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第5章 正体 1
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アーベセラは、転移魔法で魔界に移動した。ある屋敷の前だ。
「んー……」
と大きく伸びをする。
久しぶりの魔界は湿気が多くじめじめとしていて、葉のない木々がうっそうとおいしげっており、全体的に薄暗い。そこらじゅうに大きな石や野獣のむくろがごろごろと転がっている。
アンバーがもし見たら卒倒してしまうかもしれないと想像してしまい、アーベセラはくすっと笑ってしまった。この景色を見たら、若い人間の女性ではとても平然とはできないだろう。
生まれ育った魔界だが、人間界の生活に慣れた今ではアーベセラですら違和感がある。
アーベセラは慣れた様子で屋敷の中に入る。
「久しぶりね、アーベセラ。今日はエヴァンドラさまに、呼ばれていたのだったわね」
アーベセラに目を止めたメイドが、隣に並ぶ。もともとはアーベセラもこの屋敷で働いていたので、同僚だった女性だ。
「調理場に寄ってお茶の準備をしてくるわ。そのままお部屋まで一緒に行きましょう」
一緒に調理場に行き廊下で待っていると、メイドがティーセットを乗せたティーワゴンを押して出てくる。並んで歩きながら、
「ヴィンセントさまはご一緒じゃないの? じゃあすぐに帰らないといけないのね」
「使用人が一人増えたので、もうしばらくしたら多少は滞在できますかね」
「最近は、その姿がお気に入りなのね?」
メイドが頬に指を当てて、首を傾げる。
そういえばこのメイドは元の姿にえらくご執心だった。とアーベセラは思い出す。
「ええ。この姿だと、色々と融通が利くので」
「たまには元の姿も見たいわ。目の保養になるもの」
「魔界には見目のいい者はいくらでもいるでしょう」
基本的に魔族は人を惑わせるために、外見の美しい者が多い。このメイドもそうだ。人間界にはそうそういないほどの美貌を持っている。
「魔界は確かに美しい人ばかりだけれど、わたしはアーベセラの顔が一番好きなの!」
「そうですか。ありがとうございます」
力強くこぶしを握ったメイドに、アーベセラは苦笑する。彼女はけらけらと笑いながら、片手をぱたぱたと振った。
「あ、恋愛感情とかややこしいものはないから安心して? アーベセラとつきあったら色々と面倒くさそうだわ。愛でたいだけなの」
「はぁ、そうですか」
本人を目の前にして言う言葉ではない気がするが。
他愛のない話をしているうちに、ある部屋の前まできて二人は立ち止まった。軽くノックをして、
「アーベセラです」
「どうぞ」
ややあって部屋の中から応答があって、二人は扉を開けて中に入った。
部屋の中にいたのは女性だった。見た目こそ若いが、独特な雰囲気があることで年齢不詳に見える。
波打った長い黒髪に、胸の大きく開いた真っ赤なドレス。妖艶という言葉がよく似合う美女だ。
「お久しぶりです。エヴァンドラさま」
「待ちくたびれたわよ?」
ソファーに腰かけていたエヴァンドラは、長いつめにマネキュアを塗り終えて、ふーっと息を吹きかける。
「疲れたでしょう。座りなさい」
自分の座っているソファーの向かいに目線を向ける。
「失礼いたします」
言われた通り、アーベセラはソファーに腰かけた。
「ご用がありましたら、お呼びくださいませ」
持ってきたものをテーブルに並び終えたメイドが、一礼して退室する。アーベセラにはお茶、エヴァンドラにはワインだ。
扉が閉まるのを待って、
「ここに来てくれるのはあなたばかりで、ヴィンセントは全く来ないわね」
エヴァンドラはグラスを回しながら、長い足を優雅に組む。わざとらしくため息をつき、
「別にね? あなたの顔を見たくないわけではないのよ。あなただって可愛いもの。それで? ヴィンセントはいつこちらに住むの?」
「特にいらっしゃる予定も、ましてや移り住む予定はないとのことです」
アーベセラは遠回しではなく、率直に言った。性格的に婉曲な表現ができないということもある。それに本来ヴィンセントを呼んでいるのに、代わりにアーベセラが毎回来ていることからエヴァンドラ自身も薄々感づいていると思われたからだ。
