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妻からの贈り物
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成政が甲斐国へ向かっている頃まで話は遡る。
利家が城に出仕しようとしていたとき、一緒に仕度をしていたまつが「あの、利家……」と何か言いたげに声をかけた。
「どうしたんだ? 忘れ物でもあったか?」
「……利家に持っていてほしいものがあるのです」
「これは……?」
着物の袂からまつが取り出したのは、古いが見事な細工が施された黒の笄だった。
笄とは元々髪飾りではあるが、小柄、目貫と三所物と呼ばれる刀の装飾品でもある。
「私の父の形見です。是非、利家に持ってもらいたいと思いまして」
「そんな大切なものを……いいのか?」
まつは穏やかに微笑んで「ええ、良いのです」と言う。
利家に全幅の愛情を抱いているような笑みだった。
「私だと思って、ずっと。ずっとずっと。ずっとずっとずっと――持っていてくださいね」
「ああ、もちろんだ! 大切にするさ。ありがとう、まつ!」
感極まって抱きついた利家には、まつの『もし失くしたら死のう』と思っている表情が見えなかった。そして抱き締められたまつは蕩けた顔になり、抱き締め返した。
清洲城に登城した利家は同じ馬廻りの毛利新介と服部小平太にその話をした。はっきり言ってしまえば惚気だが、話を聞いている二人はまつの性格を知っているので、どこか怪談を聞いている心地をしていた。
「お、おおう。そうか……」
「良かったな、利家……大事にしろよ……」
「うん? なんでそんな微妙な顔しているんだ?」
不思議そうな顔をしている利家を余所に「それで、その笄はどこにあるんだ?」と小平太が訊ねた。刀には笄が飾られていない。
利家は「懐に入れてある」と布に包んだ箱を見せる。
「お守りにしようと思って。それに付けて何かの拍子に傷ついたら嫌だしな」
「まあな。まつさんが危ないし」
「うん? まつがどう危ないんだ?」
うっかり口を滑らせた小平太を小突きながら「なんでもねえよ」と新介は誤魔化した。
首を傾げる利家に新介は「そろそろ、兵の訓練の時間じゃないか?」と指摘した。
「森殿と一緒に訓練するんだろう? 遅刻しちまうぞ?」
「そうだな。それじゃ、笄を仕舞ってから行くか」
そんなに大事なのかと二人は顔を見合わせた。あの奥さんに愛情を注げるのは単純に凄いと各々感じていた。
利家は二人と別れて、訓練で使う武具の部屋へ向かう。そこに仕舞っておくつもりだった。
しかし、三人の会話を隠れて盗み聞きをしている者がいるとは、誰も思わなかったのである。
◆◇◆◇
森可成と一緒に兵の訓練を終えた後、個人的に槍の稽古を見てもらった利家。
汗を手拭いで拭きつつ、可成にも笄の話をしていた。
可成は心得たもので、小平太たちと違ってまつの異常な愛情を聞いても表情に出さない。
「そうですか。良き宝物をいただきましたね」
「兄いに言われると嬉しいな。ありがとよ」
そんな会話をしていると、鉄砲大将の滝川一益がこちらに歩いてくるのが見えた。
利家が「よう、滝川殿」と片手を挙げて声をかけた。
一益も「元気そうだな」と挨拶を返した。
「森殿も。二人は兵の訓練を終えたのか?」
「そうですね。滝川殿はこれから鉄砲指南ですか?」
「そのとおりだ。織田家は鉄砲を重視してくれる。やりがいがあるな」
一益は利家に「そういえば、お前の兄と俺の一族の女が結婚する予定だったな」と言う。
「これで名実ともに、親類となったわけだ」
「そうだな。利久兄は病弱だから、養子を迎えることができて良かった」
「慶次郎は利発で腕白な子だ。苦労すると思うが、よろしく頼む」
それから会話を続けた後、一益と別れた利家と可成。
