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第三章 カモフ攻防戦
15 抱擁
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「ザオラル様、リーディアからこのようなものが・・・・」
ザオラルの部屋へと慌てた様子で訪れたテオドーラが、リーディアから届けられたという白いベロアの包みを差し出した。
既に中を確認したのだろう。テオドーラは若干顔色をなくした表情を浮かべていた。
晩餐が終わり部屋へと戻ってきたところだった。
ザオラルが包みを受け取って光沢のある布をそっと開く。
中には丁寧に束ねられた赤い頭髪が出てきた。美しい黄色いリボンで結ばれて丁寧に整えられた頭髪は、光沢を放ってランプの炎に美しく煌めいている。それはもちろんリーディアが落とした髪を束ねた物だ。
聞けばリーディアの側勤めからテオドーラに届けられた物だという。
晩餐の席での彼女の様子は普段と変わりなかった。
しかしいつもであれば食後に少し雑談をおこなっていたが、今晩はいつの間にか彼女の姿が消えていたことを、彼は不思議に思っていた。
テオドーラ宛てとなってはいたが、トゥーレへの形見のつもりなのだろう。
「ザオラル様」
彼女が明日の決戦に参戦することを許可したのはザオラルだった。
日課となっている馬場での訓練時に、彼女から直接打診を受けたのだ。その時点ではまだダニエルはタカマで対陣中でだったため、それから時を置かずに厳しい状況で彼女を戦場に出さなければならなくなるとは思いも寄らなかった。
確かにエリアスに勝つのは難しいと考えていたザオラルだったが、ここまで一方的に負けるとは思っていなかった。ましてやこうして存亡を賭けた戦いに発展するとは想像もしていなかったのだ。
その間にも彼女の戦場に立つという覚悟は変わらず、自分用の軍装までわざわざ誂えさせていたようだ。
滞在中に色々と話をするようになった彼女の印象は、ザオラルの中でかなり変化していた。
ただのお転婆だと考えていた彼だったが、見た目と違って強い意志を秘めた眼差しは父であるオリヤンによく似ていた。
また華奢な体つきからは想像できないが、馬術のみならず槍や剣まで無難に使いこなすセンスを見せた。
それ以上にザオラルを驚かせたのは、優れた戦術眼を持っていることだった。それは亡きオリヤンを彷彿とさせるものだった。
ザオラルの見立てでは、ダニエルや対立しているエリアス以上に、オリヤンの気質を受け継いでいるのはリーディアだったのだ。
ただし今のままでは経験が圧倒的に足りず、戦場に立ったとしても目立った働きは難しいだろう。だが相応の経験を積めば指揮官として名を残す人物になるのではないかと考えていた。
彼女のことを『あれが男ならば』とオリヤンが嘆いたという話を聞くが、あながち半分以上本音だったのかも知れない。
「分かっている。リーディアは私が命を賭しても守る」
懇願するようなテオドーラの視線を受けたザオラルは、安心させるように大きく頷いて見せた。だがそれに対し、彼女は若干拗ねたように不満そうな表情を浮かべる。
「ザオラル様は、わたくしの事は心配ではないのですね?」
「何を言ってるんだ。心配だからこそサザンへ避難させるのではないか」
「それは足手まといは早々に遠ざけたいということですか」
珍しくテオドーラが気色ばんだ様子でザオラルへと詰め寄る。
明日早朝にはテオドーラを始め、ダニエルたちの妻や幼い子達をサザンへと避難させる手筈となっていた。
「どうしたのだ? 酔っているのか?」
普段と違う様子に若干戸惑いつつも彼は妻に向き直る。
上気した彼女からは若干アルコールの匂いを感じた。
