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堺の商人
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成政は多くの人々でごった返している堺の町を見て驚いた。尾張国の清州の町も盛況であったが、これほどまでは賑わっていなかった。流石、戦国乱世における日の本一の商業都市であると感心までした。
周りを水堀で囲っているのは、外敵から身を守るためだと未来知識で知っていた。三好家の庇護下にあるとはいえ、堺を牛耳る会合衆には独自の武力があると成政は考えた。これは一筋縄ではいかないと気を引き締めた。
実際のところ、成政は堺の雰囲気に飲まれてしまった。前世の記憶があるとはいえ、活気ある都市を見たのが久しぶりなのだから仕方がないと言えばそれまでだが。
成政は事前に会合衆の商人へ書状を送っている。塩屋宗悦という堺でも羽振りのいいと噂されている者だ。彼はこの者なら借金の申し入れには最適だと思っていた。それは彼の知る歴史上に名を残した商人を相手取るより簡単だと判断したからだ。
しかし、その目論見は大きく外れることになる。
「松平家家臣、佐々成政様ですか? おかしいですね、ご来訪されるとは、大旦那様から伺っておりませんが……」
「なに? そんなはずはない。確認してくれ」
塩屋の店に着いた成政は困惑した。まさか書状が届いていないわけではないだろうと考えて、塩屋宗悦本人を呼んでもらおうと手代の男に頼んだ。それからしばらくして、手代は「大旦那様はお会いにならないそうです」と恐縮した顔で断りを入れてきた。
「何故だ? 理由を聞かせてくれ」
「その、三河国の岡崎城主では、会っても意味がないと……」
「…………」
成政は納得が半分、不服が半分な気持ちになった。
城主とはいえ、一国を支配下に収めていない松平家では話すら聞いてもくれない。
話すだけ無駄と判断したのかと思うと、怒りが湧いてくる。
「……そうか。邪魔したな」
成政は怒りに任せることなく、店から出た。
利家ならば手代に「いいから塩屋を出せ馬鹿野郎!」と怒鳴るところであるが、傲慢な商人は先が長くないなと感じた成政は失望のほうが大きかった。
「さて。これからどうするか……」
このまま三河国に帰れない。何のために摂津国の堺まで来たのか。観光ではなく交渉のために来たのだ。だから一定の成果が出なければ、元康に合わせる顔がない。
「もし。お武家様。一つよろしいですか?」
腕組みして悩んでいる成政に話しかけたのは、四十代の身なりのいい商人だった。柔和な顔つきで小豆色の着物を纏っている。傍には数人の部下を控えさせていて、ただ者ではない空気を醸し出していた。
「何用か?」
「先ほどの会話が耳に入りまして。よろしければ詳しい話をお聞かせいただければ」
「……松平家の者と聞いてか。目的はなんだ?」
成政の慎重な問いにその商人は「目的というより、勘でございます」と頭を下げた。
「あなた様から良き話が聞けそうだと思いました」
「名はなんと申す?」
「ああ、申し遅れました。手前は――」
柔和な笑みを湛えながら、商人は名を述べた。
「――今井宗久と申します」
「な、なんだと……?」
成政は驚きを禁じ得なかった。
まさか、戦国時代を代表する商人と出会うとは――
◆◇◆◇
成政は今井宗久が鹿などの皮製品で財を成した商人であり、会合衆の一員であることは、前世の知識と今の噂で知っていた。
だからこそ、今は会いたくない人物だった。いくら未来知識を持っているからとはいえ、今井宗久が求めるものが何なのか分からない。武田家家臣、長坂釣閑斎の場合は彼の望んでいる状況を差し出すことで上手くいったのだ。
今井宗久の口車に乗せられて、豪邸と言ってもいい屋敷に来てしまったのは、成政にしてみれば不本意である。これならば先に伊賀の里で忍びを数人雇い入れたほうが良かったと後悔していた。
「塩屋殿は確実な儲け話でないと、乗らぬお方です」
湯飲みに入ったお茶を差し出しながら、今井宗久は言う。てっきり茶道の茶でもふるまわれると思い、成政は身構えていたがそんなことはないようだった。彼の不慣れを察知したのかもしれない。