武具置き場に着くと鎧を脱ぎ、置いていた着物に着替える――
「あ、あれ? おかしいな……」
「どうかしましたか?」
利家が目に見えて動揺しているのを可成が慮って声をかける。
顔が蒼白となっていて、今にも倒れそうだった。
「こ、笄が……ない……」
「なんですって? よく探したのですか?」
「ちゃんと着物と一緒に置いたのにない!」
半狂乱になってあちらこちらを探し回る利家に「少し落ち着きなさい」と可成は肩に手を置いた。それでも乱雑に手を動かし続ける利家。
「ちょっと目を離しただけだろ!? なんでないんだよ!?」
「落ち着いて、落ち着いて! ……誰かが持っていったのかもしれませんよ」
可成は明言しなかったが、利家は「誰かが盗んだのか!?」と大声で吼えた。
すぐさま着替え終えて、武具置き場を出て行く利家。
まだ半裸だった可成は「ま、待ちなさい!」とはだけた格好で出る。
「森様!? ……うっ」
「あ、ちょっと!? 倒れないでください!」
部屋を出た瞬間、美男子である森の半裸姿を見た女中が、興奮して気絶してしまった。
女中を支えながら「どなたかいませんか!?」と大声で助けを求める。
その隙に利家はどこかへ行ってしまった。
◆◇◆◇
「はあ!? 笄が無くなった!? いや、知らねえよ!」
「俺だって知らない! ましてや盗んでなんかいねえよ!」
利家は自分の笄の在り処を知っていた小平太と新介を詰問したが、二人とも知らないと言い張った。その騒動で人が集まっているが、利家の怒りで近づくことができず、遠巻きに見ているだけだった。
「……どうやら本当みたいだな。目が嘘を言ってねえ」
激怒した利家に正座で応じる小平太と新介。彼らが嘘をついていないと分かると「悪かった」と利家は謝罪した。
二人はやってもいない罪で殴られるのかと冷や冷やしていたが、誤解が解けてほっと一安心した。
「だが笄のことを知っているのは、お前らだけだ。可成の兄いは誰にも話していない……」
「お、俺だって話してねえよ!」
「俺もだ! 話して何になるんだよ!?」
再び疑いの目を向けた利家に、必死に弁解する二人。
そうこうしている内に「あのう……」と利家に声をかける者が現れた。
「あん? 藤吉郎か……てめえ、何か知っているのか?」
声をかけたのは木下藤吉郎だった。激怒している利家に話しかけるのはなかなか度胸の要る行為だが、心当たりがあるのに言わないのはどうかと思ったので、勇気を出して言った。
「その笄とは、黒くて細長いものですか?」
「――知っているのか!?」
利家が藤吉郎に食ってかかった。襟元を掴んで恐ろしい顔で詰問する。
藤吉郎は「く、苦しい……」と喋れなかった。顔が青くなっている。
「おいやめろ! 死んじまうぞ!?」
「落ち着けって! そいつが盗んだわけじゃねえだろ!?」
小平太と新介が必死で腕を押さえつける。
利家ははっとして「す、すまん」と藤吉郎を放した。
咳き込んだ後、深呼吸を繰り返す藤吉郎。
「わ、悪かった。つい、俺、頭に血が上って……」
「いえ、良いんです……それよりも、話さないといけないことがあります」
呼吸を整えて、ようやく声が出せた藤吉郎。
それから「それがしは、笄というものを知りません」と言う。
「百姓の出なので、よく分からないので、聞きました」
「……ああ。その黒くて細長いものだ。でもどうして外見を知っている?」
「庭で雑用していたときに、見たのです。その、笄を持っている人を……」
利家は自分が冷静さを欠いているのが分かっている。
だがどうしても「誰だそいつは!」と怒鳴ってしまうのを止められない。
「言え! そいつは誰だ!」
「その方は――」
利家の迫力の圧されながら、藤吉郎は必死に絞り出した。
「――拾阿弥殿、です」
利家の中で、何かが切れてしまった。
その場にいる全員が、得体の知れない恐怖を感じた。
利家は清洲城中に響く大声で叫んだ。
「――拾阿弥ぃいいいいいいいい!」
利家が城に出仕しようとしていたとき、一緒に仕度をしていたまつが「あの、利家……」と何か言いたげに声をかけた。
「どうしたんだ? 忘れ物でもあったか?」
「……利家に持っていてほしいものがあるのです」
「これは……?」
着物の袂からまつが取り出したのは、古いが見事な細工が施された黒の笄だった。
笄とは元々髪飾りではあるが、小柄、目貫と三所物と呼ばれる刀の装飾品でもある。
「私の父の形見です。是非、利家に持ってもらいたいと思いまして」
「そんな大切なものを……いいのか?」
まつは穏やかに微笑んで「ええ、良いのです」と言う。
利家に全幅の愛情を抱いているような笑みだった。
「私だと思って、ずっと。ずっとずっと。ずっとずっとずっと――持っていてくださいね」
「ああ、もちろんだ! 大切にするさ。ありがとう、まつ!」
感極まって抱きついた利家には、まつの『もし失くしたら死のう』と思っている表情が見えなかった。そして抱き締められたまつは蕩けた顔になり、抱き締め返した。
清洲城に登城した利家は同じ馬廻りの毛利新介と服部小平太にその話をした。はっきり言ってしまえば惚気だが、話を聞いている二人はまつの性格を知っているので、どこか怪談を聞いている心地をしていた。
「お、おおう。そうか……」
「良かったな、利家……大事にしろよ……」
「うん? なんでそんな微妙な顔しているんだ?」
不思議そうな顔をしている利家を余所に「それで、その笄はどこにあるんだ?」と小平太が訊ねた。刀には笄が飾られていない。
利家は「懐に入れてある」と布に包んだ箱を見せる。
「お守りにしようと思って。それに付けて何かの拍子に傷ついたら嫌だしな」
「まあな。まつさんが危ないし」
「うん? まつがどう危ないんだ?」
うっかり口を滑らせた小平太を小突きながら「なんでもねえよ」と新介は誤魔化した。
首を傾げる利家に新介は「そろそろ、兵の訓練の時間じゃないか?」と指摘した。
「森殿と一緒に訓練するんだろう? 遅刻しちまうぞ?」
「そうだな。それじゃ、笄を仕舞ってから行くか」
そんなに大事なのかと二人は顔を見合わせた。あの奥さんに愛情を注げるのは単純に凄いと各々感じていた。
利家は二人と別れて、訓練で使う武具の部屋へ向かう。そこに仕舞っておくつもりだった。
しかし、三人の会話を隠れて盗み聞きをしている者がいるとは、誰も思わなかったのである。
◆◇◆◇
森可成と一緒に兵の訓練を終えた後、個人的に槍の稽古を見てもらった利家。
汗を手拭いで拭きつつ、可成にも笄の話をしていた。
可成は心得たもので、小平太たちと違ってまつの異常な愛情を聞いても表情に出さない。
「そうですか。良き宝物をいただきましたね」
「兄いに言われると嬉しいな。ありがとよ」
そんな会話をしていると、鉄砲大将の滝川一益がこちらに歩いてくるのが見えた。
利家が「よう、滝川殿」と片手を挙げて声をかけた。
一益も「元気そうだな」と挨拶を返した。
「森殿も。二人は兵の訓練を終えたのか?」
「そうですね。滝川殿はこれから鉄砲指南ですか?」
「そのとおりだ。織田家は鉄砲を重視してくれる。やりがいがあるな」
一益は利家に「そういえば、お前の兄と俺の一族の女が結婚する予定だったな」と言う。
「これで名実ともに、親類となったわけだ」
「そうだな。利久兄は病弱だから、養子を迎えることができて良かった」
「慶次郎は利発で腕白な子だ。苦労すると思うが、よろしく頼む」
それから会話を続けた後、一益と別れた利家と可成。
武具置き場に着くと鎧を脱ぎ、置いていた着物に着替える――
「あ、あれ? おかしいな……」
「どうかしましたか?」