普段から嗜む程度には飲酒する彼女だが、酒豪でならす彼女は酔ったとしても多少陽気になるくらいだ。今のように少し呂律が怪しいことも、ザオラルに絡んでくることも珍しかった。
「どうしたもこうしたも、ザオラル様はこの戦いで死ぬおつもりなのでしょう?」
「!?」
妻から放たれた直言に思わず絶句する。
今まで彼女に直接言葉で告げるのを避けていたが、彼の雰囲気から何かを感じ取っていたようだ。
彼が動揺を見せたのはほんの一瞬だったが、夫の様子を見たテオドーラは軽く溜息を吐きながら言葉を続けた。
「やはりそうですか・・・・。オリヤン様の葬儀が終わってもなかなか帰ろうとしませんし、おかしいと思っていたのです」
「それは、すぐにエリアス殿が軍事行動に出たではないか? そのような状況でフォレスから逃げるように、離れる訳にはいかんだろう?」
「それは分かっております。ですがカモフでは既にネアンが敵方の手に落ち、わたくしの弟オイヴァの安否は不明と連絡が入っております。状況はこちら以上に深刻な状況になっている中、それでもザオラル様がここに残り続けなければならない理由などないでしょう?」
普段は柔らかい雰囲気を崩さず感情を爆発させたりしない彼女が、珍しくザオラルに詰め寄ってくる。
彼女の言葉はどれもが正論だ。
領主が領国を留守にして他領の戦に参戦するなど、常識では考えられる話ではなかった。ましてやその領国が敵対勢力から侵攻を受けているのにだ。
ザオラルは口を開きかけるがその口からは言葉が出てこない。
「ドーグラス公へは、今までトゥーレが中心となって対策をずっと立てていました。さらにサトルトに関しては全てトゥーレが采配を振るっております。ですがそれはザオラル様が後ろに控えているからこそです。
あなたという後ろ盾を失えば、直ぐにでもトゥーレを見限ってドーグラス公へと下る者も現れるでしょう。そうなればもはやカモフは抵抗する力すら失ってしまいます。そして、それ以上にザオラル様がこの地に留まったままでは、まだ若いトゥーレがドーグラス公の矢面に立つことになります。
わたくしは戦のことは詳しくありませんが、聞いた話ではトゥーレの用兵は巧みで見事な采配を振るうとか。ですが、その評価のどれにも『若さに似合わず』という枕詞が付いています。これは言い換えれば同世代の中では図抜けた実力を持っているかも知れませんが、ドーグラス公など老獪な騎士には及ばないということではないですか?」
テオドーラは一息に語ると目に涙を浮かべザオラルを見つめる。
「ここ最近トゥーレに色々と権限をお与えになっていたのは、初めからこうするつもりだったのですね。そうされるザオラル様のお考えもお覚悟も理解できます。ですがカモフにもトゥーレにもまだまだザオラル様のお力が必要だと存じます。
いいえ、そんなことよりも、まだわたくしはザオラル様とお別れしたくありません!」
そう言うとザオラルの胸に飛び込んだ。
「・・・・死なないでくださいませ」
ザオラルの覚悟が覆ることがないと知っているテオドーラは、ただ夫の無事を願い泣くことしかできなかった。
「テオドーラ、・・・・すまぬ」
ザオラルは嗚咽に震えるテオドーラを抱きしめ苦渋に歪んだ表情で静かにそう告げるだけだった。
翌朝、残存兵力をかき集めフォレス湾を背に背水の陣を敷いたダニエル軍。
数は僅か八〇〇〇名。
正規軍としてはことのほか寂しい陣容だった。
その中にはサザンからザオラルが遊撃軍として参陣していた。その数八〇〇騎。その中にはリーディアとその護衛騎士たち三〇騎の姿もあった。
「テオドーラ様、今日は風が強うございます。どうか船室にお入りください」
「もう少し見させてくださいませ」
「ですが」
「すみません。もう少しだけ・・・・」
船室へと促す側勤めにそう言うと、強風に煽られながら軍勢を見つめる。
