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第二章 巨星堕つ
41 父と娘
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トゥーレがカモフへと帰還していった後、その報告のためにリーディアはオリヤンの私室を訪れていた。
寝室のベッドの上でオリヤンはクッションに背中を預けていた。リーディアは報告するとベッドサイドのスツールに腰を下ろした。
「そうか、トゥーレ殿は無事にフォレスを発ったか」
娘の報告にオリヤンはホッとしたように呟いた。
ダニエルに領主の座を譲って一年が経ち、オリヤンはこの年七十歳を迎えた。
領主を譲ってからは張り合いがなくなったのか、急激に衰えが目立つようになってきていた。もちろん加齢によるところが大きかったが、去年エリアスに負わされた傷で暫く寝たきりとなったことが致命的だった。
傷は回復したものの足腰が弱ったことによって、急激に体力が落ち、それによって体調を崩すことが増えたのだ。そして夏を迎えた辺りからは、その暑さに抗うことができなくなってしまい殆ど寝たきりとなってしまった。
今も、ふとした拍子に咳き込んだオリヤンを、心配そうな顔を浮かべたリーディアが背中を摩っていた。暫くすると咳も落ち着いたオリヤンは、差し出された水差しで喉を湿らせると深くベッドに身を沈めた。
二メートルを超える巨躯を持つオリヤンだが、この一年で見る影もなく痩せ衰えてしまっている。
「お父様、ゆっくり休んで早く元気になってくださいませ」
リーディアは骨張った父の手を握ってそう告げると、母親のアデリナと目配せをして共に席を立った。
「リーディア・・・・」
オリヤンが弱々しい声でリーディアを呼び止めた。心なしかどこか甘えを含んでいるような声だ。握った手にも若干力が込められたようだった。
常に自信に溢れ、堂々としていた父がこうした姿を見せるのは珍しい。家族の前とはいえども今までは弱々しい姿を晒すことはなかったのだ。
リーディアはアデリナと顔を見合わせると、もう一度腰を下ろし父の手を両手で包み込むようにして語りかけた。
「お父様、どうされましたか?」
自分でも予想外のことだったのか、オリヤンは一瞬目を逸して軽く咳払いをするとリーディアの手を握り返し、誤魔化すように口を開いた。
「リーディアはいくつになった?」
「わたくしは十五になりました。もう立派な淑女ですよ。ですが娘といえど女性に年齢を尋ねるものではございません」
「そうか、すまんな。だがお前ももうそんなになるか・・・・」
リーディアの言葉に軽く目を見開くと苦笑しながら感慨深げに呟く。
オリヤンは四人の妻との間に五男二女の子宝を授かったが、エリアスとダニエルを産んだ妻は既に亡くなり、男女二人の子も育つことなく夭折している。リーディアは彼が五十歳を超えて生まれた娘であり、先に産まれた長女が成長するまでもなく亡くなっていたため、彼女が生まれると溺愛気味に可愛がった。
それまでは自分の子といえど多少距離を置いて接していたオリヤンも、幼いリーディアを膝に乗せ、彼女に請われるまま戦場の話を語って聞かせていた程だ。
街の子供と喧嘩して帰ってきた際も『幼いうちは少々お転婆な方がよい』と意に介さず、むしろ推奨していた時期もあったくらいだ。もっとも十歳を超えても、変わらず泥だらけになって帰って来る彼女にはほとほと手を焼いていた。本人が望んだことでもあるが、半ば押し付ける形でトゥーレに嫁がせたのは娘の望みを聞き入れたからだ。
彼女の希望で乗馬や剣術の訓練をする際も、オリヤン自らが訓練をつけるほどだ。
それと前後するように彼女も街で泥だらけになって遊ぶことはなくなり、同時に『けもの憑き』という噂もそれと共に薄れていった。
「リーディア。お前は、トゥーレの元に行きたいか?」
「もちろんですわ。お父様」
「ふっ、即答なのか」
間髪を入れず即答するリーディアに、オリヤンは思わず笑顔を浮かべる。
そんな父の様子にリーディアは頬を膨らませた。
「できることでしたら今すぐ鳥のように空を飛んででも、トゥーレ様の元へ行きたいと存じております」
「それほどなのか」
「もちろんですわ。わたくしが幼い頃よりトゥーレ様をお慕いいたしておりますのは、お父様もご存じのことでしょう?」
「それは知っているが・・・・」
