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第三章 カモフ攻防戦
46 カントの戦い(5)
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翌日になると、ストール軍の攻撃はより激しさを増した。
サムエル隊やミハルたちの遊撃隊に加え、イグナーツ自ら一隊を率いて参戦してきたからだ。それでもルーベルトを中心とした守備隊は、必死の奮戦で戦線の突破を許さなかった。
「くっ、来るな!」
「弾をくれっ! 早く!」
「ちくしょう、当たれぇ!」
塹壕のあちこちで悲痛な叫びが木霊していた。
それでも兵の表情に多少余裕を感じられるのは、緒戦とはいえ昨日の戦いに勝利したという自信が現れているのだろう。
後方で戦況を見つめるユーリは、前日同様あれこれと細かく指示を出して支援に動いていたが、表情には昨日までの悲壮感は感じられなかった。
「敵の攻撃は昨日より激しいが、ルーベルト様はよくやってる」
「そうだな、だが敵はあの隻眼の虎だ。このまま終わるとは思えないぞ」
最近になってユーリの側近を務めるようになったユハニやヨニ、アールノたちは、ルーベルトの奮戦に感嘆しながらも、イグナーツの異名からこんなものではないと感じているようだ。
それはユーリにとっても同じだ。
彼らの会話を黙って聞いていたユーリだったが、開戦以来の言い知れぬ不安を抱えていた。もちろん言葉や態度に出すようなことはなかったが、これまでの戦いを見た中でもその思いは払拭できないでいたのだ。
「引き続き警戒は怠るな。兵たちも引き締めておけよ」
ユーリは側近たちにそう告げると、少しの変化も見逃すまいと前方の戦いを注視するのだった。
その彼の不安はその日の午後になると現実のものとなる。
午後になっても状況は変わらず、イグナーツ隊が攻めあぐねる状況が続いていた。
事前の予想に反してトルスター軍がよく耐えているといえるが、それは偏に高い火器装備率のおかげだった。
この当時充実した火器を誇る部隊でも、鉄砲の装備率は三割だと言われていた。しかしカントの戦いにおけるユーリ・ルーベルト隊の鉄砲装備率は八割を超えていた。三〇〇〇名の兵力に対して、実に二五〇〇名近くが鉄砲を装備していたのだ。
そのため、突破口を開こうと色々と攻め口を変えるイグナーツ隊だったが、分厚い火器攻撃に阻まれ続けていたのである。
「うぬぬ、このままでは埒があかん」
不安を覚えるユーリたちに対して、当のイグナーツの方は焦りを通り越して怒り心頭といった様子で、顔を真っ赤にしていた。
これまで多くの敵を撃破してきた突撃隊形が、敵火力に対して相性が悪く通用しなかったのだ。
得意の戦法を封じられてしまったが、それでも圧倒的な物量を活かして攻めきろうとした。しかしそれを封じたのが高い装備率を誇る火器兵器だったのだ。
このままでは徒に兵力を消耗するばかりとなってしまう。
イグナーツはあの手この手と攻め方を試行錯誤するが、どれも決め手に欠け敵陣を突破することができないでいた。
兵力の優勢を活かして、このまま持久戦に持ち込んで相手の疲弊を待てば、いずれ勝利を掴めるかも知れない。また弾薬が尽きるのを待てば、その時は一挙に形勢が傾くことだろう。
後ろ向きかも知れないが、これはドーグラスの親征なのだ。万にひとつも負ける訳にはいかなかった。
イグナーツが持久戦も視野に入れ始めた頃であった。
突然左翼に布陣していたミハル隊で喊声が上がり、大きく隊列が動き土煙が激しく立ち上った。
「ん? どうした?」
「分かりません。ですが、ミハル様が攻勢に出たように見えます」
疑問を口にしたイグナーツに、同じく戦況を確認していた側近のヴァルトルが告げる。