「恩を着せるつもりはないのよ。でもわたしはあの子の恩人なわけでしょう? 会いにもきてくれないだなんて悲しいわ。嫌われているのかしら。人間界は居心地が悪いから行きたくないのよね。第一人間嫌いになったのに、好き好んで人間界にとどまるなんて理解できないわ」
悲しい、と言いつつもエヴァンドラに悲愴感はまったくない。言うほどそこまで気にしていないのだろう。
「嫌い、とかそういうわけではないと思いますが。おっしゃる通りエヴァンドラさまはヴィンセントさまの命の恩人なわけですから、感謝はなさっていると思いますし。
ただ、顔を合わせるたびに『魔界に来い』とおっしゃられるのがお嫌なのでしょう。ヴィンセントさまは、アーリスティアの行く末をいつも案じておられますし。……そもそも、なぜヴィンセントさまをヴァンパイアになさったのですか?」
聞くのをはばかられていただけで、ずっと気になっていた。
エヴァンドラが人間を気にかけ、ヴァンパイアにするなど初めてだった。そして他のヴァンパイアも、よほど人間を気に入らなければそんなことはしない。人間をヴァンパイアにするためには、自分の血を分け与える必要があり、それは言わば家族のような存在にする、ということだからだ。
基本的に人間のことを下位に見ているヴァンパイアが、彼らを家族にすることは望まない。
エヴァンドラは目を細めてじっとアーベセラを見つめると、ワインを一息に飲んだ。頬杖をつく。
「人間界を散歩していたときに、ヴィンセントを見つけたの。『人間にしては美しい』と思って時々見に行っていたのだけれど、そろそろ死期が近づいているのが分かって、あの子に選択させた。『人間として死ぬか、ヴァンパイアになって生きるか』をね。
人間なんかに気を止めることはないのだけれど、あの子はあまりにも美しいでしょう? 『こんなに美しいのなら、人間であってもわたしの家族にしてそばにおいてあげてもいいかしら』と思ったのよ。要は暇つぶしね。魔族は寿命が長いから」
「家族といっても一日たりとも一緒に暮らしたことはないのだけれどね。逢引もフラれてばかりだし」とエヴァンドラは自嘲気味につぶやいた。
「あなたを眷属としてあの子に与えるのではなかったわ。ヴィンセントをいずれこっちに来てくれるよう、口説き落としてもらうつもりで与えたのに、あなたったら彼の味方なんだもの。その可愛らしい姿も板についたみたいだしね」
「ヴィンセントさまのお世話をするのに、この姿は都合がいいものですから」
具体的に言えば、元の姿だと見目が良すぎて要らぬ争いなどに巻き込まれたりして城下町に行くのも不便なのだ。その点この少女の姿では、買い物の際安くしてくれるなどの利点もある。不便なことと言えば、掃除の時に高いところに手が届かないところだが、それは魔法でいくらでもカバーできる。
「ふぅん。アーベセラが趣味でしているんじゃないかって思ってたわ。最近は変わったことがあったかしら」
「ええと……そうですね。メイドを新しく雇いました。人間の」
「人間? ヴィンセントが人間を雇ったの?」
エヴァンドラが身を乗り出して目を丸くする。驚くのも当然だろう。過去の出来事のせいで、ヴィンセントは現帝王以外の人間と関わることを拒んでいることは彼女も知っている。
「アーベセラが城下町ででもスカウトしてきたの?」
「いえ? 彼女自身が雇って欲しいと訪ねてきたのです。身元や詳しいことは明かしてくれないので、当初はヴィンセントさまも不審がっていらっしゃいましたが、仕事ぶりはきちんとしていますし、最近は大分心を開いておいでのようです」
「訪ねてきた? 身元が分からないような人間をわざわざ雇ったの?」
「ヴィンセントさまはあれでお優しい方ですから。多少怪しくてもわざわざヴィンセントさまのもとを訪ねてくるほど困っているなら、雇おうとお思いになったようです。一応不審なものを持っていないかはお調べになったようですけど」
「ふうん……」
訝し気な様子でしばらく考え込んでいたエヴァンドラは、ワインを空になったグラスに注いだ。
