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身内
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稲生原での戦は混迷を極めていた。
陣形もなく、指示も命じることもできないほど、荒れた戦場。
信長も自ら槍を持って戦っていた。
成政も手傷を負いながら、戦い続ける。
服部小平太や毛利新介らと協力して、一人一人討ち取っていく。
林美作守の軍が来たら、私たちは負ける――
成政は敵の胸元を突き刺しながら、ぼんやりと考えていた。
どのくらい、味方の軍勢が残っているのか、分からない。
それでも多くないことは彼にも分かる。
せめて柴田の軍勢さえ撃破できればと成政は考えた。
そのために槍を振るっているが、倒しても倒しても――きりが無い。
気力や体力に限りはある。
さて、どうするか――
「こんの――大馬鹿野郎共ぉぉぉおおおおおおおお!」
そのとき、信長の大声がした。
動きを止めたのは、味方だけではなく、敵も同様だった。
「俺たちは身内同士だぞ! 何故戦う必要がある!」
信長がこの期に及んで――説得を試みている?
成政ははっとして思い出した。
確か、この戦は――
「この織田三郎信長に逆らう謀反人共! 貴様ら全員、子々孫々に至るまで、地の底まで落としてくれるわぁあああああああああああああ!」
殿の堪忍袋が切れたと長年傍に付き従っている成政は思った。
きっと池田殿が必死に止めているのだろうと思うと――
「ははは。流石、殿だ!」
戦場というのに、笑みが零れて仕方なかった。
だが、それ以上に笑える事態が起こる。
「ひいいい!? もう戦いたくねえ!」
「殿様に逆らうなんて、嫌だったんだ!」
農兵――農民と思われる者たちが武器を投げ出して、次々と逃亡していく。
いくら歴戦の武将と言っても、これでは戦にならない――
「逃げる者は追うな! 戦う者――逆賊のみ、討ち取れ!」
信長の大音声が再び鳴り響く。
まるで蜘蛛の子を散らすように逃げる柴田の兵。
成政は、これが道三様の言っていたことかと驚愕した。
身内同士の戦の弊害とも言える。
しかし、何はともあれ、これで決着がついた――
「おい成政! 新手が来たぞ!」
新介の声と指差す方角を見ると、新しい軍勢がこちらにやって来る。
旗印を見れば――林美作守のものだった。
「くそ! そういえば、七百の軍勢だったな!」
「こっちは三百か四百しかいねえぞ!」
小平太と新介が喚く中、成政は「うろたえるな!」と二人を叱咤した。
「一人で二人倒せばなんとかなる! それに柴田殿と違って、林美作守は戦巧者ではない!」
成政は自分でも無茶なことを言っていると分かっていたが、小平太や新介、そして周りの者たちは、互いに頷きあった。
「ああ。確かにそうだ!」
「一人でも多く倒してやる!」
はっきり言えば、狂奔と言うべき激励だけれど、皆の士気は高まったようだった。
これなら戦える。少なくとも私たちだけは。
そう決意を新たにして、成政は二度目の戦に臨んだ。
◆◇◆◇
林美作守の軍勢との死闘は続いた。
林の軍は数の利があり、名塚砦の攻略をしていたものの、戦に臨む上では心身ともに充実していた。
だが信長が率いる馬廻り衆の勢いは凄まじかった。
数や体力では不利なはずなのに、どうしても押し切ることができない。
「何故だ? 何故信長を倒せぬ!?」
林美作守には理解できなかった。
主家であることや実力を示し続けてきたのは分かる。
自身の主、信行とは違って、戦い続けてきたのも分かる。
だが、ここまで粘る理由が分からない。
兵力に劣り、周りを囲まれている状況で、どうして負けを認めない?
そこまでして、信長は仕えるに値する主君なのか?
「林様! 敵の勢いは異常です! 一度下がられてはいかがですか!?」
進言してきた家臣の顔に焦りを感じる――焦りだと?