確かにそれまで苦戦していたのが嘘のように、勢いを増したミハル隊が攻勢に転じたようだ。
しばらくすると左翼側の攻勢をきっかけにして、戦線全体が活性化し始めた。敵陣が明らかに浮き足立ち、あれほど統率が取れていた銃撃がバラバラになり始めていた。
そうするうちに、この突然潮目が変わった原因が判明した。
「報告します。デモルバ様の隊が現れ、敵の右翼に突撃をおこなったようです!」
「デモルバが!? でかした。これで突破口が開いた」
イグナーツはこの好機を逃すまいと、すぐに各部隊に突撃の檄を飛ばした。
それまで苦戦を強いられていたイグナーツ隊は奮戦し、あれほど鉄壁を誇っていた塹壕を突破しそうな勢いだ。
「デモルバを遠ざけるために下した命令が、こんなところで役に立つとはな」
イグナーツは自嘲気味に笑うと顔を上げて前方を見据える。
「一気に敵陣を突破し、カントを堕とせ!」
『おう!』
彼の下知に応えて、荒野に轟くような鬨の声が響くのだった。
間道にまわったデモルバは、苦虫を噛み潰したような顔で馬に揺られていた。
道が切り開かれるのを待ちながらも、遅々として進まぬ行軍にデモルバの表情は冴えない。
間道と言えば聞こえがいいが、獣道のような人ひとりがやっと通れる程の道しかなく、場所によっては下馬しなければ登れないほどの急勾配の箇所もあった。そのような場所では軍勢を通すこともままならず、まずは道を広げるところから始めなければならなかった。
また、場所によっては巨大な岩が行く手を塞いでいることもあった。
「よいか? いち、に、さんっ!」
今も道を塞ぐ大岩を取り除くため、デモルバ自ら梃子代わりにした槍に取り付き、泥と汗にまみれながら率先して指示をおこなう。
狭い間道での作業だ。
作業場所もないため、まずは木々を切り開き足場を確保しなければならない。
切り開くための斧や鶴嘴などの道具の用意はなかったため、戦斧や槍斧を使って木を切り、岩を砕いた。
それでも足場は悪く取り掛かれる人数は限られていた。そのため少しずつ交代しながら必死に道を切り開いていく。
「よし、もう一度だ! いち、に、さんっ!」
何本もの槍を抉じ入れられた大岩が、絡みついていた蔦や蔓、近くに生えていた木々を巻き込みメキメキという音を立てながら、ゆっくりと倒れ砂塵が舞い上がる。
大岩は何本もの木を巻き添えにしながら、山の斜面を転げ落ちていった。
「やったぞ!」
周りから自然と歓声がわき起こる。
進路を阻んでいた大岩がなくなり視界が一気に開けた。すると眼下には小さいながらもカントの城壁が遠望できた。
「意外と登ってきていたんだな?」
「ああ。あそこに見える城壁がサザンか?」
「いや、カントだろう? サザンは中州に建ってると聞いたことがある」
兵は一息吐きながら眼下を指差している。
ここまでの道中で皆、顔や体は泥と汗で汚れているが、一仕事終えたからか清々しい笑顔を浮かべていた。
「お、おい!」
そんな中、兵の一人が何かに気付いて指差した。
「カントの手前、戦い始まってるんじゃないか!?」
その声に指差す方を見れば、土埃で見にくいもののカントと山の間の荒野で、軍勢が戦っているのか土埃が舞っているのが見えた。
「あれはイグナーツ様の軍勢だ! 戦っているぞ!!」
望遠鏡を覗いた斥候が叫ぶ。
「相手は分かるか?」
「いえ、見たことない旗です、分かりません。ですが、イグナーツ様は苦戦しておられるように見えます」
デモルバの問い掛けに斥候は首を振って望遠鏡を差し出すと、引ったくるように奪って覗き込んだ。
「よし、休憩は終わりだ。すぐに出発するぞ!」
しばらく望遠鏡を覗き込んでいたデモルバだったが、振り返ると出発の下知を下した。その表情は先ほどまでとは一変していた。
敵陣の中に、かつてエン砦炎上をもたらしたルーベルトの姿を認めたデモルバは、屈辱を晴らす機会が訪れたことに爛々と目を輝かすのだった。
