Colors of the Ghost

痕野まつり

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第一章/夢幻泡影─Like the dream bubble shadow and phantom─

第̪肆話:銀の鞘

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 死者が廃屋に宿る理由は、生者に悪影響を与えないようにするため、というモラル的な側面ともうひとつ、原理的な問題があった。

 通常、肉体と魂はふたつでひとつのセットで初めて生体として機能し、その個体と別個体に互換性は存在しない。それぞれの魂に相応しい形の肉体が与えられ、どちらかが消失すればもう一方も機能を停止し、代替を用意することは出来ない。だから本来、人は死んでしまえばそこでおしまいの筈なのだけれど、その例外として私や山本さん、エイルみたいなものがいる。私達の殻になっている廃屋をはじめとした住居とは、本来は人が住まうことを前提にして作られていて、その概念は特定の個人を選ばない。だからこそそれは私達のような抜き身の刃を納めていられるわけだけれど、宿る対象が生身の身体となってくると話は変わってくる。さっきも触れたように、肉体は宿主である魂以外との互換性を持たないが故に、そこに無理やり入ろうとすると、霊体と肉体は互いに拒絶反応を起こし、本来の宿主の心身を破壊してしまう。それが俗に言う「呪い」の基本原理。例えそれが死体であっても理屈は変わらず、規格外の鍵と錠を合わせるのと同じ要領で双方にダメージを与えてしまうのだと、山本さんは教えてくれた。

「しかし怨霊は、鍵のパターンがすり潰れ、どんな錠にも入り込むことが出来てしまう。けれど解錠までは出来ないから単に宿主への攻撃性だけが働き、その結果死と業をまき散らす存在に成り果てる。彼らは元々僕たちと変わらない迷い人だったんだ。だがあまりにも強すぎる未練が、生者と死者の間に隔てられた一線を越えさせてしまい、忌まれるべきモノへと変貌を遂げさせる。彼らを鎮めるには血肉を帯びた遺物による霊的干渉ののち、魂を破壊するしかない。そう、君に楔として与えたそのカッターナイフは君をこの世に繋ぎ止めるものであると同時に、怨霊どもを祓う武器にもなる」

 どういう原理なのか、一言で説明されて理解出来るほど私は賢くはない。肉体が鍵穴で霊体が鍵という例えはなるほど理解に難くはないけれど、問題はその先。血肉を宿した遺物を霊体に打ち込むことで怨霊を祓うという部分。あらゆる鍵穴に対してのインサートを可能にする鍵を、あえて鍵穴をもって対処してしまえば……言い方はおかしいかもしれないけれど、逆に入り込まれ、取り込まれそうな気がした。

「肉体と魂の分離は、それそのものが奇跡なんだ。その奇跡の残滓が残された遺物は生身の肉体よりもずっと強硬に己のあり方を定める。かなり感覚に寄った言い方をすると、その存在力が未練も目的も見失ってしまった怨霊にとっては致命的なんだ」
「ここにいる、という意思そのものが彼らを鎮めるのですか」
「有り体に言えばね、まあ今は多くを理解しなくてもいい」

 結局、わかったようなわからないような。ただ、この話をした以上私の中にある問いはただ一つ。

「私は、闘うんですか……」
「まさか、好き好んで怨霊たちと関わる必要なんてない。けれどもしそれが避けては通れぬ道だとしたら、君には前もって覚悟する権利があるという話だよ」
「権利……」

 その言葉が、今の私にはひどく身に余るもののように思えた。生者に彩られたこの世界を間借りして、灰色に混じり合った黄昏を歩く私にあるのは、一秒でも早く輪廻の輪に帰還するという義務感だっただけに、それを全うするための選択肢を与えられているという実状がなんだか居心地が悪い。多くの人が死に方を選べず、圧倒的な理不尽によって人生を終えるしかなく、ましてや自殺者の遺灰が十字路に撒かれる事もある中、私だけが特権的に自分の死に納得する猶予を与えられて、さらにその上でそこに至るまでの道筋を選ぶ権利もあるというのは、正直過ぎた待遇に思えた。それは私が死者の中でも特異な亜死者であり、また私の死の真相を確かめたいという私自身の個人的願望を鑑みても尚だ。