右舷のデッキに立ち、夫の勇姿を目に焼き付けるように、テオドーラは姿が見えなくなるまでいつまでも眺めていたのだった。
ザオラルの部屋へと慌てた様子で訪れたテオドーラが、リーディアから届けられたという白いベロアの包みを差し出した。
既に中を確認したのだろう。テオドーラは若干顔色をなくした表情を浮かべていた。
晩餐が終わり部屋へと戻ってきたところだった。
ザオラルが包みを受け取って光沢のある布をそっと開く。
中には丁寧に束ねられた赤い頭髪が出てきた。美しい黄色いリボンで結ばれて丁寧に整えられた頭髪は、光沢を放ってランプの炎に美しく煌めいている。それはもちろんリーディアが落とした髪を束ねた物だ。
聞けばリーディアの側勤めからテオドーラに届けられた物だという。
晩餐の席での彼女の様子は普段と変わりなかった。
しかしいつもであれば食後に少し雑談をおこなっていたが、今晩はいつの間にか彼女の姿が消えていたことを、彼は不思議に思っていた。
テオドーラ宛てとなってはいたが、トゥーレへの形見のつもりなのだろう。
「ザオラル様」
彼女が明日の決戦に参戦することを許可したのはザオラルだった。
日課となっている馬場での訓練時に、彼女から直接打診を受けたのだ。その時点ではまだダニエルはタカマで対陣中でだったため、それから時を置かずに厳しい状況で彼女を戦場に出さなければならなくなるとは思いも寄らなかった。
確かにエリアスに勝つのは難しいと考えていたザオラルだったが、ここまで一方的に負けるとは思っていなかった。ましてやこうして存亡を賭けた戦いに発展するとは想像もしていなかったのだ。
その間にも彼女の戦場に立つという覚悟は変わらず、自分用の軍装までわざわざ誂えさせていたようだ。
滞在中に色々と話をするようになった彼女の印象は、ザオラルの中でかなり変化していた。
ただのお転婆だと考えていた彼だったが、見た目と違って強い意志を秘めた眼差しは父であるオリヤンによく似ていた。
また華奢な体つきからは想像できないが、馬術のみならず槍や剣まで無難に使いこなすセンスを見せた。
それ以上にザオラルを驚かせたのは、優れた戦術眼を持っていることだった。それは亡きオリヤンを彷彿とさせるものだった。
ザオラルの見立てでは、ダニエルや対立しているエリアス以上に、オリヤンの気質を受け継いでいるのはリーディアだったのだ。
ただし今のままでは経験が圧倒的に足りず、戦場に立ったとしても目立った働きは難しいだろう。だが相応の経験を積めば指揮官として名を残す人物になるのではないかと考えていた。
彼女のことを『あれが男ならば』とオリヤンが嘆いたという話を聞くが、あながち半分以上本音だったのかも知れない。
「分かっている。リーディアは私が命を賭しても守る」
懇願するようなテオドーラの視線を受けたザオラルは、安心させるように大きく頷いて見せた。だがそれに対し、彼女は若干拗ねたように不満そうな表情を浮かべる。
「ザオラル様は、わたくしの事は心配ではないのですね?」
「何を言ってるんだ。心配だからこそサザンへ避難させるのではないか」
「それは足手まといは早々に遠ざけたいということですか」
珍しくテオドーラが気色ばんだ様子でザオラルへと詰め寄る。
明日早朝にはテオドーラを始め、ダニエルたちの妻や幼い子達をサザンへと避難させる手筈となっていた。
「どうしたのだ? 酔っているのか?」
普段と違う様子に若干戸惑いつつも彼は妻に向き直る。
上気した彼女からは若干アルコールの匂いを感じた。
普段から嗜む程度には飲酒する彼女だが、酒豪でならす彼女は酔ったとしても多少陽気になるくらいだ。今のように少し呂律が怪しいことも、ザオラルに絡んでくることも珍しかった。
「どうしたもこうしたも、ザオラル様はこの戦いで死ぬおつもりなのでしょう?」
「!?」