その後はエヴァンドラの近況に相づちを打ったりしていると明け方になったので、アーベセラは魔界を後にした。
「んー……」
と大きく伸びをする。
久しぶりの魔界は湿気が多くじめじめとしていて、葉のない木々がうっそうとおいしげっており、全体的に薄暗い。そこらじゅうに大きな石や野獣のむくろがごろごろと転がっている。
アンバーがもし見たら卒倒してしまうかもしれないと想像してしまい、アーベセラはくすっと笑ってしまった。この景色を見たら、若い人間の女性ではとても平然とはできないだろう。
生まれ育った魔界だが、人間界の生活に慣れた今ではアーベセラですら違和感がある。
アーベセラは慣れた様子で屋敷の中に入る。
「久しぶりね、アーベセラ。今日はエヴァンドラさまに、呼ばれていたのだったわね」
アーベセラに目を止めたメイドが、隣に並ぶ。もともとはアーベセラもこの屋敷で働いていたので、同僚だった女性だ。
「調理場に寄ってお茶の準備をしてくるわ。そのままお部屋まで一緒に行きましょう」
一緒に調理場に行き廊下で待っていると、メイドがティーセットを乗せたティーワゴンを押して出てくる。並んで歩きながら、
「ヴィンセントさまはご一緒じゃないの? じゃあすぐに帰らないといけないのね」
「使用人が一人増えたので、もうしばらくしたら多少は滞在できますかね」
「最近は、その姿がお気に入りなのね?」
メイドが頬に指を当てて、首を傾げる。
そういえばこのメイドは元の姿にえらくご執心だった。とアーベセラは思い出す。
「ええ。この姿だと、色々と融通が利くので」
「たまには元の姿も見たいわ。目の保養になるもの」
「魔界には見目のいい者はいくらでもいるでしょう」
基本的に魔族は人を惑わせるために、外見の美しい者が多い。このメイドもそうだ。人間界にはそうそういないほどの美貌を持っている。
「魔界は確かに美しい人ばかりだけれど、わたしはアーベセラの顔が一番好きなの!」
「そうですか。ありがとうございます」
力強くこぶしを握ったメイドに、アーベセラは苦笑する。彼女はけらけらと笑いながら、片手をぱたぱたと振った。
「あ、恋愛感情とかややこしいものはないから安心して? アーベセラとつきあったら色々と面倒くさそうだわ。愛でたいだけなの」
「はぁ、そうですか」
本人を目の前にして言う言葉ではない気がするが。
他愛のない話をしているうちに、ある部屋の前まできて二人は立ち止まった。軽くノックをして、
「アーベセラです」
「どうぞ」
ややあって部屋の中から応答があって、二人は扉を開けて中に入った。
部屋の中にいたのは女性だった。見た目こそ若いが、独特な雰囲気があることで年齢不詳に見える。
波打った長い黒髪に、胸の大きく開いた真っ赤なドレス。妖艶という言葉がよく似合う美女だ。
「お久しぶりです。エヴァンドラさま」
「待ちくたびれたわよ?」
ソファーに腰かけていたエヴァンドラは、長いつめにマネキュアを塗り終えて、ふーっと息を吹きかける。
「疲れたでしょう。座りなさい」
自分の座っているソファーの向かいに目線を向ける。
「失礼いたします」
言われた通り、アーベセラはソファーに腰かけた。
「ご用がありましたら、お呼びくださいませ」
持ってきたものをテーブルに並び終えたメイドが、一礼して退室する。アーベセラにはお茶、エヴァンドラにはワインだ。
扉が閉まるのを待って、
「ここに来てくれるのはあなたばかりで、ヴィンセントは全く来ないわね」
エヴァンドラはグラスを回しながら、長い足を優雅に組む。わざとらしくため息をつき、
「別にね? あなたの顔を見たくないわけではないのよ。あなただって可愛いもの。それで? ヴィンセントはいつこちらに住むの?」
「特にいらっしゃる予定も、ましてや移り住む予定はないとのことです」
アーベセラは遠回しではなく、率直に言った。性格的に婉曲な表現ができないということもある。それに本来ヴィンセントを呼んでいるのに、代わりにアーベセラが毎回来ていることからエヴァンドラ自身も薄々感づいていると思われたからだ。