 いやもっと言えば、出来る事なら最短距離でゴールしたいと思う私がいた。生と死の輪廻が命の正体であるなら、さっさと今の中途半端な私に別れを告げ、新しい人生を……願わくば今生きている大事な人たちと同じ世界を生きたい。そう思うからこそ、贅沢に手段を選んでいる場合ではないように思うし、乱暴な言い方をすれば厄介ごとに巻き込まれるのは御免だった。

 それに、自らの依り代を武器として使う事に、何の代償もないとは思えない。

「楔を武器として使う事のデメリットは……」
「当然、依り代には穢れが溜まり、その穢れが新たな業として厄を撒く。だから本来、この手の祓魔は専門家に任せるのが一番手っ取り早い。でもいつも側に彼らがいるわけでもない。霊体による怨霊祓いは、いわば最終手段なんだ」
「その口振りだとまるで知り合いに専門家がいるみたいに聞こえるのですが」
「その通り。石動朔弥いするぎさくや、ゴーストバスターさ。僕らのコミュニティ一帯の邪を祓っている。まだ二十歳なのにひどい厭世家でね、それがこじれて今や此岸と彼岸の橋渡しのような立ち位置になってしまっている」
「ゴーストバスター……」

 多分、ここ最近聞いた中で一番胡散臭い肩書きだった。私はアイヴァン・ライトマンの映画よろしく、清掃員みたいな服を纏い、妙ちきりんなガジェットを振り回してやたらとコミカルな幽霊をちぎっては投げちぎっては投げの大立ち回りを演じるヘンテコ科学者の姿を想像していた。生前の私なら、多分関わろうとはしなかった筈だ。けれど今の私は心や感性といったものを欠いてしまっているが故に、基本的には誰と会い何をしようと、そこに妙な期待を寄せたりはしない。昨晩の件から一夜明け、またぞろ山本さんが会わせたい人がいると言われるがまま、街外れを沿って流れる河川敷をまたぐ高架下の下水管までノコノコと付いてきて、いざその石動なる人物との対面を果たした感想といえば、

「なんというか、期待はずれです」
「のっけから酷いことを言うお嬢さんだ」

 ボサボサの金髪を掻き、アロハ柄の甚平をだらしなく着こなした下駄履きの男は言った。

「ゴスロリの次は女子高生か。劉禅、あんたの少女趣味はどこまでもミーハーだな。もっとこう、そそり立つようなアナーキー女子はいないのか……」

 そそり立つようなアナーキー女子、という全くピンとこない人物像を掲げられながら、山本さんはあくまでも冷静かつ無感動に、

「僕にそんな期待をするな。それに好き好んで少女を引き入れているわけじゃない」
「どうだかね。まいいや、はじめまして可愛いお嬢さん。俺は石動朔弥、事前説明は受けていると思うが、ここ一帯のアウトローどもを狩っている」
「葛原伶奈です。よろしくお願いします」
「ふふん、いいねえ初々しくて。一発心霊写真とかどう」
「いえ、結構です」
「ああそう……まいいけど」

 一応挨拶は返したけれど、なんだろう。山本さんの言う厭世家と私の思う厭世家に何処か決定的な乖離を覚えた。なんの遠慮もなしにずかずかと私のパーソナルスペースに押し入ってくる石動さんは、厭世家というより、幽霊やお化けのような人外異形、あるいは怪力乱心の類が好きな変態にしか見えない。ゴスロリという発言から石動さんはエイルとも会ったことがあるみたいだけれど、あの泉のような静かさと清廉さを湛えたエイルがこのテンションで迫られたのかと思うと不憫で仕方がなかった。

「それで、今日の要件は」
「大まかに二件、清掃と加工だ。葛原さん、カッターを」
「あ、はい」

 呆けて成り行きに身を任せていたところに私を呼ぶものだから、妙に上ずった声が出てしまった。それを見ていた石動さんがいやらしくにやけていて、ほんの一瞬生前の羞恥と怒りを思い出しかけたけれど、結局それらの感情が表に出てくることはなかった。
 随分と不感症になったものだと、行き場のない気持ちを発散するよう、私は出来るだけ下品に自分をなじってみる。
 何も変わりはしなかったけれど。

