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4話 不幸なる偶然
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6《七瀬》
安心したのも束の間、伊吹が呟く。
「どうも変な感じだ。いやな気配が消えた気がしない」
そう言った次の瞬間、3人の眼前に再び白い猪が現れた。やはり音もなく。ミクモが言う。
「どうやら今伊吹が斬った邪魅はこの山が蓄える瘴気のほんの一部から形成されたいたようだな。しかしこれはどうにもキリがなさそうだ」
伊吹はそれを聞いて少し顔をしかめる。
「いっぺんに来てくれればどんな相手だろうと負ける気はしないけれど、持久戦は得意科目じゃないな」
「ちっ、おい女。邪魅ってのは本来山の神みてえなもんで。これほどの主体性を持つようなものじゃないんだよ。お前、いやお前たち何をやらかした」
加奈は何も青ざめた様子で何も答えようとはしなかった。
伊吹は次々と現れる白い猪に次々と切りかかっていく。ミクモの言うとおりキリはなさそうだった。
「ミクモ!」
七瀬は声を荒げるミクモにたしなめるように言った。
「――わかったよ。でも早くしないと、伊吹もいつまでも持たないぞ。――これだけ霊気が濃ければいけるか」
ミクモはそう呟くとともに七瀬の首下から這い出るとその体躯を大型犬ほどの大きさまで巨大化させ、邪魅の腹を次々と食い破っていく。
「哀座さん」と七瀬。「ゆっくりでいいです。本当はその日何が起こったか、話してくれますね」
蒼褪めた様子の加奈は小さくうなずいたあと、震える声で話し出した。
「――あの日、私たちの小旅行は本当は泊りがけでした。――トンネルの付近を散策したあと、私たちは近くにあるキャンプ場でテントを張って夕食を取ったんです。――夕食のあと私は急にひどい眠気が襲ってきて先にテントで休むことにしました。志穂も同じ様子だったので、一緒にテントで休みました。――少しの間、眠っていた私が目を覚ますと、北島君と相良君が私や志穂の身体を――私はひどい嫌悪感を覚えて、彼らをのろいました。――志穂のこともきっと呪いました。こんなことになったのは、彼女のせいだと。――最終的に選択したのは自分だというのに。――死ねばいいのに、とまで思ったかもしれません」
山の神は不浄を嫌う。山中で男女が交わることを嫌ったのかもしれない。そんな山の神の性質と加奈の重いが交差して、山の神が主体的に彼女たちを狙うようになったのか。
最悪の利害の一致だ。もしかしたら加奈は普通の人より霊力が高いのかもしれない。偶然というのはいつも悪いほうにばかり重なるのだ。
しかしだとすればなぜ邪魅は加奈まで狙うのだろう。そこまで考え、七瀬はミクモの言葉を思い出す。山という存在にとってみればたった4人の人間などちっぽけな存在であるという。だとすれば彼らに敵意を持ってはいても、その区別などは付いてないのかもしれない。あるいは加奈もまた山中で交わろうとした人間の1人だと認識されているのか。
どちらにせよ、それは今考えることではないと七瀬は思い直す。
「哀座さん、邪魅は図らずもあなたの願いをまっとうするために動いています。あなたはその願いを取り下げなくてはいけません」
「でも、もしこの事態の原因が私にあるというのなら、私に助かる資格はあるのでしょうか。私のせいであの3人は」
七瀬は彼女が死を受け入れ始めていることを悟る。昼のワイドショーの内容が脳裏に浮かんだ。絹川志穂は自室で手首を切り付けていたという話だ。邪魅の祟りは人間の精神に影響を及ぼすのだろう。
「しっかりしてください。あなたのせいじゃありません、とは言いませんが、あなたは3人が本当に死んでしまうことを知って願ったわけじゃないでしょう。他人の死を願っただけで生きる資格がないのなら、わたしはとっくに地獄に落ちなくちゃなりません」
「でも、それでも……」
『こういうときの加奈にはいくら優しくしてもダメだ。むしろ追い詰めてケツを叩いてやるぐらいが丁度いい』
そのかぼそい声はどこからともなく聞こえた。邪魅の発する瘴気の影響だろうか。もうすでに七瀬の霊感を以ってしても声だけしか知覚できないほど弱まっているようだった。
「どうしたらいい?」
七瀬は小声で呟く。
『私の言うとおりにして』
++
ばちん。七瀬は加奈の頬を思い切り張った。慣れないことをしたせいか、手のひらが痛む。
「だったらなんであなたはわたしたちを頼ったんですか。生きたいからでしょう。今必死にわたしたちのために時間を作ってくれているあの2人はわたしの仲間です。このままではあの2人も危ないです。あなたが死にたいなら、助かったあとで、わたしたちのあずかり知らぬところで勝手に死んでください」
加奈はその言葉を受けうつむく。荒療治だとは思うが、逆効果だっただろうか。しかし少しして、加奈は真っ直ぐにこちらを見つめ返してきた。その瞳には先ほどまでとは違う決意の光が宿っている。
「どうすれば、いいですか」
「ただ念じるだけでいいです。あ、自分のなかで一番祈りが通じそうだなと思う所作をしてください。あとはわたしが力をお貸しします」
加奈は両膝を地面につくと胸の前で両の手の指を絡め手のひらを合わせる。七瀬は瞳を閉じて、加奈の肩に手をかけた。七瀬はすべての知覚を最小限まで遮断して集中する。
次の瞬間――次の瞬間というのはあくまで七瀬の体感時間の話であり、実際にはどれほどの時間が経ったのだろうか――肩を揺さぶられる感触で七瀬は目を開ける。そこには邪魅の体液でどろどろになった伊吹とミクモがいた。
