29 / 46
船幽霊
しおりを挟む
親の愛と子の感謝は等しい。悲しいほどに。
「そうは言ってみたものの、私はお前が魔王になることは望んでいないよ、友哉」
父は兄から離れ、私に近づいてぽんと肩を叩いた。
思いやりが見られる気遣いに私の緊張感は解れた。地獄に来てから、心が休まるときはなかった。
「私はね。お前に人をやめてまで、この子を救ってもらおうとは思わない。お前にはお前の人生があるのだから」
「父さん……本当にいいのですか?」
「良いに決まっているさ。すみれだって同じことを言うはずだ。それに、私がお前にしてやれたことなんて、少ないんだよ」
父は淋しげに微笑んで、私に告げた。
私はそんなことないと首を横に振った。
父には感謝しかなかった。それは心から言えることだ。
「和菓子作りにかまけて、私は友哉に何もしてあげられなかった。親子として過ごす時間があまりにも少なかった。早く死んでしまってから、それだけが心残りだった」
「父さん……私は、そんな風に思いません。だって何不自由なく、育ててくれたじゃないですか」
「親として当たり前のことだ。誇ることじゃない」
「この賽の河原に居る子供たちは、それがされなかったのですよ」
揚げ足と取るようなことを言ってしまったと我ながら思った。
父は悲しげに「ここの子供たちは本当に可哀想だ」と呟いた。
「できることなら救われてほしい。幸せになってほしい。お前とこの子の親となって、つくづくそう思える」
「…………」
「私がお前に残せたものなんて、店とレシピぐらいなもんだ」
父の背中が小さく見える。そういえば、いつの間にか、私は父よりも大きくなったのだなと今更ながら思う。
私は「そんなことないですよ」と強く否定した。
「父さんは、私に物凄く大事なものを残してくれました」
「それは、なんだ?」
「和菓子を作る喜びと情熱。私はね、父さんの和菓子に対する姿勢を見て、和菓子職人になろうと思えたんですよ」
父が息を飲むのを感じた。私からそんな風なことを言われるとは思わなかったんだろう。
私は続けて「柳京一郎という和菓子職人の血を継げただけで、私は幸せですよ」と言う。
「それを父さんが生きているときに言えませんでした。でも今、ようやく言えました。それだけで、地獄巡りをして良かったと思えます」
「友哉……」
「私は、父さんの子として産まれて、幸せですよ」
たとえ神野の血を引いて、地獄巡りをすることになっても。
父のような素晴らしい和菓子職人の息子として生まれたことはそれ以上に嬉しいことだった。
「……馬鹿。死人を泣かせるんじゃない」
父はくるりと背を向けて静かに涙を流した。
私は、素直な気持ちを伝えることができて、とても満足していた。
「白沢様に連れてきてもらったのか。しかしどこにも姿が見えないが」
「気を使ってくださったのでしょう。けど困りましたね。これでは皆のところに戻れない」
父が落ち着くのを待って、私は地獄巡りを再開しようとしたのだが、どうやって針山地獄に戻ればいいのか分からない。白沢はどこかへ行ってしまった。
すると父は「針山地獄なら三途の川を渡った先にある」と言う。
「だが渡し舟はやめたほうがいい。死人ではないお前が乗ると本当に死んでしまう。それに六文銭も冥銭も持っていないから、そもそも乗ることもできない」
「うーん、ではどうすれば良いですか?」
賽の河原に一人きりで残されるのは勘弁願いたい。
私が頭を悩ませていると「すみれの仲間に頼もう」と父が言う。
「おそらく、近場で漁をしているはずだ。さあ来い友哉」
父の導くまま、私は賽の河原を歩き出す。
その前に、父に倣って兄に別れを言う。
「さようなら、兄さん」
私の言葉を理解できたのか分からない。
しかし少しだけ石を積む手をやめて、私のほうを向き、手を動かした。
見送ってくれたのだろう。そう考えたい。
父の案内で岸に着くと、漁師姿の血色悪い男たちが「よう。すみれの旦那さん」と一斉に声を張り上げた。
「お疲れ様です。今日は何の御用で?」
船頭らしき男が野太い声で訊ねる。父は「私の息子を、向こう岸まで送り届けてほしい」と事情を話す。
