1 / 7
1話 依頼者
しおりを挟む
1《七瀬》
部屋の中を暖かな風が吹き抜ける。春の匂いとともに桜の花びらが窓から入ってきて、くるくると旋回したのち机の上に落ちた。七瀬はそれを見て思わず自らの口角が上がるのを感じた。春は好きな季節だ。なんとなくわくわくするからだろうか。
どうやら七瀬の同僚にして同居人がちょうど今起きてきたようだ。目にしなくても踏む度にぎーぎーとなる寿命寸前の階段が彼の到来を教えてくれる。彼の名前は彼方伊吹。七瀬より2つ年上の17歳で、黒い髪に黒い瞳の純日本人的な見た目をしているらしい。優しい性格は彼の長所のひとつだが、逆におせっかいが過ぎるのが玉に瑕だ。
らしいというのも、七瀬の目は先天的に光を失っており、他人の髪や瞳の色を判断するのは伝聞を用いるほかはないからだ。
「七瀬、何やってるんだよ」
伊吹が七瀬の手元を見て慌ててかけよってくる。おそらく七瀬が包丁を使って料理をしているのを見咎めているのだろう。
「危ないだろ」
先ほども言ったように七瀬の視界は良好とは言えない。そのことを慮っての発言であることは承知している。だが、
「大丈夫。色がわからないだけで、形はわかるっていつも言ってるでしょ。そういうの逆に傷つくんだから」
伊吹は渋々といった感じで引き下がった。
「それに伊吹に任せてたらいつまで経っても朝食にありつけないわ。この前だって目玉焼き1つ作るのにどれだけの卵を無駄にしたことか」
伊吹もまた本来なら高校に行っているはずの年齢だが、わけあって学生ではない。それは七瀬も同様である。
2人はある仕事を稼業としていて、ここは事務所兼住居なのである。その仕事というのは、有体にいえばいわゆる霊能者のようなことを仕事としている。
心霊現象や怪異の類など、不思議な体験・現象で頭を悩ませている人はなんでもござれという具合だ。
七瀬が、目が見えないにも関わらず、特に何の問題もなく料理が可能であるのもそうした不思議な能力があるためだった。
七瀬は俗に千里眼と呼ばれる能力を持っている。もっとも七瀬には千里先を見通すほどの能力はないし、分厚い壁の向こうを透視するような能力もない。彼女の千里眼の有効範囲はほとんど人間の視界と変わらず、透視できるのも紙一枚程度、色彩もモノクロだ。ただし眼球を通さずに見ることができる。
そのため彼女は先天的に目が見えなくても、目の前の世界で、どこに何があるのか、誰がいるのか、その物や人がどのような造形をしているかということは大体わかるのだ。そういう意味では七瀬には視覚がある。
それは普通の見え方とは違うのだろうが、相手の背格好程度のことはわかる。
「今日久しぶりにどこか出かけないか」
伊吹がそう言った。
「どこかって?」
「具体的な案があるわけじゃないけど。レジャー施設とか」
「提案そのものは魅力的だけど、しばらくは節約しないと。また電気とか水道とか止められちゃうよ」
「そっかー。なかなか生活安定しないなあ」
伊吹は溜息を吐いた。
「やっぱり建物の概観が悪すぎるんじゃないかな」
それは間違いなくそうだろう。なんせ七瀬たちの事務所兼住居であるこの建物は、近所の子供からは幽霊屋敷と噂されているボロ屋敷だから。
とはいえこのボロ屋敷もこの近隣に住む地主さんからタダ同然の価格でお借りしているものなので、あまり文句も言えない。
「でも今日はこれから依頼者のかたが来るよ。だからどのみち遊びに行くのはなしだね」
「そうなんだ。昨日はそんなこと言ってなかったよね」
「うん。今朝電話があったんだ。向こうは昼過ぎに来るって言ってたんだけど、緊急を要すると思ったからすぐ来てもらうようにお願いした」
++
午前8時50分ごろにその依頼者は訪れた。到着する5分ほど前に再び電話があって、今から伺うが大丈夫か、という確認があった。どうやら几帳面な人のようである。
「お電話のほうでお話させていただきました。哀座加奈です」
事前の電話で依頼者が大学生であることは知っていた。聞いてみれば有名私立大学――七瀬は知らなかったが――の翠銘大学に在籍しているという。
加奈は年齢の割には少し幼い印象の顔立ちをしているが、清楚な印象の美人だった。しかし肩口まで伸ばしたロングヘアの毛先の乱れや目の下のクマから隠しきれない疲弊感が伺えた。
「わざわざお越しいただいてありがとうございます」と伊吹。「僕は彼方伊吹。こっちにいるのは鏡七瀬と言います。電話でも概略をお話くださったみたいなんですが、改めて詳しい話をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
加奈は七瀬と伊吹がせいぜい高校生程度にしか見えないことに面食らっている、というか不信感を持っているようだった。ただでさえ怪しげな看板を掲げているのに、この年齢の人間が出てくれば子供の悪ふざけと思われるのは珍しいことではない。
それでも加奈は口を動かすほかなかった。もはや頼るものなどほかにはなかったのだから。