「清掃はあんたの方だな、劉禅。性懲りも無くまた怨霊を狩ったのか」
「彼女の古巣だった。放置するのは不憫だろう」
「変わってるよあんた、死者の分際で随分とお人好しだ。少しはエイルを見習ったらどうだ?」
「確かに、僕のお節介と彼女の無関心を足して二で割ればお互いちょうどいいのかもしれない」
「そうやって他人の言葉をいちいち受け入れて肯定するところがお人好しだって言ってんだよ」
「君がそんなに僕の身を案じてくれているとは意外だな」

 山本さんがこんなにもよく喋るとは正直意外だった。石動さんにしたってまだ二十歳らしいし、単純に世代で考えれば彼はむしろ私寄りといってもいい。だけどどうしてだろう、彼はどこか悟りきって達観したような、枯れて乾いた覇気のようなものを感じた。

「もう一件の加工ってのは、お嬢さんをゴーストバスターに仕立て上げる企てか」
「あくまで自衛に足るだけの強度があればいい。ここ最近の怨霊の数が異常なのは君も理解してるだろう。僕らだってそれなりの自衛手段が必要なんだ。それは引いては君の仕事の助けにもなるはずだ」
「はえぇ、さすが大人は若者を丸め込むのが上手いねえ。俺ってばもうすっかりその気になっちまったよ」
「嘘は良くないな」
「バレたか。まいいさ、刃物はしばらく扱ってないからな。ここはあんたに免じて請け負ってやるよ」
「いつもすまないな、助かるよ」
「またまた心にもないことを」
「幽霊に心を求めないでくれ」
「はっ、違いないや」

 山本さんの返答を何か冒涜的なジョークと取ったのか、石動さんは上機嫌そうだった。来なよ、と石動さんは私達を人ひとりは軽く飲み込める大きさの排水管の中へと招く。信じられないことに、私はその中に入る事自体になんの抵抗もなかった。あらゆるものをすり抜ける肉体を持った私の体に物理的な汚染は通用しない。その絶対的事実が、この不潔な空間への侵入に対する抵抗感をなくしていたのかもしれない。
 けれど、長い暗がりをつづらに歩いた先、おそらく貯水槽に当たる地点で私の目に飛び込んで来た光景は、私が想像していた配管の中をはるかに超越していたものだった。

「神殿……」
「お、いい表現」

 まず真っ先に目に飛び込んで来たのが、石動さんが占有している空間の最奥に構えていた石造りの建築だった。左右対称に造られたそれは、至る所から水が沸き上がり、巨大な注連縄しめなわを湛える頂部の祭壇へと流れ、集まった水はそこから滝のように流れ落ちている。大がかりなビオトープといった風情だけど、その澄んだ流れは下水管の中とは思えないほどに清廉で、ここ一帯の空気も凛と鼻当たり良く冷えていた。

「浄水と河川の修祓、その役割をこいつ一基で担っている。俺の生活の基盤であると同時に、川を辿っていく邪気を祓っている。良くないものが沸くのは水と情の集まる場所。つまりラブホのシャワールームは霊的に最も穢れやすい」
「そうですか……」

 目の前の光景に視覚的に圧倒されていた私は、石動さんの説明を最後の方まで聞いていなかった。ラブホテルが……なんだっけ。
 私はさらに内部を見渡す。祭壇の他に石動さんが普段寝食していると思しき六畳ほどのスペースには敷きっぱなしの布団にノートPC、安物の電子ケトル。座卓の上にはインスタント麺の残骸が雑然と散らかり、壁はなく、雨だれを防ぐトタンの屋根が申し訳程度に覆いかぶさっていた。電力の供給は祭壇の滝に仕掛けられた水力発電機で行っているようで、滝つぼの池から伸びたケーブルがするすると居間へと繋がり、彼の生活がほぼ完全にこの下水管の内部で完結していることを示していた。