「息子。するってえと、そこの若者がすみれの息子さんですか?」
「そうだ。私の自慢の息子、友哉だ」
私が軽く頭を下げると男たちが「お勤めご苦労様です!」と言う。
別に出所してきたわけではないのだが……
「俺たちは船幽霊です。すみれとは友達でして」
「母さんの……ひょっとして釣り友達か?」
「ええ。すみれが若いときは夜釣りとかしていましたね」
母は海坊主とも親しかった。よほど釣りが好きだったのだろう。
私は「地獄巡りの途中なんだ」と明かした。
「針山地獄に友人が居るんだ。そこに行かないといけない」
「分かりました。それではさっそく船を出します」
船頭が男たちに指示を出し始める。
父は私に「これでさよならだな」と言う。
「私は賽の河原以外の地獄に行けない。お前とはここで別れる」
「父さん……またいずれ会いましょう」
「できればすぐに会いたくないな。長生きしろよ、友哉」
私は父と固く握手をして、それから船幽霊の船に乗り込んだ。
「友哉! 地獄巡り、頑張れよ!」
父は姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。
私も大きく手を振った。声が届かなくなっても、よく分かるように、大きく大きく振り続けた。
「そうは言ってみたものの、私はお前が魔王になることは望んでいないよ、友哉」
父は兄から離れ、私に近づいてぽんと肩を叩いた。
思いやりが見られる気遣いに私の緊張感は解れた。地獄に来てから、心が休まるときはなかった。
「私はね。お前に人をやめてまで、この子を救ってもらおうとは思わない。お前にはお前の人生があるのだから」
「父さん……本当にいいのですか?」
「良いに決まっているさ。すみれだって同じことを言うはずだ。それに、私がお前にしてやれたことなんて、少ないんだよ」
父は淋しげに微笑んで、私に告げた。
私はそんなことないと首を横に振った。
父には感謝しかなかった。それは心から言えることだ。
「和菓子作りにかまけて、私は友哉に何もしてあげられなかった。親子として過ごす時間があまりにも少なかった。早く死んでしまってから、それだけが心残りだった」
「父さん……私は、そんな風に思いません。だって何不自由なく、育ててくれたじゃないですか」
「親として当たり前のことだ。誇ることじゃない」
「この賽の河原に居る子供たちは、それがされなかったのですよ」
揚げ足と取るようなことを言ってしまったと我ながら思った。
父は悲しげに「ここの子供たちは本当に可哀想だ」と呟いた。
「できることなら救われてほしい。幸せになってほしい。お前とこの子の親となって、つくづくそう思える」
「…………」
「私がお前に残せたものなんて、店とレシピぐらいなもんだ」
父の背中が小さく見える。そういえば、いつの間にか、私は父よりも大きくなったのだなと今更ながら思う。
私は「そんなことないですよ」と強く否定した。
「父さんは、私に物凄く大事なものを残してくれました」
「それは、なんだ?」
「和菓子を作る喜びと情熱。私はね、父さんの和菓子に対する姿勢を見て、和菓子職人になろうと思えたんですよ」
父が息を飲むのを感じた。私からそんな風なことを言われるとは思わなかったんだろう。
私は続けて「柳京一郎という和菓子職人の血を継げただけで、私は幸せですよ」と言う。
「それを父さんが生きているときに言えませんでした。でも今、ようやく言えました。それだけで、地獄巡りをして良かったと思えます」
「友哉……」
「私は、父さんの子として産まれて、幸せですよ」
たとえ神野の血を引いて、地獄巡りをすることになっても。
父のような素晴らしい和菓子職人の息子として生まれたことはそれ以上に嬉しいことだった。
「……馬鹿。死人を泣かせるんじゃない」
父はくるりと背を向けて静かに涙を流した。
私は、素直な気持ちを伝えることができて、とても満足していた。
「白沢様に連れてきてもらったのか。しかしどこにも姿が見えないが」
「気を使ってくださったのでしょう。けど困りましたね。これでは皆のところに戻れない」