「ですので、最近独立を果たした松平様の家臣であらせられる、佐々様のお話は聞くことはないでしょう」
「ならば、あなたは聞く気が何故ある? 今井宗久殿」
「手前は一度話を聞いてから、判断します」
慎重と言うべきか、はたまた気が長いと言うべきか、分からないなと成政は思った。
一口茶を啜って、成政は「私がやろうとしていることは岡崎の発展だ」と話し始める。
「綿花を使った、三河木綿の大量生産。それを可能とするには、どうしても大量の銭が必要だ」
「どのくらい、必要ですか?」
「――二万貫」
あっさりと目も眩むような額を述べた成政に対し、今井宗久は「なるほど」と一言だけ返した。その程度の銭などはした金に過ぎないという表情。
「私が考えている方法とは――工場制手工業だ」
「聞き慣れぬ方法ですね」
「まず大きな工場、つまり生産場を作り、そこで雇った者を工程ごとに分ける。いわゆる分業だ」
「製糸と紡績などを一人ではなく、何人に分けて行なうと?」
「そのとおりだ」
今井宗久は「確かにそのやり方ならば、仕事の覚えも早いですね」と感心した。
「それを行なうには銭が必要だ。工場を建てる銭。民を雇う銭。今井宗久殿。もし二万貫を貸せるなら、貸してほしい」
「……一つお訊ねしてもよろしいですか?」
成政は工場制手工業の不備が頭に入っていた。それを解決する方法も考えている。
しかし今井宗久の問いはそれらではなかった。
「手前どもが工場制手工業を真似る可能性を考えなかったのですか? そのようにお話になられて」
「…………」
「そういったことは内密にするべきでは? ましてや会ったばかりの手前ですよ?」
ここが岐路であると成政は感じた。策を不用心に話す愚か者と見られたら、今井宗久から何も得ることはできないだろう。
けれど、この状況は塩屋と話すと決めたときから、成政は想定していた。
「堺の商人である、今井宗久殿に話しても、私は何ら困らない」
「どういう意味でございます?」
「工場制手工業は、大きな工場を建てることが前提となる。しかし、店がひしめく堺の町にそんな大きな空き地があると思えない」
その指摘に今井宗久は黙ってしまった。
すかさず成政は「水堀を埋めて土地でも広げるか?」と追撃した。
「最近独立を果たし、土地をこれから手に入れられる松平家だからこそ、できる内政策だ。こればかりは商人の寄り合いである会合衆には無理な話だろう」
「…………」
「何か反論や意見はあるか?」
今井宗久は深いため息をついて「参りましたな」と苦笑した。
「これでは、松平様に投資するしかありませんな」
「ほう。借金ではなく、投資と来たか」
「ええ。貸し借りではなく、協力させていただきたいのですよ」
成政はここでも慎重を期して「その心はなんだ?」と問う。
今井宗久は「はっきりと申させていただければ」と答える。
「松平様ではなく、あなた様に投資がしたいのです」
「……青田買いもいいところだ。いや、買い被りと言っておくべきか」
「ふふふ。どうとっていただいても構いません」
成政はそこで違和感を覚えた。
どこか今井宗久の手のひらで転がされている気分だったからだ。
「……ところで、塩屋の店の前にいたが、何の用だったんだ?」
「決まっているでしょう。あなた様をお待ちしていたのですよ」
一瞬、あっけにとられた成政だったが、次の刹那で気づく。
「まさか、塩屋が私に会おうともしなかったのは、お前の差配か!?」
「ご明察です」
優位に進めていた交渉のつもりだったが、盤上をひっくり返された心地になる成政。
「佐々様が何か新しいことをおやりになると噂がありましてね。ですので、塩屋殿に頼んで譲ってもらったのです。ふふ、名物を一つ失った甲斐がありました」
「……狡い真似をするじゃあないか」
「それで、どうなさいますか?」
成政はしばらく今井宗久を睨んでいたが、結局は「分かった、飲もう」と受け入れた。
「二万貫、すぐに用意できるか?」
「ええ。無論です」
「……いい勉強になった。礼を言う」
成政は未来の知識を使えばどんな交渉や戦いでも有利に進められると思っていた。
だが、戦国乱世に生きる者の強かさを考慮していなかった。
