利家と成政 ~正史ルートVS未来知識~

橋本洋一

文字の大きさ
152 / 182

捨てておけねえよ

しおりを挟む
 ごおんごおんと寺の鐘が鳴る。
 同時に大勢の一向宗が経を唱えていた。
 あまりに多すぎる人の群れ、そして行軍によって地面が揺れる。

 織田家が三好家を攻めていたとき、背後から一向宗が襲い掛かった――多すぎる軍勢は、遠目から見たら津波のように迫りくる。

 本陣の中で次々と被害の報告を受ける信長。
 その表情は怒りと困惑に彩られていた。
 何故、本願寺が今になって動いた? 誰が描いた絵図なのだ?

 様々な考えが交錯する中、信長は決断を迫られていた。
 このまま戦うか、それとも退くか――

 姉川の戦いで大勝したが、未だに浅井家と朝倉家は健在である。
 さらに言えば、本願寺が織田家の敵に回ると、二家と同盟を組む可能性がある。
 そうなれば――京が危ない。

 朝倉家が治める越前国は一向一揆が盛んだ。しかし、本願寺がそれを抑える代わりに、京へ攻め立てろと盟約を結んだら――朝倉家は思う存分、領国から離れて進軍ができる。つまり京並びに畿内を攻めることができるのだ。

 それ故に、戦うべきか退くべきか、信長は迷っていた。
 無論、浅井家と朝倉家の進軍を止め、京を守ることは必須だ。
 けれども、今退却すれば――本願寺の追撃を受けてしまう!

「くそっ! 四面楚歌とはこのことか!」

 信長は怒声を発するが、抑える者はいない。
 全員、全ての状況が分かっていたからだ。

「恐れながら殿、ここは京へ退くことを提案いたします」

 提案したのは柴田勝家だった。
 音に聞こえた鬼柴田だが、この状況を危ういと考えていた。
 信長は「本願寺を叩かねば退却できん」と柴田を見る。

「だがあやつらには雑賀衆が味方している。そのせいで我が軍は大打撃を受けた」

 敵に回せば確実に負けると評された、傭兵集団の雑賀衆。
 それも退却できない理由の一つだった。

「このまま留まっていれば、さらなる被害を受け続けます」
「それも分かっている……」

 二人が話しているのを諸将は黙って聞いている。
 そこへ赤母衣衆筆頭の利家が本陣に入ってきた。

「利家。敵の様子はどうなっている?」
「一時的に小休止、といった感じですね。本願寺の野郎、余裕綽々だ」

 身体中、傷だらけで鎧に矢も刺さっている利家。
 疲れてはいるが、まだまだ戦えそうな気力はある。
 信長は利家が特別そうなだけで、他の兵は疲れ切っていると分かっていた。

「このままでは退けぬな……」
「殿。京に浅井家と朝倉家が進軍したら、狙われるのは宇佐山城ですぞ」

 柴田が必死になって説得しているのは、宇佐山城が心配だったからだ。
 もっと言えばそこの城主である森可成が気がかりだったのだ。
 あの男は大軍に攻められても、決して退かない――

「宇佐山城って、可成の兄いがいるところですよね? 狙われるってどういうことですか?」

 利家は状況がよく分かっていないようだ。
 信長は「今、本願寺だけ攻められているわけではない」と語る。

「この機を逃さず、浅井家と朝倉家も攻めてくるだろう。その目標は京だ」
「だ、だったら、一刻も早く退却して、宇佐山城の守りを固めないと――」

 その意見に柴田も頷いた――のだが。

「宇佐山城は、捨てる」

 信長の冷えた声音。
 これには利家と柴田も、そして諸将も沈黙してしまう。

「捨てるって、どういうことですか? 可成の兄いの城ですよ?」
「……二度言わすな」

 利家はゆっくりと信長に近づく――柴田が羽交い絞めして止めた。

「利家! 何を考えている!?」
「それは、こっちの台詞ですよ! 可成の兄いを見捨てるなんて、殿はできるんですか!」

 暴れる利家に柴田は力を込めて押さえている。
 諸将も利家を止めようと手足を握る。

「可成の兄いは殿に忠誠を尽くしてきたじゃないですか! それを見捨てるなんて、俺ぁ許さねえぞ!」
「利家! 俺だって同じ気持ちだ!」

 信長は立ち上がって、利家を睨みつけた。
 険しい顔をしている――しかし、利家には泣いているように見えた。

「援軍を送ることはできん! かといって退却もできん! 俺にはもはや手はない!」
「殿! それでもなんとか――」
「本願寺に和睦の使者を送ったが、門前払いを食らった! その上でできることはないのだ!」

 利家は唇を噛み締めた。
 可成を見捨てる決断をした信長が一番つらいことは分かる。
 しかし、他に手立てはないのか?
 このがんじがらめな状況を打破する方法なんて、考えつくのだろうか?