父が落ち着くのを待って、私は地獄巡りを再開しようとしたのだが、どうやって針山地獄に戻ればいいのか分からない。白沢はどこかへ行ってしまった。
すると父は「針山地獄なら三途の川を渡った先にある」と言う。
「だが渡し舟はやめたほうがいい。死人ではないお前が乗ると本当に死んでしまう。それに六文銭も冥銭も持っていないから、そもそも乗ることもできない」
「うーん、ではどうすれば良いですか?」
賽の河原に一人きりで残されるのは勘弁願いたい。
私が頭を悩ませていると「すみれの仲間に頼もう」と父が言う。
「おそらく、近場で漁をしているはずだ。さあ来い友哉」
父の導くまま、私は賽の河原を歩き出す。
その前に、父に倣って兄に別れを言う。
「さようなら、兄さん」
私の言葉を理解できたのか分からない。
しかし少しだけ石を積む手をやめて、私のほうを向き、手を動かした。
見送ってくれたのだろう。そう考えたい。
父の案内で岸に着くと、漁師姿の血色悪い男たちが「よう。すみれの旦那さん」と一斉に声を張り上げた。
「お疲れ様です。今日は何の御用で?」
船頭らしき男が野太い声で訊ねる。父は「私の息子を、向こう岸まで送り届けてほしい」と事情を話す。
「息子。するってえと、そこの若者がすみれの息子さんですか?」
「そうだ。私の自慢の息子、友哉だ」
私が軽く頭を下げると男たちが「お勤めご苦労様です!」と言う。
別に出所してきたわけではないのだが……
「俺たちは船幽霊です。すみれとは友達でして」
「母さんの……ひょっとして釣り友達か?」
「ええ。すみれが若いときは夜釣りとかしていましたね」
母は海坊主とも親しかった。よほど釣りが好きだったのだろう。
私は「地獄巡りの途中なんだ」と明かした。
「針山地獄に友人が居るんだ。そこに行かないといけない」
「分かりました。それではさっそく船を出します」
船頭が男たちに指示を出し始める。
父は私に「これでさよならだな」と言う。
「私は賽の河原以外の地獄に行けない。お前とはここで別れる」
「父さん……またいずれ会いましょう」
「できればすぐに会いたくないな。長生きしろよ、友哉」
私は父と固く握手をして、それから船幽霊の船に乗り込んだ。
「友哉! 地獄巡り、頑張れよ!」
父は姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。
私も大きく手を振った。声が届かなくなっても、よく分かるように、大きく大きく振り続けた。
0
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ループ25 ~ 何度も繰り返す25歳、その理由を知る時、主人公は…… ~
藤堂慎人
ライト文芸
主人公新藤肇は何度目かの25歳の誕生日を迎えた。毎回少しだけ違う世界で目覚めるが、今回は前の世界で意中の人だった美由紀と新婚1年目の朝に目覚めた。
戸惑う肇だったが、この世界での情報を集め、徐々に慣れていく。
お互いの両親の問題は前の世界でもあったが、今回は良い方向で解決した。
仕事も順調で、苦労は感じつつも充実した日々を送っている。
しかし、これまでの流れではその暮らしも1年で終わってしまう。今までで最も良い世界だからこそ、次の世界にループすることを恐れている。
そんな時、肇は重大な出来事に遭遇する。
相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~
ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。
休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。
啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。
異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。
これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる