束縛婚

水無瀬雨音

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 ベルティーユとオースティンの婚約は問題なく進んだ。当然ウィルフレッドがかなり反発したそうだが、まだ婚約段階であれば、身分の高いオースティンとの結婚が優先される。

「もっと早く、ウィル様と結婚すればよかった」

 ベルティーユはバルコニーの手すりに頬杖をついて、星空を眺めていた。
 夜着の上にストールを羽織っただけの状態だが、誰に会う予定もないのでかまわないだろう。
 オースティンが屋敷を訪れたあの日から、外出していない。当然、ウィルフレッドとも会えていない。会ってしまったら、ベルティーユの決心が揺らいでしまったかもしれないが……。
 成人して、社交界デビューもすませた。
 もうすぐ。
 ウィルフレッドと結ばれるまで、本当にもうすぐだったのに。
 ベルティーユの初恋は、あと少しで手が届くというところで、儚く消えてしまった。
 あと一週間後には、オースティンの迎えが来る。ベルティーユは本当に彼と結婚することになってしまう。彼女の愛したウィルフレッドではなく。

「ウィル様……」

 ベルティーユが呟いた名前は、夜風にのって、誰の耳にも入らないまま消えていった。

「……寒い」

 肌寒さを感じたベルティーユは、もう部屋に戻ることにした。風邪をひいてしまっては大変だ。

「きゃっ」

 不意にバルコニーの手すりから現れた人物に、ベルティーユは思わず声を上げた。
 ここにいるはずのない人。二度と会うはずのなかった人。

「一週間ぶりだね? ベルティーユ」
「……ウィル……様。どうしてここに。どうやって……」

 ウィルフレッドは、手すりにロープを引っかけて、それをのぼってきたようだ。
 貴族の屋敷だ。それなりの警備はあるのに、どうやってかいくぐってきたのだろう。
 ウィルフレッドはずかずかと部屋に入ると、ソファーに座りこんだ。

「そんな野暮な話はいいだろう。そんなに知りたいのなら、後で教えてあげてもいいけど。元婚約者とお茶を飲むくらいはしてくれてもいいんじゃないか? それとも、ほんのわずかな時間すら、私にくれないの?」

 久しぶりのウィルフレッド。二度と会えないと思っていた。前と変わらない姿に、涙がでそうだった。
 断るべきなのは分かっていた。だけれど、できなかった。

(今日が最後だから。会おうとしたって会えないのだから。これでが本当のお別れ……)
「……分かりました。お茶の準備をしてもらうので、少し隠れていてください」
「うん」

 ウィルフレッドが隠れたのを確認したベルティーユは、ティーセットを運んできてもらう。室内で準備してもらうのは断った。
 ウィルフレッドと向かい合わせにソファーに座り、てきぱきとお茶をカップに注いだ。

「どうぞ。ウィル様」

 差し出されたそれを、ウィルフレッドは一口口に含んだ。

「ありがとう。君の入れたお茶を飲むのも、最後だね」
「そう、ですね。申し訳ございません。わたしのわがままで……」

 ウィルフレッドがそっとカップをソーサーに置く。

「手紙は読んだよ。だけど、君の口から直接聞きたくて。君は私をずっと好きでいてくれていると思ったけれど、変わってしまったんだね。もう、私を愛してくれていないということかな」
(違う)

 だけれど、違うと言えなかった。
 愛しているから、「まだあなたを愛してる」と言えなかった。今までと気持ちは変わらないと。まだウィルフレッドと結婚したいんだと。
 ベルティーユは膝の上で、ぎゅうっと両手を握り締めた。手のひらに爪が食い込んで、痛い。

「……申し訳ございません」

 はっきり断らなければいけないのに、「愛していない」とはどうしても言えなくて、やっとそれだけ言った。

「……そう。分かった」

 怒鳴られても仕方がないのに、ウィルフレッドはどこまでも優しい。そっとベルティーユのカップを手に取って、自ら息を吹きかけて冷ましてくれる。

「小さい頃君はとても熱いものが苦手だったから、私がよくこうやって冷ましてあげたよね」
「そう、でしたね」

 ウィルフレッドは婚約者であると同時に、兄のような存在でもあった。何かと手のかかるベルティーユを、しっかりしていたウィルフレッドが世話を焼いてくれていた。
 幼い頃の幸せな記憶が知らず知らずのうちに思い出され、ベルティーユは懐かしさと同時にさみしさを感じた。

「最近は君が恥ずかしがってさせてくれなかったけれど。はい」

 冷ましたものを、ウィルフレッドはベルティーユに差し出してくれた。

「ありがとうございます。ウィル様」

「とりあえず君もお茶を飲んで? 私一人で飲むのは寂しいからね」
「あ、はい」

 ベルティーユはカップを手に取って、口に含んだ。正しい手順を踏んで入れた、いつもと同じ味。だけれど。

「あ、れ……?」

 だんだんと目の前が暗くなってくる気がして、ベルティーユは頭を片手で押さえた。

「簡単に私から離れることは許さないよ? ベルティーユ」

 薄れて行く意識の中で、冬の湖みたいに冷ややかな目だけを、覚えている。


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