「これにて、商談は終わりですね」
今井宗久は手を叩いた。
襖が開けられて、茶室が現れる。
名物と思われる茶釜から湯気が立ち上っていた。
「湯も沸きましたし、お茶でもいかがでしょうか?」
周りを水堀で囲っているのは、外敵から身を守るためだと未来知識で知っていた。三好家の庇護下にあるとはいえ、堺を牛耳る会合衆には独自の武力があると成政は考えた。これは一筋縄ではいかないと気を引き締めた。
実際のところ、成政は堺の雰囲気に飲まれてしまった。前世の記憶があるとはいえ、活気ある都市を見たのが久しぶりなのだから仕方がないと言えばそれまでだが。
成政は事前に会合衆の商人へ書状を送っている。塩屋宗悦という堺でも羽振りのいいと噂されている者だ。彼はこの者なら借金の申し入れには最適だと思っていた。それは彼の知る歴史上に名を残した商人を相手取るより簡単だと判断したからだ。
しかし、その目論見は大きく外れることになる。
「松平家家臣、佐々成政様ですか? おかしいですね、ご来訪されるとは、大旦那様から伺っておりませんが……」
「なに? そんなはずはない。確認してくれ」
塩屋の店に着いた成政は困惑した。まさか書状が届いていないわけではないだろうと考えて、塩屋宗悦本人を呼んでもらおうと手代の男に頼んだ。それからしばらくして、手代は「大旦那様はお会いにならないそうです」と恐縮した顔で断りを入れてきた。
「何故だ? 理由を聞かせてくれ」
「その、三河国の岡崎城主では、会っても意味がないと……」
「…………」
成政は納得が半分、不服が半分な気持ちになった。
城主とはいえ、一国を支配下に収めていない松平家では話すら聞いてもくれない。
話すだけ無駄と判断したのかと思うと、怒りが湧いてくる。
「……そうか。邪魔したな」
成政は怒りに任せることなく、店から出た。
利家ならば手代に「いいから塩屋を出せ馬鹿野郎!」と怒鳴るところであるが、傲慢な商人は先が長くないなと感じた成政は失望のほうが大きかった。
「さて。これからどうするか……」
このまま三河国に帰れない。何のために摂津国の堺まで来たのか。観光ではなく交渉のために来たのだ。だから一定の成果が出なければ、元康に合わせる顔がない。
「もし。お武家様。一つよろしいですか?」
腕組みして悩んでいる成政に話しかけたのは、四十代の身なりのいい商人だった。柔和な顔つきで小豆色の着物を纏っている。傍には数人の部下を控えさせていて、ただ者ではない空気を醸し出していた。
「何用か?」
「先ほどの会話が耳に入りまして。よろしければ詳しい話をお聞かせいただければ」
「……松平家の者と聞いてか。目的はなんだ?」
成政の慎重な問いにその商人は「目的というより、勘でございます」と頭を下げた。
「あなた様から良き話が聞けそうだと思いました」
「名はなんと申す?」
「ああ、申し遅れました。手前は――」
柔和な笑みを湛えながら、商人は名を述べた。
「――今井宗久と申します」
「な、なんだと……?」
成政は驚きを禁じ得なかった。
まさか、戦国時代を代表する商人と出会うとは――
◆◇◆◇
成政は今井宗久が鹿などの皮製品で財を成した商人であり、会合衆の一員であることは、前世の知識と今の噂で知っていた。
だからこそ、今は会いたくない人物だった。いくら未来知識を持っているからとはいえ、今井宗久が求めるものが何なのか分からない。武田家家臣、長坂釣閑斎の場合は彼の望んでいる状況を差し出すことで上手くいったのだ。
今井宗久の口車に乗せられて、豪邸と言ってもいい屋敷に来てしまったのは、成政にしてみれば不本意である。これならば先に伊賀の里で忍びを数人雇い入れたほうが良かったと後悔していた。
「塩屋殿は確実な儲け話でないと、乗らぬお方です」
湯飲みに入ったお茶を差し出しながら、今井宗久は言う。てっきり茶道の茶でもふるまわれると思い、成政は身構えていたがそんなことはないようだった。彼の不慣れを察知したのかもしれない。
「ですので、最近独立を果たした松平様の家臣であらせられる、佐々様のお話は聞くことはないでしょう」
「ならば、あなたは聞く気が何故ある? 今井宗久殿」
