れたお茶を飲むのも、最後だね」
「そう、ですね。申し訳ございません。わたしのわがままで……」

 ウィルフレッドがそっとカップをソーサーに置く。

「手紙は読んだよ。だけど、君の口から直接聞きたくて。君は私をずっと好きでいてくれていると思ったけれど、変わってしまったんだね。もう、私を愛してくれていないということかな」
(違う)

 だけれど、違うと言えなかった。
 愛しているから、「まだあなたを愛してる」と言えなかった。今までと気持ちは変わらないと。まだウィルフレッドと結婚したいんだと。
 ベルティーユは膝の上で、ぎゅうっと両手を握り締めた。手のひらに爪が食い込んで、痛い。

「……申し訳ございません」

 はっきり断らなければいけないのに、「愛していない」とはどうしても言えなくて、やっとそれだけ言った。

「……そう。分かった」

 怒鳴られても仕方がないのに、ウィルフレッドはどこまでも優しい。そっとベルティーユのカップを手に取って、自ら息を吹きかけて冷ましてくれる。

「小さい頃君はとても熱いものが苦手だったから、私がよくこうやって冷ましてあげたよね」
「そう、でしたね」

 ウィルフレッドは婚約者であると同時に、兄のような存在でもあった。何かと手のかかるベルティーユを、しっかりしていたウィルフレッドが世話を焼いてくれていた。
 幼い頃の幸せな記憶が知らず知らずのうちに思い出され、ベルティーユは懐かしさと同時にさみしさを感じた。

「最近は君が恥ずかしがってさせてくれなかったけれど。はい」

 冷ましたものを、ウィルフレッドはベルティーユに差し出してくれた。

「ありがとうございます。ウィル様」

「とりあえず君もお茶を飲んで? 私一人で飲むのは寂しいからね」
「あ、はい」

 ベルティーユはカップを手に取って、口に含んだ。正しい手順を踏んで入れた、いつもと同じ味。だけれど。

「あ、れ……?」

 だんだんと目の前が暗くなってくる気がして、ベルティーユは頭を片手で押さえた。

「簡単に私から離れることは許さないよ? ベルティーユ」

 薄れて行く意識の中で、冬の湖みたいに冷ややかな目だけを、覚えている。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私に義弟が出来ました。

杏仁豆腐
恋愛
優希は一人っ子で母を5年前に亡くしていた。そんな時父が新しい再婚相手を見つけて結婚してしまう。しかもその相手にも子供がいたのだった。望まない義弟が出来てしまった。その義弟が私にいつもちょっかいを掛けてきて本当にうざいんだけど……。らぶらぶあまあまきゅんきゅんな短編です。宜しくお願いします。

普通のOLは猛獣使いにはなれない

ピロ子
恋愛
恋人と親友に裏切られ自棄酒中のOL有季子は、バーで偶然出会った猛獣(みたいな男)と意気投合して酔った勢いで彼と一夜を共にしてしまう。 あの日の事は“一夜の過ち”だと思えるようになった頃、自宅へ不法侵入してきた猛獣と再会し、過ちで終われない関係となっていく。 普通のOLとマフィアな男の、体から始まる関係。

ラヴィニアは逃げられない

恋愛
大好きな婚約者メル=シルバースの心には別の女性がいる。 大好きな彼の恋心が叶うようにと、敢えて悪女の振りをして酷い言葉を浴びせて一方的に別れを突き付けた侯爵令嬢ラヴィニア=キングレイ。 父親からは疎まれ、後妻と異母妹から嫌われていたラヴィニアが家に戻っても居場所がない。どうせ婚約破棄になるのだからと前以て準備をしていた荷物を持ち、家を抜け出して誰でも受け入れると有名な修道院を目指すも……。 ラヴィニアを待っていたのは昏くわらうメルだった。 ※ムーンライトノベルズにも公開しています。

大好きな義弟の匂いを嗅ぐのはダメらしい

入海月子
恋愛
アリステラは義弟のユーリスのことが大好き。いつもハグして、彼の匂いを嗅いでいたら、どうやら嫌われたらしい。 誰もが彼と結婚すると思っていたけど、ユーリスのために婚活をして、この家を出ることに決めたアリステラは――。 ※表紙はPicrewの「よりそいメーカー」からお借りしました。

(R18)灰かぶり姫の公爵夫人の華麗なる変身

青空一夏
恋愛
Hotランキング16位までいった作品です。 レイラは灰色の髪と目の痩せぎすな背ばかり高い少女だった。 13歳になった日に、レイモンド公爵から突然、プロポーズされた。 その理由は奇妙なものだった。 幼い頃に飼っていたシャム猫に似ているから‥‥ レイラは社交界でもばかにされ、不釣り合いだと噂された。 せめて、旦那様に人間としてみてほしい! レイラは隣国にある寄宿舎付きの貴族学校に留学し、洗練された淑女を目指すのだった。 ☆マーク性描写あり、苦手な方はとばしてくださいませ。

姉の婚約者の公爵令息は、この関係を終わらせない

七転び八起き
恋愛
伯爵令嬢のユミリアと、姉の婚約者の公爵令息カリウスの禁断のラブロマンス。 主人公のユミリアは、友人のソフィアと行った秘密の夜会で、姉の婚約者のカウリスと再会する。 カウリスの秘密を知ったユミリアは、だんだんと彼に日常を侵食され始める。

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―

喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。 そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。 二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。 最初は手紙も返ってきていたのに、 いつからか音信不通に。 あんなにうっとうしいほど構ってきた男が―― なぜ突然、私を無視するの? 不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、 突然ルイスが帰還した。 ボロボロの身体。 そして隣には――見知らぬ女。 勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、 私の中で何かが壊れた。 混乱、絶望、そして……再起。 すがりつく女は、みっともないだけ。 私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。 「私を簡単に捨てられるとでも? ――君が望んでも、離さない」 呪いを自ら解き放ち、 彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。 すれ違い、誤解、呪い、執着、 そして狂おしいほどの愛―― 二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。 過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。

処理中です...