数では有利なのだ。退く道理など見当たらない。
内心、ふざけるなと怒鳴りつけたい気分だった。
「わしも出るぞ! 将が先頭に立てば、士気も上がる!」
「し、しかし――」
諌めようとする家臣を払い除け、馬にまたがり、戦場へと駆け出す林。
彼の脳裏には、兄の林秀貞が戦の前に言った言葉が浮かんでいた。
『確実に信長様を討ち取れ。でなければ信行様への忠誠が疑われる』
元々、林秀貞は信長の家老であった。
だからこそ、同じ家老である柴田はおろか、側近の津々木よりも信頼されていなかった。
そしてそれは、林美作守も一緒だった。
だからこの戦で結果を残さなければ、信行に信頼されないし重用されない。
那古野城の城主であるから、味方に付く利点を感じられているだけで、実際はこれっぽっちも信頼されていないのだ。
この戦に負ければおしまいなのは、信長だけではなく、林兄弟も同じなのだ。
したがって、この状況は非常に不味かった――
「ええい、何をしとるか! 信行様が当主になれば、国は豊かになるのだぞ!」
林美作守は槍を振り回しながら、己に襲い掛かる者に説く。
「信行様は品行方正、真面目で実直、堅実な方だ! 乱暴狼藉、不真面目で狡猾、危険極まりない信長様に任せておけば、織田弾正忠家は滅ぶぞ!」
しかし馬廻り衆は怯まない。
何故ならば、彼らは知っているからだ。
信長が魅力ある当主であることを――
「林美作守! この謀反人めが!」
林美作守の目の前に、信長が現れた。
それは唐突に思われたが、林美作守は好機とばかり、馬を走らせる――
「――撃て」
信長の合図で、滝川一益が林美作守の馬目がけて、銃弾を放った。
馬はその場に倒れ、落馬してしまった林美作守だったが、槍を離すことなく、そのまま駆け出した。
「信長ぁああああああ!」
林美作守の突進を、馬周り衆は止めようとするが、間に合わなかった。
信長に槍を繰り出す林美作守。
しかし信長は持っていた槍で捌いてしまう。
「……ふん。ここまで気概のあった男だとは、思わなかったぞ」
「黙れぇえええええ!」
信長は林美作守に「どうだ。俺の家臣に戻れば、許してやるぞ」と言った。
「お前の兄も不問にしてやる」
「ふざけるなぁ! お前の甘言など乗るか!」
信長は少し淋しそうな顔をして「そうか。残念だ」と呟いた。
「信行のことだ。俺の家老だったお前たちを信用せぬと思っていたがな」
「――っ!?」
「本当に残念だ」
信長は槍を振り回して、動揺した林美作守の槍を叩き落とし――そのまま腹部を突き刺した。
「ご、ふ……」
「さらばだ、林」
林美作守の命が無くなる瞬間、思ったことは――これで良かったのかという後悔だった。
これから兄は大変だなと思って、林美作守の意識は無くなり――絶命した。
「林美作守、討ち取ったり!」
信長の大声で、林美作守の軍は恐慌しながら退却してしまった。
これにて、稲生の戦いは終わったのだった――
◆◇◆◇
成政はほっと溜息をついた。
激戦に生き残れたこともあったが、何より信長の勝利で終わったことに安堵していたのだ。
本陣に戻るため、戦場を歩いていると、利家の姿が見えた。
膝をついて呆然としている。
余程疲れているのだろうと成政は思った。
「おい利家。お前大丈夫か?」
声をかけたのは何の意図もなかった。
心配などしていなかった。
「――っ!? お前、どうしたんだ! その顔!」
矢傷を顔に負ったと見て分かった成政は、地面に転がった死体を避けつつ近づいた。
「傷が深いのか? おい、何とか言えよ」
「……傷なんざどうでもいい」
「はあ? お前、どうかしたのか?」
成政は、利家が死体の手を握っているのに気づいた。
穏やかな表情。
口元が歪んでいて、まるで笑っているようだった。
しかし特筆すべきは、その顔が利家に似ているということだった。
「……親類か何かか?」
「兄貴だよ。利玄兄」
息を飲んだ成政。
利家が虚ろな目で言う。
「利玄兄、俺を庇って死んだんだよ」
「…………」
「最後の言葉、聞き取れなかった。俺のことを言っていたけど、周りがうるさくて、声も小さくて……」
成政は小さく溜息をついて「遺体を運ぼう」と申し出た。
「ほら。肩を貸してやるから」
「…………」
「利家、聞いているのか?」
利家の顔を覗きこむと、泣いていた。
大声で喚くことなく、静かに涙を流していた。
「…………」
「……待っていて、やるよ」
成政は利家から目を背けた。
彼にできることは、それしかなかった。
陣形もなく、指示も命じることもできないほど、荒れた戦場。
信長も自ら槍を持って戦っていた。
成政も手傷を負いながら、戦い続ける。
服部小平太や毛利新介らと協力して、一人一人討ち取っていく。
林美作守の軍が来たら、私たちは負ける――
成政は敵の胸元を突き刺しながら、ぼんやりと考えていた。
どのくらい、味方の軍勢が残っているのか、分からない。
それでも多くないことは彼にも分かる。
せめて柴田の軍勢さえ撃破できればと成政は考えた。
そのために槍を振るっているが、倒しても倒しても――きりが無い。
気力や体力に限りはある。
さて、どうするか――
「こんの――大馬鹿野郎共ぉぉぉおおおおおおおお!」
そのとき、信長の大声がした。
動きを止めたのは、味方だけではなく、敵も同様だった。
「俺たちは身内同士だぞ! 何故戦う必要がある!」
信長がこの期に及んで――説得を試みている?