 答えは――否だった。
 信長は主君である。そして可成は家臣だ。
 主君のために家臣が死ぬのはよくある話だと割り切るしかない。

「利家、分かってくれ……」

 最後は弱々しく、まるで童のようにうな垂れた信長。
 そんな姿を見て利家は――

「……殿。赤母衣衆を使わせてください」

 覚悟を決めた利家。
 信長と柴田、そして諸将はハッとする。

「俺たちだけでも援軍に行く。それが駄目なら一人でも行く」
「馬鹿なことを言うな! そんな少数の兵を連れても意味がない! お前が討ち死にするだけだぞ――利家!」

 柴田が叱ったけれど、それでも利家は止まらない。
 逆に「殿は見捨てる判断をしたけどよ」と呟く。

「可成の兄いは俺の兄貴分なんだ。実の兄弟と同じさ。そんな人を――人として捨てておけねえ」
「利家……」

 柴田と諸将は彼から手を放した。
 じっとこちらを睨む信長に利家は「それに可成の兄いだけ死なせるわけにはいかないですよ」と乾いた笑みを見せた。

「死ぬなら一緒に死んでやりてえ。ま、俺は簡単には死なねえけど」

 そう言い残して本陣から出ようとする利家。
 その後姿に、信長は「いいだろう」と許可を出した。

「赤母衣衆を使ってもいい。だがな、利家」
「……なんでしょうか?」

 信長は振り返らない利家に言う。

「決して、命を無駄にするな。生きて帰ってこい」
「……その言葉、可成の兄いにも伝えます」

 さっと本陣から出た利家。
 信長はその場に座り込み「うつけが……」と呟いた。

「お前も可成も、得難い男だ。失いたくない。しかし、そうせねばならぬのだ」
「殿……」

 かつて己の息子を殺した男を、柴田は憐みの顔で見つめていた。


◆◇◆◇


「宇佐山城に行くのか。利家さん」

 赤母衣衆の半数を率いて、利家は陣から離れようとしているとき、話しかけたのは佐脇利之だった。彼は利家から残るように言われたのだった。

「ああ。可成の兄いを助けに行く」
「たった五百の兵で? 犬死にする気かよ」
「俺ぁ死ぬつもりねえよ」

 利之は冷静に「だったらどうして俺に託すとか言うんだよ」と問い詰める。

「自分が死んだら俺に引き継ぐようにって、毛利殿が言っていたぜ」
「……新介の野郎、内緒だって言ったのによ」
「死ぬつもりなら行くなよ。ていうか生きて帰ってこい」

 自分を嫌っている弟の意外な言葉に、利家は「お前、俺に生きてほしいのか?」と不思議そうに言う。

「当たり前だろう。まだあんたに勝ってねえからな」
「…………」
「勝ち逃げは許さねえよ」

 利家はにやにや笑って「じゃあ一生勝ち続けたら生きてほしいって思うのか?」と意地悪そうに言う。
 利之は「やっぱり死ね」と冷たく言い放った。

「人がせっかく心配しているのに、冗談を言うな」
「悪かったよ。それじゃ、行ってくる」

 馬にまたがり、利家は赤母衣衆の先頭に立つ。
 まるで昔を思い出すやり取りだなと利之は懐かしく思った。

「早く帰ってこい! こっちも厳しい戦いになるんだからよ!」
「ああ! さくっと浅井家と朝倉家を倒してくらあ!」

 利家は意気揚々と宇佐山城へ進軍した。
 対して、本願寺は追撃しなかった。
 向かい合う織田家本軍がそれを許さなかったのだ。
 そう指示をしたのは、信長だった――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!

くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作) 異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...