部屋の中を暖かな風が吹き抜ける。春の匂いとともに桜の花びらが窓から入ってきて、くるくると旋回したのち机の上に落ちた。七瀬はそれを見て思わず自らの口角が上がるのを感じた。春は好きな季節だ。なんとなくわくわくするからだろうか。
どうやら七瀬の同僚にして同居人がちょうど今起きてきたようだ。目にしなくても踏む度にぎーぎーとなる寿命寸前の階段が彼の到来を教えてくれる。彼の名前は彼方伊吹。七瀬より2つ年上の17歳で、黒い髪に黒い瞳の純日本人的な見た目をしているらしい。優しい性格は彼の長所のひとつだが、逆におせっかいが過ぎるのが玉に瑕だ。
らしいというのも、七瀬の目は先天的に光を失っており、他人の髪や瞳の色を判断するのは伝聞を用いるほかはないからだ。
「七瀬、何やってるんだよ」
伊吹が七瀬の手元を見て慌ててかけよってくる。おそらく七瀬が包丁を使って料理をしているのを見咎めているのだろう。
「危ないだろ」
先ほども言ったように七瀬の視界は良好とは言えない。そのことを慮っての発言であることは承知している。だが、
「大丈夫。色がわからないだけで、形はわかるっていつも言ってるでしょ。そういうの逆に傷つくんだから」
伊吹は渋々といった感じで引き下がった。
「それに伊吹に任せてたらいつまで経っても朝食にありつけないわ。この前だって目玉焼き1つ作るのにどれだけの卵を無駄にしたことか」
伊吹もまた本来なら高校に行っているはずの年齢だが、わけあって学生ではない。それは七瀬も同様である。
2人はある仕事を稼業としていて、ここは事務所兼住居なのである。その仕事というのは、有体にいえばいわゆる霊能者のようなことを仕事としている。
心霊現象や怪異の類など、不思議な体験・現象で頭を悩ませている人はなんでもござれという具合だ。
七瀬が、目が見えないにも関わらず、特に何の問題もなく料理が可能であるのもそうした不思議な能力があるためだった。
七瀬は俗に千里眼と呼ばれる能力を持っている。もっとも七瀬には千里先を見通すほどの能力はないし、分厚い壁の向こうを透視するような能力もない。彼女の千里眼の有効範囲はほとんど人間の視界と変わらず、透視できるのも紙一枚程度、色彩もモノクロだ。ただし眼球を通さずに見ることができる。
そのため彼女は先天的に目が見えなくても、目の前の世界で、どこに何があるのか、誰がいるのか、その物や人がどのような造形をしているかということは大体わかるのだ。そういう意味では七瀬には視覚がある。
それは普通の見え方とは違うのだろうが、相手の背格好程度のことはわかる。
「今日久しぶりにどこか出かけないか」
伊吹がそう言った。
「どこかって?」
「具体的な案があるわけじゃないけど。レジャー施設とか」
「提案そのものは魅力的だけど、しばらくは節約しないと。また電気とか水道とか止められちゃうよ」
「そっかー。なかなか生活安定しないなあ」
伊吹は溜息を吐いた。
「やっぱり建物の概観が悪すぎるんじゃないかな」
それは間違いなくそうだろう。なんせ七瀬たちの事務所兼住居であるこの建物は、近所の子供からは幽霊屋敷と噂されているボロ屋敷だから。
とはいえこのボロ屋敷もこの近隣に住む地主さんからタダ同然の価格でお借りしているものなので、あまり文句も言えない。
「でも今日はこれから依頼者のかたが来るよ。だからどのみち遊びに行くのはなしだね」
「そうなんだ。昨日はそんなこと言ってなかったよね」
「うん。今朝電話があったんだ。向こうは昼過ぎに来るって言ってたんだけど、緊急を要すると思ったからすぐ来てもらうようにお願いした」
++
午前8時50分ごろにその依頼者は訪れた。到着する5分ほど前に再び電話があって、今から伺うが大丈夫か、という確認があった。どうやら几帳面な人のようである。
「お電話のほうでお話させていただきました。哀座加奈です」
事前の電話で依頼者が大学生であることは知っていた。聞いてみれば有名私立大学――七瀬は知らなかったが――の翠銘大学に在籍しているという。
加奈は年齢の割には少し幼い印象の顔立ちをしているが、清楚な印象の美人だった。しかし肩口まで伸ばしたロングヘアの毛先の乱れや目の下のクマから隠しきれない疲弊感が伺えた。
「わざわざお越しいただいてありがとうございます」と伊吹。「僕は彼方伊吹。こっちにいるのは鏡七瀬と言います。電話でも概略をお話くださったみたいなんですが、改めて詳しい話をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
加奈は七瀬と伊吹がせいぜい高校生程度にしか見えないことに面食らっている、というか不信感を持っているようだった。ただでさえ怪しげな看板を掲げているのに、この年齢の人間が出てくれば子供の悪ふざけと思われるのは珍しいことではない。
それでも加奈は口を動かすほかなかった。もはや頼るものなどほかにはなかったのだから。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる