都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第二章 巨星堕つ

11 トゥーレ倒れる

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「トゥーレ様の返事がないだって!?」

 ユーリがトゥーレの部屋に駆け付けたのは、すでに正午を回った午後のことだった。
 彼は仮眠をとった後、湯浴みをおこない、自室で遅い昼食を摂って人心地ついていた。
 トゥーレの側勤めからこちらの呼びかけに返事がないと連絡が来たのはそんなときだ。慌てて身なりを整えて駆けつけたところ、トゥーレの部屋の前ではオレクが扉を叩きながら呼びかけていた。

「ああ、先程から呼びかけてるんだが返事がないんだ」

 オレクが焦ったような声を上げる。
 彼は前日の戦闘で負った傷のせいで身体中に至るところ包帯だらけだったが、普段の行動には支障ないようだった。

「鍵は?」

「今、合鍵を取りに行かせてる」

 部屋は中から施錠されており、側勤めのひとりに合鍵を取りに行かせたところだという。

「トゥーレ様! ユーリです。開けてください!」

 ノックとともにユーリが呼びかけるが中からは返事がない。
 ドアに耳を当てて様子を窺うが、シンと静まり返ったままだ。

「まさか、刺客がまだ・・・・」

 ゆっくり眠れるよう部屋の入口だけに護衛を置き、それ以外は人払いしていたことが裏目に出たかも知れない。安心したところで襲撃を受けたのではと一同俄に色めき立つ。

「そんな筈はありません! 今朝から人の出入りはなく、おまけに部屋からは物音ひとつ立っていません!」

 ルーベルトの言葉に不寝番を務めていた騎士が慌てたように否定する。だが全員の緊張が高まるのには充分だった。

「ルーベルト、シルベストル様を呼んできてくれ!」

「分かった!」

 走り去っていくルーベルトを見送ると、改めて扉の前に立つ。
 もし襲撃なら合鍵を持った側勤めがやって来るのを悠長に待ってはいられない。

「どうするんだ?」

「蹴破る!」

 オレクの問いに短く答えたユーリは、言うが早いか勢いよく扉を蹴り上げる。
 流石のユーリでも一度で蹴り破ることは叶わなかったが、三度目の蹴りでようやく鍵が壊れ扉が勢いよく開いた。

「トゥーレ様!」

 寝室に飛び込んでいった彼らが目にしたのは、熱に浮かされるトゥーレの姿だった。額に玉の汗を浮かべ、熱により首まで真っ赤に染まり呼吸も浅く速い。

「凄い熱だ! 傷を確認してくれ!」

 首筋に当てた手を思わず引っ込めるほどの高熱だった。
 ユーリの言葉にオレクが布団を引っぺがす。

「こ、これは・・・・」

「酷い!」

 二人は思わず息を飲んだ。トゥーレの左肩が元の倍近くまで膨れ上がり、包帯には血が滲んでいたのだ。慌てて包帯を解いて傷口を確認すると、化膿した傷口には膿が溜まって赤黒く腫れ上がっていた。

「このままではやばい! おい、医者の手配を!! 早く!!!」

「は、はい!」

 不寝番を務めていた騎士が慌てて駆け出していく。

「オレク、手伝ってくれ! 膿を出さないと!」

「あ、ああ、どうすればいい?」

「トゥーレ様を抑えててくれ」

 若干青ざめてるオレクにそう声を掛けると、自らは短剣を引き抜いてランプの火にかざし始める。

「おい、おい、まさか!」

 ユーリの意図に気付いたオレクが血相を変えて叫んだ。

「そのまさかだよ。恐らく医者を待ってる時間はない。早くしないと全身に毒が回ってしまう。こんなこと平民出の俺たちじゃなきゃできんだろ?」

 ユーリはそう言いながらも短剣を火に炙り続けていた。
 彼の言う通りトゥーレを仕える対象として育ったルーベルトなどでは、今から行う処置は遠慮が勝ってしまい出来ないだろう。そもそも荒療治など選択肢に入らないかも知れなかった。
 やがて剣先が赤く発光し始めると、ユーリが覚悟を決めた表情でトゥーレの傍に立つ。オレクも青ざめた顔のまま覚悟を決めるように生唾を飲み込んだ。

「よ、よし。いいぞ!」

 トゥーレに丸めたシーツを噛ませると、オレクは若干腰が引けながら身体に覆い被さるようにトゥーレを押さえつける。
 ユーリはゆっくりと息を吐くと、トゥーレの左腕に赤熱した短剣を突き刺した。

―――ジュッ

「ん゛んんんん・・・・・」

 蛋白質の焼ける匂いが部屋に充満し、トゥーレが声にならない声を上げてオレクごと身体を仰け反らせる。
 傷口からは血に混じって黄白色のどろっとした膿が溢れシーツを汚していく。同時に大きく腫れ上がっていた左腕が、流れ出る膿の量と比例するように見る見るうちに元の太さに萎んでいった。

「ふぅ・・・・。とりあえずこれで大丈夫か? 後は医者に任せよう」

「そうだな。呼吸も落ち着いたようだし、ひとまずは安心だ」

 ホッと息を吐いた二人が、顔を見合わせて頷き合った。
 熱も引いてきたようで真っ赤だった顔色は少し赤みが残る程度になり、激しかった呼吸も落ち着き今は静かに寝息を立てて眠っていた。

「トゥーレ様!」

 シルベストルが勢いよく寝室の扉を開き、ルーベルトとともに駆け込んできたとき二人はまだトゥーレに覆い被さったままだった。

「あ・・・・」

 オレクが慌ててトゥーレから離れるが、入口の扉は壊されていてシーツは血と膿で汚れている。しかもトゥーレの口にはシーツが詰め込まれていた。極めつきにユーリはトゥーレの血がついた短剣を握りしめていた。状況的に二人は賊と何ら変わらない状況だったのだ。

「一体何をしておる!」

 シルベストルの目がすっと細められ、感情の消えた表情で二人を睨みつける。
 首筋に凍り付くような冷気が流れ込み、二人の背中を冷たい汗が伝っていった。

「し、シルベストル様、これはその・・・・」

「ちょっ、ご、誤解です!」

「何が誤解か! 其方らトゥーレ様に何をした!」

 絶望的に言い訳の聞かない状況だ。必死で言い繕おうとするがシルベストルは聞く耳持たず二人の前に歩を進める。

「二人共、そこになおれ!」

 そう言うと腰の剣に手を掛ける。
 ルーベルトや側勤めが必死で彼を止めようとするが、激高したシルベストルは誰も止められない。結局オリヤンが手配した医者がやって来て、ユーリたちの処置を褒めるまで彼の怒りが治まることはなかったのだった。



「お医者様のお話によると、ユーリ様とオレク様の処置がなければどうなっていたか分からないとの事で、お二人の手際を非常に褒めてらっしゃいました」

「そ、それで、トゥーレ様は大丈夫なのですか?」

 もどかしい様子でリーディアが尋ねる。
 ここは彼女の自室だ。
 トゥーレが倒れたと聞きいても立ってもいられず、セネイに頼んで様子を見てきて貰ったところだ。
 セネイたち側勤めは一晩ガハラで不安な夜を過ごした後、早朝にガハラを立ち昼頃にフォレスに戻ってきていた。
 そのまま休養を取らせようとしたリーディアだったが、彼女らはガハラで充分休めたからとそのまま仕事に就いていたのだ。

「リーディア様、落ち着いてくださいませ。トゥーレ様は大丈夫にございます。今はお薬でぐっすり眠られていますが、容態は落ち着いているようです。お目覚めになればお会いできる機会もございましょう」

 セネイは彼女を落ち着かせるようにゆっくりと語り、安心させるように微笑んだ。

「そう、よかった・・・・」

 リーディアはストンと椅子に腰を落とし、胸の前で手を組んでホッとしたように呟き、もう一度安心したように呟いた。

「本当によかった」

 トゥーレが倒れたのは自分を庇ったからだ。そう思い込んだ彼女は彼の安否が分かるまで自分を責め続けていたのだ。

「ですから、姫様も少しお休みになってください」

「でも」

「トゥーレ様がお目覚めになられたとき、今の姫様のお顔をトゥーレ様にお見せするのですか?」

「・・・・!」

 セネイの言葉に思わず手を頬に当てる。
 彼女は初めて人の生死を目の当たりにした影響で昨夜からほとんど眠れていなかった。部屋で目を閉じると凄惨な光景が蘇り眠ることができなかった。また起きてからも水以外食事は喉を通らず、無理矢理飲み込んでもその全てを吐き戻していたのだ。そのせいで彼女は頬が痩け、目の下には濃い隈ができていた。

「今は姫様もお休みになってくださいませ。お薬をご用意しました」

 セネイが飲み薬を差し出し、ニコリと微笑んだ。

「・・・・わかりました。ありがとうセネイ」

 リーディアはセネイから薬を受け取ると一息で飲み干し、そのままベッドに横になる。
 しばらく落ち着かない様子で寝返りを打っていたが、薬が効いてきたのかすぐに寝息を立て始めるのだった。
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