「さて、見物は済んだだろう。俺はこれから劉禅から預かった君の楔を細工する。その間君にはやってもらいたいことがある」
「やってもらいたいこと……」
「聞いているよお嬢さん、君はまだ死んで間もない。ろくすっぽ物理干渉もままならないとか。それじゃいくら霊体で誰からも認識されない身でも不便だ。俺が君のカッターナイフを魔改造している間、君はここで物理干渉の練習をするんだ」
「練習っていっても、どうすればいいのか分かりません」

 話の内容についていけていないせいで、私の返答はどこかテンポが悪かった。そもそも物理干渉というのがどの程度のものなのかという部分から想像できていない。生者への不干渉が暗黙となっている死者のコミュニティにおいて、いったいどれほどの必要性がそこに存在するのだろう。私にはそれがどうしてもわからなかった。私に必要なのは、亜死者としての務めを果たし、輪廻の輪に帰還すること。それだけではだめなのだろうか……。

「意味なんてない、とでも言いたげだね。葛原さん」

 見透かした風に山本さんが問う。感情を出すべき表情は今の私にはないから、彼が読んだのは私の言葉と言葉の間に入り込ませた僅かな空白。感情と思考の残り香なのかもしれない。

「霊体の物理的干渉は積極的に行使するものではない、それは事実だ。だからこれは君が元ある場所に還る上で直接役に立つ練習ではないんだ。けれど、さっき僕が石動に話したことを覚えているかな……」
「怨霊の増加……」
「そう、この地域で何かよからぬ動きがある。この先、この街は霊的に危険な場所になるかもしれない。そんな中、もし君の身に危機が迫った時、僕や石動だけではどうしようもない事もあるかもしれない。この練習は、その万が一の時のための対策なんだ」

 それほどの危機が、私の周りに迫っている可能性。当然のことながらそんな自覚は私にはまったくと言っていいほどなかった。そのことが私の死に繋がっているのかどうかという事も、当然ながら判断できない。

「君の楔を加工した暁には、君の血肉を帯びた部分は別のもので覆われる。そうなると君はこれまでのように訓練なしでは楔に触れることは出来なくなる。楔から距離が離れてしまうと、今此処にいる君にも影響が及ぶんだ」
「そのままではダメなんですか……あくまでも自己防衛のためなんですよね」
「むき出しの状態で穢れに触れれば、それだけ君に対する浸食が早まる。何度も言うがあのカッターナイフは君の魂を記憶した遺物だ。その遺物を穢すことは、すなわち君自身を穢すことに繋がる。だからこれは抜き身の刃に鞘を被せる意味でも必要なことなんだ。分かってくれるね」

 まるで子供をあやすような言い方には多少の異論はあったけれど、逆に言えばそこまで強硬に主張されて反発するほどの理由もないという事に私は気づく。すでにナイフは石動さんの手にあり、抵抗しようと思うなら、まずは彼の手からナイフを取り戻すところから始めなければいけない。これまでの言動からして、石動さんが一言で素直に返してくれるとは思えないので、ここでもまたひと悶着あるに違いない。それら一連の事柄に対して私が払う労力と対価に、いったいどれだけの必然性があるのか。考えるまでもなく皆無だった。

「分かりました」

 だからそう返した。納得したからではなく、単純に時間の無駄だったから。それにわざわざ私の為を思って無益な人助け——もう死んでいるけれど——を買って出てくれている山本さんの厚意を無駄にするべきじゃない。

「物に触れるために訓練する幽霊か。まるでジェリー・ザッカーの映画みたいだ」

 私たちのやり取りを見ていた石動さんはそう呟いた。彼の言う映画が「ゴースト~ニューヨークの幻~」のことなら、まさに私は思い人を残して逝ったサム・ウィートそのもの。ただ、劇中におけるサムの死の正体は、会社の不正を暴かれそうになった同僚による謀殺。そんな背景のある映画と今の私の状況を、石動さんは重ねたたのだろうか……。
 そうだとするなら──やれやれ。

 縁起でもない発言は慎んでいただきたい。
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