混沌より這い寄るモノ

橋本洋一

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望んだ世界

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 電子音が鳴った。
 俺は目覚まし時計を止めて、起き上がる。

「ふわああ。今日も良い天気だなあ」

 窓を開けて独り言。一人暮らしになるとどうも呟きが増えてしまう。ツイッターでもやろうかな?
 そんな馬鹿な考えは捨てて、朝食を作って、食べ終えて、そして大学へと向かう。
 今日は夏休みの最終日。だけど文芸部の集まりがあった。

「おー、佐々木氏。久しぶりですな」

 部室に入ると樫川だけが居た。俺は樫川の向かい側に座った。

「樫川はいつも元気そうだな。それで、いつもの陰謀論でも聞かせてくれよ」
「陰謀論だなんて人聞き悪いですな」

 樫川は良い奴だが、不意に「この世界は何かがおかしい」と主張することがある。それがぶっとんでいて、聞くと面白い。まあ俺しか聞く奴はいない。周りからは暖かい目で見られている。

「世界のおかしさはまた次の機会に取っておくとして、僕は夏休みを利用して、邪教が祀られていた村に取材しに行ったのです」
「暇だなおい。それで成果はあったのか?」
「いえ、今から遡って、江戸時代まで信仰されていましたが、司祭というのですかな? 『その後継者が生まれなくて』途絶えてしまったのです」
「へえ。良かったな」

 俺は『どうして良かったのか』分からなかったけど、言葉にしてしまった。

「とりあえず観光名所になっていたから、お土産買ってきたのです」
「良い旅行になってんじゃねえか」

 そんな会話をしていると部室の扉が開いた。

「おや。御ふた方早いですね」

 深沢だった。いつものように『全身が真っ白』な服を着ている。夏だから『薄手』だった。

「深沢氏もいかがですかな? 饅頭ですぞ」
「ありがとうございます。あ、お茶淹れましょうか。佐々木先輩もどうですか?」

 深沢は『誰に対しても丁寧』で『俺も例外ではない』。

「ありがとう。気がきくな」

 お礼を言うと、深沢ははにかむように笑った。
 最後に現れたのは寺山部長と村中だった。何故か分からないが、二人ともご機嫌らしい。

「重大発表があります! みんな静聴するように! 村中、言いなさい!」

 いつもの席に着くなり、部長は大声を張り上げた。
 村中は恥ずかしがりながら、そして嬉しそうに言う。

「ぼ、僕の作品が、出版されることになりました!」

 一瞬部室が沈黙に包まれた。

「……マジでか!? おめでとう!」
「凄いじゃないですか!」
「やったね村中くん!」

 俺たちは村中を褒め称えた。村中はこのサークルの中で唯一、真剣に作家になろうとしてたからな。

「それで、どこの出版社なのですかな?」

 樫川の質問に村中は元気よく答えた。

「はい! 『赤夢出版社』です!」
「おー! 『出版業界の大手』ではないですか! 素晴らしいですな!」

 赤夢出版社なら俺も知っている。『一般文芸が有名』だったと記憶している。

「さあ。今日はお祝いよ! おめでとう! 村中!」

 寺山部長は自分のことのように喜んでいる。
 今日は良い日だ。


◆◇◆◇


 結局、夜まで呑んで、お開きとなった。みんな酔って騒いで、はしゃいでいた。
 居酒屋から出ると、寺山部長に「深沢を送ってあげなさい」と命令されたので、素直に従った。

「凄いですよね。村中くん。自分の夢を叶えるなんて」

 深沢は酒を呑んでいないけど、頬が紅潮していた。

「まあな。深沢の夢ってなんなんだ?」
「私ですか? 普通に働いて、普通に結婚して、子供に恵まれることです」
「あはは。それが夢なのかよ」
「子どもの頃は『ナオミみたいな海外の歌手』に憧れましたが。じゃあ先輩の夢ってなんですか?」

 俺はしばらく黙って、そして答えた。

「俺は夢を見るんじゃなくて、夢を見させる側の人間だったからな」
「……どういう意味ですか?」
「野球部で甲子園に行ったとき、そう言われたのさ。『親父』にな」

 今でもはっきり覚えている。

「お前は周りに希望を与える人間になるんだ。何故って? こうして学校みんなが応援してくれている。お前に夢を見させてもらいたいからだ。そんな風に言われたんだ」
「なんだか素敵ですね」

 深沢はニコニコ笑っている。俺もつられて笑った。

「先輩のこと、高校時代に知っていたんですよ。甲子園のヒーローですから。でも大学で文芸部に入っているって知って、がっかりしました」
「ああ、そういえば初対面がそうだったな」
「でも『母』に説得されて、それで嫌な眼で見なくなりましたね」

 まあ二回目に会ったときは土下座の勢いで謝っていたからな。

「そういえば、先輩ってバイトしないんですか?」
「ああ。仕送りがあるから『バイトしてない』が、どうして聞くんだ?」
「今度バイトでもやってみようかなって。先輩もどうですか?」
「うーん、どんなバイト?」
「さっきの居酒屋なんてどうですか?」

 そんな会話をしていると、前方に不良っぽいのが二人居た。深沢は俺の袖をぎゅっと掴んだ。

「おっかしいなあ。ねえよ、どこにも」
「よく探せよ。ここにあるはずなんだ」

 そいつらは俺たちに眼もくれずに何かを探していた。絡まれる前に俺たちは横を通り過ぎた。

「なあ。柳葉よー。もっと前じゃねえのか。財布落としたの」
「かもしれないな。『木戸』、悪いけど交番行ってきてくれ」
「やだよ。お前が行けよ」

 深沢を送り届けて、下宿先に戻ったらスマホが鳴った。
 『親父』からだった。

「もしもし。どうしたんだ?」
『あー、康隆。私だが。今度の週末、一緒にキャンプ行かないか?』
「俺もう夏休み終わるんだぜ? それにこき使うんだろうが」
『もう『白井』と『黒田』に断られたんだ。このままだと一人で行くしかない』
「他にも友人は居るじゃあないか。『京極教授』だって、アウトドア好きだろう」
『この前誘ったばかりだ。それに彼は忙しい』

 そりゃあ、悠々自適に隠居生活している親父に比べたら、誰だって忙しい。

「他にもやることあるだろうが」
『たとえば何だ?』

 俺はテキトーに言った。

「兄貴の嫁でも探してやれよ。三十歳なのにまだ『独身』なんだぜ?」

『あいつは仕事大好きだからな。私と似なくて』
「反面教師って奴だな」
『ふん。まあいい。今回は諦める。康隆、またな』
「ああ。またな」

 通話が切れた。俺は明日の準備をして、風呂に入り、ベッドに潜り込んだ。
 今日も一日平和だった。
 こんな日常が続けばいい。
 それだけで満足だった。


◆◇◆◇


『あっはっは。ぜーんぶまやかしだけどね。人間は悲しいなあ』
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