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和菓子屋、店開き
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物語は突然始まる。登場人物たちの都合など、お構い無しに。
数年前に父が亡くなって、母が営んでいた和菓子屋だったが、その母も病で亡くなってしまい、私が引き継ぐことになった。
結果として大学を辞めなければいけなかったが、まったく後悔していない。どうせ和菓子屋を継ぐつもりだった。そのための修行が学業の合間にしていたし、地元の企業や役所に就職する気もなかった。だから良い機会だと思ってやめることにした。
しかし海沿いの田舎町の小さな和菓子屋にやってくる酔狂な人間などあまりいない。だから休業していた店を開いたときは全然来ないだろうと思っていた。
けれど酔狂な人間はいないが酔狂な妖怪はいるらしい。
「なるほど。お前がこの店の主になったのだな?」
母の喪があけた翌日のことだった。
商品を並べて、客を待っていたら唐突に目の前に若くて奇妙な男が現れた。
こういう不思議な表現をしたのは理由があって、入り口には客が来たのが分かるようにからんころんと鳴るベルが設置してある。それが鳴らなかったということは地面からぬっと出てきたか、ぱっと空中から現れたようにしか思えない。
「えーと。あなたはどなたですか?」
内心驚いているが、意外と平常心で訊くことができた。私は昔から感情表現が下手で、友人から『無感情の友哉』と呼ばれていた。
目の前の若い男を見る。二十代後半。時代劇に出てくるような和装に何故かブーツを履いていた。まるで坂本龍馬だ。オールバックに和物の眼鏡。手には白手袋を付けていた。
「わしは神野悪五郎という」
神野は母方の名字だった。見覚えはないが、母方の親戚かもしれないと思った。
「母の知り合いですか?」
「知り合いではない。先祖だ。お前の母のすみれのな。だからお前の先祖でもある」
「はあ……」
「なんだその腑抜けた声は」
「そう言われましても。いまいち信用できないというか……」
いきなり先祖と言われても、実感が湧かない。
普通の人間ではないとは思うが……
すると悪五郎は「これならどうだ」と言って懐から鈴を取り出した。鈴といっても仏具の鈴だ。確かどっこいしょみたいな名前だった気がする。
それを悪五郎がりーんと鳴らすと、何故か『全て理解して』しまった。
「えーと、つまりあなたは妖怪――いや、魔王の神野悪五郎で、大昔に人間の娘との間に子供を作ったと」
「そうだ」
「それで代々見守ってきた。そしてその独鈷鈴は偉いお坊さんから奪った神具である」
「そのとおり。これのおかげで説明しなくて済むな」
私はまじまじと悪五郎を見た。妖怪や魔王には見えないが、どことなく怪しげな雰囲気を感じられる。
「それで、私に何の用ですか? そこまでは教えてもらっていません」
「ああ。そのことよりも先に、お前の名前を聞かせてくれ。すみれからは聞いているが、直接聞きたい」
私は何も考えずに「柳友哉です」と答えた。
すると悪五郎は満足そうに頷いた。
「よし友哉。これからお前に妖怪が訪ねてくる」
「はあ? 妖怪が?」
「別に封じたり退治したりせんでも良い」
「いや、そんなことはできないですけど」
悪五郎はにやりと笑って言う。とても悪そうな笑みだった。
「妖怪との交友を楽しめ。わしからは以上だ」
そう言って後ろを向いて帰ろうとする。私は「何人くらい来ますか?」と訊ねた。
「百もおらん。精々五十くらいだろう」
「和菓子足りるかな……」
「一度に来るわけではない。というより落ち着いているな」
私は「独鈷鈴で説明したじゃないですか」と呆れながら言う。
「あなたに逆らったらろくなことにならないって」
「ふふふ」
悪五郎は音も立てずにすっと消え去ってしまった。私はやれやれ、面倒なことになったなと思った。
未熟な私の和菓子を、はたして妖怪たちは満足してくれるのだろうか?