二人の婚約から二年が経つ。
年に数回しか逢うことを許されず、トータルしても一緒に過ごした期間は三十日にも満たない。それでも周りが思う以上に二人の中は睦まじく、周りからは早く一緒にしてやってはどうかという意見も出ている程だ。オリヤンにも当然そうした思いはなくはないが、大事な娘を嫁がせるには大きな問題が横たわっていた。
オリヤンは下がっていた眉尻を上げると、冷酷な表情で告げる。
「お前の気持ちは知っている。だが、一年先にもトルスター家が今のまま存在するとは限らんぞ」
ドーグラス・ストールが攻略を目指していたポラーの掌握がほぼ決まり、いよいよカモフへの侵攻が現実味を帯びてきていた。
同盟を結んでいるとはいえ、こちらもゼメクと対峙しているためストール軍に対抗できるほどの援兵を出せる訳ではない。また行方を眩ませているエリアスの動向が分からないことも大きい。エリアスが守っていたレボルトには四男のヴィクトルを入れてゼメクに対抗しているが、万が一を考えればカモフに割ける兵は数千が限度になるだろう。
一方でウンダルもオリヤンから代替わりし、ダニエルが着々と自身の基盤を固めつつある。新政権の中で既にトゥーレと婚約が決まっているリーディアは、政略結婚の駒にも使えず宙に浮いた中途半端な立場だった。
表立って態度を示すことはなかったが、ダニエルにとっては駒として使えないリーディアは扱いにくい邪魔な駒でしかなく、嫁ぐならとっとと嫁がせてしまいたいと考えていた。
「あら、お父様はわたくしが心配ですか?」
「もちろんだ。お前は儂の唯一の娘だ。できることならいつまでも傍に置いておきたいくらいだ」
リーディアの言葉に、真剣な表情のまま冗談とも本気ともつかぬ口調で告げる。
「そうしますと、わたくし薹が立ってしまいますわ。トゥーレ様に捨てられてしまいます」
「それは流石に困るな」
冗談めかすリーディアに、さすがのオリヤンも苦笑を浮かべた。
彼女が幼い頃に初めてトゥーレに嫁ぐと聞かされた時は、嬉しそうに告げるリーディアを叱るに叱れず、オリヤンをして開いた口が塞がらなかった。
目の前の娘がいつか嫁いでいくということが、余りにもショックで暫く何も喉を通らなかった程だ。同時に自分自信に人並みに親の情があることを知って戸惑った事も事実だった。
オリヤンは若くしてミラーの騎士という称号を手にし、三十年近くに渡って活躍してきた。
最初の妻インドラは身体が弱く、エリアスを産んでからはほとんど起き上がれなくなってしまった。そのためフォレスに帰還する際には彼女を連れて行くことができず、彼女に懐いていたエリアスは寂しそうにしていたことも知っていた。だがオリヤンはエリアスに甘えさせることをせず、逆に厳しく接してしまった。それが反発を招いてしまったことも一因としてあるだろう。またダニエルやヨウコ、ヴィクトルに対しても接し方はそれほど変わらなかった。そのため彼らとの関係性は親子というより臣下に近い。
だがリーディアだけは違った。五十路を過ぎていたこともあったのだろう。オリヤンはそれまでと違って、幼い彼女を手ずから抱き上げ可愛がったのだ。リーディアもそんな父に懐いた。側近がハラハラしながら見守る中で、よく父によじ登って遊ぶ姿が見られたほどだ。
そのためだろう。彼も娘にだけは柔らかい表情を見せ、時には激甘と言えるほど甘やかすことがあったくらいだ。
息子たちを突き放すように厳しく接したことが、結果的に兄弟で対立させてしまったことは否めない。彼らの対立はもはや修復不可能で、衝突は時間の問題だろう。
頭を悩ませる問題が現実として迫る中で、唯一の希望と言えるのがリーディアだった。その娘がもう十五歳になったというのは感慨深かった。
そのリーディアが言葉を続ける。
「わたくしは、お父様にトゥーレ様との子供を抱いていただきたいと存じております。ですがそれと同時にお父様も心配で、お父様の傍を離れたくない気持ちもあるのです」
父が元気なうちにトゥーレとの子を儲け、その胸に抱いて貰いたいのも本心なら、今のまま弱った父を置いてカモフへ嫁ぐことができないのも本心だ。日によって揺れ動きどちらか一方に傾くことはあれど、完全に振り切ってしまうことはなかった。
「ふふ、そうか。ならばいつまでも寝込んでお前に心配かけてばかりはいられんな。儂もお前の子をこの手で抱いてみたくなったぞ」
そう言って笑うと彼女の頭をワシワシと撫で回した。