「手前は一度話を聞いてから、判断します」
慎重と言うべきか、はたまた気が長いと言うべきか、分からないなと成政は思った。
一口茶を啜って、成政は「私がやろうとしていることは岡崎の発展だ」と話し始める。
「綿花を使った、三河木綿の大量生産。それを可能とするには、どうしても大量の銭が必要だ」
「どのくらい、必要ですか?」
「――二万貫」
あっさりと目も眩むような額を述べた成政に対し、今井宗久は「なるほど」と一言だけ返した。その程度の銭などはした金に過ぎないという表情。
「私が考えている方法とは――工場制手工業だ」
「聞き慣れぬ方法ですね」
「まず大きな工場、つまり生産場を作り、そこで雇った者を工程ごとに分ける。いわゆる分業だ」
「製糸と紡績などを一人ではなく、何人に分けて行なうと?」
「そのとおりだ」
今井宗久は「確かにそのやり方ならば、仕事の覚えも早いですね」と感心した。
「それを行なうには銭が必要だ。工場を建てる銭。民を雇う銭。今井宗久殿。もし二万貫を貸せるなら、貸してほしい」
「……一つお訊ねしてもよろしいですか?」
成政は工場制手工業の不備が頭に入っていた。それを解決する方法も考えている。
しかし今井宗久の問いはそれらではなかった。
「手前どもが工場制手工業を真似る可能性を考えなかったのですか? そのようにお話になられて」
「…………」
「そういったことは内密にするべきでは? ましてや会ったばかりの手前ですよ?」
ここが岐路であると成政は感じた。策を不用心に話す愚か者と見られたら、今井宗久から何も得ることはできないだろう。
けれど、この状況は塩屋と話すと決めたときから、成政は想定していた。
「堺の商人である、今井宗久殿に話しても、私は何ら困らない」
「どういう意味でございます?」
「工場制手工業は、大きな工場を建てることが前提となる。しかし、店がひしめく堺の町にそんな大きな空き地があると思えない」
その指摘に今井宗久は黙ってしまった。
すかさず成政は「水堀を埋めて土地でも広げるか?」と追撃した。
「最近独立を果たし、土地をこれから手に入れられる松平家だからこそ、できる内政策だ。こればかりは商人の寄り合いである会合衆には無理な話だろう」
「…………」
「何か反論や意見はあるか?」
今井宗久は深いため息をついて「参りましたな」と苦笑した。
「これでは、松平様に投資するしかありませんな」
「ほう。借金ではなく、投資と来たか」
「ええ。貸し借りではなく、協力させていただきたいのですよ」
成政はここでも慎重を期して「その心はなんだ?」と問う。
今井宗久は「はっきりと申させていただければ」と答える。
「松平様ではなく、あなた様に投資がしたいのです」
「……青田買いもいいところだ。いや、買い被りと言っておくべきか」
「ふふふ。どうとっていただいても構いません」
成政はそこで違和感を覚えた。
どこか今井宗久の手のひらで転がされている気分だったからだ。
「……ところで、塩屋の店の前にいたが、何の用だったんだ?」
「決まっているでしょう。あなた様をお待ちしていたのですよ」
一瞬、あっけにとられた成政だったが、次の刹那で気づく。
「まさか、塩屋が私に会おうともしなかったのは、お前の差配か!?」
「ご明察です」
優位に進めていた交渉のつもりだったが、盤上をひっくり返された心地になる成政。
「佐々様が何か新しいことをおやりになると噂がありましてね。ですので、塩屋殿に頼んで譲ってもらったのです。ふふ、名物を一つ失った甲斐がありました」
「……狡い真似をするじゃあないか」
「それで、どうなさいますか?」
成政はしばらく今井宗久を睨んでいたが、結局は「分かった、飲もう」と受け入れた。
「二万貫、すぐに用意できるか?」
「ええ。無論です」
「……いい勉強になった。礼を言う」
成政は未来の知識を使えばどんな交渉や戦いでも有利に進められると思っていた。
だが、戦国乱世に生きる者の強かさを考慮していなかった。
「これにて、商談は終わりですね」
今井宗久は手を叩いた。
襖が開けられて、茶室が現れる。
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