数年前に父が亡くなって、母が営んでいた和菓子屋だったが、その母も病で亡くなってしまい、私が引き継ぐことになった。
結果として大学を辞めなければいけなかったが、まったく後悔していない。どうせ和菓子屋を継ぐつもりだった。そのための修行が学業の合間にしていたし、地元の企業や役所に就職する気もなかった。だから良い機会だと思ってやめることにした。
しかし海沿いの田舎町の小さな和菓子屋にやってくる酔狂な人間などあまりいない。だから休業していた店を開いたときは全然来ないだろうと思っていた。
けれど酔狂な人間はいないが酔狂な妖怪はいるらしい。
「なるほど。お前がこの店の主になったのだな?」
母の喪があけた翌日のことだった。
商品を並べて、客を待っていたら唐突に目の前に若くて奇妙な男が現れた。
こういう不思議な表現をしたのは理由があって、入り口には客が来たのが分かるようにからんころんと鳴るベルが設置してある。それが鳴らなかったということは地面からぬっと出てきたか、ぱっと空中から現れたようにしか思えない。
「えーと。あなたはどなたですか?」
内心驚いているが、意外と平常心で訊くことができた。私は昔から感情表現が下手で、友人から『無感情の友哉』と呼ばれていた。
目の前の若い男を見る。二十代後半。時代劇に出てくるような和装に何故かブーツを履いていた。まるで坂本龍馬だ。オールバックに和物の眼鏡。手には白手袋を付けていた。
「わしは神野悪五郎という」
神野は母方の名字だった。見覚えはないが、母方の親戚かもしれないと思った。
「母の知り合いですか?」
「知り合いではない。先祖だ。お前の母のすみれのな。だからお前の先祖でもある」
「はあ……」
「なんだその腑抜けた声は」
「そう言われましても。いまいち信用できないというか……」
いきなり先祖と言われても、実感が湧かない。
普通の人間ではないとは思うが……
すると悪五郎は「これならどうだ」と言って懐から鈴を取り出した。鈴といっても仏具の鈴だ。確かどっこいしょみたいな名前だった気がする。
それを悪五郎がりーんと鳴らすと、何故か『全て理解して』しまった。
「えーと、つまりあなたは妖怪――いや、魔王の神野悪五郎で、大昔に人間の娘との間に子供を作ったと」
「そうだ」
「それで代々見守ってきた。そしてその独鈷鈴は偉いお坊さんから奪った神具である」
「そのとおり。これのおかげで説明しなくて済むな」
私はまじまじと悪五郎を見た。妖怪や魔王には見えないが、どことなく怪しげな雰囲気を感じられる。
「それで、私に何の用ですか? そこまでは教えてもらっていません」
「ああ。そのことよりも先に、お前の名前を聞かせてくれ。すみれからは聞いているが、直接聞きたい」
私は何も考えずに「柳友哉です」と答えた。
すると悪五郎は満足そうに頷いた。
「よし友哉。これからお前に妖怪が訪ねてくる」
「はあ? 妖怪が?」
「別に封じたり退治したりせんでも良い」
「いや、そんなことはできないですけど」
悪五郎はにやりと笑って言う。とても悪そうな笑みだった。
「妖怪との交友を楽しめ。わしからは以上だ」
そう言って後ろを向いて帰ろうとする。私は「何人くらい来ますか?」と訊ねた。
「百もおらん。精々五十くらいだろう」
「和菓子足りるかな……」
「一度に来るわけではない。というより落ち着いているな」
私は「独鈷鈴で説明したじゃないですか」と呆れながら言う。
「あなたに逆らったらろくなことにならないって」
「ふふふ」
悪五郎は音も立てずにすっと消え去ってしまった。私はやれやれ、面倒なことになったなと思った。
未熟な私の和菓子を、はたして妖怪たちは満足してくれるのだろうか?
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