それはたまたま視線が合った兵が、思わず直立不動になり冷や汗を流すほど凶悪な瞳だった。
サムエル隊やミハルたちの遊撃隊に加え、イグナーツ自ら一隊を率いて参戦してきたからだ。それでもルーベルトを中心とした守備隊は、必死の奮戦で戦線の突破を許さなかった。
「くっ、来るな!」
「弾をくれっ! 早く!」
「ちくしょう、当たれぇ!」
塹壕のあちこちで悲痛な叫びが木霊していた。
それでも兵の表情に多少余裕を感じられるのは、緒戦とはいえ昨日の戦いに勝利したという自信が現れているのだろう。
後方で戦況を見つめるユーリは、前日同様あれこれと細かく指示を出して支援に動いていたが、表情には昨日までの悲壮感は感じられなかった。
「敵の攻撃は昨日より激しいが、ルーベルト様はよくやってる」
「そうだな、だが敵はあの隻眼の虎だ。このまま終わるとは思えないぞ」
最近になってユーリの側近を務めるようになったユハニやヨニ、アールノたちは、ルーベルトの奮戦に感嘆しながらも、イグナーツの異名からこんなものではないと感じているようだ。
それはユーリにとっても同じだ。
彼らの会話を黙って聞いていたユーリだったが、開戦以来の言い知れぬ不安を抱えていた。もちろん言葉や態度に出すようなことはなかったが、これまでの戦いを見た中でもその思いは払拭できないでいたのだ。
「引き続き警戒は怠るな。兵たちも引き締めておけよ」
ユーリは側近たちにそう告げると、少しの変化も見逃すまいと前方の戦いを注視するのだった。
その彼の不安はその日の午後になると現実のものとなる。
午後になっても状況は変わらず、イグナーツ隊が攻めあぐねる状況が続いていた。
事前の予想に反してトルスター軍がよく耐えているといえるが、それは偏に高い火器装備率のおかげだった。
この当時充実した火器を誇る部隊でも、鉄砲の装備率は三割だと言われていた。しかしカントの戦いにおけるユーリ・ルーベルト隊の鉄砲装備率は八割を超えていた。三〇〇〇名の兵力に対して、実に二五〇〇名近くが鉄砲を装備していたのだ。
そのため、突破口を開こうと色々と攻め口を変えるイグナーツ隊だったが、分厚い火器攻撃に阻まれ続けていたのである。
「うぬぬ、このままでは埒があかん」
不安を覚えるユーリたちに対して、当のイグナーツの方は焦りを通り越して怒り心頭といった様子で、顔を真っ赤にしていた。
これまで多くの敵を撃破してきた突撃隊形が、敵火力に対して相性が悪く通用しなかったのだ。
得意の戦法を封じられてしまったが、それでも圧倒的な物量を活かして攻めきろうとした。しかしそれを封じたのが高い装備率を誇る火器兵器だったのだ。
このままでは徒に兵力を消耗するばかりとなってしまう。
イグナーツはあの手この手と攻め方を試行錯誤するが、どれも決め手に欠け敵陣を突破することができないでいた。
兵力の優勢を活かして、このまま持久戦に持ち込んで相手の疲弊を待てば、いずれ勝利を掴めるかも知れない。また弾薬が尽きるのを待てば、その時は一挙に形勢が傾くことだろう。
後ろ向きかも知れないが、これはドーグラスの親征なのだ。万にひとつも負ける訳にはいかなかった。
イグナーツが持久戦も視野に入れ始めた頃であった。
突然左翼に布陣していたミハル隊で喊声が上がり、大きく隊列が動き土煙が激しく立ち上った。
「ん? どうした?」
「分かりません。ですが、ミハル様が攻勢に出たように見えます」
疑問を口にしたイグナーツに、同じく戦況を確認していた側近のヴァルトルが告げる。
確かにそれまで苦戦していたのが嘘のように、勢いを増したミハル隊が攻勢に転じたようだ。
しばらくすると左翼側の攻勢をきっかけにして、戦線全体が活性化し始めた。敵陣が明らかに浮き足立ち、あれほど統率が取れていた銃撃がバラバラになり始めていた。