成政ははっとして思い出した。
確か、この戦は――
「この織田三郎信長に逆らう謀反人共! 貴様ら全員、子々孫々に至るまで、地の底まで落としてくれるわぁあああああああああああああ!」
殿の堪忍袋が切れたと長年傍に付き従っている成政は思った。
きっと池田殿が必死に止めているのだろうと思うと――
「ははは。流石、殿だ!」
戦場というのに、笑みが零れて仕方なかった。
だが、それ以上に笑える事態が起こる。
「ひいいい!? もう戦いたくねえ!」
「殿様に逆らうなんて、嫌だったんだ!」
農兵――農民と思われる者たちが武器を投げ出して、次々と逃亡していく。
いくら歴戦の武将と言っても、これでは戦にならない――
「逃げる者は追うな! 戦う者――逆賊のみ、討ち取れ!」
信長の大音声が再び鳴り響く。
まるで蜘蛛の子を散らすように逃げる柴田の兵。
成政は、これが道三様の言っていたことかと驚愕した。
身内同士の戦の弊害とも言える。
しかし、何はともあれ、これで決着がついた――
「おい成政! 新手が来たぞ!」
新介の声と指差す方角を見ると、新しい軍勢がこちらにやって来る。
旗印を見れば――林美作守のものだった。
「くそ! そういえば、七百の軍勢だったな!」
「こっちは三百か四百しかいねえぞ!」
小平太と新介が喚く中、成政は「うろたえるな!」と二人を叱咤した。
「一人で二人倒せばなんとかなる! それに柴田殿と違って、林美作守は戦巧者ではない!」
成政は自分でも無茶なことを言っていると分かっていたが、小平太や新介、そして周りの者たちは、互いに頷きあった。
「ああ。確かにそうだ!」
「一人でも多く倒してやる!」
はっきり言えば、狂奔と言うべき激励だけれど、皆の士気は高まったようだった。
これなら戦える。少なくとも私たちだけは。
そう決意を新たにして、成政は二度目の戦に臨んだ。
◆◇◆◇
林美作守の軍勢との死闘は続いた。
林の軍は数の利があり、名塚砦の攻略をしていたものの、戦に臨む上では心身ともに充実していた。
だが信長が率いる馬廻り衆の勢いは凄まじかった。
数や体力では不利なはずなのに、どうしても押し切ることができない。
「何故だ? 何故信長を倒せぬ!?」
林美作守には理解できなかった。
主家であることや実力を示し続けてきたのは分かる。
自身の主、信行とは違って、戦い続けてきたのも分かる。
だが、ここまで粘る理由が分からない。
兵力に劣り、周りを囲まれている状況で、どうして負けを認めない?
そこまでして、信長は仕えるに値する主君なのか?
「林様! 敵の勢いは異常です! 一度下がられてはいかがですか!?」
進言してきた家臣の顔に焦りを感じる――焦りだと?