その一ヵ月後、ストランド家、トルスター家の双方から翌春のリーディア姫の輿入れが発表されたのだった。
寝室のベッドの上でオリヤンはクッションに背中を預けていた。リーディアは報告するとベッドサイドのスツールに腰を下ろした。
「そうか、トゥーレ殿は無事にフォレスを発ったか」
娘の報告にオリヤンはホッとしたように呟いた。
ダニエルに領主の座を譲って一年が経ち、オリヤンはこの年七十歳を迎えた。
領主を譲ってからは張り合いがなくなったのか、急激に衰えが目立つようになってきていた。もちろん加齢によるところが大きかったが、去年エリアスに負わされた傷で暫く寝たきりとなったことが致命的だった。
傷は回復したものの足腰が弱ったことによって、急激に体力が落ち、それによって体調を崩すことが増えたのだ。そして夏を迎えた辺りからは、その暑さに抗うことができなくなってしまい殆ど寝たきりとなってしまった。
今も、ふとした拍子に咳き込んだオリヤンを、心配そうな顔を浮かべたリーディアが背中を摩っていた。暫くすると咳も落ち着いたオリヤンは、差し出された水差しで喉を湿らせると深くベッドに身を沈めた。
二メートルを超える巨躯を持つオリヤンだが、この一年で見る影もなく痩せ衰えてしまっている。
「お父様、ゆっくり休んで早く元気になってくださいませ」
リーディアは骨張った父の手を握ってそう告げると、母親のアデリナと目配せをして共に席を立った。
「リーディア・・・・」
オリヤンが弱々しい声でリーディアを呼び止めた。心なしかどこか甘えを含んでいるような声だ。握った手にも若干力が込められたようだった。
常に自信に溢れ、堂々としていた父がこうした姿を見せるのは珍しい。家族の前とはいえども今までは弱々しい姿を晒すことはなかったのだ。
リーディアはアデリナと顔を見合わせると、もう一度腰を下ろし父の手を両手で包み込むようにして語りかけた。
「お父様、どうされましたか?」
自分でも予想外のことだったのか、オリヤンは一瞬目を逸して軽く咳払いをするとリーディアの手を握り返し、誤魔化すように口を開いた。
「リーディアはいくつになった?」
「わたくしは十五になりました。もう立派な淑女ですよ。ですが娘といえど女性に年齢を尋ねるものではございません」
「そうか、すまんな。だがお前ももうそんなになるか・・・・」
リーディアの言葉に軽く目を見開くと苦笑しながら感慨深げに呟く。
オリヤンは四人の妻との間に五男二女の子宝を授かったが、エリアスとダニエルを産んだ妻は既に亡くなり、男女二人の子も育つことなく夭折している。リーディアは彼が五十歳を超えて生まれた娘であり、先に産まれた長女が成長するまでもなく亡くなっていたため、彼女が生まれると溺愛気味に可愛がった。
それまでは自分の子といえど多少距離を置いて接していたオリヤンも、幼いリーディアを膝に乗せ、彼女に請われるまま戦場の話を語って聞かせていた程だ。
街の子供と喧嘩して帰ってきた際も『幼いうちは少々お転婆な方がよい』と意に介さず、むしろ推奨していた時期もあったくらいだ。もっとも十歳を超えても、変わらず泥だらけになって帰って来る彼女にはほとほと手を焼いていた。本人が望んだことでもあるが、半ば押し付ける形でトゥーレに嫁がせたのは娘の望みを聞き入れたからだ。
彼女の希望で乗馬や剣術の訓練をする際も、オリヤン自らが訓練をつけるほどだ。
それと前後するように彼女も街で泥だらけになって遊ぶことはなくなり、同時に『けもの憑き』という噂もそれと共に薄れていった。
「リーディア。お前は、トゥーレの元に行きたいか?」
「もちろんですわ。お父様」
「ふっ、即答なのか」
間髪を入れず即答するリーディアに、オリヤンは思わず笑顔を浮かべる。
そんな父の様子にリーディアは頬を膨らませた。
「できることでしたら今すぐ鳥のように空を飛んででも、トゥーレ様の元へ行きたいと存じております」
「それほどなのか」
「もちろんですわ。わたくしが幼い頃よりトゥーレ様をお慕いいたしておりますのは、お父様もご存じのことでしょう?」
「それは知っているが・・・・」
二人の婚約から二年が経つ。
年に数回しか逢うことを許されず、トータルしても一緒に過ごした期間は三十日にも満たない。それでも周りが思う以上に二人の中は睦まじく、周りからは早く一緒にしてやってはどうかという意見も出ている程だ。オリヤンにも当然そうした思いはなくはないが、大事な娘を嫁がせるには大きな問題が横たわっていた。
