眼鏡

松野井奏

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眼鏡

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つまらぬ男だと言われてきた。タバコも酒もやらぬ、競馬やパチンコなど論外だ。やや癖のある髪を七三になでつけ、眼鏡をかけ、役人のような見た目をしている。顔立ちは悪くないが、なぜだか印象に残らない。十人に訊けば、十人が「眼鏡の男だった」と答えるだろう。少々、冷徹にすら見える眼鏡を、彼自身は気に入っていた。賢そうに見えるけれども、見た目ほど賢いわけではなかった。だが、ハッタリを効かせるには十分だ。
小綺麗な喫茶店は静かだ。いやに白い蛍光灯の下で、いやに白い顔をして、本を読みふけっている。本に注がれる視線は冷ややかに見えるが、彼は読書が好きだった。作家になりたいとすら、望んでいたほどだ。その夢を諦めたのは、自分がつまらない男だったからに他ならない。自分には到底書くことのできない作品を、一文字一文字追う作業は、自傷行為にも似ていた。日本文学は感傷的で、自己憐憫に満ちていて、読んでいると吐き気がした。同族嫌悪などではない。彼らは素晴らしい作家であるのだから。その高い芸術性が、自分には合わないのだろうと思った。男は、美しいだけの言葉が好きだった。花が薫るような詩や、女神が微笑むような小説が好きだった。
彼はまた、女も美しいだけのものを愛した。百合のように可憐な女だ。派手な美しさではなく、恥じらいのある可愛らしさでもなく、薫るような女らしさを持つ女を愛した。女は人形ではないので、美しいだけというわけにはいかない。男は、満足できる女に一人しか巡り会わなかった。妻である。人間は、見た目が美しくとも、口に出した言葉からその身が穢れていくことが多い。しかし、男の妻は、口にする言葉も花の如くであった。口元にはいつも花のような笑みを浮かべ、言葉を生み出せば生み出すほどに、彼女の美しさは絶対的になっていくように思われた。
カランカランとドアを開ける音がする。男の妻が、傘を2本もって現れた。彼女を一瞥すると、男は読んでいた詩集を閉じた。男に傘を差し出しながら、彼女は夕餉の献立を口ずさむように話す。傘に当たる雨の音が、彼女の声をやや聞き取りづらくする。家に着くと、玄関には、丁寧に畳まれた水色のバスタオルが二枚置いてあった。
キスするときには邪魔だな。彼は眼鏡を取った。
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みんなの感想(1件)

月夜
2020.10.20 月夜

なんとも言えない趣のあるショートショートですね。最後の数行に伝えたいことのすべてを注ぎ込んだような印象を受けました。文章にパワフルさを感じます。ら

2020.10.20 松野井奏

月夜様
感想をいただいたの初めてです。とても嬉しいものですね。ありがとうございます。
会社の後輩に「眼鏡をテーマに」と言われて、思いつきで書いてしまいました。
キャラクター設定と最後の一行のみ決めて、あとは勢いでした。
これからも頑張って書いていきたいと思います!ご感想、ありがとうございます!!

解除

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