数では有利なのだ。退く道理など見当たらない。
内心、ふざけるなと怒鳴りつけたい気分だった。
「わしも出るぞ! 将が先頭に立てば、士気も上がる!」
「し、しかし――」
諌めようとする家臣を払い除け、馬にまたがり、戦場へと駆け出す林。
彼の脳裏には、兄の林秀貞が戦の前に言った言葉が浮かんでいた。
『確実に信長様を討ち取れ。でなければ信行様への忠誠が疑われる』
元々、林秀貞は信長の家老であった。
だからこそ、同じ家老である柴田はおろか、側近の津々木よりも信頼されていなかった。
そしてそれは、林美作守も一緒だった。
だからこの戦で結果を残さなければ、信行に信頼されないし重用されない。
那古野城の城主であるから、味方に付く利点を感じられているだけで、実際はこれっぽっちも信頼されていないのだ。
この戦に負ければおしまいなのは、信長だけではなく、林兄弟も同じなのだ。
したがって、この状況は非常に不味かった――
「ええい、何をしとるか! 信行様が当主になれば、国は豊かになるのだぞ!」
林美作守は槍を振り回しながら、己に襲い掛かる者に説く。
「信行様は品行方正、真面目で実直、堅実な方だ! 乱暴狼藉、不真面目で狡猾、危険極まりない信長様に任せておけば、織田弾正忠家は滅ぶぞ!」
しかし馬廻り衆は怯まない。
何故ならば、彼らは知っているからだ。
信長が魅力ある当主であることを――
「林美作守! この謀反人めが!」
林美作守の目の前に、信長が現れた。
それは唐突に思われたが、林美作守は好機とばかり、馬を走らせる――
「――撃て」
信長の合図で、滝川一益が林美作守の馬目がけて、銃弾を放った。
馬はその場に倒れ、落馬してしまった林美作守だったが、槍を離すことなく、そのまま駆け出した。
「信長ぁああああああ!」
林美作守の突進を、馬周り衆は止めようとするが、間に合わなかった。
信長に槍を繰り出す林美作守。
しかし信長は持っていた槍で捌いてしまう。
「……ふん。ここまで気概のあった男だとは、思わなかったぞ」
「黙れぇえええええ!」
信長は林美作守に「どうだ。俺の家臣に戻れば、許してやるぞ」と言った。
「お前の兄も不問にしてやる」
「ふざけるなぁ! お前の甘言など乗るか!」
信長は少し淋しそうな顔をして「そうか。残念だ」と呟いた。
「信行のことだ。俺の家老だったお前たちを信用せぬと思っていたがな」
「――っ!?」
「本当に残念だ」
信長は槍を振り回して、動揺した林美作守の槍を叩き落とし――そのまま腹部を突き刺した。
「ご、ふ……」
「さらばだ、林」
林美作守の命が無くなる瞬間、思ったことは――これで良かったのかという後悔だった。
これから兄は大変だなと思って、林美作守の意識は無くなり――絶命した。
「林美作守、討ち取ったり!」
信長の大声で、林美作守の軍は恐慌しながら退却してしまった。
これにて、稲生の戦いは終わったのだった――
◆◇◆◇
成政はほっと溜息をついた。
激戦に生き残れたこともあったが、何より信長の勝利で終わったことに安堵していたのだ。
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余程疲れているのだろうと成政は思った。
「おい利家。お前大丈夫か?」
声をかけたのは何の意図もなかった。
心配などしていなかった。
「――っ!? お前、どうしたんだ! その顔!」
矢傷を顔に負ったと見て分かった成政は、地面に転がった死体を避けつつ近づいた。
「傷が深いのか? おい、何とか言えよ」
「……傷なんざどうでもいい」
「はあ? お前、どうかしたのか?」
成政は、利家が死体の手を握っているのに気づいた。
穏やかな表情。
口元が歪んでいて、まるで笑っているようだった。
しかし特筆すべきは、その顔が利家に似ているということだった。
「……親類か何かか?」
「兄貴だよ。利玄兄」
息を飲んだ成政。
利家が虚ろな目で言う。
「利玄兄、俺を庇って死んだんだよ」
「…………」
「最後の言葉、聞き取れなかった。俺のことを言っていたけど、周りがうるさくて、声も小さくて……」
成政は小さく溜息をついて「遺体を運ぼう」と申し出た。
「ほら。肩を貸してやるから」
「…………」
「利家、聞いているのか?」
利家の顔を覗きこむと、泣いていた。
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