利家が目に見えて動揺しているのを可成が慮って声をかける。
顔が蒼白となっていて、今にも倒れそうだった。
「こ、笄が……ない……」
「なんですって? よく探したのですか?」
「ちゃんと着物と一緒に置いたのにない!」
半狂乱になってあちらこちらを探し回る利家に「少し落ち着きなさい」と可成は肩に手を置いた。それでも乱雑に手を動かし続ける利家。
「ちょっと目を離しただけだろ!? なんでないんだよ!?」
「落ち着いて、落ち着いて! ……誰かが持っていったのかもしれませんよ」
可成は明言しなかったが、利家は「誰かが盗んだのか!?」と大声で吼えた。
すぐさま着替え終えて、武具置き場を出て行く利家。
まだ半裸だった可成は「ま、待ちなさい!」とはだけた格好で出る。
「森様!? ……うっ」
「あ、ちょっと!? 倒れないでください!」
部屋を出た瞬間、美男子である森の半裸姿を見た女中が、興奮して気絶してしまった。
女中を支えながら「どなたかいませんか!?」と大声で助けを求める。
その隙に利家はどこかへ行ってしまった。
◆◇◆◇
「はあ!? 笄が無くなった!? いや、知らねえよ!」
「俺だって知らない! ましてや盗んでなんかいねえよ!」
利家は自分の笄の在り処を知っていた小平太と新介を詰問したが、二人とも知らないと言い張った。その騒動で人が集まっているが、利家の怒りで近づくことができず、遠巻きに見ているだけだった。
「……どうやら本当みたいだな。目が嘘を言ってねえ」
激怒した利家に正座で応じる小平太と新介。彼らが嘘をついていないと分かると「悪かった」と利家は謝罪した。
二人はやってもいない罪で殴られるのかと冷や冷やしていたが、誤解が解けてほっと一安心した。
「だが笄のことを知っているのは、お前らだけだ。可成の兄いは誰にも話していない……」
「お、俺だって話してねえよ!」
「俺もだ! 話して何になるんだよ!?」
再び疑いの目を向けた利家に、必死に弁解する二人。
そうこうしている内に「あのう……」と利家に声をかける者が現れた。
「あん? 藤吉郎か……てめえ、何か知っているのか?」
声をかけたのは木下藤吉郎だった。激怒している利家に話しかけるのはなかなか度胸の要る行為だが、心当たりがあるのに言わないのはどうかと思ったので、勇気を出して言った。
「その笄とは、黒くて細長いものですか?」
「――知っているのか!?」
利家が藤吉郎に食ってかかった。襟元を掴んで恐ろしい顔で詰問する。
藤吉郎は「く、苦しい……」と喋れなかった。顔が青くなっている。
「おいやめろ! 死んじまうぞ!?」
「落ち着けって! そいつが盗んだわけじゃねえだろ!?」
小平太と新介が必死で腕を押さえつける。
利家ははっとして「す、すまん」と藤吉郎を放した。
咳き込んだ後、深呼吸を繰り返す藤吉郎。
「わ、悪かった。つい、俺、頭に血が上って……」
「いえ、良いんです……それよりも、話さないといけないことがあります」
呼吸を整えて、ようやく声が出せた藤吉郎。
それから「それがしは、笄というものを知りません」と言う。
「百姓の出なので、よく分からないので、聞きました」
「……ああ。その黒くて細長いものだ。でもどうして外見を知っている?」
「庭で雑用していたときに、見たのです。その、笄を持っている人を……」
利家は自分が冷静さを欠いているのが分かっている。
だがどうしても「誰だそいつは!」と怒鳴ってしまうのを止められない。
「言え! そいつは誰だ!」
「その方は――」
利家の迫力の圧されながら、藤吉郎は必死に絞り出した。
「――拾阿弥殿、です」
利家の中で、何かが切れてしまった。
その場にいる全員が、得体の知れない恐怖を感じた。
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