オリヤンは下がっていた眉尻を上げると、冷酷な表情で告げる。
「お前の気持ちは知っている。だが、一年先にもトルスター家が今のまま存在するとは限らんぞ」
ドーグラス・ストールが攻略を目指していたポラーの掌握がほぼ決まり、いよいよカモフへの侵攻が現実味を帯びてきていた。
同盟を結んでいるとはいえ、こちらもゼメクと対峙しているためストール軍に対抗できるほどの援兵を出せる訳ではない。また行方を眩ませているエリアスの動向が分からないことも大きい。エリアスが守っていたレボルトには四男のヴィクトルを入れてゼメクに対抗しているが、万が一を考えればカモフに割ける兵は数千が限度になるだろう。
一方でウンダルもオリヤンから代替わりし、ダニエルが着々と自身の基盤を固めつつある。新政権の中で既にトゥーレと婚約が決まっているリーディアは、政略結婚の駒にも使えず宙に浮いた中途半端な立場だった。
表立って態度を示すことはなかったが、ダニエルにとっては駒として使えないリーディアは扱いにくい邪魔な駒でしかなく、嫁ぐならとっとと嫁がせてしまいたいと考えていた。
「あら、お父様はわたくしが心配ですか?」
「もちろんだ。お前は儂の唯一の娘だ。できることならいつまでも傍に置いておきたいくらいだ」
リーディアの言葉に、真剣な表情のまま冗談とも本気ともつかぬ口調で告げる。
「そうしますと、わたくし薹が立ってしまいますわ。トゥーレ様に捨てられてしまいます」
「それは流石に困るな」
冗談めかすリーディアに、さすがのオリヤンも苦笑を浮かべた。
彼女が幼い頃に初めてトゥーレに嫁ぐと聞かされた時は、嬉しそうに告げるリーディアを叱るに叱れず、オリヤンをして開いた口が塞がらなかった。
目の前の娘がいつか嫁いでいくということが、余りにもショックで暫く何も喉を通らなかった程だ。同時に自分自信に人並みに親の情があることを知って戸惑った事も事実だった。
オリヤンは若くしてミラーの騎士という称号を手にし、三十年近くに渡って活躍してきた。
最初の妻インドラは身体が弱く、エリアスを産んでからはほとんど起き上がれなくなってしまった。そのためフォレスに帰還する際には彼女を連れて行くことができず、彼女に懐いていたエリアスは寂しそうにしていたことも知っていた。だがオリヤンはエリアスに甘えさせることをせず、逆に厳しく接してしまった。それが反発を招いてしまったことも一因としてあるだろう。またダニエルやヨウコ、ヴィクトルに対しても接し方はそれほど変わらなかった。そのため彼らとの関係性は親子というより臣下に近い。
だがリーディアだけは違った。五十路を過ぎていたこともあったのだろう。オリヤンはそれまでと違って、幼い彼女を手ずから抱き上げ可愛がったのだ。リーディアもそんな父に懐いた。側近がハラハラしながら見守る中で、よく父によじ登って遊ぶ姿が見られたほどだ。
そのためだろう。彼も娘にだけは柔らかい表情を見せ、時には激甘と言えるほど甘やかすことがあったくらいだ。
息子たちを突き放すように厳しく接したことが、結果的に兄弟で対立させてしまったことは否めない。彼らの対立はもはや修復不可能で、衝突は時間の問題だろう。
頭を悩ませる問題が現実として迫る中で、唯一の希望と言えるのがリーディアだった。その娘がもう十五歳になったというのは感慨深かった。
そのリーディアが言葉を続ける。
「わたくしは、お父様にトゥーレ様との子供を抱いていただきたいと存じております。ですがそれと同時にお父様も心配で、お父様の傍を離れたくない気持ちもあるのです」
父が元気なうちにトゥーレとの子を儲け、その胸に抱いて貰いたいのも本心なら、今のまま弱った父を置いてカモフへ嫁ぐことができないのも本心だ。日によって揺れ動きどちらか一方に傾くことはあれど、完全に振り切ってしまうことはなかった。
「ふふ、そうか。ならばいつまでも寝込んでお前に心配かけてばかりはいられんな。儂もお前の子をこの手で抱いてみたくなったぞ」
そう言って笑うと彼女の頭をワシワシと撫で回した。
その一ヵ月後、ストランド家、トルスター家の双方から翌春のリーディア姫の輿入れが発表されたのだった。
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