上空には鮮やかな晴れ間が広がっていた。
安心したのも束の間、伊吹が呟く。
「どうも変な感じだ。いやな気配が消えた気がしない」
そう言った次の瞬間、3人の眼前に再び白い猪が現れた。やはり音もなく。ミクモが言う。
「どうやら今伊吹が斬った邪魅はこの山が蓄える瘴気のほんの一部から形成されたいたようだな。しかしこれはどうにもキリがなさそうだ」
伊吹はそれを聞いて少し顔をしかめる。
「いっぺんに来てくれればどんな相手だろうと負ける気はしないけれど、持久戦は得意科目じゃないな」
「ちっ、おい女。邪魅ってのは本来山の神みてえなもんで。これほどの主体性を持つようなものじゃないんだよ。お前、いやお前たち何をやらかした」
加奈は何も青ざめた様子で何も答えようとはしなかった。
伊吹は次々と現れる白い猪に次々と切りかかっていく。ミクモの言うとおりキリはなさそうだった。
「ミクモ!」
七瀬は声を荒げるミクモにたしなめるように言った。
「――わかったよ。でも早くしないと、伊吹もいつまでも持たないぞ。――これだけ霊気が濃ければいけるか」
ミクモはそう呟くとともに七瀬の首下から這い出るとその体躯を大型犬ほどの大きさまで巨大化させ、邪魅の腹を次々と食い破っていく。
「哀座さん」と七瀬。「ゆっくりでいいです。本当はその日何が起こったか、話してくれますね」
蒼褪めた様子の加奈は小さくうなずいたあと、震える声で話し出した。
「――あの日、私たちの小旅行は本当は泊りがけでした。――トンネルの付近を散策したあと、私たちは近くにあるキャンプ場でテントを張って夕食を取ったんです。――夕食のあと私は急にひどい眠気が襲ってきて先にテントで休むことにしました。志穂も同じ様子だったので、一緒にテントで休みました。――少しの間、眠っていた私が目を覚ますと、北島君と相良君が私や志穂の身体を――私はひどい嫌悪感を覚えて、彼らをのろいました。――志穂のこともきっと呪いました。こんなことになったのは、彼女のせいだと。――最終的に選択したのは自分だというのに。――死ねばいいのに、とまで思ったかもしれません」
山の神は不浄を嫌う。山中で男女が交わることを嫌ったのかもしれない。そんな山の神の性質と加奈の重いが交差して、山の神が主体的に彼女たちを狙うようになったのか。
最悪の利害の一致だ。もしかしたら加奈は普通の人より霊力が高いのかもしれない。偶然というのはいつも悪いほうにばかり重なるのだ。
しかしだとすればなぜ邪魅は加奈まで狙うのだろう。そこまで考え、七瀬はミクモの言葉を思い出す。山という存在にとってみればたった4人の人間などちっぽけな存在であるという。だとすれば彼らに敵意を持ってはいても、その区別などは付いてないのかもしれない。あるいは加奈もまた山中で交わろうとした人間の1人だと認識されているのか。
どちらにせよ、それは今考えることではないと七瀬は思い直す。
「哀座さん、邪魅は図らずもあなたの願いをまっとうするために動いています。あなたはその願いを取り下げなくてはいけません」
「でも、もしこの事態の原因が私にあるというのなら、私に助かる資格はあるのでしょうか。私のせいであの3人は」
七瀬は彼女が死を受け入れ始めていることを悟る。昼のワイドショーの内容が脳裏に浮かんだ。絹川志穂は自室で手首を切り付けていたという話だ。邪魅の祟りは人間の精神に影響を及ぼすのだろう。
「しっかりしてください。あなたのせいじゃありません、とは言いませんが、あなたは3人が本当に死んでしまうことを知って願ったわけじゃないでしょう。他人の死を願っただけで生きる資格がないのなら、わたしはとっくに地獄に落ちなくちゃなりません」
「でも、それでも……」
『こういうときの加奈にはいくら優しくしてもダメだ。むしろ追い詰めてケツを叩いてやるぐらいが丁度いい』
そのかぼそい声はどこからともなく聞こえた。邪魅の発する瘴気の影響だろうか。もうすでに七瀬の霊感を以ってしても声だけしか知覚できないほど弱まっているようだった。
「どうしたらいい?」
七瀬は小声で呟く。
『私の言うとおりにして』
++
ばちん。七瀬は加奈の頬を思い切り張った。慣れないことをしたせいか、手のひらが痛む。
「だったらなんであなたはわたしたちを頼ったんですか。生きたいからでしょう。今必死にわたしたちのために時間を作ってくれているあの2人はわたしの仲間です。このままではあの2人も危ないです。あなたが死にたいなら、助かったあとで、わたしたちのあずかり知らぬところで勝手に死んでください」
加奈はその言葉を受けうつむく。荒療治だとは思うが、逆効果だっただろうか。しかし少しして、加奈は真っ直ぐにこちらを見つめ返してきた。その瞳には先ほどまでとは違う決意の光が宿っている。
「どうすれば、いいですか」
「ただ念じるだけでいいです。あ、自分のなかで一番祈りが通じそうだなと思う所作をしてください。あとはわたしが力をお貸しします」
加奈は両膝を地面につくと胸の前で両の手の指を絡め手のひらを合わせる。七瀬は瞳を閉じて、加奈の肩に手をかけた。七瀬はすべての知覚を最小限まで遮断して集中する。
次の瞬間――次の瞬間というのはあくまで七瀬の体感時間の話であり、実際にはどれほどの時間が経ったのだろうか――肩を揺さぶられる感触で七瀬は目を開ける。そこには邪魅の体液でどろどろになった伊吹とミクモがいた。
上空には鮮やかな晴れ間が広がっていた。
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