「恩を着せるつもりはないのよ。でもわたしはあの子の恩人なわけでしょう? 会いにもきてくれないだなんて悲しいわ。嫌われているのかしら。人間界は居心地が悪いから行きたくないのよね。第一人間嫌いになったのに、好き好んで人間界にとどまるなんて理解できないわ」
悲しい、と言いつつもエヴァンドラに悲愴感はまったくない。言うほどそこまで気にしていないのだろう。
「嫌い、とかそういうわけではないと思いますが。おっしゃる通りエヴァンドラさまはヴィンセントさまの命の恩人なわけですから、感謝はなさっていると思いますし。
ただ、顔を合わせるたびに『魔界に来い』とおっしゃられるのがお嫌なのでしょう。ヴィンセントさまは、アーリスティアの行く末をいつも案じておられますし。……そもそも、なぜヴィンセントさまをヴァンパイアになさったのですか?」
聞くのをはばかられていただけで、ずっと気になっていた。
エヴァンドラが人間を気にかけ、ヴァンパイアにするなど初めてだった。そして他のヴァンパイアも、よほど人間を気に入らなければそんなことはしない。人間をヴァンパイアにするためには、自分の血を分け与える必要があり、それは言わば家族のような存在にする、ということだからだ。
基本的に人間のことを下位に見ているヴァンパイアが、彼らを家族にすることは望まない。
エヴァンドラは目を細めてじっとアーベセラを見つめると、ワインを一息に飲んだ。頬杖をつく。
「人間界を散歩していたときに、ヴィンセントを見つけたの。『人間にしては美しい』と思って時々見に行っていたのだけれど、そろそろ死期が近づいているのが分かって、あの子に選択させた。『人間として死ぬか、ヴァンパイアになって生きるか』をね。
人間なんかに気を止めることはないのだけれど、あの子はあまりにも美しいでしょう? 『こんなに美しいのなら、人間であってもわたしの家族にしてそばにおいてあげてもいいかしら』と思ったのよ。要は暇つぶしね。魔族は寿命が長いから」
「家族といっても一日たりとも一緒に暮らしたことはないのだけれどね。逢引もフラれてばかりだし」とエヴァンドラは自嘲気味につぶやいた。
「あなたを眷属としてあの子に与えるのではなかったわ。ヴィンセントをいずれこっちに来てくれるよう、口説き落としてもらうつもりで与えたのに、あなたったら彼の味方なんだもの。その可愛らしい姿も板についたみたいだしね」
「ヴィンセントさまのお世話をするのに、この姿は都合がいいものですから」
具体的に言えば、元の姿だと見目が良すぎて要らぬ争いなどに巻き込まれたりして城下町に行くのも不便なのだ。その点この少女の姿では、買い物の際安くしてくれるなどの利点もある。不便なことと言えば、掃除の時に高いところに手が届かないところだが、それは魔法でいくらでもカバーできる。
「ふぅん。アーベセラが趣味でしているんじゃないかって思ってたわ。最近は変わったことがあったかしら」
「ええと……そうですね。メイドを新しく雇いました。人間の」
「人間? ヴィンセントが人間を雇ったの?」
エヴァンドラが身を乗り出して目を丸くする。驚くのも当然だろう。過去の出来事のせいで、ヴィンセントは現帝王以外の人間と関わることを拒んでいることは彼女も知っている。
「アーベセラが城下町ででもスカウトしてきたの?」
「いえ? 彼女自身が雇って欲しいと訪ねてきたのです。身元や詳しいことは明かしてくれないので、当初はヴィンセントさまも不審がっていらっしゃいましたが、仕事ぶりはきちんとしていますし、最近は大分心を開いておいでのようです」
「訪ねてきた? 身元が分からないような人間をわざわざ雇ったの?」
「ヴィンセントさまはあれでお優しい方ですから。多少怪しくてもわざわざヴィンセントさまのもとを訪ねてくるほど困っているなら、雇おうとお思いになったようです。一応不審なものを持っていないかはお調べになったようですけど」
「ふうん……」
訝し気な様子でしばらく考え込んでいたエヴァンドラは、ワインを空になったグラスに注いだ。
その後はエヴァンドラの近況に相づちを打ったりしていると明け方になったので、アーベセラは魔界を後にした。
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