妻から放たれた直言に思わず絶句する。
今まで彼女に直接言葉で告げるのを避けていたが、彼の雰囲気から何かを感じ取っていたようだ。
彼が動揺を見せたのはほんの一瞬だったが、夫の様子を見たテオドーラは軽く溜息を吐きながら言葉を続けた。
「やはりそうですか・・・・。オリヤン様の葬儀が終わってもなかなか帰ろうとしませんし、おかしいと思っていたのです」
「それは、すぐにエリアス殿が軍事行動に出たではないか? そのような状況でフォレスから逃げるように、離れる訳にはいかんだろう?」
「それは分かっております。ですがカモフでは既にネアンが敵方の手に落ち、わたくしの弟オイヴァの安否は不明と連絡が入っております。状況はこちら以上に深刻な状況になっている中、それでもザオラル様がここに残り続けなければならない理由などないでしょう?」
普段は柔らかい雰囲気を崩さず感情を爆発させたりしない彼女が、珍しくザオラルに詰め寄ってくる。
彼女の言葉はどれもが正論だ。
領主が領国を留守にして他領の戦に参戦するなど、常識では考えられる話ではなかった。ましてやその領国が敵対勢力から侵攻を受けているのにだ。
ザオラルは口を開きかけるがその口からは言葉が出てこない。
「ドーグラス公へは、今までトゥーレが中心となって対策をずっと立てていました。さらにサトルトに関しては全てトゥーレが采配を振るっております。ですがそれはザオラル様が後ろに控えているからこそです。
あなたという後ろ盾を失えば、直ぐにでもトゥーレを見限ってドーグラス公へと下る者も現れるでしょう。そうなればもはやカモフは抵抗する力すら失ってしまいます。そして、それ以上にザオラル様がこの地に留まったままでは、まだ若いトゥーレがドーグラス公の矢面に立つことになります。
わたくしは戦のことは詳しくありませんが、聞いた話ではトゥーレの用兵は巧みで見事な采配を振るうとか。ですが、その評価のどれにも『若さに似合わず』という枕詞が付いています。これは言い換えれば同世代の中では図抜けた実力を持っているかも知れませんが、ドーグラス公など老獪な騎士には及ばないということではないですか?」
テオドーラは一息に語ると目に涙を浮かべザオラルを見つめる。
「ここ最近トゥーレに色々と権限をお与えになっていたのは、初めからこうするつもりだったのですね。そうされるザオラル様のお考えもお覚悟も理解できます。ですがカモフにもトゥーレにもまだまだザオラル様のお力が必要だと存じます。
いいえ、そんなことよりも、まだわたくしはザオラル様とお別れしたくありません!」
そう言うとザオラルの胸に飛び込んだ。
「・・・・死なないでくださいませ」
ザオラルの覚悟が覆ることがないと知っているテオドーラは、ただ夫の無事を願い泣くことしかできなかった。
「テオドーラ、・・・・すまぬ」
ザオラルは嗚咽に震えるテオドーラを抱きしめ苦渋に歪んだ表情で静かにそう告げるだけだった。
翌朝、残存兵力をかき集めフォレス湾を背に背水の陣を敷いたダニエル軍。
数は僅か八〇〇〇名。
正規軍としてはことのほか寂しい陣容だった。
その中にはサザンからザオラルが遊撃軍として参陣していた。その数八〇〇騎。その中にはリーディアとその護衛騎士たち三〇騎の姿もあった。
「テオドーラ様、今日は風が強うございます。どうか船室にお入りください」
「もう少し見させてくださいませ」
「ですが」
「すみません。もう少しだけ・・・・」
船室へと促す側勤めにそう言うと、強風に煽られながら軍勢を見つめる。
右舷のデッキに立ち、夫の勇姿を目に焼き付けるように、テオドーラは姿が見えなくなるまでいつまでも眺めていたのだった。
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