そうするうちに、この突然潮目が変わった原因が判明した。
「報告します。デモルバ様の隊が現れ、敵の右翼に突撃をおこなったようです!」
「デモルバが!? でかした。これで突破口が開いた」
イグナーツはこの好機を逃すまいと、すぐに各部隊に突撃の檄を飛ばした。
それまで苦戦を強いられていたイグナーツ隊は奮戦し、あれほど鉄壁を誇っていた塹壕を突破しそうな勢いだ。
「デモルバを遠ざけるために下した命令が、こんなところで役に立つとはな」
イグナーツは自嘲気味に笑うと顔を上げて前方を見据える。
「一気に敵陣を突破し、カントを堕とせ!」
『おう!』
彼の下知に応えて、荒野に轟くような鬨の声が響くのだった。
間道にまわったデモルバは、苦虫を噛み潰したような顔で馬に揺られていた。
道が切り開かれるのを待ちながらも、遅々として進まぬ行軍にデモルバの表情は冴えない。
間道と言えば聞こえがいいが、獣道のような人ひとりがやっと通れる程の道しかなく、場所によっては下馬しなければ登れないほどの急勾配の箇所もあった。そのような場所では軍勢を通すこともままならず、まずは道を広げるところから始めなければならなかった。
また、場所によっては巨大な岩が行く手を塞いでいることもあった。
「よいか? いち、に、さんっ!」
今も道を塞ぐ大岩を取り除くため、デモルバ自ら梃子代わりにした槍に取り付き、泥と汗にまみれながら率先して指示をおこなう。
狭い間道での作業だ。
作業場所もないため、まずは木々を切り開き足場を確保しなければならない。
切り開くための斧や鶴嘴などの道具の用意はなかったため、戦斧や槍斧を使って木を切り、岩を砕いた。
それでも足場は悪く取り掛かれる人数は限られていた。そのため少しずつ交代しながら必死に道を切り開いていく。
「よし、もう一度だ! いち、に、さんっ!」
何本もの槍を抉じ入れられた大岩が、絡みついていた蔦や蔓、近くに生えていた木々を巻き込みメキメキという音を立てながら、ゆっくりと倒れ砂塵が舞い上がる。
大岩は何本もの木を巻き添えにしながら、山の斜面を転げ落ちていった。
「やったぞ!」
周りから自然と歓声がわき起こる。
進路を阻んでいた大岩がなくなり視界が一気に開けた。すると眼下には小さいながらもカントの城壁が遠望できた。
「意外と登ってきていたんだな?」
「ああ。あそこに見える城壁がサザンか?」
「いや、カントだろう? サザンは中州に建ってると聞いたことがある」
兵は一息吐きながら眼下を指差している。
ここまでの道中で皆、顔や体は泥と汗で汚れているが、一仕事終えたからか清々しい笑顔を浮かべていた。
「お、おい!」
そんな中、兵の一人が何かに気付いて指差した。
「カントの手前、戦い始まってるんじゃないか!?」
その声に指差す方を見れば、土埃で見にくいもののカントと山の間の荒野で、軍勢が戦っているのか土埃が舞っているのが見えた。
「あれはイグナーツ様の軍勢だ! 戦っているぞ!!」
望遠鏡を覗いた斥候が叫ぶ。
「相手は分かるか?」
「いえ、見たことない旗です、分かりません。ですが、イグナーツ様は苦戦しておられるように見えます」
デモルバの問い掛けに斥候は首を振って望遠鏡を差し出すと、引ったくるように奪って覗き込んだ。
「よし、休憩は終わりだ。すぐに出発するぞ!」
しばらく望遠鏡を覗き込んでいたデモルバだったが、振り返ると出発の下知を下した。その表情は先ほどまでとは一変していた。
敵陣の中に、かつてエン砦炎上をもたらしたルーベルトの姿を認めたデモルバは、屈辱を晴らす機会が訪れたことに爛々と目を輝かすのだった。
それはたまたま視線が合った兵が、思わず直立不動になり冷や汗を流すほど凶悪な瞳だった。
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