都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第四章 伝説のはじまり

4 リーディアの引っ越しと新しい相棒

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 冬篭もりが迫る中、急遽決まったリーディアの引っ越しだったが、元々彼女の荷物がそれほど多くなかった事もあり何とか無事に完了する事ができた。
 これは翌春のネアンへの移動に備えて、セネイたちが前倒しで少しずつ準備をしていた事が大きい。
 それでもセネイが宣言した通りにリーディアもトゥーレも容赦なく荷造りや荷解きに駆り出され、引っ越しが終わった頃には二人とも疲れ果ててぐったりとしていた。
 リーディアの荷物が少なかった割りに引っ越しに十日も掛かった理由としては、もちろん彼女一人で移動できる訳はなく、彼女の側近や側勤めも同時に移動する事になるためだ。
 加えて冬篭もり用の薪や食料、備品など数ヵ月分の物資が必要であり、急に増える人数分をネアンで賄いきれる訳もなく、サザンから移動しなければならなかったからだ。
 逆に言えば急遽前倒しで引っ越しが決まりながら、よくも十日で終わらせる事ができたといえた。

「まあいいでしょう。これで何とか冬は越せそうです」

 備蓄倉庫に整然と並べられた薪や食料を確認していたセネイが、引っ越し終了を告げると二人は同時にテーブルに突っ伏すようにして大きく息を吐いた。

「疲れた・・・・」
「疲れました・・・・」

「お二人とも、お疲れなのは分かりますが皆がいる前ではしたないですよ」

 セネイは眉根を寄せて苦言をこぼしながらも、二人の前にお茶を出して労った。
 確実に二人以上に忙しかった筈のセネイだったが、彼女に疲労の色は見えない。それどころか今も他の側勤めたちにあれこれと片付けの指示を出している。

「はぁ、何でわたくしまで駆り出されたのでしょうか?」

 その姿を横目に盛大に溜息を吐いているのはエステルだ。

「お前はどうせ暇だっただろう? 春の予行になったと思えばいいじゃないか」

 二人と同じテーブルでお茶を啜っていたエステルは、兄の言葉にむうっと頬を膨らませて兄を睨んだ。

「確かに暇でしたけれど、何も理由も告げられずに『ちょっと手伝ってくれ』と言われてまさか十日間もお手伝いさせられるとは思いません!」

「いいじゃないか。そのお陰で今晩はユーリの所に泊まれるのだろう?」

 兄から有無を言わせずに手伝わされたエステルは、文句を言いながらもリーディアと一緒に荷造りに荷解きにと手伝った。そのご褒美ではないが、今夜はネアンのユーリの下で一泊する事になっていたのだ。

「それとこれとは別です!」

 ニヤリと笑みを浮かべながら冷やかすトゥーレに、顔を真っ赤にしてプイと横を向く。

「ごめんなさい、エステル様。ご自分のご用意もあったでしょうに」

「お義姉様、そんなつもりでは・・・・」

 人使いの荒い兄に代わって申し訳なさそうな表情を浮かべるリーディアに謝罪されてしまい、エステルは両手を振って慌てて否定する。
 彼女自身も年明け早々にユーリとの結婚に伴ってネアンへの引っ越しが予定されていた。
 立場上、臣下の騎士ユーリへの降嫁こうかとなるが、トルスター家は商人上がりの家系であり、サザン領主となった後も平民との婚姻を繰り返してきた歴史もある。そのためトゥーレのみならず、エステル自身もそれほど深刻には捉えておらず周りの反応も概ね同様だ。それだけカモフ領主家は領民に近い位置にいるのだった。
 エステルの新居は領主官邸の近くに既に用意されていて、今はユーリが一人で居住している。
 多くの使用人や側勤めに囲まれ、落ち着かない様子で『広すぎる・・・・』と零しているそうだ。
 エステルは姉と慕うリーディアと同じタイミングでネアンに移れる事を楽しみにしていたが、その彼女が先に移ってしまったため少しねていたのである。
 そんな気持ちを知られるのが恥ずかしくて、エステルは誤魔化すようににっこりと笑って見せた。

「おめでとうございます、お義姉様。これでやっとお兄様と一つ屋根の下で暮らせますね」

「ちょっとその言い方は語弊があるぞ。同じ場所には住むがお前たちと違って結婚はまだ先だ!」

 エステルの意味深な発言に対して、トゥーレは即座に否定する。
 彼が言うように公邸にはリーディアの部屋が用意されている。しかしトゥーレにウンダル簒奪さんだつの意思がない事を示すために、リーディアとの関係は婚約者のまま変える予定はなかった。
 そのため公邸では二階にあるトゥーレの私室に対し、リーディアの部屋は三階にあり、しかも対角線上で最も離れた場所に用意されていた。
 二人の関係性を知る者からすれば、彼がウンダルの簒奪を画策しているなどと言う噂は笑い話にしかならない。
 だが現在エリアスが治めるウンダルとは別にウンダル亡命政府が存在する以上、より多くの支持を集めて対エリアス戦略を有利に進めるためにも、私欲がないことをアピールしておく必要があったのだ。
 そのトゥーレだがドーグラスを討ちネアンを奪還した後は、これまで復興を優先して領土的な野心は見せていなかった。唯一エン砦とその周辺を版図に加えた程度だ。
 実際はサトルトを中心に着々と国力の増強を謀っていたが、その結果が見えるのはもう少し先の話となるだろう。
 一方でそのトゥーレに敗れたストール家は没落の一途を辿っていた。
 ジアンの予想通りラドスラフがクスターの弟を担ぎ上げ、クスターとの間で血で血を洗う後継者争いを繰り広げていた。
 巨大な版図を誇った領地は分裂または旧勢力が独立し、複雑に利害が絡み合って領土は千々に乱れていた。今後誰かしらの手によって再び統一が成されたとしても、再び表舞台に立つ力は残されていないだろう。



 それから数日後。
 ぐんと気温が下がり始め、谷を吹き抜けていく風が随分と強くなってきていた。
 谷の出口に近いネアンは、サザンのように何もかも根こそぎ引っこ抜いていくような暴風が吹き荒れる訳ではないが、それでも外出する人の姿がめっきりなくなっていた。あと十日もしない内に外に出る事ができなくなるだろう。

「流石に風が強くなってきたな」

「そうですね。フォレスでは余り経験したことのない風の強さと冷たさです」

 トゥーレとリーディアは馬場に隣接したトゥーレ専用の厩舎へと足早に向かっていた。
 外套を羽織り深くフードを被っていたが、風は容赦なく衣類の隙間から侵入してくる。風の冷たさに揃って首をすくめながら、二人は真新しい厩舎きゅうしゃへと足早に駆け込んでいった。

「このですね」

「ああ、ホシアカリの弟だ」

 二人の目の前には芦毛の若駒がいた。
 正確には左から鹿毛、芦毛、栗毛の三頭の仔馬だ。全て去年に産まれた若駒で、春になれば本格的な調教を開始する予定の馬だった。
 仔馬たちはまだ少し幼さの残る顔立ちで『この人誰だろう?』と興味津々の瞳でリーディアを見つめていた。
 ホシアカリとは以前トゥーレが贈った芦毛で、かつてのリーディアの愛馬だった馬の名だ。
 灰色の馬体全体に星を散りばめたような明るい毛色をしていたため、そう名付けられた駿馬だった。
 リーディアによく懐き、彼女の意思をよく理解して風のように戦場を駆け抜けたが、オモロウからの脱出時に彼女の兄であるヴィクトルによって射抜かれ残念ながら力尽きてしまった。
 カモフに移ってからは長く目をわずらっていたため馬に乗る事自体控えていたが、回復したリーディアの快気を祝ってトゥーレが今回再び馬をプレゼントすることになったのだ。
 トゥーレ自らむちを入れて駿馬へと育てたホシアカリとは違って、今度は自分で鍛えてみたいとのリーディアの希望もあって、来春から鞭を入れる予定の仔馬を見に来たのだった。
 今回も数頭用意していたトゥーレだったが、リーディアの好みから芦毛を選ぶだろうと考えていた。どうやらそれは正解だったようで、彼女の目は目の前の芦毛に釘付けのままで他の仔馬には目もくれない。
 三頭の仔馬が並ぶ中、真ん中の芦毛に真っ直ぐに近付いていったリーディアが顔を優しく撫でる。
 それに仔馬が甘えるように甘噛みで応えた。

「トゥーレ様、わたくしこの仔にします」

 結局彼女は最後まで他の仔馬には一瞥もくれず、芦毛の仔馬を選択したリーディアは笑顔を見せて振り返った。

「名前はどうする?」

 苦笑を浮かべながら肩を竦めたトゥーレが尋ねる。
 ホシアカリの時もその名に決まるまで散々悩み抜いた彼女だ。今回も同じように悩むだろうと考えていたトゥーレだったが、彼女は意外な事ににっこりと得意そうに笑顔を顔を浮かべた。

「もう決めてあります」

「え!? 本当に?」

 自信満々の様子を見せるリーディアに、トゥーレが信じられない気持ちで思わず聞き返した。

「ふふふ、意外ですか? わたくしだって成長するのですよ」

 以前は名前を決められずに散々悩んだ挙げ句、トゥーレの馬の名を参考にしてホシアカリと名付けた。その様子を思い返せば、今回リーディアが得意そうに胸を張っているのは意外だった。

「前はあんなに悩んでいたからね。流石に驚いたよ」

「確かにそんな事もありましたね。でも今回はこの仔を見た瞬間にパッと名前が浮かんできたんです」

 そう言って慈愛の篭もった瞳で仔馬の顔を撫でる。
 全体的に灰色に染まったその仔馬には、額にだけ明け方の空に輝く星のような模様があった。

「この仔の名前はミョウジョウです」
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